第19話 負けず嫌いの敗北
「なんか響樹今日ぼーっとしてないか?」
「……気のせいだろ」
「反応が遅いぞ」
昨日の吉乃の表情が頭から離れず、今日になっても心を乱している。
流石に授業中は集中力を切らさなかったつもりでいるが、それ以外の場面においては響樹本人にも自覚があった。昼食を食べ終わるのにも時間が少しかかったので、海にはバレバレだったのだろう。肩を竦めつつもそれ以上追及してこないのが海らしいと言えばらしくて助かる。
そう言えばと、響樹は昨日の事を思い出しながら目の前の海と重ねる。少し自分の思考を切り替えたかった。
優月は学校ではバイト先を秘密にしていると言っていたが、海をそこに招いている。恋人ではないとは言うものの、海は優月を憎からず思っているような節もある。二人の関係がよくわからない。
(花村さんと言えば、結局烏丸さんは上手く躱せたかな?)
結局思考の切り替えに失敗した自分に気付き、響樹は苦笑しながら頭を振った。
「いやお前、ほんと大丈夫か?」
「大丈夫だ、たぶ――」
「天羽君いるー?」
案じてくれる海の言葉に応じようとしたところで、教室の後ろのドアの方から響樹を呼ぶ元気な声が聞こえた。たった今考えていた二人の内の片割れである事は、自身の聴覚と海の表情が教えてくれる。
ついでに教室の視線が少し響樹にも集まった。勘弁してほしい。
「優月?」
「よ。海」
響樹の倍以上の視線を集めたであろう元気な女子は、そんな事も怪訝そうな海も意に介した様子はない。
「約束通り聞きに来たよ」
「あれ、俺の方だったのか?」
響樹としてはあの「今度話聞かせてね」は吉乃に向けられたものだと考えていた。二人は同じクラスで同性なのでそれが自然であると今でも思う。
「レディーファー……セカンドだからね」
「初めて聞いたぞ、そんな言葉」
「今考えたからね」
海に突っ込まれた優月の言葉からすれば、先に吉乃に聞いてきたという訳でもなさそうである。
「実際目立っちゃうしね」
「ああ、なるほど」
「あとは天羽君の方ならしつこく聞きやすいかなって」
「俺の感心を返してくれ」
「感心したの? 照れるね」
あははと笑う優月に半眼の視線を送ってみるが、彼女に気にした様子はない。
少し返してほしいのも事実だが、一応感心しているのもまた事実。恐らく吉乃と教室でコンタクトを取ってとなると、無駄な注目も集めてしまうのだろう。吉乃はもちろんであるし、優月も目立つタイプに見えるので余計にだ。
吉乃を気遣ってくれたのだろうが、彼女に迷惑をかけたくない響樹にもありがたい選択と言える。しつこくされるのは勘弁してほしいが。
「話が見えないんだけど、何かあったのか?」
「海には内緒ー。約束だもん」
優月がふふふとわざとらしい調子で怪しく笑い、海の表情が変わる。明らかにショックを受けたような顔を見せたのは初めてだったと思う。やはりきっと、そういう事なのだろう。
◇
「烏丸さんの名前は伏せるから海にも話す許可がほしい」
放課後、いつも通り図書室にいた吉乃を訪ねて頭を下げた。
優月には翌日までの保留を頼み、海にも上手くいけば明日説明できると伝えたところ、意外にも――特に優月――二人とも快諾してくれた。
「ご友人を仲間外れにしてしまうのは確かに心苦しいでしょうね」
勉強の手を止めた吉乃がくすりと笑い、「どうぞ」と響樹に向かいの席を促す。
「まあな、どうも」
もちろんそれもあるのだが、優月に対して特別な感情を持っているであろう海を、という言えない事の方が大きな理由だ。
「名前を伏せるのなら別に言ってしまっても良かったのではありませんか?」
「一応のリスク管理だ。何かの拍子にってのがあるかもしれないし」
「心配性ですね」
吉乃は目を細め、ほんの少し眉尻を下げて口元を押さえた。
「でもそういう事でしたら、私の名前も出してもらって構いませんよ」
「……別にそこまではしなくても」
「天羽君が信頼しているご友人で、花村さんにとっても特別親しい方なのでしょう? でしたら心配はありません。伏せるよりも心証がいいでしょうし」
ニコリと笑いながらきっぱりと言い切る吉乃は海への信頼を示す。響樹が優月に対して思った事と同じ、直接ではなく響樹を介した信頼。
そして、自身にとっては何のメリットもないどころかデメリットしかないのに、響樹と優月に対して気も遣ってくれた。頭が下がる思いである。
「いいのか?」
「別にやましい事がある訳ではありませんし、言いふらすような方でないのなら気にしませんよ」
ふふっと笑った吉乃が何か思いついたのか、口角をもう少し上げていたずらっぽい笑みを浮かべた。
「それとも天羽君は何かやましい事があるんですか?」
「ある訳ないだろ。じゃあ、明日海にも話すからな」
「ええ」
してやられた、と言うよりも煮え切らない響樹の背中を押してもらった格好だ。気まずい思いで逸らした響樹の視界の隅で、吉乃は楽しそうに笑っている。
「さて、それじゃ、俺は帰る。邪魔して悪かった」
「天羽君はいつも『邪魔して悪かった』ですね」
誤魔化すつもりで立ち上がった響樹を見上げ、吉乃はほんの少し眉尻を下げておかしそうに笑う。
「何度も言っていますけど、邪魔だなんて思っていませんよ」
僅かに首を傾けた吉乃が、そう言って優しく微笑む。からかう様子など一切無く、本心からの言葉であるとはっきりわかり、照れくさい。
「……枕詞みたいなもんだ」
「だいぶ色々違うと思います」
「意味が通じればいいんだ」
「ああ言えばこう言いますね」
「君に言われたくない」
「そうでしたね」
口元を押さえてくすりと笑った吉乃は楽しそうで、響樹は今更ながら昨日の事が気にならなくなっている自分に気付いた。多分、図書室に来てからだろう。
海の事で頭を下げに来たのだからその気まずさが勝ったのだと、そう思う。
「……とにかく帰る。それじゃあな」
「一緒にお勉強できなくて残念です」
「社交辞令だろ?」
「違うかもしれませんよ?」
からかうように首を傾げて笑う吉乃に、「じゃあ」と響樹は手に持った鞄を下ろした。きょとんとした表情を見せた吉乃に内心でしてやったりと思いつつ椅子を引き、もう一度座り直す。
「ほんとに勉強してくぞ?」
「それは嬉しいですね、負けず嫌いの天羽君」
からかってやるつもりだったのだが、吉乃が目を丸くしたのはほんの一瞬で、今はもうにこやかな笑顔が浮かべられている。
「邪魔だって言っても遅いからな」
「何度でも言いますけど、天羽君を邪魔だなんて思いませんよ」
「……そうか」
「ええ」
優しい笑顔だった。一緒に勉強云々の件はからかいの色があったものの、今はもう無く、本心からの笑み。
自分でも負けず嫌いだと思っている響樹だが、今日のところは負けを認めなければならないようだった。
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