第18話 気まずい帰路と答えの出ない疑問
会計はほぼ折半。多少の端数分だけ響樹が出したので吉乃は少し不満そうな様子を見せたが、フロントにいる店員の手前飲み込んだようだった。
そしてその後ものど飴の件を貸し借りにしないと口にしたためか吉乃としても言及できないらしく、諦めたように「ありがとうございます」と言ってくれ、響樹としては苦笑せざるを得なかった。
そんなやり取りをしつつ明るい店内から出ると、外は少し薄暗くなってきていた。店の前を通る道路では街灯が光を宿しており、走る車のヘッドライトの点灯具合は五割ほど。
「さて」
行きにかかった時間は15分、これから辺りが暗くなってくる事、少し踵の高い吉乃の事を考えれば帰り道はもう5分か10分ほどプラスして見るべきだろうか。
「どこか寄るとこあるか?」
「いえ、このまま帰るだけです」
「じゃあ、帰るか」
「はい」
穏やかな笑顔で頷いた吉乃に頷き返した響樹がゆっくりと歩き出すと、そのままの笑顔の彼女が横に並んだ。
そうやって並んで歩く事数分、後ろを振り返れば煌々と光を放つカラオケ店はまだ割と近くに見える。無言の吉乃が歩くペースは響樹の想定よりも遅い。
響樹としてはヒールを履いた女性の歩きにくさなどはわかりようもないのでこんなものかとしか思わないし、別に急ぐ訳でもないので困る事も無く、吉乃のペースに合わせた。だが――
(無言が気まずい)
吉乃と出会ってから、こうやって一緒にいる中で数分程度の沈黙ならば何度かあった。しかし、その時に隣にいた吉乃には感情が見えた。今の彼女は穏やかに笑っているだけ。
そう長い付き合いではないが、吉乃がこうやって笑う時は何かを隠す時だというのはもうわかっている。だが結局、その「何か」がわかりはしない。
吉乃と初めて並んで歩いたのは偶然ではあるが一緒に登校した時。今はあの時よりも物理的な距離は近い。その反面、物理的でない距離はとても遠く感じる。
「あー。行きもこの道通って来たのか?」
「来る時には一本北の道を通りました。信号が少ない分早いので」
「じゃあ帰りもそっち通るか?」
「あちらは道が狭いので。この時間帯の車通りと明るさを考えればこちらの方が安全だと思いますよ」
「そうか」
「はい」
幹線道路とまでは言えないが、交通量がまずまず多い現在の道は車道と歩道できっちりと別れている。響樹一人ならともかく吉乃を連れている以上はこのままの道がベターであろう事はわかるが、会話が途切れてしまう。
「それにしても……花村さんがいたのは驚いたな」
「そう、ですね。びっくりしました」
ようやく、吉乃の顔に感情が見えた。苦笑ではあるが。
「明日何言われんのかな? ってか俺よりも同じクラスのそっちか」
「花村さんの事ですからあまりしつこく聞かれるような事は無いと思いますよ? 今日の説明と同じ事を言えば大丈夫でしょう」
「ああ、俺が烏丸さんを連れて来て
からかうように口にしてみれば、吉乃は一瞬ムッとした様子こそ見せたがすぐにニコリと笑う。
「本当は天羽君がどうしてもと言うので私がついて来て
いつもの吉乃が戻って来た。それが嬉しく、しかしその感情を隠して響樹はもう一度軽口を叩いた。
「そう言えばそんな設定もあったな」
「設定ではなく事実です」
「そうか」
「ええ」
澄まし顔で頷く吉乃に肩を竦めてみせると、彼女は口元を押さえてふふっと笑った。
◇
そこから先も特に会話が多かった訳ではないし、数分程度の無言もあった。しかし吉乃の表情が変わっていたので気まずさを覚える事も無く響樹のアパートの前まで辿り着く。
ここまでかかった時間は30分ほど。表情こそ違うものの、吉乃が歩くペースは変わらなかった。足が痛いのかとも思ったが、そんな様子はまるで見られない。
「それでは、天羽君。今日はありがとうございました」
「いや、もう少し歩くけど」
「天羽君のお家はここですよね?」
「スーパーに買い物しに行くんだよ」
「……月木ではありませんでした?」
最初首を傾げた吉乃が少し口角を上げ、ほんの少しだけ頬を弛ませた。
「まあ、いいだろ」
「ええ」
誤魔化すように視線を外した響樹を、くすりと笑った吉乃が歩き出して促す。
「何を買うんですか?」
「黙秘」
「言えないような物を買う訳ですね」
「スーパーに何が売ってるんだよ」
「さあ?」
わかっているくせに、吉乃は響樹をからかって楽しそうに笑う。やはりこういう顔が良く似合うと響樹は思う。
