第20話 Time is money.
異性と一対一で一緒に勉強をするなど初めての経験ではあるが、響樹は甘酸っぱいようなものは一切期待をしなかった。
響樹を邪魔だと思わないという吉乃の言葉を嬉しく思いはしたが、売り言葉に買い言葉とは言え同席する事になった手前、彼女の集中を阻害するような事は絶対にごめんだった。
そして結局互いに一言も発しないままに時間は経過した。
元々響樹はそれなりに集中力があるタイプだが、目の前にいる自分よりも優秀な少女の才能に驕らず努力を怠らない姿を見せられては、普段より気合も入るというものだ。
「天羽君」
静かな図書室にふさわしい綺麗に澄んだ声。囁くような小さな声だと言うのに、集中していた響樹の耳にしっかりと届く。ちょうど課題の問を一つ終わらせたタイミングだった事もあり、すぐに反応出来た。
「私はそろそろ帰りますけど、天羽君はどうしますか?」
「ん……そうだな、もう少し」
やってく。そう言おうとして今日が月曜である事に気付く。
「いや、帰る。買い物しないといけなかった」
「そうだと思いました」
しかも響樹は昨日の夕食分の食材を残しているので、買い物の調整もしなくてはならない。
流石に吉乃がそこまで知っている訳ではないが、少し得意げに笑っていた。
「悪い。ちょっとまっ……いや」
あとは鞄にしまうだけの状態に整えられた吉乃のテリトリーと勉強道具に対し、響樹のエリアは十数秒ほど片付くまでに時間がかかりそうだった。だから自然に出かけた言葉だったが、意味に気付いて止めた。
「ちょっと待ってくれ」、そう言って待ってもらった後はどうするのか。どうしたいのか。
「待っていますから、早く片付けてくださいね」
言葉を切って手まで止めてしまった響樹にふふっと笑い、吉乃は自身の鞄に教科書類をしまいながらからかうような言葉を向けてきた。
「私も今日は買い物ですから、時間は貴重なんですよ?」
「……悪い」
可愛らしく首を傾げてしなを作りながらの吉乃の笑みを正面から見られず慌てて諸々を鞄に突っ込んだ響樹を、彼女はくすりと笑いながら見ていた。
◇
「待ちましたか?」
「……今来たとこだよ」
数分越しの再会なのだから当たり前だ。
流石に図書室の奥から一緒に出てくるのを目撃されるのは良くないだろうと、少し退室の時間をずらして校門横で吉乃を待った響樹の前に、楽しそうに笑う彼女が現れた。
「このやり取り気に入ってるのか?」
「そういう訳ではありませんけど、私も一度言ってみたいなと思いまして」
「それなら良かったな」
「ええ。行きましょう」
上機嫌な様子で踏み出した吉乃に「ああ」と応じ、響樹も横に並んだ。
吉乃が言うにはこの時間は帰宅の学生が少ないらしく、その上方角的にも響樹たちの家の周囲には同じ高校の学生がいない。なので校門を出て歩き始めてしまえば誰かに目撃をされてあらぬ噂を流されるという心配は払拭できる。
「そう言えば海と花村さんに説明するのに傘貸した事とかも言っていいか? 多分何で話すようになったかは聞かれると思うし」
「天羽君が嫌がる私に無理矢理という事に言及をしてくれるのでしたら――」
「俺は女の敵か何かか?」
「冗談ですよ」
響樹を覗き込むようにしながらからかってきた吉乃はくすりと笑い、「ごめんなさい」と微笑んで濡羽色の髪をさらりと揺らす。
「説明の内容は天羽君にお任せしますよ。悪いようにはしないでしょう?」
「そりゃ、もちろんそうだけど」
「即席の打ち合わせでボロが出るよりも正直に言ってしまった方がいいと思います。花村さんもそうだと思いますけど、島原君も他人のプライベートをしつこく詮索するような方ではないでしょう?」
「その辺は問題ないな。あいつはそういうラインの見極め上手いから」
そう伝えると吉乃はニコリと笑い、「ではお任せしますね」と可愛らしく首を傾けた。
「天羽君は今日このままスーパーまで行きますか?」
「いや、買い物リストちょっと調整したいし着替えもしたいから一旦家に寄る」
学校と響樹の家との中間に近いほどの位置で、吉乃は思い出したように尋ねてきた。
「それでは買い物は一緒にできませんね。残念です」
「心にも無い事言われてもな」
悲しそうな表情を作った吉乃だが、心はまるで痛まない。本当にそうならもっと感情を隠すはずな事を知っている。だから響樹は肩を竦めてみせる。
吉乃は眉根を僅かに寄せた不満げな顔を作ってみせ、口を尖らせた。
「どうしてわかるんですか?」
「わかるさ。烏丸さんの事なら」
「え……」
いつかの意趣返しのつもりで言ってみせた響樹の前で吉乃が固まった。
どんな顔をしているかと思って覗き込もうとすると、一瞬で吉乃が体ごと90度角度を変え、響樹から逃げる。
「天羽君は、意外と恥ずかしい事を平気で言いますよね」
「先に言ったのそっちだろ」
小さな背中越しに聞こえた声は平坦で、足を止めたままの吉乃の感情は聞き取れなかった。
そしてそんな事を言われると途端に恥ずかしくなってくる。からかうつもりの言葉を真面目に受け取られてしまえば当然で、そう考えるとかなりクサい事を言った自覚がふつふつと湧き出てくる。
「さっさと行くぞ。時間は貴重なんだろ」
「そうですよ。貴重なんです。変な事を言って足を止めさせないでください」
響樹の照れ隠しに応じながらも、吉乃は未だ反対を向いたまま。
ただ、軽口を叩いてみたものの、現在の吉乃の姿勢は響樹にとっても好都合だった。
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