第7話 烏丸先生の実地授業

「こんばんは。ご縁がありますね、天羽君」

「使うスーパーが一緒なだけだろ」


 制服姿の吉乃とスーパーで会うのは二回目。今回も通学鞄を持っている事から、彼女は学校帰り――恐らくどこかで時間を潰した後――にそのまま買い物をするのではないかと推測ができる。

 対して響樹は一度家に帰って私服姿ではあるが、買い物と夕食の支度の間に時間を空けたくないので必然買い物は夕方以降になる。

 つまり曜日さえ被ってしまえば鉢合わせる可能性は低くない訳だ。


「天羽君は何を買うんですか?」


 響樹が手に持ったメモに視線をやった吉乃の疑問に、響樹はそのまま見せる事で答えた。


「……天羽君」

「なんだよ」


 メモから戻ってきた吉乃の視線には、残念な物に向けられるようなものが混じっているような気がしてならない。


「前の時も慣れていない様子でしたけど、今までお買い物はどうしていたんですか?」

「どうって、こう、フィーリングと言うか……」


 米だけはほぼ確実に用意するが、基本的には味噌汁と野菜炒め頼りの生活。あとはカレーや雑多なスープと適当な卵料理。その他にはとりあえずキャベツの千切りを用意したり、適当に肉を焼いたりと今まではそんな感じ。

 そういった生活とおさらばすべく、今日初めて数日分の献立を考えて――正確に言うならネットから拾って――メモをしてきたというのに、早速ケチがついた。


「このメモ、何かまずかったか?」

「そうですね、最大の問題は……いえ、実地の方がわかりやすいですね。行きましょうか」

「いや、わかりやすくってのはありがたいけど、ほら、あれだ……」


 一緒にいる場面を誰かに見られたら、そんな懸念を拭えない。学校の中であれば言い訳のしようもあるのだろうが。しかし、以前の事もあってそれを口に出す事は憚られた。


「普通高校生は滅多にスーパーに来ませんし、そもそもこの周辺にうちの学校の生徒はいませんよ」


 吉乃はそんな響樹の逡巡など分かっているかのようにふっと笑み、わざとらしく呆れた顔を作ってみせた。


「そうなのか?」

「そうなのです。だからこそ天羽君を同級生だとは思わず油断した訳ですが……さあ、行きますよ。ここからの時間は貴重なんです」

「あ、ああ」


 何と言うべきか、主婦のような雰囲気すら出す吉乃に気圧された響樹は、先を歩く彼女の後を追った。

 混雑と言うほどではないが人の増え始めたスーパー、隣に並ぶ事はためらわれたので吉乃の後ろをそのまま付いて歩いているのだが、後姿もやはり綺麗だ。濡羽色の髪は今日も変わらず美しく艶やかで、背が高めでありながら非常に華奢に見える体はお手本のようにピシッとした姿勢。


 吉乃の後姿を眺めていると、男の性と言うべきか響樹の意思とは無関係に視線は制服のスカートからスラリと伸びる細く白い脚に引き付けられる。

 響樹たちの高校は校則が緩いので、吉乃も一般的な女子高生らしく多少はスカートを短くしており、それがより一層彼女の脚の長さを際立たせていた。


 しかしそのモデルもかくやと言わんばかりのスレンダー美人な女子高生は、周囲の主婦のようになんとも手際よく買い物かごに野菜を入れていく。

 適当に選んでいるようにも見えたが、時折手に取って確認している辺りに吉乃が何らかの判別基準を持っている事が窺えた。


 流石に目利きはまるでわからなかったが、響樹も置いて行かれないようにメモと売り場で視線を行ったり来たりさせながらカゴの中に野菜を迎えていく。のだが――


「わかりましたか?」


 振り返った吉乃はどこか楽しげで、響樹が持つカゴの中を覗き込んでニヤリと笑いながら手のひらで響樹の斜め後ろを示す。


「ニンジンはそちらに」

「……ああ、ありがとう」

「つまりそういう事です。天羽君のメモはレシピを写してきただけなので、並びがとても不便です。野菜は野菜ごと、という風に売り場別に並び変えておくのがおススメです」

「みたいだな」


 メモを見ながら買い物をして、実際によくわかった。

 吉乃に置いて行かれないようにという意識さえなければ、時間こそかかっても漏れなく買い物が出来たかもしれないが、それでもこれはだいぶ効率が悪いと響樹でも判断できた。


 あとは吉乃の脚が集中力を奪ったのも一因かもしれない。メモに視線を落とすとどうしても目に入るのがよろしくない。

 そんな事を考えながら指摘されたニンジンをカゴに入れた響樹が頷き、吉乃も満足げに笑い頷いた。


「ってか、なんでニンジン買ってない事わかったんだ?」

「カゴの中にありませんでしたから」

「いや……もしかしてさっき見せただけでメモの内容全部覚えたのか?」

「ええ」


 さらりと答えた吉乃にまさかと問えば、何でもない事かのように首肯した後で彼女は自慢げに笑う。


「記憶力には――」

「自信があるんだったな」

「……最後まで私に言わせてください」

「……悪い」


 言葉を奪うと思った以上に吉乃が口を尖らせたので響樹も素直に謝った。

 主婦のような雰囲気はなく、拗ねる子どものような吉乃がいて、響樹の口角が少し上がる。

 吉乃はそんな様子に気付いてか、小さく咳払いをしてちらりと響樹を窺ってきた。眉尻はほんの少し下がっている。


「一応ネタばらしになりますけど、メモを見れば何を作るかはわかるので、それもあって覚えやすいんですよ」

「いや、それでも凄いけど」

「ありがとうございます」


 嬉しそうに頬を弛ませた吉乃は、「それじゃあ次に行きましょうか」とその綺麗な髪を翻した。


「メモの書き方ですけど、言ったように売り場ごとに並べるのは最低限です。それからできればルート上の売り場順にも並べた方がいいです」

「なるほど。確かにその方が効率いいな」


 人差し指を立てた吉乃が上機嫌で解説をしてくれているのだが、彼女はその最中もしっかりと自身の買い物を進めていく。そしてそうしながらも、どこそこに何があると響樹の買い物のフォローも忘れない。


「そう言えば烏丸さんはメモは?」

「私は全て頭に入れていますので」


 そう言えば入店から一度も吉乃が買い物内容を確認するそぶりを見せないなと思い尋ねてみると、答えがさらりと返ってきた。特に自慢げな様子もなく、当たり前の事のように。


「流石」

「もっと褒めてもいいですよ?」


 しかし響樹がそれを褒めれば、吉乃は嬉しそうに笑う。

 親に褒められて喜ぶ子どものようだと、自身の経験からそう思った。

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