第60話 ストライクの後に
二チームに分かれて三ゲームの結果で勝敗を決めるルールで始めて現在一ゲームの三フレーム目、最終の吉乃が投げ終わったところだ。
両チームの点数には少しだけ差がついている。
「響樹足引っ張りすぎじゃね?」
「うるせー」
自分はそれほどボウリングが下手だとは思っていなかったが、組分けの際に消費した精神力が回復をしていないようで思うように投げられない。
あとは吉乃が可愛いのが悪い。綺麗なフォームでストライクを取った際などは、帰って来る時には穏やかな笑みで海と優月の賞賛に応えていたのに、響樹の隣に戻って来て向かいの二人の視線が逸れた後では「やりました」と少し自慢げにはにかむのだ。元々落ち着いていた訳ではないのにこれでは、どうして平静でいられようか。
「悪いな」
「気にしていませんよ。負けてしまってもきっと楽しいですから」
響樹としても足を引っ張っている自覚は大いにあり、申し訳ない気持ちもそうなのだが、よりによって吉乃の前でという情けない気持ちが強い。
しかし吉乃は言葉通り楽しそうに微笑んでいる。
「意外だな」
「私を何だと、と言いたいところですけど……そうですね」
負けず嫌いな吉乃としては珍しいなと思うのだが、それは彼女の方も同じだったようで、最初こそ口を尖らせたものの少しだけ眉尻を下げて考えるようなそぶりを見せた。
「響樹君と一緒ですし、相手が響樹君ではないからでしょうか?」
そうして出てきた言葉の真意は吉乃本人でもはっきりとはしていないようで、どこか気恥ずかしそうに曖昧な笑みを浮かべている。
「でも、そうだな。負けても吉乃さんとなら楽しいか」
「そうだといいですね」
それは本心だ。きっと吉乃と一緒にこうやって遊んだ事自体が楽しい思い出になる。しかし――
「でも、勝った方が楽しくなるだろ?」
「……ええ。それでしたら、響樹君には頑張ってもらわないといけませんよ?」
「任せとけ。きっちり汚名返上してやる」
「はい。期待しています」
愉快そうに目を細めた吉乃に何の根拠もなく胸を張って自分の顔を軽くはたくと、彼女はふふっと笑って応援の言葉をかけてくれる。
このまま格好悪いところを見せたままにしておく訳にはいかないと気合が入る。そろそろ平常心も戻ってくる頃だ。
「お、何か気合入れたな」
「ああ。罰ゲームはお前らにやらせるからな」
投げる順番は海、優月、響樹、吉乃であり、現在は優月が二投目を終えたところ。
スペアを取れなかった事を悔しがっている優月から響樹へと視線を移した海は「やってみろ」と軽い調子で笑った。
◇
もちろん気合を入れただけでボウリングが上手になるのであれば苦労はしない。
とは言え四フレーム目では響樹のスコアが少しマシになった分、相手チームとの差が少しだけ縮まった。更に吉乃がスペアをとったおかげで五フレーム目ではさらに縮まりそうである。
「追い上げてきたねー」
「負けねーけどな」
そう言って響樹に対し不敵な笑みを浮かべて立ち上がった海が投じたボールは、一投目にして快音とともに全てのピンを倒しきった。
今まで二人でスペアを三つとってはいたが、向こうのチーム初のストライクである。
「っし!」
握り込んだ拳を引いてガッツポーズをとる海を全員が拍手で迎えると、「いえーい」と言いながら優月が立ち上がって手のひらを掲げた。
海も同じような言葉を口にしながらその手に自身の手のひらを近付けて加速させ、ぱちんと小さな音をさせた。
「どうだ響樹。参ったか」
「あと六回投げられるんだが」
「次私もストライク取って突き離すし」
そう言って立ち上がった優月だったが二本残す結果となる。
「悔しい」
「次で取ればいいだろ」
「まあそうだけどさー」
不満げな様子を示しながらも、海と話す優月は楽しそうであり、やはり二人の仲の良さが伝わってくる。
そして次は響樹の番、立ち上がろうとすると肘に僅かな重みがかかった。
「どうかしたか?」
響樹の服をそっと摘まんでいた吉乃に顔を向けると、彼女は優しい笑みを浮かべて「頑張ってください」と小さな声をかけてくれた。
そんな可愛らしい応援のおかげでと言いたいくらいにいい具合に投げられてスペアをとって戻ったのだが、ぱちぱちと小さな拍手をしてくれた吉乃の穏やかな表情には少しだけ残念がるような雰囲気がある。一投目で九本倒せた訳なのでその辺りを惜しんでくれているのだろうと推測できた。
「頑張ってきます」
「ああ。頑張れ」
「はい」
海と優月の目が順番が回ってきた吉乃に向いているため彼女の笑顔は外行きのものだが、言葉の雰囲気はそれよりも少しやわらかい。
そしてボールを持ち、彼らに背を向けたタイミングで響樹にだけやわらかな笑みを見せた。
「見ていてくださいね」
「ああ、もちろん」
これも響樹にだけ聞こえるくらいに小さな声。
そして響樹の返答にニコリと笑った吉乃が投じたボールは一度で全てのピンを倒した。
「追い上げられてきたな」
「流石私の吉乃」
「誰が私のだ」
などと会話を交わしつつも海も優月もやはり賞賛の拍手を吉乃へと送り、吉乃の方も穏やかな笑みに綺麗な会釈を添えてそれに応えている。
(あれ?)
