第61話 少し遅い昼食の前に

「不本意ですが一旦ストライクを狙うのはやめておきます」


 二ゲーム目が始まる前、吉乃はそう言って悔しそうな表情を覗かせた。

 そして実際その言葉通りにちょうど良く力の抜けた吉乃は、言葉に反してストライクを連発した。つまりハイタッチを何度も行えた訳だ。


 そうした吉乃の活躍もあって二ゲーム目は響樹たちの勝利。

 勝負は三ゲーム目の結果次第という事になる。


「行け、海。盤外戦術だ!」

「ええ……」


 二ゲーム目ではそれなりの差がついた事からの発言だろう。

 優月の命令に何だかんだと反駁しつつも逆らえない海は、しかし割と乗り気な調子で響樹に精神攻撃を仕掛けてきた。


「二人は何で呼び名変えたんだ?」

「あ、それ私も知りたかったー。この前吉乃に聞いた時は上手い事はぐらかされたから、天羽君答えて」

「ええと……」


 隣の吉乃を窺ってみても表情は穏やかなままでニコニコとしている。

 その真意を読もうとしてみても、吉乃がこの状況を微妙に楽しんでいる事だけしかわからない。少なくとも言うなという意思は示されていなかった。


「逆にそっちの二人はいつから呼び名変えたんだ? 最初からか」

「いや俺たちの話は――」

「中一の二学期から。夏休みデビューしてきた海が私の事呼び捨てにするようになったから。で、私も海って呼ぶようにしたの」


 慌てて止めようとした海のブレーキも虚しく、優月があっさりと答えてしまう。響樹としてはそっちが言わないならこっちも言わないという論法で乗り切ろうとしたのだが、失敗した。「で、そっちは」だそうだ。横で海が頭を抱えている。

 結局、クリスマスの時に「何となくそろそろだろうという雰囲気になった」と嘘とは言えないほどの言いようで誤魔化し、優月のからかいを受け、海とともに男二人でダメージを受ける結果となった。


「そのマフラー吉乃からのプレゼントなの? どうりで大切そうにたたんである訳だね」


 いつの間にか海を通さずに優月からの直接攻撃が届くようになる。実際にマフラーは大事にしているし、コートに比べてたたみ方がかなり丁寧にしたつもりでいる。

 吉乃はそんな響樹のマフラーに視線をやり、穏やかな笑みの中で僅かな喜びを示した。


「因みに吉乃は何貰ったの?」

「ミニチュアのクリスマスツリーを頂きました」

「えー。天羽君そういうの贈るタイプなんだ。写真ある? 見たい見たい」

「はい、ありますよ……どうぞ」


 ニヤニヤしながら響樹を眺めていた優月のターゲットが今度は吉乃に変わるのだが、吉乃は事も無げに受け答えをしていき、取り出したスマホを操作して優月へと差し出した。


(写真あるのかよ)


「おー。可愛いねー」

「はい。しかも小さいのに良く出来ているんです」


 いつの間にか優月の隣に席を移した吉乃はそう言ってスマホの画面に指を伸ばし、ツリーの説明をし始める。当日に話したようにベルやプレゼントも細かく作ってある事などを。

 その様子から吉乃が本当にあれを気に入ってくれている事がわかる、しかもホーム画面に写真を使ってくれているらしい。大変嬉しい反面、ボールを投げて戻って来た海の視線が痛い。因みに海は復調ぎみらしくピンを九本倒していた。


「花村さん、順番回って来たぞ」

「今いいとこだから後で」


 海が首を横に振って「諦めろ」と小さく口にした。



 その後も優月からの精神攻撃は続くのだが、響樹からの反撃によって何故かほとんどのケースで海がより大きなダメージを負う結果となる。


「二人のクリスマスの話聞きたーい」

「じゃあまずはそっちのクリスマスの話からな」

「私と海? 普通にビリヤードやってカラオケ行っただけだよ。去年もそんな感じだったし、誰かに話すには内容が弱いね」

「……そうか」


 その後は響樹たちがどう過ごしたかを当たり障りなく話したのだが、ガーターを連発する海が気の毒であまり羞恥は覚えなかった。


 そうして十フレーム目までを終え、吉乃と響樹が二ゲーム目よりもスコアを落としたものの、海が更に落としたので結局は響樹たちの勝ちで終わる。


「海のせいで負けたー」

「悪い……」

「いーよ」


 最初の段階で責める気は全く感じなかったのだが、やはり優月に気にした様子は一切無く、まるで勝利したかのようにハイタッチを要求する。

 海の方も苦笑を浮かべた後でふっと息を吐き、「おう」と少し強めのハイタッチを交わし、「痛い」と肩を殴られていた。


「気心の知れた仲、といったふうですね」

「ああ」


 同じく相手チームを眺めていたらしい吉乃が優しい声を出し、同意した響樹にふふっと笑顔を向ける。

そして穏やかな笑みのままに、「響樹君」と控え目に右手を掲げた。


「おう」


 右手を差し出しながらの海を真似た口調に吉乃がくすりと笑う。そのまま彼女の綺麗な右手がゆっくりと進み、響樹の右手と合わさった。

 今日合計で十回以上行った行為だが、やはり何度でも心拍数が早くなる。そしてやはり吉乃の方も少しだけ頬を染めてはにかむのだ。

 今日のハイタッチのほとんどは吉乃のストライクによるものだったので、響樹の頭が上に来る事は珍しい。しかも今は互いに立ったままなので彼女の上目遣いがちょうどいい具合で、重ねた手のひらが異常なまでの熱を持ったように錯覚した。


