第77話 らしさ

 昼食では雑煮を出してもらった。吉乃は「本当はおせち料理を作りたかったですけど」と残念そうにしていたが、冬休みどころか期末試験からこちらはほとんど響樹が連れ回していたので、いくら吉乃と言えど流石にそんな余裕は無かったのだろう。

 そんな反省も込めた素直な感想で、「出汁がきいていて美味い」をはじめとしたいつものように貧相な誉め言葉を並べたところ、吉乃は照れて朱に染まった顔を可愛らしく綻ばせていた。


「そろそろ行くか?」

「構いませんけど、響樹君は大丈夫ですか?」


 例によって吉乃の料理を食べ過ぎた響樹を気遣ってくれる吉乃に、「このままだと寝る」と返すと、彼女は「仕方ありませんね」と苦笑を見せた。


 そうして二人で外出の支度を済ませて階を下り、マンションのエントランスで二十代後半ほどの女性とすれ違った。吉乃が会釈をしたので響樹も合わせておいたが、その様子からすればまず住人だ。

 そしてその女性が持っていた束は年賀状だろう。


「社会人とかだとまだ年賀状のやり取りするんだろうな」

「そうですね。同世代だけでなく上の世代の方とも交流があれば尚更でしょうね」

「確かに」


 エントランス外の集合ポスト――ダイヤル式の鍵が付いている――を眺めつつそんな会話を交わすと、隣の吉乃がくすりと笑った。


「どうかしたか?」

「いえ。響樹君はその分だと、私が送った年賀状に気付いていないだろうなと思いまして」

「え」

「やっぱり」


 自動ドアを越えてエントランスの物より少し冷たい外の空気に白い息を吐きながら、足を止めた吉乃がふふっと笑う。

 気付かなかった事もそうだが、何より響樹は吉乃に年賀状を送っていない。彼女の様子からすれば後者は想定済みだと思われるが、後悔は募る。


「家に帰ったらすぐに見る」

「そうしてもらえると嬉しいですね」

「あと来年は俺も送るから」

「私がしたくてした事ですから、響樹君は無理をしなくても――」

「無理じゃないって」


 昼食のおせちの件もそうだが、吉乃は季節や節目の行事に対してを求める傾向があるのではないかと思う。

 クリスマスの時も事情があったとは言えクリスマスらしさを求めていたし、年末年始もそう。


 対して響樹にとって季節の行事というのは両親が揃って出かける日――流石に年末年始を一人にされた事は無い――で、昔からずっと寂しい思いをする事の多かった日。

 だから敢えて意識しないようにしてきた日なのだが、吉乃と一緒ならそういったもきっと楽しめるはずだ。


「俺も送りたいし」

「それでは、楽しみにしています」


 目を細めて笑う吉乃の表情には期待の色が見えた。これを裏切る事はできないなと、響樹は内心の苦笑を抑え、「ああ」と頷いた。


「じゃ、改めて行くか」


 しかし、響樹の言葉にニコリと笑って頷いた吉乃が足を踏み出さない。

 どうしたのだろうと眺めていると、上目遣いの視線を送ってくる吉乃がマフラーを摘まみ上げて口元を隠す。その白い指先は、つい今まで手袋に覆われていたはずだ。


「あー……行こう」

「はい」


 おずおずと差し出した響樹の右手をしっかりと握り、可愛らしいはにかみを見せる吉乃が今度こそ歩き出した。


 これから初詣に向かう訳なのだから、夜と違って誰にも会わないという事は無いはずだ。そんな中で手を繋いで歩く事に、自意識過剰かもしれないが少しだけ気恥ずかしさを覚える。

