03_【将軍】グラード・グライムス



 ルクルス王国軍の総数はおよそ三万二千。

 これを侵略するヴィルゴレム帝国の侵攻軍は、概算で六千四百ほど。帝国の領土からルクルス王国の領土を縦に割り、道々の都市や村を滅ぼし、あらゆる物資を徴発しながら突き進んで来たわけだが、普通に考えればこんなことは起こり得ない。


 戦場の最前線、グラード将軍は敵軍を眺めながら深く息を吐いた。寒くもないのに白くなりそうなほど、吐いた息には熱が込められている。


 腸が煮えくり返る――煮え滾り、煮詰まってさえいるだろう。

 こんなものは、あまりにもあんまりだ。


 帝国にあんな兵器が存在するのであれば、とっくの昔にヴィルゴレムは大陸を制覇していただろう。だが、現実はそうなっていない。

 であれば、おそらく今回の侵攻が初なのだ。

 あの『機兵』が使われるのは。


 戦場というものは、理不尽だ。それはグラード個人の感想というより、いくつかの戦場を経験した者なら誰であろうが理解できる、ただの事実だ。


 なにしろ人間というものの性能差が激しすぎる。


 優れた魔術師が一人いれば、百人単位の兵を薙ぎ払うこともできる。英雄と呼ばれるような将兵がいれば、あるいは敵陣を割って将首を取ることもある。そうでなくとも戦術的勝利がたった一人の有無で左右されることなど珍しくもないのだ。


 グラード・グライムスとてだった。そうでなければ王国軍の将などやっていられない。まして最前線で采配を振るうなど。


 しかしこれは――あまりにも、あんまりだ。


 隊列を成した自軍が、四足獣に蹴散らされる虫けらのよう。矢の斉射であろうが、魔術師団の魔術掃射であろうが、あの巨大な『機兵』には効果がなかった。兵を並べたところで蹂躙が待っているのみ。


 こんな理不尽が、あっていいのか――否。


「兵を下げろ! これ以上の損傷は我慢できん! 儂がく!」


 六十を数えた老人とは思えぬ怒声を張り上げ、グラードはとうとう腰の剣を抜いて最前列へ躍り出た。優秀な副官がなにか言いたげな表情を見せるも、結局はそうするしかないと割り切り、兵を退かせてくれる。


「一撃を見届けよ!」


 抜き払った魔銀まぎんの剣にありったけの闘気を注ぎ込み、刀身が輝き始める。剣に呼応するように全身の魔力が闘気へと変換され、魔銀の甲冑までもが輝き出す。


 踏み込んだ一歩は、超人のそれ。

 それこそ四足獣の疾走めいた速度で『機兵』へと距離を詰め、剣先を地面すれすれへと下げ、速度と闘気を全て斬撃へと変換させ――斬り上げる!


 ごう、と大気ごと。

 切断という概念が形を持ったような、光を放つ斬閃。


 グラード渾身の一撃。過去の戦場では敵の城門をさえ破壊した一閃だ。鋼鉄の巨兵であっても、損傷は免れない……そのはずだった。当たりさえすれば。


――」


 

 渾身の一撃を放ってしまったグラードは、その事実を知ったところで『機兵』の反撃に対処のしようがない。一歩分だけ――それは大きな一歩だ――横に体躯を躱した鋼鉄の巨人が、グラードを叩き潰そうと拳を振り上げているのが見えた。


 これは、死ぬだろう。

 グラードはしかし、絶望の中にわずかな希望を見出していた。


 気付いてくれ。己の一撃を避けたということは、強力な攻撃であれば通じるのだ。当てられなかったのは無念だが、『機兵』と対峙させるのは軍勢ではなく、一騎当千の英雄だ。王国に、あと何人残っている? 脳裏に自分と並ぶ騎士団員を思い浮かべるも、数えるほどしかおらず、そのうち何人かはもう死んでいる。


