第6話 猫被りの優等生
「天羽響樹君。一学期の試験ではどれも十位以内にいましたよね? 期末試験では……九位」
夕暮れの帰り道を歩きながら、記憶を探るように視線を上向かせていた吉乃はそう口にした。
「よく知ってるなそんな事」
吉乃は事あるごとに記憶力を自慢していたが、今回は響樹も純粋に驚いた。
試験順位は十位まで貼り出されるので、直接聞かずとも知り合いの順位を知っている者は少なくない。一位の吉乃はその知名度から点数すら広範囲に有名だ。
しかし、吉乃はつい最近まで響樹の存在も知らなかったのだ。
「記憶力には自信がありますので。なんでしたら点数も言えます」
「因みに俺の期末の点数は?」
「483点ですね」
「マジかよ……ほんと凄いな」
自慢げに胸を反らす吉乃に素直に賞賛をぶつけると、「でしょう?」と彼女は更に得意げに笑った。
「……なんかやっぱり聞いてたのと違うな」
響樹が話に聞く烏丸吉乃であれば、褒められた場合は「ありがとうございます」と穏やかに嫌味なく微笑んで返すと、そう思っていた。だが――
「褒められる事が嫌いな人がいますか?」
「過剰じゃなければ、まあ悪い気はしないだろうな」
「でしょう。だからもっと褒めてください。さあ」
「もう褒めただろ」
響樹との距離を一歩詰めながら、真面目な顔で褒め言葉を求める吉乃に苦笑いが出てしまうが、言われて素直に褒めるような性格をしていると響樹は自認していない。
もちろん吉乃を褒めようと思えばこの場でさえいくつも思いつくのだ。しかしわざわざそれを伝える理由も無いし、何となく癪だし、そして面と向かって褒めるというのは恥ずかしい。
「そこを何とか」
「ダメだ」
今まで通り軽口の応酬だと思っていた。だから両手を頬の横で合わせたわざとらしくあざといポーズをとる吉乃を、響樹も軽くあしらった。そのつもりだった。
「わかりました、諦めます」
静かにそう言った吉乃が浮かべた笑みは穏やかなもので、直接吉乃を知らなかった頃の響樹ならばこれが彼女の標準なのだと疑わなかった事だろう。
だが、そんな吉乃の様子がどこか寂しそうだと感じた。
『流石あなたの子ね』
『君の育て方がいいからさ』
何度となく聞いたその声が勝手に頭の中でこだました。思い出したくもなかったというのに、穏やかに笑っているようにしか見えない吉乃の表情が、響樹に嫌な記憶を想起させる。
彼女の心情としては実際のところ違うのかもしれないが、何故だか寂しそうだと感じてしまった吉乃の笑顔が、酷く響樹の心を抉った。
「中間」
「はい?」
「中間で烏丸さんが一位取ったら、褒め言葉を考えとく」
足を止めた吉乃が目をぱちくりとさせながら、響樹へとその端正な顔を向けた。
長いまつ毛がはっきりわかるほどの近距離で吉乃の顔を見るのはこれで二度目だが、本当に整っている事を再認識する。設計と製作それぞれに超一流の芸術家が携わっていると言われれば信じてしまうかもしれない。
そんな吉乃は「ありがとうございます」と、その美しい顔を僅かに崩す。
「天羽君は素直ではありませんね」
「君には言われたくない」
「そうでしたね。でも、ありがとうございます」
口元を押さえてくすりと笑い、濡羽色の美しい髪を少し揺らす。それが本当に様になる。
それを伝えれば喜ぶだろうか? 脳裏をよぎったそんな思考を追い出し、響樹は吉乃を促すように歩き出した。
「それでは今の内からお褒めの言葉を考えておいてください。楽しみにしていますよ、天羽君」
「……普通に褒めるだけだぞ?」
「聞いた事もない歯の浮くような言葉を期待したいのですが」
「無茶言うな」
いたずらっぽい笑みを浮かべる吉乃に響樹はぶっきらぼうに応じるのだが、何故か彼女は楽しそうに笑う。
こうやって話すのは何回目だっただろうか。その中でも吉乃はこんな風に幾度となく表情を変えていた。学校内の噂で聞く彼女とは、やはり違う。
