第3話 朝イチでの遭遇

「おはようございます」

「……おはようございます」


 もう関わる事もないと思った翌日、朝っぱらから出くわした。

 目の前の少女のまっすぐな黒髪は今日も今日とてつややかで美しく、ただでさえ造形の優れた顔のパーツも、冷たささえ感じさせるほど白い肌の上で黄金比を見せている。


 日直なので昨日までよりも10分ほど早く部屋を出たところ、アパートの敷地を出てすぐにそれはもうぱったりと顔を突き合わせてしまった。

 お相手である吉乃はしばらく目を丸くしていたものの、ニコリと微笑んで響樹に挨拶をしてくれた。だがやはり、そのニコリは以前と同じでどこか圧を感じさせるので、響樹としては気まずい挨拶となってしまう。


「同じ高校だったんですね。しかも学年まで」


 吉乃は響樹の制服と一年生を示す臙脂のネクタイを一瞥する。威圧感のある綺麗な笑顔はそのままに。


「そうみたいだな」

「視力が悪かったりしますか?」

「両目とも1.0以上はある」

「そうでしたか。それは失礼な事を伺いました」


 にこやかな笑顔でそう言いながら、吉乃はブレザーの裾をつまみ、自身の臙脂色のネクタイをトントンと指先で叩いてみせた。触れたら折れてしまうかと思うくらいに繊細な指、そして先端にある爪は綺麗に磨かれていて陽光を反射した輝きを見せる。


「いや、気にするなよ」

「ええ、ありがとうございます」


 先に目を逸らしたのは響樹だった。

 そのせいなのか、視界の端で吉乃が少し嬉しそうにふふっと笑う姿が見える。


「それでは行きましょうか」

「え?」

「もちろん学校へですよ?」

「流石にそれはわかる。一緒にって事か?」

「ええ。目的地が同じな以上、別れて行くとなるとどちらかが少しずらさないといけなくなりますから。一緒に行く方がではありませんか?」


 合理的、の部分を僅かに強調しながら吉乃は笑う。どこか小悪魔的に、わざとらしく小首を傾げながら。容姿が抜群に良いおかげなのか、こういう仕草も似合うのだなと思えた。


「それに、いつまでも道の真ん中に立っていたらになりますから」

「記憶力のいい事で」

「お褒めいただき光栄です」


 響樹がため息をつくのとほぼ同時に吉乃がにこやかな笑みを浮かべる。


 別にこの事態を回避するだけならば容易い。忘れ物をしたとでも言って部屋に戻ればいいのだから。

 だがなんとなく、逃げるようで癪だった。


「……行くか」

「ええ」


 満足げに頷いた吉乃が、歩き出した響樹の横に並ぶ。横と言っても恋人同士のような距離感どころか友人としても少し遠い、言葉通りただ同じ場所に向かうだけの距離。


「私の事を負けず嫌いだと言っていましたけど、やはりあなたもだいぶそのようですね」


 隣を歩く吉乃が僅かに響樹を見上げながら口元を押さえてくすりと笑う。頭に本を乗せたまま歩けそうだな、などと思いながら吉乃を窺っていた響樹は、心外だと言わんばかりの顔を作ってみせた。