「なんか向こうのハイタッチ、アレじゃない?」

「ああ、なんかあのまま指絡めそうな雰囲気あるよな」


 吉乃が二人に背を向けているためその可愛らしい表情こそ見られなかったが、長々と手を合わせている様子は流石にバレたらしい。


「絡めてみますか?」


 響樹が手を引くよりも早く、吉乃は上目遣いのどこか妖しい笑みを浮かべて首を傾げ、小さな声で響樹をからかう。

 本音ではお願いしますと言いたいところなのだが流石に言えず、否定の言葉も言えず、響樹は無言で手を引いた。


 そんな響樹を見て、吉乃はくすりと笑った後でわざとらしく、可愛らしく口を尖らせた。



 ボウリング場を出て少し遅めの昼食に向かうために歩いているが、吉乃の隣は優月がしっかりとキープしている。


「デザート一つ奢りって事で」

「悪いですよ」


 友人同士で食事を賭けの対象にするなどよくある話だ。しかし吉乃としては初めての経験だろうし、かなり恐縮している様子が窺えた。

 もちろん響樹もそれほど経験がある訳ではないのだが、相手が海と優月なので遠慮はゼロだ。


「いーのいーの、勝負の結果だしさ。ありがたく貰っといてよ」

「それでは、お言葉に甘えます。ありがとうございます、優月さん、島原君」

「遠慮せずに頼んでくれよ」

「どういたしましてー」


 そう言いながら優月はまた吉乃に抱き着こうとし、手で押し返されていた。

「冷たいー。でもそんなところも好きー」と、もう一度同じ事が繰り返される。


 そんな吉乃と優月を見ながら海が苦笑し、響樹を肘で小突く。「響樹の目が気持ち悪い」だそうだ。

 響樹も海にやり返すと、彼は「でもまあ」と口を開いた。


「烏丸さん上手かったよな」

「ああ。あれで過去二回しかやった事無いらしいぞ」

「マジか」


 吉乃が言うにはフォームをしっかりと覚えてしまえばある程度のスコアは取れるとの事だった。

 普通の人間はたった二回と前日に動画を見た程度では覚えられないのだが、まあそこは吉乃なのでと響樹は自分を納得させている。


「吉乃さんは基本何でもできるからな」

「彼女自慢みたいな事言いやがって」


 もう一度飛んで来た肘を受け止めて「そんなんじゃねーよ」と言い返すのだが、海はニヤケ面だ。

 そしてそんな二人のやり取りを、前を歩いていた女子二人は足を止めて眺めている。よく見ればもう店の前に着いていた。


「男子組遅ーい」

「ああ、悪い悪い」


 少し間の空いた二人に小走りで追いつき、それでは店に入ろうかというところで響樹のポケットの中身が震えた。これは電話のバイブレーションだ。

 響樹に電話をしてくる相手などこの三人以外にはまずいないので、誰だろうと思って取り出してみると――


「響樹君?」

「どうした?」

「天羽君?」


 少し呆けていたらしく、三人に心配そうな声をかけられてしまった。


「いや……なんでも……ない」


 スマホのディスプレイから視線を外せず、しかし指も動かせない。そうこうしている内に着信は切れてしまい、ようやく顔を上げる事ができた。

 やはり三人とも――特に吉乃はとても――気遣わしげな顔を響樹に向けている。


「あー……ちょっと折り返すから、先に入って注文しといてくれ。ドリンクバーと、あとは吉乃さんと一緒ので」


 特に吉乃から心配の言葉をかけられたくなくて、少し自分を落ち着ける時間が欲しくてスマホを振りながらそう告げた。


「でも……」

「大丈夫だって。すぐに電話終えて合流するから、席取っといてくれよ」


 今自分がしっかり笑えているか、何の問題も無いという顔をできているかはわからなかった。

 しかし空気を読んでくれたのだろう優月と海に促され、吉乃も渋々と店の中に入って行った。最後まで響樹に気遣わしげな視線を向けながら。


 そんな三人を見送り、年末で人通りの多い店の前で響樹はしゃがみ込んだ。


「すぐに電話終えて、か」


 大嘘だ。

 握りしめたスマホのディスプレイに示された「天羽真樹あもうまき」の文字と番号、その下にある通話ボタンに指を運ぶものの触れる事ができない。


 早く合流しなければ心配をかける。特に吉乃には心配をかけたくない。

 そのためには電話をかけるにせよ見なかった事にするにせよ、早々に決めて何でもないような顔をして戻らなければならない。

 だと言うのに、そのどちらも選べずにいる。


「なんで電話なんか掛けてくんだよ。この三ヶ月一度だって――」

「お悩みかね、少年」


 吐き捨てるようにそう口にしようとした響樹を遮ったのは、飄々とした調子の優月だった。

「よ」と軽い調子で手を挙げた優月は、響樹の隣で同じようにしゃがみ込み、少しだけ声の調子を真面目なものに変える。


「ちょっと話そうよ」

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