「なあ、聞いてもいいか? 嫌なら答えなくていいけど」
「何をです?」
「どっちが素なんだ? 学校と今と」
「……天羽君はどっちだと思います?」
きょとんと首を傾げていた吉乃が、小悪魔的な笑みを浮かべて再度、今度はわざと首を傾ける。悔しい事にこれも様になる。これを学校で見せたのなら、この小悪魔に多くの魂が捧げられる事だろう。
「まあ、こっちだろうと思ってるよ」
「根拠はありますか?」
「『いつでも穏やかな笑顔を絶やさない完全無欠の優等生』が、わざわざいじっぱりで負けず嫌いでああ言えばこう言うような女子を演じる理由がない」
流石に本人を目の前にして「完全無欠の美少女」と口にするのは恥ずかしかったので少し改変した。
「言い過ぎではありませんか?」
「どこがだよ」
じとりと響樹を睨む吉乃の黒い瞳から視線を逸らして肩を竦めてみせると、小さくはあとため息をつかれた。
「釈然としない部分は我慢しますけど、私は大人なので。……実際こちらが私の素に近いですよ」
冗談めかして笑った吉乃は、そのまま特に気にした様子もなく言ってのける。
「……いいのか?」
「何がです?」
「せっかく猫被ってるのに、俺に本性見せて」
「さっきから天羽君は言葉選びが酷くありませんか?」
首を傾げた吉乃に聞きたかった事を尋ねると、またもじろりと睨まれた。視線を逸らさずにいると、先ほどと違い今度は吉乃が肩を竦めながら目を伏せた。はあ、とため息をつきながら。
「天羽君には最初に素を見られてしまいましたからね。同じ学校の人だとは思いませんでしたから、油断しました」
「別にその後も誤魔化そうと思えばできただろ」
「かもしれませんけど、思いませんでしたから」
「なんでまた?」
苦笑する吉乃に尋ねてみれば、彼女は少しだけ口を尖らせる。
「天羽君に、『同級生だと分かった途端に誤魔化した』って思われたら癪じゃないですか」
「ほんと負けず嫌いだな」
呆れ半分感心半分で呟くと、吉乃はニコリと微笑んだ後、ふっと息を吐いた。
「でも、天羽君は、『どうして猫を被ってるんだ?』とは聞かないんですね」
「……多かれ少なかれ、誰だってそうだろ」
常に自分の心のままに生きる者などまずいない。どんな人間も相手や状況を見て振る舞いを変える。猫を被ると呼ぶかはともかく、個人差はあれど成長過程で誰もが身に着ける処世術だ。他人から好かれるように、嫌われないように。
響樹だってそうだ。仲の良い友人である海に対する態度と他の級友へのそれは違う。優秀な上に容姿端麗な吉乃であれば、羨望や嫉妬から無駄な敵も作りやすいのだろうし、その辺りが理由なのではないかと想像できる。
「意外に優しいんですね。……やっぱり」
僅かに目を見開きまばたきを一回、吉乃は驚いたような顔を見せた後、やわらかく微笑んだ。
初めて見るその笑みは、何故か寂しさを感じた穏やかな笑みとは全く異なるような気がして、くすぐったさを覚えてしまう。どこがどう違うか、はっきり分かりはしないというのに。
「別に気を遣った訳じゃない。ただの一般論だ」
「せっかく褒めたのに。素直ではありませんね」
本当にただそれだけなのだが、それを強く主張しても面白がらせるだけだろう。
響樹はくすりと笑う吉乃から顔を逸らし、少しだけ足を速めた。
「女の子と歩く時は歩調を合わせてあげないとダメですよ」
どこか楽しげにそう言った吉乃が軽快な足音をさせながら響樹の横に並ぶ。
「ちょっと顔が赤いですよ」
「夕日のせいだろ」
「そういう事にしておいてあげます」
ふふっと笑う吉乃の前で、響樹は顔の前に手をかざした。夕日が眩しかったせいだと自分に言い聞かせながら。
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