 隣の吉乃もきっとそうで、昨日手を繋いだ時よりもどこか照れくさそうにしている。しかし、響樹の手を握る彼女の少し小さな手が緩む様子は無い。


 こうやって恋人同士手を繋いで歩く事も、吉乃の求めるの一つなのかもしれない。

 そう考えると、気恥ずかしさこそ残るもののそんな気持ちにはしっかり応えたいと思ったし、何よりやはり吉乃の手は温かかった。



 吉乃の家から学校と反対に歩く事10分弱、目的地である神社の大きな鳥居が目に入った。

 ニュースで見る全国的に有名な神社のように参拝客で溢れかえっていて列の整理がされるほどではないが、それなりに人は多く――


「手を離したらはぐれてしまいそうですね」


 ちょうど同じ事を考えていたらしい吉乃が、前方の人混みを見て楽しそうに笑う。

 そして言外に離しませんよという意思表示を兼ねながら響樹に上目遣いの視線を送り小首を傾げるので、響樹も同様に離すつもりはないと少し手に力を込めて返した。

 ただしマフラーに口元を埋めながらであったので、そんな様子を見た吉乃はきゅっと響樹の手を握り返し、くすりと笑う。


「……混んでるし、ゆっくり行くか」

「ええ。この流れに乗れば本堂に辿り着けますよ」

「了解。前にも来たのか?」

「引っ越して来てからは毎年です。何となくでしたので、今年は響樹君と来られて良かったです」


 吉乃が目を細めて嬉しそうな微笑みを見せる寸前、一瞬だけ寂しそうな表情を見せた事には気付いた。

 両親との思い出など、きっとそこには複雑な事情があったのだろうと思う。


「今年はじゃなくて、これからは、だろ?」

「……はい、そうですね」


 少しだけ見開いた目を響樹に向けた後、吉乃は僅かに頬を染めてまたマフラーを摘まみ上げた。


「響樹君はやっぱりそうやって気障な事をたくさん言いますね」

「別に、ほんとの事だろ……」

「ええ」


 ふふっと笑った吉乃に照れくささを隠せず顔を逸らし、今まで目に入っていただけだった他の参拝客を少し眺めてみる。

 地元の神社だけあってやはりメインは家族連れや老夫婦と思しき人たちなのだが、ちらほらと恋人らしい距離感の男女も見受けられる。


「晴れ着の人も結構いるんだな」

「そうですね。毎年それなりにいらっしゃいますよ。私も、せっかく一緒の初詣なので、晴れ着を着たかったですね。持っていないのが残念です」

「あー……悪い。催促したつもりじゃなかったんだけど……」


 普通の女子高生が晴れ着を所有しているかはともかく、吉乃の家庭環境が崩れてしまわなければ当然持っていただろうと、一瞬考えてしまう。

 しかし吉乃はそんな事を気にしたふうではなく、「催促してくれてもいいんですよ?」といたずらっぽく笑った。だから響樹も、過った暗い思考を頭の中から追い出す。


「吉乃さん、和装似合うだろうな。いや、和装

「ありがとうございます」


 響樹の言葉で弛んだ口元をマフラーの中に隠し、吉乃はふふっと笑う。


「ほんと、いつかは見たいな」


 吉乃はシャープな顔にはっきりとした目鼻立ちをした文句無しの美少女ではあるが、所謂日本美人ではない。しかし、その濡羽色の髪は響樹に言わせれば誰よりも綺麗だ。

 きっと着物が良く似合う。もちろん着物でなくともだが。


「そうですね。成人式では着てみたいです」

「だいぶ気が早いな」

「4年も先の事ですからね」


 くすりと笑った吉乃が繋いだ手に少し力を入れ、響樹に顔を向ける。


「4年先でも、響樹君は待っていてくれますか?」

「……当たり前だろ」

「間が空きましたね」


 上目遣いの視線に恨めしげなものが混じり、寒い中でも変わらず綺麗な桜色をした薄い唇が尖る。


「違うって。4年先の吉乃さんはきっともっと凄く綺麗になってるだろうなって、そんな事考えてた」

「……響樹君は、4年先はもっと恥ずかしい事を言いそうで困ります。今でさえもこれなのに」


 4年先の吉乃は、きっと響樹の想像が及ばないほどに美しくなっていると思う。

 しかし、4年先もそれよりも先も、吉乃が見せる今のような可愛らしい表情を見ていたいと、彼女に言ったらまた怒られそうな事を思った。

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