第66話 記憶力の功罪

「では私も切符を買ってきます」

「ああ、頑張って」

「はいっ」


 駅に着いてしばらくした後、吉乃はそう言って張り切った姿を見せて一歩踏み出した。

 因みに響樹は吉乃に言われて先に購入してある――隣でアドバイスなどをしないようにとの事だ――ので彼女を遠くから見守る役である。


「これで子ども扱いするなって言われてもなあ」


 以前のように吉乃がする事を一々心配していた事とは違うが、外見に反して幼さを感じさせる彼女に対し微笑ましい視線が向いてしまうのは必然と言えた。

 響樹は番宣程度しか見た事が無いが、こどものお遣い番組を見る人はこんな心境なのだろうかと思ってしまう。

 そんな風に思いながら少し離れた吉乃の後姿を見守っていると、券売機に辿り着く前にナンパに遭っていた。


(嘘だろこの距離で)


 前の時とは違い今度こそ間に入っても問題無いだろうと考えて足に力を入れたのだが、振り返った吉乃につられてナンパ男の方も響樹の方を向き、何やら少し話した後で頭を下げられた。

 恐らくは連れがいるという説明をしたのだろうが、連れの種類を勘違いしたのか男の方はそのままあっさりと引き下がる。そして流石に数十メートルでのナンパは一回きりだったようで吉乃は無事券売機に辿り着いた。

 吉乃が困らずに済んだので問題無いのだが、今度こそと思っていただけに肩透かしを食らったような気分だ。


 券売機上の路線図を確認した吉乃は、近いとは言えすぐに目的の駅を発見したらしく財布を取り出して券売機に硬貨を投入、そしてあっさりとボタンを押した。

 初めてなのでもう少し手間取るのではないかと思っていたが、吉乃の様子からは切符を買った事が無いとはまるで感じられない。発券された切符を嬉しそうに見つめている以外は。


「買えましたよ、響樹君」

「ああ、見てた。凄いな」


 流石に帰りはナンパに遭う事は無く戻り、吉乃は満面の笑みで響樹に切符を見せる。


「初めてだとは思えなかった」


 普通はもっと路線図で目的地を探せなかったり、金銭を投入した後で本当にこの金額で良かったか路線図を見直したりと、そんな風になるものだろう。響樹としても慣れない土地ではそうなる可能性が高い。

 しかしそれを伝えても吉乃は「記憶力がいいので」と笑っていた。


「なるほど。しかし万能だな」

「実際に色んな事に役立ちますからね。今は本当に記憶力が良くて良かったと思っています。楽しい事をしっかりと覚えておけますから」


 そう言って目を細めて優しく笑う吉乃の頭を撫でたい衝動に駆られた。家族の事などもそうだが、卓越した記憶力のせいで苦しんだ事もあったはずで、今の笑顔を大切にしてほしいし、したい。

 だから、これから一緒にいる中では楽しい事をたくさん覚えていてもらいたいと、悲しい思いをさせないようにありたいと思う。


「どうかしましたか?」

「ん? いや、今日も楽しもうと思って」

「当たり前の事ですよ?」


 そう言ってふふっと笑って首を傾けた吉乃は、「次は改札です」と響樹を促す。

「ああ」と頷いて吉乃を追いかけながら、憂鬱でしかなかったはずの実家への道に対し、今はまるでそんな事を思っていない事に気付いた。



「電車の乗り心地はいかがですか? お嬢様」

「またそうやって私を子ども扱いして。流石に電車に乗る事をそれほど楽しみにしていた訳ではありません」

「そうなのか?」

「そうなのです」


 動き始めた車内で立ったまま窓の外を眺める吉乃に尋ねてみると、彼女は口を尖らせた後でどこか自慢げに笑って頷く。

 嘘を言っている風ではないが、その割に切符は楽しんでいたではないかと口にするのは野暮というものだろう。


「乗ってしまえばただの移動手段だなと。風光明媚な場所を走っていればまた感想は違うんでしょうけど」

「まあ、移動手段だしな」


 窓から見える景色も建物、道路、看板などだ。吉乃の言う通りこれが景色のいい場所を旅行する電車ならばまた印象は違うのだろう。


「でも、初めての電車がいい思い出になったので嬉しいですよ」

「言ってる事違わないか?」

「違いません」


 ふふっと笑った吉乃は視線をまた窓の外へと戻し、優しい笑みを浮かべていた。



「流石にバスは乗った事あるよな?」

「流石にありますね」


 そう苦笑した吉乃を伴って乗り込んだバスに揺られて十数分、響樹の実家の最寄りの停留所に到着した。


「ここからは歩いてすぐ」

「いよいよですね。緊張します」


 胸元で小さく拳を握った吉乃にどうしてだよと思いもしたが、冷静に考えればそれもそのはずだ。初めて行く誰かの家というのは緊張するものだ、たとえそこに誰もいないとしても。

 足を重くする憂鬱さからは解放されていたものの、吉乃の緊張を気遣えないほどに自身も同じ思いを抱いている事に今更ながら自覚する。


「響樹君?」

「俺もなんだかんだで緊張してたらしい」


 冗談めかして言ってみたのだが吉乃にはやはりバレたらしく、気遣わしげな視線が送られた。

 だから今度はしっかりと笑って「大丈夫」と告げる。


「3ヶ月ぶりの実家だからちょっとなあって感じだ。どうせ誰もいないし、気楽に行こう」

「……誰もいないを強調されると、なんだか留守に上がり込むようで別の罪悪感がありますね」


 くすりと笑った吉乃がそう言って笑う。彼女が笑ってくれるだけでもう本当に大丈夫だ。

 吉乃にみっともないところを見せる訳にはいかないし、響樹がいつまでも緊張していては彼女のそれが解れない。


「じゃあ、改めて吉乃さん。今日はよろしく」

「はい。こちらこそよろしくお願いします、響樹君」


 お互いに頭を下げ合い、顔を見合わせ、わざとらしさに気恥ずかしさを滲ませた笑みを向け合う。

 そして「行くか」「はい」と軽いやり取りを終えて歩き出した。

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