第58話 儚い立ち位置

 海と優月に提示された待ち合わせ場所は駅前だったので、同じ道を通る響樹と吉乃は当然のように一緒に出掛けた。


 ボウリングが目的であるので、今日の吉乃はショートパンツスタイルに黒いショートブーツ、以前響樹の世話をしに来てくれた時と同じ格好だ。そしてアウターはいつもの白いコートで、やはり全体的にモノトーン。

 吉乃からもらった黒いマフラーを中心に考えた響樹の方は、上が黒で下がグレーの彼女とは逆に、上がグレーのニットで下が黒いスキニーでコートも黒。今日は響樹の方が全身ほぼ黒づくめである。因みに吉乃からの評価は幸いな事に良かった。


「さて、あの二人はどんな反応するかな」


 隣を歩く吉乃に顔を向けてみると、彼女の方も「どうでしょうね」とどこか楽しげな様子を見せる。

 向こうが先にドッキリを仕掛けようとしたせいか小さな反撃に出る事に異存は無いらしい。先日遊びに行った段階でやはり優月とだいぶ打ち解けた証拠なのだろうと思えて微笑ましかった。

 ただそれなのに、どうしてかほんの少しだけ心中には靄がかかっていたような気がしてならない。



「つまんなーい」


 敢えて時間の少しだけ前に到着するように歩いていた響樹と吉乃が待ち合わせ場所に辿り着くと、当然海と優月が先に待っていた。

 そして二人して目を丸くした後で事情を察したらしく、優月は悔しさを隠さずに不貞腐れた姿を見せ、海はその隣でどちらかと言えば優月に対して苦笑いをしている。


「一緒だったんだな」

「ああ。悪かったな、狙いに乗ってやれなくて」

「別にいいって。むしろバレてるって事は昨日二人して一緒にいたんだろ? そっちの方が面白いって。なあ優月」

「……だね!」


 ずっと響樹に恨めし気な視線を向けながらぶちぶちと小声で呪詛を唱えていた優月の顔が一瞬で明るくなり、今度は吉乃の方を向いた。

 響樹としては知られて困る情報ではなかったし、吉乃としてもこれまで言及せずにいた上に今日も一緒に来ているのだから問題無いだろうとは思うのだが、その反応が少しは気になる。


「昨日天羽君と一緒にいたの?」

「ええ。一緒に勉強をしていました」


 しかし吉乃は穏やかな笑顔を湛え、穏やかな口調で何でもない事のように優月へと言葉を返した。

 もちろんそれだけでも吉乃が全く気にしていない事はわかったのだが、その後で一瞬だけ隣の響樹に少しだけ細めた目を向けてくれたので、彼女の方も楽しんでくれた事がわかる。


「その辺の事詳しく聞かせてよー」

「どうしましょうか」

「きーかーせーてーよー」


 表情こそ外行きなのだが、吉乃の態度がだいぶやわらかい。ともすればウザ絡みのような優月の態度にも、響樹から見れば楽しげに応じている。

 優月の方も吉乃に対して接する距離感をある程度把握している様子が見て取れる。しかしそんな二人のやり取りを見て、微笑ましいと思うと同時に響樹の胸にまた靄がかかった。

 恐らくそれが顔にも出たのだろう。海が少し心配そうな顔をして一歩響樹へと近付いた。


「どうかしたか?」

「いや……あの二人ってあんなに仲良くなったんだなって」

「ああ……優月のあれ、迷惑じゃないか?」

「大丈夫。吉乃さんも楽しんでるよ」

「お前さあ……名前で呼び合うようになったのは聞いてたけど、今の完全に俺の彼女感出てたぞ」

「……別にそう言うんじゃない。ただ見たままを言っただけだ」


 呆れたようにため息をついた海にそう応じれば、「見ただけじゃわかんねーんだよ」と肘で突かれた。

 吉乃の笑みは穏やかなままだが、あくまで見せないようにしているだけであって感情が無い訳ではない。他の者にはわからない隠された彼女の気持ちを、響樹はわかる。改めてそれを認識し、少し誇らしい気持ちになる。


「お前さあ――」

「何男同士でイチャついてんの?」


 もう一度肘打ちをくれた海の言葉を優月が遮った。一歩こちらに踏み出した彼女の後ろでは吉乃がやはり楽しそうに穏やかな笑みを浮かべている。


「二人がだいぶ仲良くなったなって、響樹と話してたんだよ。な?」

「ああ」


 流石に海が空気を読んでくれたので響樹もありがたく乗らせてもらったところ、優月は胸を反らして「ふふん」と口にした。鼻を鳴らすのではなく、自慢げな様子を見せながら口で言った。


