第50話 メリークリスマス
「そろそろ支度に戻ります。もう少し待っていてください」
あれからしばらく会話も無いままに隣でにこやかに笑っていた吉乃は、やはり笑顔でそう言ってキッチンへと戻って行った。
そのまま見ているとダイニングテーブルの更に向こう、キッチンカウンターの奥でエプロンを身に着けている最中の吉乃と目が合い、彼女は少しだけ眉尻を下げてはにかんだ。
料理を任せきりにしている状態で吉乃の集中を乱しては流石に悪いだろうと、視線を送る回数は極力減らした、つもりでいる。
レンジフードの性能がいいのか香りは全く届いて来ない。少し残念ではあったが、後の楽しみが増えると気持ちを切り替えれば、待ち時間もスパイスになるのだろうと思えた。
そして何より、料理をする吉乃の見せる笑顔が眩しいのだ。時折真剣な顔を覗かせはするが、それすらも楽しんでいるようで微笑ましい。
お菓子作りを気分転換と言ったり、料理をする事で気を紛らわせるという類の事を口にしたりとしていたが、きっとそれ自体を好きなのだろう。多分吉乃本人も今はそれに気付いているのだと思うと、こちらまで嬉しくなる。
調理を任せきりにしてしまう事は心苦しくはあったのだが、いいものが見られたので今日は純粋に吉乃の厚意に甘えておく事にした。
そして12時ちょうど、「お待たせしました」と吉乃から声がかかる。
配膳くらいは手伝わせてほしかったのだが、「テーブル上で料理を見てほしいので」とそれも断られた。
「凄いな」
「ありがとうございます」
言われた通りダイニングテーブルで待っていた響樹の前に次々と料理が並び、思わず感嘆が漏れる。
髪を解いた吉乃が照れた様子を見せながら会釈をし、料理の説明をしてくれる。
「ポテトサラダとホワイトポトフ、ローストチキンとラザニアをご用意しました。おかわりが必要でしたらまだありますので声をかけてください」
香りが混ざっているので個別にどうとは言えないが、鼻孔をくすぐるのはどれも食欲をそそる匂い。
加えて見た目も綺麗だ。クリスマスを意識したのか白赤緑の色合いがよく映えていて、今すぐに手を付けたい欲求に駆られてしまう。
ポテトサラダは円錐のように形作られており、グリンピースやニンジンなどを用いたクリスマスカラーで彩られている。
「これ可愛いな」と口にすると吉乃がまた「ありがとうございます」とはにかむので、心中でそっちもなと付け加えておいた。
「冷める前にどうぞと言いたいところなのですが、その前に」
卓上には水とは別に空きグラスが用意されており、吉乃はボトルを傾けてそこに飲み物を注ぐ。
緑色をしたガラス製のボトルにはワインラベルのような物が貼られており、栓もコルクで開栓時には小さな破裂音が響いた。
「酒?」
「まさか。りんごのスパークリング、もちろんノンアルコールですよ。色合いがスパークリングワインに似ているので乾杯用にと思いまして」
「なるほど。綺麗だな」
「ええ。本当はフルートグラスがあるともっと雰囲気が出たかなと思いますけど」
注ぎ終わった吉乃はそう言って苦笑を見せ、ゆっくりと腰を下ろした。
その間に、シュワっと立ち上った泡が引いていき、グラスに付着した気泡がはぜていく。
「十分だろ。料理も凄いし、初めてのクリスマスパーティーでだいぶ贅沢覚えるぞ、これ」
「ありがとうございます。でもその言葉は食後に聞かせてもらいたいですね」
「食後にも言うよ」
実際に何度でも伝えるつもりなのだが、吉乃は嬉しそうに目を細めた。
吉乃の料理の腕は知っているし、香りや見た目で味の良さも伝わってくる。何より彼女が不出来な物を出す訳が無いのだという信頼感が強い。
「それでは乾杯しましょうか。発声は天羽君にお願いしてもいいですか?」
「了解」