 すぐに、己も……。

 そう思って目を瞑った瞬間である。



 ――



 という、なんだかよく判らない、腹と耳に来る金属音が響いた。半瞬だけ遅れて、鉄拳が地面を叩く音と振動も。

 グラードはその場に尻餅を突き、眼前の出来事に言葉を失う。


 白に近い銀髪の少女が、グラードの前に立っていたのだ。


 振り下ろされるはずだった拳が、目標であるグラードよりも随分と脇に逸れており、よく見れば『機兵』の手甲がひしゃげている。


「無事ですか?」


 するりと耳に入り込む、心地好い声音。

 反面、グラードへ振り返った少女の表情には温度というものがなかった。熱くも冷たくもない。常温。ただしその碧い瞳にだけ、奇妙な温かさが感じられる。


「な、なにが……」


 起こったというのか。

 それを問う暇も隙もなかった。


「『機兵』を確認。排除可能であると判断。行動開始します」


 硬質な机を人差し指で規則的に叩くような言い方をして、少女は動き出した。

 、と軽い足音を立てて跳躍――その跳び方が常軌を逸している。ちょっとした段差を昇るような動作だったのに、見上げてもまだ遠い位置にある『機兵』の頭部まで、一瞬で到達しているではないか。


 そしてまた、あの音。


 蹴撃が『機兵』の頭部にぶち当たり、あろうことか『機兵』の体躯がぐらついた。蹴りを繰り出した少女は当然だが反作用のおかげで空中を一直線に舞っているが、どういうわけか空中で急停止し、虚空を蹴りつけて反転した。


 突撃。

 細い腕を突き出して、ぐらついている『機兵』の頭部を殴りつける。今度はもう耐えられなかった様子で、『機兵』の巨体が地面に倒れる。その震動でグラードの尻が浮くほどだったが、浮ついているのはむしろ心の方だ。


 ――なんなんだ?

 ――一体、なんだというのだ?


「ご無事でしたか、グラード将軍」


 背後から声が掛けられ、間を置かずにグラードの身体が引き起こされた。魔銀の甲冑に身を包んだグラードの身体を難なく抱き起こしたのは、第三騎士団の団長、ルーク・カイザードだった。


「ルークか。あの娘は……?」


 そう問うている間にも、鉄塊に鉄塊を叩きつけるような轟音が響いている。少女が鋼鉄の巨人を殴り、蹴り、引き千切る音だった。


「あれは、ぼくのかわいい人形だよ」


 と、ルークのすぐ後ろにいたらしい奇妙な人物が言った。

 ぼさぼさの黒髪に、黒い縁の眼鏡。全身をすっぽり覆うような白衣を身に纏っており、両手を白衣のポケットに突っ込んでいる。顔に浮かぶのは意地悪そうな笑みだが、邪悪さはあまり感じない。

 意地が悪く、陰気で、しかし無害。そういう印象だ。


「まったく、こんな晴れ晴れとした空、ぽかぽかと暖かな陽気の下で、やることが戦争だなんてね。それに、ありゃ一体なんだ? ヒト型の機動兵器? 随分と趣味の悪い冗談だ。わざわざデカい鎧を持ち出して、敵をぷちぷち踏み潰すなんてさ」


「……お主は?」


 問いに、独白を重ねていた白衣の人物は「くひひ」と笑って答える。


「おいおいおい、あんたたちが喚んだんじゃないか。それとも、最初からアテにしてなかったクチかな? まあいい、まあいいよ。喚ばれたこっちとしては、やることやって、さっさと帰りたいんだから」


 喚んだ?

 まさか――と、グラードの脳裏に第二王女の戯言が思い浮かぶ。


「『勇者召喚』か……!?」


「ぼくはアユム。あっちの人形はレーナ。きみたちが召喚した勇者ってやつなんだろうけど、まあ、ぼくの知ったことじゃないね」


 言って、アユムはまた「くひひ」と声を洩らす。

 悪戯の結果を見届ける子供みたいな笑い方だった。

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