刎頸ふんけいの交わりってやつだよ。完璧なまでのね」

「ふんけいの交わり?」


 海の疑問には答えず、またも「ふふん」と口にした優月はそのまま吉乃へと抱き着いた。


「あ」


 思わず口を開いてしまった響樹にちらりと視線を向け、優月はニヤリと笑う。

 対して吉乃は一瞬目を丸くしたもののすぐに元のように笑い、そっと優月の肩に触れた。


「そこまでではありません」


 穏やかな笑みを湛えながらの優しい声。しかし手ではしっかりと優月を押し戻した。

 恐らく以前の吉乃であれば困ったような笑顔を浮かべただけだっただろうと思う。この様子で、響樹が思っていたよりもずっと二人が打ち解けている事がわかった。


「天羽君、吉乃が冷たい!」

「吉乃?」

「お前はほんと馴れ馴れしいな」


 吉乃が一瞬目を見開いた事からも、この呼び名が突然の変更であった事はわかる。

 そんな響樹と吉乃の驚きを余所に、優月は呆れを見せた海に対して文句を言い始めた。「別にいいじゃん」と不貞腐れながら。しかし――


「刎頸の交わりとはいきませんが、友人ですよ。優月さんは」


 海と優月の視線が一瞬外れたからか、吉乃は優しい笑みを湛えながらそう口にし、二人の視線が戻ってくる頃には外行きの穏やかな笑顔に戻した。

 対して優月は少し呆けたような顔を見せる。


「ご不満ですか?」

「ううん! 全然! 友達! 親友! ベストフレンド!」


 穏やかな笑みを湛えたまま小首を傾げた吉乃に対し、優月は飼い主に対する愛犬のように近付きまた抱き着こうとするのだが、「そこまでではありません」と今度は事前に阻まれた。

 海はわからないと言っていた。優月がちゃんと理解しているかはわからないが、穏やかな笑顔のままの吉乃は優月とのやり取りを楽しく思っている。響樹にはわかる。


「なあ海」

「なんだ?」

「お前がこの前言ってた事、わかった」


 少し離れたところでじゃれ合う――優月が一方的にとも言える――二人を見て、響樹は声を落として海に話しかけた。

 到着前から感じていた靄の正体は、言うなれば嫉妬に近い感情だったのだ。


 吉乃が優月と親交を深める事自体は響樹にとっても喜ばしい事だ。今まで他人と距離を置いていた吉乃が楽しい事を多く見つけていく様は素直に嬉しい。

 それなのに、響樹は優月に嫉妬した。同性という立場や性格の違いもある。抱いている感情の差もあるのだろうが、あっという間に吉乃との仲を深める優月を羨ましいと思った。


「特別になりたいってやつか?」

「ああ」


 嫉妬こそしたが当然優月を憎く思いはしない。むしろこの感情を理解させてもらった事を、響樹の立ち位置が儚いものだと気付かせてもらった事を、感謝したいほどだ。

 以前海は優月に恋人ができれば今のような友人関係は続けられないと言っていた。しかし別にそれは恋人に限らないのではないか。


 吉乃は尊敬できる魅力的な人物だ。外面だけなどではけっしてなく、彼女の内面も。

 これからきっと多くの人と接し、そのたびに響樹と過ごす時間は減るのだろう。友人と勉強会をしたり、放課後や休日に遊びに出かけたりと。


「俺は、吉乃さんの特別な一人になりたい」


 吉乃へ抱く感情に気付きながらもそれをどう処理すべきかわからずにいたが、どうしたいのかを今日明確にわかった。

 隣にいたいだけではない、吉乃にとって特別な人間として隣に立ちたい。


「……そうか。応援するよ」

「さんきゅ。俺もお前を応援するからな」

「響樹に応援されるようじゃなあ」

「うるせー」


 ふっと笑った海の肩を殴ると、「仲いいねー」「そうですね」といつの間にかこちらを見ていた女子二人の声が届く。


「そろそろ行こうよ、海」

「おう。先にじゃれついてたお前に言われるのは釈然としないけどな」


 苦笑しながらも海は優月へと小走りで近付きその隣に並び、「なんだとー」と肩を殴られながらも楽しそうにしている。

 必然響樹は吉乃と並んで歩く。もちろんそれを望んでいた訳だが。


「響樹君、どうかしましたか?」

「ん?」

「なんだか晴れ晴れとした、さっぱりとしたような顔をしていますよ?」


 目を細めた優しい笑みの吉乃がそう言って首を傾げる。

 自分の顔はわからないが、心の内はわかる。吉乃がそれに対して完全な理解を示してくれた事が嬉しい。


「大した事じゃない」

「そうですか?」

「ああ。ところでふんけいの交わりって何だ?」


 誤魔化しつつも先ほどから気になっていた事を尋ねてみると、吉乃は僅かに眉尻を下げた。


「中国の故事で、お互いのためであればくびねられても構わないほどの仲、という意味です」

「……そうなのか」

「ええ。当然冗談でしょうけど」


 そう言った吉乃は、渋い顔をしたであろう響樹を見て口元を押さえてくすりと笑い、「さあ、追い付きましょう」と少し離れてしまった前の二人に僅かに細めた目を向けた。

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