多少気恥ずかしい面もあるが、ここまでの料理を作ってくれた吉乃に対してそのくらいはお安い御用だ。
響樹がグラスを手に持つと、吉乃も同じようにグラスを浮かせ、期待に満ちた目を向けてくる。互いに初めてのクリスマスパーティー、子ども扱いするなと言われはしたが、彼女の様子が少しだけ幼く見えた。
「メリークリスマス、烏丸さん」
「はい。メリークリスマス、天羽君」
ほんの僅かだけグラスを触れ合わせてキンと小さな鋭い音をさせると、薄い
目を細めた吉乃はじっとそれを見つめていた。
「今日の事は忘れません」
「記憶力いいもんな」
「……そういう意味ではありません」
優しい笑顔を浮かべ、大切な思い出を語るような吉乃が綺麗で、可愛くて。だから響樹は思わずからかいの言葉しか口に出来なかった。
それを聞いた吉乃は口を尖らせ、そしてふっと笑ってグラスにそっと口をつけた。
形の良い綺麗な唇とかすかに動く喉に目を奪われたが、これ以上はまずいなと必死で引力に逆らい響樹もグラスに口をつけ、中身を飲み干した。
慌てて飲みはしたが、炭酸はそれほど強くなかったので刺激は大した事が無く、りんごの甘みと炭酸による爽快感がよく合っているなと思える。
「こちらもまだおかわりがありますよ」
「ありがとう。でも先に料理だ」
口の中を整えるために少しだけ水を含み、響樹は「いただきます」を口にし、笑顔の吉乃から発された「どうぞ召し上がってください」を合図に手を動かした。
まずはホワイトポトフから。まだ少し熱いが、ホワイトソースのとろみがある優しい味が広がり、たった一口で体が温まるような感覚を覚える。
野菜もしっかりと煮込まれていて、口の中でとける。
「美味い」
次にポテトサラダ。恐らく酢で下味を付けてあるじゃがいもがマヨネーズと良く絡められており舌触りも良い。彩り用かと思っていた野菜もそれをきっちりと引き立てている。
「美味い」
そしてメインのローストチキン。所謂骨付きではなく更に切り分けた状態で盛り付けてくれてあり、フォークを刺した段階でその柔らかさが手に伝わる。
口にしてみると皮の部分は相当にパリッとしているがやはり内部は柔らかく、照り焼き風の味付けや表面の胡椒の風味など、様々な楽しみ方ができた。
「美味い」
「天羽君はそればかりですね」
テーブルの向かいに座る吉乃がくすりと笑った。手元の料理は響樹と比べるとあまり進んではいないが、時計を見てみると響樹の方がだいぶペースが速いだけなのだと気付く。
吉乃の前では食い意地の張ったところばかり見せている気がするのだが、そんな響樹を彼女は優しく微笑みながら見つめていた。
「細かい感想が言えなくて悪いけど、とにかく全部美味い」
「ええ。見ていればわかりますから」
嬉しそうに目を細める吉乃を見るのは今日何度目になるだろう。
断る選択肢など端から無かったが、それでも吉乃の誘いを承諾して良かった。誘ってもらえて良かったと、心から思った。
「家庭料理以外を作るのはほぼ初めてでしたので、実はそれほど自信は無かったんです。だから、天羽君に美味しそうに食べてもらえて安心しましたし、とても嬉しいです」
目の前の料理に夢中になっていた響樹は気付かなかったが、もしかしたら一口目の反応を見るまで吉乃は不安そうな顔をしていたのかもしれない。
吉乃の色んな表情を見たいとは思うが、それは見る必要のない顔だと思う。彼女は今笑っているのだから、響樹としてはそれで満足だ。
だからラザニアにも手を付け、「美味い」とだけ告げた。
ほんの少し眉尻を下げて優しく笑う吉乃を忘れる事はないだろうと、彼女ほどの記憶力が無い響樹でも確信が持てた。
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