第56話 君が楽しいと
「響樹君は年末年始に何か予定が入っていますか?」
「冬休み中は何も無しだな。そっちは?」
買い物にも慣れたもので吉乃と会話をしながらでも平気でこなせるようになった。
それなのに、加えてもう一つ二つのマルチタスクでも問題無く行えるはずの吉乃から返答が無い。もしも予定が無いのであればどこかに誘えないだろうかと思って投げかけた質問だったのだが。
不思議に思って隣の吉乃に顔を向けてみると、彼女は不満げに口を尖らせていた。
「そっちと。私は吉乃です」
「つい……悪かった。吉乃さんの冬休みの予定は?」
不満と言うよりもいじけると言った方がニュアンスは近かったかもしれない。せっかく名前で呼び合うようになったのに、と。
そんな顔も可愛いと思うのだが、やはり名前を呼んだ後の笑みの方がずっと愛らしい。
しかし、自身の感情を理解した上で面と向かって「吉乃さん」と口にし、この笑顔を見せられるのは心臓に負担がかかるのだが。
「花村さんからまたどこかでとお誘いは受けていますが、日取りは未定です。それ以外には特に予定はありません」
「あの人の場合は社交辞令とか言わなそうだし、どっかで誘ってくるんだろうな」
「ええ。『絶対誘うから』だそうです」
口元を押さえてくすりと笑う吉乃を見て、昨日は楽しめたのだなと暖かな気持ちになる。
どんなふうに遊んでいたのか気にはなっていたのだが、クリスマス女子会という名目だったらしいので尋ねる事は憚られていて、それが聞けて嬉しい。しかし――
「また響樹君は私の事を子ども扱いしています。目がだいぶ優しかったです」
「違うって」
じとりとした視線を向けてくる吉乃に苦笑で返すと、彼女は僅かに眉根を寄せて首を傾げた。
一体自分はどんな目で吉乃を見ていたのかは気になるが、けっして子ども扱いなどではない。
「何て言うか、吉乃さんが楽しそうだと俺も楽しい、ってか嬉しい」
「響樹君、は……そういう事を無自覚に言うのは良くないと思います……意図しては言えないくせに」
「無自覚ってどういう事だ? 本心だぞ」
一瞬言葉を詰まらせて口を尖らせた吉乃に尋ね返すと、形のいい綺麗な唇を一瞬結んでから開き、「そういうところです」と顔を背けてしまった。
「どういうところだよ」
買い物カゴの中身を増やしていく吉乃の華奢な背中に問いかけてみると、肩越しに振り返った彼女がふふっと笑う。
見返り美人とはこういうものかと、少し場違いな事を思った。
「そういうところです。響樹君らしいと言えばらしいですけど」
「そうか」
発言の意図はわからなかったが、吉乃は優しく微笑んでいる。
先ほど言った通り、吉乃が楽しそうだからこれでいいのだと、響樹も笑みを浮かべて頷いた。
◇
楽しい買い物の時間を終え、吉乃を家まで送る。彼女は悪いと渋ったのだが、響樹が運動がてらと押し切った形だ。
冬なので買った物が傷む心配も無いし、吉乃と過ごす時間を少しでも確保したかった。
「実際今日走ってみたけど結構体が鈍ってる」
「それはあんな生活をしていたんですから、仕方のない事ですよ」
「ごもっとも」
「笑い事ではありません」
「大丈夫、もうしないから。次は普通にやって吉乃さんに勝つ」
じっと響樹を見つめた吉乃に笑って返せば、足を止めた彼女は目を丸くし、そしてニコリと微笑んだ。
「三学期の期末試験ですね。また勝負をしますか?」
「ああ」
「響樹君には何をしてもらいましょうか」
「勝った気でいるな」
目を細めて口元を押さえた吉乃に半眼の視線を向けると、彼女は「ええ」と頷いた。
優しく微笑む吉乃からは自信が窺える。
「響樹君知っていますか? 私、負けず嫌いなんです」
「知ってるよ。ついでに俺も負けず嫌いなんだけど、知ってるか?」
いたずらっぽい笑みを浮かべて首を傾げた吉乃は可愛い。その事も、負けず嫌いな事も、彼女の事はよく知っている。
「響樹君の事ならよく知っていますよ」
そして吉乃も響樹の内心と似た事を思っていたようで、自慢げな笑みを見せた。
「響樹君の事はよく知っていますので、響樹君が無茶をしないように監督しますから」
「俺の信用は?」
「もちろん、私は他の誰よりも響樹君を信頼していますよ?」
「そ、そうか……ありがとう」
隣の吉乃は当然の事だと言わんばかりに、やわらかく笑っている。
ほんの少し首を傾ける可愛らしい仕草だけでなく、吉乃が響樹に対して信頼を示すその言葉が、胸に温かな気持ちを与えるついでに一瞬で頭にも熱を置いていく。
吉乃に向けていた顔を少し逸らした響樹に、彼女からふふっと笑う声が聞こえた。
「だから、誰よりも響樹君を信頼しているからこその監督です。響樹君はいざとなれば無茶をする人だと知っていますので」
「……いや別に、無茶はしないけど」
吉乃に勝ちたいとは思うが、今度は勝ち方にもしっかり拘るつもりだ。本当に正々堂々と、完璧なまでに胸を張って彼女の隣にいられるように。
もちろんこれは吉乃にはまだ言えない事なので彼女には伝わらない。だから――
「私の目を見て誓えますか?」
今は別の意味で無理である。
そんな響樹の状態を勘違いしたのか、吉乃は「ほら」と勝ち誇ったようにしている。
響樹としてはもう降参するほかなく、少し話題を逸らした。
「ところで監督って何するんだ?」
「一緒に勉強をします」
「普段通りじゃないか」
「ええ。そうですね」
少し拍子抜けした響樹だったが、吉乃はどうしてか楽しそうな笑みを浮かべていた。
そして前に向けていた顔を響樹へと見せ、上目遣いの視線で首を傾げた。
「なので、冬休み中も一緒に勉強をしませんか?」
「……願ったりだな。吉乃さんと一緒だと集中力がまるで違うから」
本当はそれ以上にただ一緒に過ごす時間を望んでいた。
吉乃が見せた可愛らしい姿や言葉ですっかり抜け落ちていたが、そもそも響樹は彼女をどこかに誘うつもりでいたのだ。
「それは光栄です。でも、私も響樹君と一緒だと能率がだいぶ上がります」
「なら良かった。俺の方の予定はいつでも空いてるから、吉乃さんの都合のいい日ならいつでもいい」
ニコリと笑った吉乃にそう伝えると、彼女は「では明日からで構いませんか?」と即断で尋ねてくるので、響樹も「了解」と即決した。
「今日、会えて良かったです」
「そうだな。会えなかったら明日からも無かったし」
「ええ」
目を細めて優しくふふっと笑った吉乃が愛らしく、明日からの楽しみも相まって弛みかけた口元を響樹はマフラーに埋めて隠した。
「暖かいですか?」
「ああ、凄く。ありがとう、吉乃さん」
「それは良かったです」
嬉しそうな笑みを浮かべ、何故か吉乃も響樹と同じようにマフラーに顔を少しだけ埋める。
そしてそこからの上目遣いがまた格別で、ずっと響樹に向いているせいもあって吉乃を送り終えるまで顔を元に戻せなかった。
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