一回目のストライクの時と表向きの顔は変わらないが、あの時はその裏に自慢げな様子があった。しかし今回はそれがなく、純粋な喜色のみ。
相手チームと一緒に拍手をしつつもそんな疑問を抱きながら吉乃を出迎えると、彼女は海たちに背を向けながら小さく手を挙げた。
見上げると吉乃の頬がほんの少し赤く、はにかむようにして響樹を見つめる視線には何かを期待するような光がある。
「ん?」
意図がわからずにいた響樹が首を捻ると吉乃は口を尖らせ、手のひらを見せている右手をこちらへと突き出した。
恨めしげに響樹の顔を見下ろしていた視線を、吉乃が今度は膝の辺りに送ったところでようやく気付く。そこには響樹の右手がある。
「悪い」
そうとだけ口にして右手を挙げると、吉乃の顔がパッと輝くように明るさを増した。
頬の紅潮が僅かではあるがわかりやすくなっており、尖っていたはずの唇が緩やかで美しいカーブを描く。
「はい」
「ああ」
ゆっくりと進む吉乃の右手に、響樹も同じく右手をゆっくりと合わせに行く。
吉乃がしたかったであろうハイタッチとはまるで違う行為ではあるが、ちらりと窺ってみた彼女は恥ずかしそうにしながらも満足げな笑みを浮かべていた。
そしてそれはきっと響樹も同じなのだろうと思う。
海と優月が手のひらを合わせた時のように音が出る事はなく、ゆっくりと進んだ手のひらとひらがぴたりと合わさっただけ。
しかし、本来のハイタッチであれば一瞬で離れるはずの手のひらはまだ合わさったまま。長く細く美しい吉乃の指は繊細な芸術品のように見えて、あと少し力を入れれば壊れてしまいそうな儚さを覚えてしまうのに、冷たく見えるほどに白い手のひらからは確かな熱を感じた。
今、彼女の手に触れているのだと確かな実感を得て、吉乃がどんな顔をしているかと重ねた手のひらから視線を上げる。
響樹と同じく手のひらを見つめていたらしい吉乃はこちらの視線に気付き、一瞬遅れて響樹と目を合わせて朱に染めた頬をほんの少し緩めて小さく首を傾けた。
「響樹君もストライクを取ってくださいね」
「……ああ。頑張るよ」
強く頷いてそう返せば、優しく微笑んだ吉乃がゆっくりと右手を引く。
思わず追いかけそうになる自分の右手を律する事に、響樹は全力を尽くさなければならなかった。
そうして隣に腰を下ろそうとした吉乃が響樹の前からいなくなると、前方の優月がニヤニヤとこちらを見ていたが、吉乃の視線がそちらを向く頃には何でもないような顔をしていた。
どうも響樹だけをからかいたいらしい。
◇
その後、響樹は一度ストライクを取って吉乃ともう一度手を合わせた。次の順番は彼女なので先ほどよりも短い時間ではあったが。
しかしその後の吉乃はどこか力んでいるように見えたし、実際一度もストライクを取れなかった。
そうして一ゲーム目は僅差ではあるが響樹たちの負け。
吉乃は不満げに口を尖らせ、首を傾げていた。
もちろんその姿は響樹にしか見せなかったのだが。
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