第5話 茜に染まるいじっぱり
水木金と三日連続で吉乃と遭遇した十月の第一週が終わり、第二週に入った。
週末休みのおかげなのか翌週に迫った中間試験のおかげなのか、吉乃が男子と登校していたという噂は完全に立ち消えてしまったようだった。
「じゃあ図書室な」
「ああ」
授業が全て終わると図書室で一緒に試験勉強をする約束をしていた海が声をかけてくる。
響樹も海も本来誰かと一緒でなくとも集中できる質なのだが、お互いの得意科目と苦手科目がぴったり反対なため、試験前はこうやって助け合ってきた。
流石に試験期間だからか、辿り着いた図書室には人が少ない。
「響樹、ここなんだけどさ――」
「これは同じ色の玉に便宜上の番号付けて全部別の物として考えれば――」
人が少ないとは言え図書室なので小声でやり取りをしながら海の苦手科目である数学を教え、代わりに海が試験用にまとめた世界史と倫理のノートをコピーさせてもらい要点を教わる。
一学期の中間試験から行ってきたこの相利関係のおかげで、響樹たちはお互い苦手科目でも辛うじて平均点付近を取れていた。
学年十位以内に入る響樹はもちろんだが、海も勉強する事自体を苦にはしない。もっとも、苦にする者の方がこの学校では少ないのだが。
無駄口をたたきづらい図書室という場所もあいまって、時間が過ぎて行くのは早い。
「そろそろにするか? 最終下校時刻近くになると混むだろうし」
「そうだな、疲れたし」
茜に染まり始めた窓の外を見て、キリの良さそうなところでそう声をかけると、海は苦笑しながら肩と首を回し、机の上に広げていた数学の問題集とノートを片付け始めた。
「あ。教室に忘れ物したわ。悪い、取りに戻るから先に帰ってくれ。じゃあな響樹」
「ああ。また来週な、海」
「おう」
そのまま図書室を出たところで海はそう言って階段を上がって行った。図書室は二階で教室は七階、加えて校門を出た瞬間に響樹と海の進行方向は逆になる。だから海を見送ってそのまま昇降口に向かおうかと思った時だった。
「ヒビキ君とおっしゃるんですね」
「……どうも」
「ご縁がありますね」
背後から声をかけられて振り返ってみると、どこか楽しそうに笑う吉乃がいた。
「試験勉強ですか?」
「ああ。そっちは?」
「そんなところです」
「見たとこ一人だけど、自習室は埋まってたのか?」
響樹たちの高校では計三部屋の自習室が解放されている。机が個別に仕切られているため複数人での勉強会はできないが、図書室から出てきたであろう吉乃は一人だ。いくら試験週間とは言え、三つの自習室全てに入れないほどだろうかと疑問に思う。
「あまり好きではないんですよね、自習室」
「へー」
「そこは理由を聞いて話題を広げるところではありませんか?」
わざとらしく不満げな顔を作った吉乃がそう言いながらゆっくりと歩き出すので、響樹としても無視はできず、仕方なく少し離れて並んだ。
わざわざ時間を選んだ結果周囲に人はいないし、見られたら見られたで吉乃が上手い事誤魔化してくれるだろうと、他力本願な事を考えながら。
「どうして自習室が嫌いなんだ?」
「知りたいですか? ……内緒です」
わざと抑揚を消した声で応じたというのに、吉乃は首を傾けながら響樹を覗き込むようにしていたずらっぽく笑う。思わず「うぜっ」と声が漏れたが、上機嫌といった風にふふっと笑う吉乃に気にした様子はない。
「で、このまま帰るのか?」
「ええ。ヒビキ君はどこかに寄り道をしますか?」
「……いや、まっすぐ帰る」
ちょっとしたむずがゆさを覚えつつも、昇降口で靴に履き替えながら、下駄箱を挟んで問いかけてきた吉乃に答える。
「それでは一緒に帰りましょうか。合理的ですよね、ヒビキ君?」
「……その、ヒビキ君ていうのだけど――」
「照れてるんですか?」
下駄箱という壁がなくなり顔を合わせた吉乃はどこか勝ち誇ったような笑みを浮かべているが、恐らく盛大な勘違いをしている。
そのまま少し歩き、校門を出たところで響樹は意を決して口を開いた。
「響樹って下の名前なんだよ」
「え……」
端正な顔に浮かべられていた笑みが消え、表情が固まる。「え?」と響樹に視線をやり、逸らし、そして一瞬で真っ白な美しい肌に火が着き、見る間に広がっていく。
呼ばれた方の響樹も少し恥ずかしくはあったのだが、勘違いで呼ばれている事はわかっていたのでダメージは少ない。しかし吉乃は自身の勘違いで親しくもない異性の下の名前を連呼していた訳で、感じる羞恥は響樹の比ではないだろう。
「だって……
そんな事を言われてもと思いはするのだが、あたふたしながら真っ赤な顔で文句をつける吉乃の姿が微笑ましくて、ついつい頬が弛む。
そしてそれを見た吉乃は「あーっ。今、笑いましたね!」と更に顔を赤くする。
(こんな顔もするんだな)
長く綺麗な濡羽色の髪をほんの少しだけ揺らしながら、夕焼けを顔に映したような吉乃はしばらく落ち着きなく視線をうろうろさせた。
そして最終的には「うぅ」と小さく可愛らしく唸りながら、少しだけ潤んだ恨めしげな目で響樹を睨む事にしたようだった。
「悪かったよ」
「何がですか?」
苦笑しながら謝った響樹だが、吉乃はムスっとしたままだ。
「さっさと訂正しておけば恥ずかしい思いをさせなくて済んだから」
「私は恥ずかしい思いなんてしていません」
まだ少し熱を持った端正な顔を見ながら、こんな時まで負けず嫌いかと響樹はある意味感心した。
だからという訳でも、詫びという訳でもなかったが――
「天羽。
散々もったいつけたような形になった上で今更であったし、直接顔を突き合わせてというのはどこか気恥ずかしく、顔を逸らしながら伝えた。だから吉乃がどんな顔をしていたかはわからない。
ただ、小さくふっと笑う声が聞こえた。
「
「知ってる」
「そうでしたね」
静かな声の吉乃へぶっきらぼうに言葉を返した後、少しおかしそうに笑う声が聞こえた。
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