第51話 お互い様な視線

「天羽君、以前よりもずっと食べる量が多いですけど大丈夫ですか?」

「大丈夫、問題無い。前の時は胃の方も本調子じゃなかったし、料理美味いし余裕」

「もう」


 虚実の割合は半々である。試験後に吉乃が食事を作ってくれた時に胃が本調子でなかったのも、吉乃の料理が美味しいのも本当の事。だが食べ過ぎているのもまた事実。

 響樹に向けられる吉乃の嬉しそうな笑顔を見ていると、味の良さも相まってどうしても食事が進む。のだが、流石にそろそろ限界が近い。


 少し眉尻を下げて笑った吉乃はそんな響樹の強がりなどわかっているかのように、「あと三割ほど残っていますよ?」といたずらっぽい笑みを浮かべて首を傾けた。

 流石に食べられないなと響樹が降参の意味を込めて肩を竦めると、吉乃はくすりと笑う。


「天羽君が買って来てくれたケーキもありますけど、甘い物は別腹でしたか?」

「今日は同じとこに入る予定だ」

「それでは食事はここまでにして、残りのスペースはケーキに取っておきましょうか」

「了解。ごちそう様。凄く美味かった、ありがとう」

「お粗末様でした。天羽君にそう言っていただけると頑張った甲斐がありました」


 散々繰り返した月並以下の褒め言葉、そのたびに吉乃は何度でも目を細めて嬉しそうに笑う。

 お粗末様と口にして頭を下げ、濡羽色の綺麗な髪を少し揺らし、戻って来た顔には今回もやはり同じ笑みが浮かべられていた。


「それではケーキに合わせてコーヒーか紅茶をご用意しますけど、どちらにしますか?」

「烏丸さんと同じので」

「わかりました。それではコーヒーにしますので少しお待ちください」

「ケーキ切るくらいは手伝うぞ」

「クリスマスケーキにナイフを入れる事を楽しみにしていたので譲りません」


 立ち上がろうとした響樹を吉乃はそう言ってふふっと笑いながら制して、その後で小悪魔の笑みを浮かべて首を傾げた。


「それとも一緒にケーキを切りますか?」

「ばっ……」


 その行為がどういう場でされる事かは流石に響樹もわかる。

 吉乃の発言はそれをもとにしたからかいだと理解はしているが、どうしても場面を想像してしまう。それを抜きにしたところで一緒にケーキを切るとなれば相当に近い距離でナイフの上で手を重ねてと、きっとそうなる。


「それじゃ、任せるからな。後で手伝わなかったとか文句言うなよ」

「言いませんよ、そんな事」


 動揺は完全にバレてはいるがせめてもの強がりで言葉を返せば、ほんの少しだけ頬を染めた吉乃は優しく笑ってキッチンへと向かって行った。



「ブッシュ・ド・ノエルだったんですね」

「せっかくだからクリスマスっぽいケーキがいいかなと思って。ダメだったか?」


 コーヒーの用意を終えた吉乃がケーキの箱をダイニングテーブルまで運んで来た。

 箱から取り出した木の幹を模したケーキを見て、吉乃は少し驚いたような表情を見せる。


「いえ。実物を見るのは初めてですけど、特別な雰囲気が出ていいと思います」

「それなら良かった」


 最初はホールケーキにしようかと思ったのだが、ケーキ屋のホームページで目についたこちらを予約した。

 どちらかと言えば特別な雰囲気を出したかったのは響樹の方で、せっかく互いに初めてのクリスマスパーティーなのだからと選んだ物だったが、吉乃が喜んでくれているようでホッとする。


「切ってしまうのがもったいないくらいですね」


 木の幹を模したココア色のロールケーキの上に雪や枝をイメージした生クリームとチョコレートが乗せられており、サンタクロースの人形のような物も飾られているケーキ。

 吉乃はどこか楽しげな視線をそれに向けた後、「切りますけどね」と響樹に笑いかけた。


「頼む」

「はい」


 言うが早いかスッと四回ナイフを入れ、吉乃はあっさりと響樹と自分の皿に二切れずつケーキを取り分けた。響樹に渡された方が少し分厚い。

 包丁捌きと言うと少し語弊はあるが、初めて見る吉乃の技術に「凄いな」と感嘆を漏らしたところ、彼女は「クリームが少し崩れました」と不満顔を見せる。言われてみれば確かに切り口のクリームが僅かにズレているが、言われなければ全く気付かなかっただろう。


「完璧主義者だな」

「そういう訳ではありませんけど、せっかくなので綺麗に切り分けたいです。その方が美味しそうにも見えますし、天羽君の前ですし」

「十分だろ」


 少し拗ねたように口を尖らせる吉乃を可愛らしいなと思い、「機嫌直せよ」とサンタの人形をフォークに乗せて彼女の皿に乗せると、「また子ども扱いを」と白い頬が膨らんだ。


「要らないか?」

「……要りますけど」


 笑いながら尋ねると吉乃が気まずげに目を逸らすのがまた可愛らしい。

 子ども扱いと言われれば否定はできないかもしれないが、普段人前では大人びている吉乃がこうやって響樹の前では年相応の姿を見せるのだから、自然と頬が弛むのは仕方のない事で、これは同じ目線の範疇だと思うのだ。


「食べるか」

「そうですね」


 ふっと笑った吉乃と「いただきます」の言葉を合わせ、響樹はフォークで小さく切り分けたケーキを口へと運んだ。

 吉乃を見てみると、優しく笑いながら響樹が渡したサンタの砂糖菓子――ただ皿に乗せただけだったので転がっている――をフォークで起こし、上手に座らせた。


「あまり見ないでください」

「さっきはそっちが俺の事見てただろ?」


 響樹の視線に気付いた吉乃は僅かに朱の差した顔で恥ずかしそうに呟くのだが、響樹にも言い分がある。


「あれは、料理の出来を天羽君がどう思うのか知りたくて……」

「じゃあ俺の買ってきたケーキだし、反応が見たい」

「……ああ言えばこう言いますね、天羽君は」

「お互い様だろ」


 諦めたように笑った吉乃は「そうかもしれませんね」と、流れるようにフォークを動かした。そして――


「美味しいです」と頬を綻ばせた。


「それなら良かった」

「ありがとうございます、天羽君。改めて、メリークリスマス」

「ああ、メリークリスマス」

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