「君には負ける」

「そうでしょうか?」


 ふふっと笑った吉乃が僅かに目尻を下げる。


「ああ。噂で聞いてた人物像と違い過ぎてちょっと混乱してる」

「ご存じだったんですね」

「そりゃ……うちの学校で君を知らない奴はいない、と思う」


 身長差は10センチほどだろうか。高一の女子としては背が高めの吉乃が響樹をほんの少し見上げる。

 その端正な顔に浮かんだ僅かな苦笑にどういった意味が込められていたのかわからず二の句が継げなかった響樹に、吉乃はふっと息を吐いていたずらっぽい笑みを浮かべた。


「それでしたら、こうやってお話をしているのに一方だけが名前を知っている現状はよろしくないのではありませんか?」

「そんな事はないだろ」

「そんな事はあります」

「いや、たとえば道端で会った芸能人に話しかけたとして、その芸能人は相手の事なんて何も知らないはずだ」

「私は芸能人ではありませんが?」


 似たようなものだと思う。容姿については言わずもがなであるし、話題性に関しても響樹の耳に入る範囲では、どんな芸能人よりも烏丸吉乃の名前が一番多く聞こえる。


「そういう訳でお名前を教えてください」

「名乗るほどの者じゃない」

「いじっぱりですね」

「君に言われたくない」


 圧力なしでかわいらしくニコリと笑った吉乃にぞんざいに応じると、彼女はやれやれと言わんばかりに大袈裟にため息をついてみせた。


「名前くらい教えてくれてもいいでしょうに」


 響樹に向けた、と言うよりは独り言ちたような言葉だった。

 それについては響樹も全く同意見だったのだが、何となく今更気恥ずかしくて意地を張ってしまう。


「調べようと思えばできるだろ」

「教えてもらえればその手間が省けますし、何よりここまで来て調べたら癪ではないですか」

「負けず嫌い」

「あなたに言われたくはありません」


 やり取りの後、お互いに進行方向を向いたままだったが、隣の吉乃が口元を押さえたのがわかった。

 何がおかしいのか。そう聞こうと思ったが、横目で窺った吉乃がどこか楽しそうだったので水を差すのはやめておいた。



 特に会話もないまま歩く事数分、曲がり角から現れた同級生が吉乃を見つけて声をかけてきた。


「烏丸さん、おはよう」

「おはようございます」


 穏やかに微笑んだ吉乃が同級生に挨拶を返す。もちろん威圧感などは一切ない。

 挨拶をしてきた女子はと言えば、響樹を一瞥して誰だろう? というような表情を浮かべていたが、結局吉乃にも響樹にもそれを尋ねる事をせずにそのまま歩いて行ってしまった。


「一緒に行かなくていいのか? 合理的なんじゃなかったのか?」

「離れていってしまいましたから」


 どう返答するものかと尋ねてみたが、吉乃はけろりと言ってのけた。有無を言わせなかった響樹自分の時と違うではないかと抗議の視線を送ってみたが、全く気にした様子はない。


「俺が一緒にいたせいだろ」

「そういう訳でもないんですけどね」

「ん?」


 どこか平坦な口調でそう言った吉乃になんとなくの違和感を覚えたが、それを確認する前に彼女はふふっと笑い、響樹の顔を覗き込んだ。


「でも、確かにあなたは眼光が鋭くて近寄りがたいクールな雰囲気ですからね」

「素直に目つきが悪くて不愛想って言えよ」

「自覚があったんですね」

「まあ……ってかそういう意味じゃない」


 失礼にも若干驚いた様子の吉乃に気まずいながらも同意したところで、会話がズレてきている事に気付く。

 響樹のアパートは住宅街にあり、今まで付近で同じ高校の生徒を見る事はなかった。しかしそこから数分歩いて学校に近付けば、やはり見慣れた制服が視界に入ってくる。今日はいつもより少し早いのでまだまばらではあるが。


「それじゃ、俺も先に行くぞ?」

「どうしてですか?」


 わざとらしく小首を傾げる吉乃に、響樹もわざとらしくため息をついてみせる。


「この状況を見られると誤解されるかもしれない。君も面倒だろうし、何より俺が面倒だ」

「どんな誤解ですか……と言いたいところですが、確かにこのままだとあなたにご迷惑をおかけしてしまいますね」


 烏丸吉乃は学校で一番、それも圧倒的なまでに飛び抜けた容姿と人気を誇る。そんな彼女が朝から男と登校してきたとなれば、事実と違う噂が出回らないとは思えない。

 だからこその発言だったのだが、あざとく可愛い笑顔から苦笑へと吉乃の表情が変わっていく。


 当然本人にもその自覚は十分、むしろ響樹などよりも明確に自身の影響力をわかっているのだろう。

 余計な事を言った。恐らく響樹が口に出すまでもなく吉乃がもっと上手く切り出してくれたはずで、そうすればもう少しマシな別れ際になったのではないか。


「別に迷惑じゃない。困るだけだ」

「それを迷惑と言うのでは?」

「原因が君にある訳じゃないからな。迷惑をかけられるってのとは違うだろ」

「迷惑というのは結果に対する言葉ですので、迷惑で間違っていません」


 相変わらずああ言えばこう言うなと、そんな言葉を口に出そうとした響樹の前で、吉乃が真面目な顔を崩してふっと笑んだ。目を細め、口角を僅かに上げた笑みはとても綺麗で、不意の変化だった事もあり響樹は心拍の上昇を自覚した。


「ですが、お気遣いありがとうございます」

「別に気を遣った訳じゃない」

「そうだとしても、お礼を言わない理由にはなりませんので」

 

 すまし顔でそう言った吉乃が綺麗に腰を折り、美しい長髪を揺らす。


「ああ言えばこう言うな、ほんと」


 戻ってきた吉乃の顔にはどこか自慢げな笑みが浮かんでいた。

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