穏やかな笑みを浮かべている吉乃はとても淑やかで知性がにじみ出ており、外見や姿勢の良さから深窓の令嬢もかくやといった雰囲気を纏っている。そんな誰が見ても完全無欠の美少女である烏丸吉乃。
だがやはり、響樹にとってはこちらの吉乃がしっくりくる。
「どうかしましたか?」
「何でもない」
「そうですか? なんだか気取った感じで笑いましたよ」
「どんな笑い方だよそれ……」
「真似して見せた方がいいですか?」
「やめてくれ」
響樹が首を振ってみせると、吉乃は不満げな表情を作って「えー」と楽しそうに笑った。
そんな風に、いつものように軽口を叩き合って歩いていると響樹が口にした暫定の目的地が目の前だった。
スーパーまでは普段の響樹ならば10分ほど。今日の吉乃と一緒ならば20分だろうかと思っていたが、その想像よりも少し早く着いた。体感時間としては一人で歩く普段の10分よりも短く感じたくらいかもしれない。
「今度こそですね。今日はありがとうございました」
「ついでだ。家の近くまで送る。そんなに遠くないだろ?」
「……あそこですよ」
眉尻を下げて笑った吉乃が手のひらで示したのは少し先のマンション。周囲の建物よりも背が高くよく目立つ。
家の近くまで送ると言った響樹に敢えてそれを教えてくれたのは、やはり吉乃なりの信頼という事なのだろう。一人暮らしの女性として少し不用心だと思う面もあるが、嬉しいという感情も自覚した。
「ご厚意に甘えさせてもらいます。よろしくお願いします、天羽君」
「ああ」
丁寧に腰を折った吉乃に短く応じると、少し嬉しそうな彼女の顔が戻って来た。
「しかし、前から思ってたけど学校まで結構遠いだろ」
「そうですね、歩いて25分くらいでしょうか?」
「まあ、セキュリティーの問題とかもあるから単純に近ければいいってもんじゃないだろうけど。大変じゃないか?」
「ちょっとした運動も兼ねられてちょうどいいですよ。夏は暑かったですけど」
「なるほど」
「それにスーパーも近いですし、少し行けばドラッグストアもありますので生活をするには便利ですから」
「なるほど、確かに」
学校からの近さを基準に部屋を選んだ響樹としては、この先大学生や社会人になった後の一人暮らしの際にはそういった事も織り込むべきだと参考になる。
そうこうしながら歩いている内に、吉乃のマンションのすぐ前まで辿り着いた。
周囲が暗くなってきているので正確にはわからないが、比較的新しく綺麗な建物だと感じた。二階建ての響樹のアパートとは違い十数階の高さがあるし、入口のドアは横のパネルからしてオートロックだろう。
(凄いとこ住んでるな)
響樹のアパートも高校生の一人暮らしには過ぎた物件だと思っている。1Kではあるが築年数はまだ三年で、設備も良く不便さを感じた事は無い。家賃的にも周囲のアパートよりは値が張った。
しかし目の前のマンションはベランダから見るに恐らく単身者向けではあるが、社会人、それも稼ぎの良い人間が住む所だと思えた。もちろん男女で必要なセキュリティーなどは違うのだろうし、吉乃ほどの美少女であれば親としてもその辺りにはより一層気を遣うのだろうが。
「ありがとうございました、天羽君」
「いや、別に買い物のついでだから」
マンションを見上げていた響樹に吉乃が深々と頭を下げ、そして響樹の返答にくすりと笑った。
「その事だけではありませんよ」
ほんの少し困ったように笑って首を傾け、それからすぐに優しい笑みを浮かべ、吉乃は言葉を続ける。
「今日、とても楽しかったです。だから、ありがとうございます」
「こちらこそだ。ありがとう」
「おやすみなさい」
「……ああ、それじゃ」
最後にもう一度、丁寧なお辞儀を見せた吉乃にそう言って応じ、響樹は踵を返した。
(どうして)
楽しかった、ありがとう。そう言った時の吉乃の表情には言葉通り、楽しさや喜びが浮かんでいた。それを見て心が温かくなった。
それなのにどうして、おやすみと言った時の吉乃は感情を隠して穏やかに笑っていたのだろう。そしてそれがとても寂しそうに見えたのはどうしてだろう。
結局響樹は嘘の口実だったスーパーに寄って総菜を買って帰った。
頭の中をぐちゃぐちゃにしていくその疑問と吉乃の穏やかな笑顔。それに答えが出せず、夕食を作る気になれなかった。
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