第62話 恋バナ

「……話すって何を?」

「そんな警戒しないでよ。天羽君の話したくない事は聞かないし、話すって言っても聞かないよ。物事には順序ってものがあるからね」


 そう言った優月は表情を崩し、普段のように人好きのする笑みを浮かべた。


「とりあえず電話はいいの? 急ぎじゃなさそう?」

「……後で折り返す」


 優月の疑問に返す形でそう口にし、ようやく考えがまとまる。と言うよりも逃げる理由が見つかったという方が正しい。

 優月が話しに来たのだからここで電話をするのは失礼にあたると、それを口実にしてディスプレイに表示される名前から逃げたのだと、痛いほどにわかる。


 しかし、もし電話をしてしまえばきっと吉乃の元に戻れない顔をしてしまうだろうとも思った。

 だから少し気分転換に付き合ってもらおうと優月に了承の意を示す。すると彼女は口角を上げた後で考えるそぶりを見せ、「やっぱりこれしかない」と楽しそうに笑う。


「とりあえず、じゃあ恋バナで」

「……なんでそうなる?」

「私たち高校生だし、盛り上がるのってそれでしょ?」

「まあ、そうなんだろうけどさ」


 優月の理屈は多くの高校生に対して当てはまるものだと思う。しかし響樹は今でもその多くの方に含まれない人間だ。

 以前のように嫌悪こそしないが、自分の事を面白おかしく話すつもりも無ければ、他人の事を聞いて楽しむ趣味も無い。


「まあまあ、そんな顔しないでさ」

「はあ」

「やる気無さそうな感じだねー。で、天羽君は吉乃の事好きなの?」

「いきなり、そんな事聞くのか」


 優月が「恋バナ」と言った以上は触れられるかもしれないと考えてはいたが、それにしてもだ。


「誘導して逃げ道塞ぐ方がいい? でもさ、友達に関する事だし正面から聞きたいじゃん?」

「いや、軽い感じの話から入るとかさあ……」

「却下。時間かけると吉乃に心配かけるし」


 あっけらかんと笑った後で、優月は「で、どうなの?」と響樹を促す。笑みは消え、言外に嘘や誤魔化しは許さないと言われているような気がした。

 海や吉乃との仲がいいとは言え、優月と響樹にはそれほど交流がある訳ではない。試験の際に世話になった恩義はあるが、繊細な問題に土足で踏み込まれたような、そんな不快感を多少は覚える。

 しかし、感情の機微に敏いであろう優月が敢えてそうした事には意味があるのだと思い直し、響樹は本音を口にする。


「……特別な相手だと思ってる。隣にいたいとも、思ってる」

「うん。ありがとう」


 そう口にし、優月は静かに笑った。普段とは違う少し落ち着きのある笑み。

 しかし、「でも、ごめんね」とほんの少し申し訳なさそうな顔を見せた後、優月は僅かに頬を引き締めた。


「聞きたい答えはそれじゃないんだ。もう一回聞くよ。吉乃の事、好き?」

「……さっきのはなんでダメなんだ?」


 たった二文字分唇を動かして声帯を振るわせればいいだけなのに、響樹はどうしてもそれを口にできない。

 吉乃に抱く感情を理解しつつも、その言葉だけは頭の中でさえも言えなかった。

 そんな状態を自覚し、いまだスマホのディスプレイに表示されている名前に視線を落として八つ当たりのように画面を消す。


「現代文の論述問題だったら、私は部分点でさえあげないかもね」


 そんな響樹に対し、優月はまたも落ち着きのある笑みを見せ、そして普段のように笑う。


「天羽君がただ恥ずかしいから言えないんじゃない事はなんとなくわかったけどね。恋愛の形は人それぞれだし、みんながみんなおんなじ言葉を使わなきゃいけない道理はないけどさ。やっぱ女子的に言わせてもらうと好きなら好きって言うべきだよ。余計なお世話だって思うかもしれないけど」

