08_【斥候】パクス・オルクス



 本音を言うのであれば、パクスは最初から騎士になどなりたくなかった。


 元々はルクルス王国の辺境で狩人として生きていたのが、ちょっとした経緯で騎士団に関わることになり、ルーク・カイザードという騎士に誘われるまま、王国騎士団に入団してしまった。

 斥候としての任務が大半だったのはパクスにとっては幸いだったが、現状を顧みればとても幸いとは言い難い。


 では、不幸か?

 どうだろう。不運だとは思うが、それも確信は持てない。


 いつだってパクスは「ヤバくなったら逃げよう」と思っていた。『機兵』の脅威に晒されたルクルス王国は見捨てるに十分だった。しかしぎりぎりまでそれをしなかったのは、多少なりとも王国騎士団に友誼を感じていたからだ。


「勇者殿! デイモンド騎士長! 敵の『機兵』が迫っています――!」


 だから、咄嗟にそんな報告を叫んでいた。


 レーナが放った『光の槍』は、王国陣営でさえ静寂の海から顔を出すのに時間を必要とするものだった。事実、戦列を構成する兵のほとんどがまだ正気に返っていない。あの『攻撃』は、それほどまでに常識外だった。


 敵陣中央を抉り取ったのがパクスには見えた。あまりにも膨大な光量に目は眩んでいたが、それでも眼球へ無意識に魔力を込め、敵陣を確認していた。斥候としての習性というべきか、パクス個人の資質なのかは判らない。


 つい一瞬前まで見えていた『機兵』の全てが消滅しており、そもそも敵陣の中央がぽっかりと消失している。


 おそらくはこちらと同様の静寂が――いや、それ以上の無音が敵陣を支配していたはずだ。いつ全軍が恐慌状態に陥ってもおかしくない。


 そのはずだったのに。


 どういうわけか、一機の『機兵』が飛び出し、こちらへ突撃してくる。

 それにやや遅れて、敵陣の左――敵からすれば右翼側の部隊が動き出していた。


「レーナ。いけるかい?」


 白衣のポケットに両手を突っ込んだままで、勇者アユムが呟いた。五十歩以上も先にいる『光の槍』を放った銀髪の少女に聞こえるはずがない……とパクスは思ったが、レーナはこくりと首を縦に動かし、例の『光の帯』を動かした。


 槍を放つために使っていた――のだろう、たぶん――長い杖が光の粒子と化し、その代わりに、いつの間にか細い剣が握られていた。

 騎士が使うような幅広の剣とはまるで違う、観賞用と言われた方が納得してしまいそうな、細すぎる剣。


 彼女が素手で『機兵』を殴り倒したのは、パクスも見ている。しかし今まさに迫り来る『機兵』は、ある意味で鈍重だった『機兵』とはまるで違う。なにしろ、目にも留まらぬ速度でかっ飛んで来るのだ。


「〈クロスリッパー起動〉」


 また例の耳に直接届くような声が聞こえ、細剣から光刃こうじんが浮かび上がった。レーナの身長の三倍はあろうかという光の刃が――とうとう眼前へ迫った『機兵』の剣と相克し、バチバチと火花を散らした。


 これまでパクスが見た『機兵』は、どれも一様に灰色だけで構成されており、初めて見たときは石像が動いている思ったものだ。しかし今レーナが対峙している『機兵』は、白と青で彩られており、武器も持っている。


 おまけに動きも速い。速すぎる。

 水中で歩く人間と、武技の達人――そのくらい『機兵』の速度が違うのだ。


「さすがに量産型とは違うな。たぶん操縦するのに魔力を使いすぎるから汎用機の方はデチューンしたんだろうね」


 くひひ、と意地悪そうな笑みを浮かべたまま。

 巨大な剣と細剣から生み出された光刃が何度もぶち当たり、この世のものとは思えない剣戟の音と光が連続しているというのに。

 アユムは、昼下がりの郊外を散歩しているみたいな気楽さで歩いてくる。


「まったく、困ったものだ。そう思わないかい? あんなもん、どう考えたってまともに相手できるわけがない。ただ踏み潰されるだけ。あまりにも理不尽だ。他人をぶん殴るのに誰かの手を借りるなんて、醜悪だ」


 汚すなら自分の手だろ、とアユムは言う。

 その言説には否定すべき箇所などなかったが、そんなことより『機兵』の圧が増し、レーナが押され気味になっているのが非常に拙かった。当然だが、刻を置けば置くほど突撃を始めた敵軍への対応が遅れてしまう。おまけに『機兵』が暴れている間はこちらの軍を動かせない。レーナとの戦闘を中断し、動いたこちらの軍勢を潰しに動かないとも限らないからだ。


「これはきみたちにも言えることだぜ。自分たちが拙いことになったからって、自分たちでない者の手を借りるなんて、借りられたこっちの身にもなって欲しい。ぼくらの主観においては、ぼくらは勇者でもなんでもないんだからね」


 光刃が弾かれた。それを見逃さず『機兵』がさらに巨剣を振るう。

 今度は光刃で受けることをせず、レーナは咄嗟に横へ跳躍して避ける。巨剣が地面を叩く衝撃がパクスの立っている場所まで届く。


 アユムは白衣のポケットから手を出し、ぼさぼさの黒髪を指先で掻き混ぜてから、また「くひひ」と笑った。


「それでも、きみらに協力しようって思ったのはさ、彼が可哀想だなって、ちょっと思ったからなんだ。ぼくらは勇者ではないけど『優者マンカインド』ではありたいと思っている。知っているかい? 優しさってのは、他人に向けるものなんだぜ」


 言って、アユムは鬱陶しそうに白衣を脱ぎ、眼鏡を取り、それをパクスへと放って寄越した。思わず受け取ってから、ぎょっと目を開く。


 レーナよりも少し背の低い、不健康そうな少女――アユムのことを、パクスはそう思っていた。主従関係であることは両者の言動からなんとなく察せられたが、では、アユムがなんなのかは一切不明だった。


 膝まで届く大きな白衣の下にある痩躯は、まるで人形。

 ほとんどの関節が球体で、腕や、肩や、胴体を持っているが……明確に、ヒトとは違うナニカ。


 彼女の肩の後ろ――肩胛骨の辺りから、赤黒い光が零れている。

 レーナが身に纏う眩い光とは違う。さながらとでも称するのが相応しい、ひどく不吉な赤い光。


「ぼくはレーナより旧型なんだけど、出力はこっちが上だ。そもそもブラスターをぶっ放したせいで出力も下がってるだろうし……ああ、あんまりこういうのは好きじゃないんだけどなぁ」


 ぶつぶつとぼやきながら、鮮血の翼をはためかせる。

 赤黒い光の粒が舞い、ヒトのようでヒトでない少女の姿を照らす。

 目眩がするほどに歪な――綺麗さ。


「さて、助けてあげようか」


 気負いのない呟きが聞こえるか聞こえないかという頃には、もうアユムは飛び出していた。文字通り、肩の後ろから噴出する赤い光を翼のように広げて、禍々しい赤い軌跡を曳きながら。


 ああ――と、パクスは直感する。

 もう逃げなくても良さそうだな……と。

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