第47話 特別な一人
「昨日は大変だったな」
終業式翌日、以前の宣言通り家まで遊びに来た海を招き入れて茶を出すと、彼はそう笑った。
「とは言え終業式の日だったおかげでだいぶマシだったと思うけどな」
「まあ、通常授業の日だったらと思うとゾッとするな」
テーブルを挟んで海の向かいに座り、響樹は大きなため息をついた。
昨日吉乃と一緒に登校した事の影響は恐ろしいものがあった。
吉乃と一緒に歩いている途中では時間が止まったかのように誰も声をかけて来なかったのだが、彼女が二組の教室に入った後少しして時間は動き出す。結果響樹はしばらく
「お前天羽だよな? 三組の」
「どういう事だよ今の」
かけられたのはそんな類の言葉で、しかも必死の形相で詰め寄られてしまうと響樹としても足が止まる。
流石に一年生には結構知られているのだなと現実逃避をしていると、いつの間にか五、六人――全員男――に囲まれてしまい逃げ場が無くなる。
結局のところ彼らが聞きたかったのは「吉乃と付き合っているのか」という一点だったと思うのだが、何故か直接それを尋ねてくる者がおらず無駄に時間を食った。
その後登校してきた海に助けられる形で響樹は教室へと辿り着く事になるのだが、そこでもまた質問攻めに遭う。今度は女子だ。
「天羽君て烏丸さんと付き合ってるの?」
「いや、そうじゃない」
「えー。じゃあなんで一緒に来たの?」
意外に女子の方が核心を突く質問をガンガンと投げかけてくる。
そもそもクラスの女子はつい最近まで響樹の事を怖がっていなかったかと思うのだが、どうも目の前の話題が優先らしく彼女たちは止まらない。
話の中で吉乃個人の情報が絡む部分には黙秘権を行使するのだが、それが吉乃を庇っていると受け取られたようで、彼女たちを喜ばせた、らしい。
そのまま担任が来て朝のHRが始まるまで質問攻めに遭い続けたのだが、敵意丸出しの男子に比べて興味全開の女子の方が相手をしていて疲れた。不快の度合いでは逆だが。
そしてHRが終わり、終業式まではまた質問攻めかとうんざりしていたところで担任に呼ばれ、日直でもないのに何故か手伝いを押し付けられた。しかし――
「あまり心配が必要な学生だとも思わんが、学業は疎かにするなよ。二人ともな」
手伝いを終えて労いの言葉をかけられた後にそう告げられて担任の真意がわかり、「ありがとうございました」と自然に頭が下がる。
そして同時にどうして教職員までもが知っているのかと、改めて吉乃の影響力の恐ろしさを思い知った。
そしてその後は終業式と大掃除となり、終了後は走って逃げたので囲まれる事は二回ほどで済んだのだが、それでも大変な思いをした事に変わりはない。
「終業式の日を選んだのも烏丸さん敢えてだろうな」
「流石にそうだろうな」
「冬休みで冷却期間あるし、年明けからはもっと落ち着いて登校できるんじゃないか?」
「そう願いたいとこだな」
肩を竦めてから茶に口をつけると、海がニヤついていた。
「何だよ?」
「ん? 年明けからも一緒に登校するのを当たり前みたいに言うからさ、響樹が」
「……そのつもりだったからな」
「そうかそうか」
改めて他者に対して口にするのはだいぶ恥ずかしいが、吉乃が止めたがらない限りは朝一緒に出ようと思っている。
教室まで歩いた所で15分ほどの時間ではあるが、無くす事を考えたくない。
「響樹は烏丸さんとどうなりたいんだ?」
「どうって……急になんだよ」
「恋バナしようぜってヤツだな」
「恋バナって、別にそういうんじゃないんだが」
サムズアップで爽やかに笑う海に応じれば、彼は「はいはい言葉の綾言葉の綾」とそれを軽く受け流し、「で?」と響樹を促す。
吉乃とどうなりたいか。そんな事は響樹自身まるでわからない。
ただ、響樹は吉乃の隣にいたいと思う。対等の立場で、物理的にも精神的にも彼女の隣にいて、色んな事を話したいと思う。吉乃の笑顔を見ていたいと思う。もしも彼女が辛いと思う事があれば支えになりたいと思う。
そんな風に、どうなりたいかではなく自分がどうしたいかしかわからない。
「どうなりたいかって……何だ?」
「何だ、って、付き合いたいとか、そういうのだよ」
響樹の返しに海は怪訝そうな、戸惑うような表情を見せ、途切れ途切れになりながらも言葉を返した。
「付き合うって、恋人って事か?」
「そりゃな。買い物に付き合うとか、そういう勘違いは漫画の中だけにしとけよ」
「恋人、か」
調子を取り戻したのか、海は少しだけ軽い笑みを浮かべている。
「なあ海」
「ん?」
「お前は花村さんと恋人になりたいのか?」
「……そりゃ、そうだろ」
「なんでだ? 今でも二人の距離は相当近いだろ。恋人じゃないといけない理由ってなんだ?」
もちろん響樹も子どもではないので高校生の男女が恋人ともなればする事をするであろうと想像はつく。しかし世の中の恋人たちがそれだけを求めている訳で無い事も当然知っている。
以前の響樹からすれば嫌になる光景ではあったが、恋人のいない場所にもかかわらず相手について惚気たり、片想いの相手の事をだらしない顔で語る者もいた。
身体的な接触のみではない、恋人や恋愛というものはそれとは違う喜びがあるのだろうと、今考えてみればわかる。
「なんで俺が逆に質問されてるんだか」
天井を仰ぎ、海は笑いながら頭を掻き、少し長く息を吐き出した。
「まあ正直なとこ、手繋いだりキスしたり、その先の事もしたいとは思ってる。でもやっぱり一番はあいつにとって特別になりたいんだと思う」
「特別……」
「ああ。友達は複数いるだろ、特に優月はたくさんいる。でも恋人は一人だけだ」
「それは、特別な友達じゃダメなのか?」
ダメなのだろう。そうとわかっていても口に出した。聞いてみたかった。
「ダメだな。男女の友情ってのもある程度は成立すると思ってるけど、あくまである程度だ。恋人ができたらそっちが優先なのは当たり前だし、その瞬間からただの友達だ。特別じゃなくなる」
照れながらそう言ってくれた海には申し訳ないが、響樹の思考は一瞬で別の所に飛んだ。
もしも吉乃に恋人ができたのなら、響樹は隣にいられなくなるのだろう。どんなに努力して彼女と対等であったとしても、吉乃の隣という特別な場所にはいられない。それは、嫌だった。
「まあでも」
少し落ち着いた海の声が響樹の思考を引き戻す。
「結局そういうのは理屈だな。好きだったら付き合いたいと思うってのは当たり前だ。……自分で言って耳が痛いし、付き合えるかどうかは別としてな」
「海は、そこまで言ってるのに花村さんに告白しないのか?」
「したいとは思ってるんだけどな。でも怖い、失敗すれば今の立ち位置も無くすからな」
拳を握った海はふっと顔を緩め、「付き合い長いのもこういう弊害があるんだぞ」と笑った。
「……俺にはわかりそうにないな」
自分が誰かと恋人になるなど、考えたくなかった。
今まで否定してきた事を認めてしまったら、今までの自分があまりに惨めだ。
ただそれなのに、どうしてだろうか。
誰かと恋人になると、そう考えた時に、誰かのところにたった一人の名前しか入らないのは。
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