「余計なお世話だとは、思わない」


 言葉にしなければ伝わらない事はある。試験の結果を受けてではあるが、響樹が吉乃に思いを伝えたのもやはり言葉によってだ。

 優月は「うん、ありがとう」と口にし、少し自慢げに笑った。


「因みに私見ての通り結構モテるんだけどさ」

「自分で言うか?」

「否定しても嫌味になるしね。まあ私の場合外見もそうだけど、どっちかと言うと告ったらワンチャンありそうって感じがあるんだろうね」


 失礼ながら少しわかる気がした。思えば海の友人だからという理由はあったが、優月は初対面から響樹に対して親しげに接していた。吉乃も、誰とでも裏表なく話すと優月を評していた。

 外見も愛想もいい優月に対して男子がそんな勘違いをするのも想像がつく。


「逆に吉乃は告ってもダメそうな雰囲気が出過ぎてて、あれだけのハイスペック美人なのにそんなに告白されてないと思うよ」

「夏休み前までに二、三十人て聞いてたけど?」

「自信のある男子たちが早々に突っ込んだんだよ。そこで人気ある男子が撃沈しまくったせいでみんなワンチャンすらないってわかったから、二学期からはほとんど告白されてないはず」

「なるほど」


 二、三十人以上からの告白をそんなにと言ってしまえる驚きもあるが、優月の言う事には一理あると思えた。

 自分が吉乃と釣り合うと思えるような男子がいるかと言われれば、告白の人数も彼女の魅力に比例して伸びる訳でもないのだろう。


「で、話が逸れたけど私結構告白されるんだけどね。ほとんど『好き』って言われないんだよ。『付き合っちゃう?』とか『俺とかどう?』とか! 告白失敗してもダメージ抑えようとしててムカつくよね?」

「いや、俺に言われても……」


 珍しく語調を少し荒げた優月だが、告白などした事もされた事もない響樹にはわからない世界でしかない。

 どう反応していいかわからず、恐らく微妙な顔をしていたのだろう、こちらを向いた優月が少し気まずそうに咳払いを見せた。


「まあ誰に言われても嬉しい言葉じゃないかもしれないけどね。でも、大事な言葉だよって事は覚えといて。言えるようになってほしいなあって、友達としては思う訳だよ」

「ああ、覚えとく。ありがとう」


 しゃがんだまま軽く頭を下げると、優月は「うん」と笑って立ち上がり、「そろそろ戻ろうか」と口にし――


「なんかこれだけだとお説教みたいだから、気になってそうな事教えといてあげるね。私、海の事好きだよ。異性としてね」

「……おい。おい、なんでそんな大事な事今、しかも俺に言った?」


 優月に倣って立ち上がろうとしていた響樹だったが、逆に尻もちをついてしまい慌てて立ち上がって思い切りはたいた。

 それほどに優月の発言はいきなりで、意味がわからない。


「因みに海が私の事好きなのも知ってる」

「いや、マジで理解が追い付かない。……でもそれならなんで――」

「告白しないかって? 好きなら言えって言ったくせにって?」

「まあ……そうだな」


 当然の疑問だろうに、優月は得意げにふふんと口にしながら笑う。


「恋愛の形は人それぞれとも言ったよ? まあ簡単に言うとね、私は海の彼女にはなりたいけどお姉ちゃんになりたい訳じゃないんだよって事」

「意味わからん」

「だろうね。じゃあ戻ろうか。あ、海には言わないでおいてよ」

「言えるか」


 響樹がそう言い返すのを待って笑い、「海と吉乃だと間が持たないかもだから」と優月は楽しそうに店内に戻って行った。


 吉乃への感情との向き合い方、そして海の事。頭の整理が追い付かなさ過ぎて件の電話に割くリソースが足りない。優月のおかげと言えばその通りだが、どこか釈然としない気持ちもある。

 しかし、なんとか吉乃に過剰な心配をさせずに済むような顔にはなったらしいと、入り口のガラスに映った自分を見て思った。だが――


「海にどんな顔すりゃいいんだ」


 そんな独り言を口にしながら、響樹も優月から少し遅れて店内に入った。

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