02_【王女】アトリネット・オニュクス・ルクルス



 目も眩むような光の奔流と、突風めいた空気の圧。

 そのふたつが同時に襲い掛かり、アトリネットは腕で顔を隠すようにして光と風をやり過ごさねばならなかった。


 少しの間だけ耳鳴りが響き、その後は――痛いくらいの静寂。


 かざしていた腕を外して結果を確認するのが怖かった。絶対に必要だと確信し、百日以上も前から準備を進め、けれどもこんなぎりぎりになるまで実行に移すのが遅れるだなんて、予想外だった。


 もし失敗していたら、手遅れ。


 ヴィルゴレム帝国は堂々と軍勢を率いて王都を目指しているのだ。軍事教育を受けていない第二王女にだって、この状況がなにを意味しているのかくらい判る。


 敵が強く、こちらが弱い。

 でなければ、ここまで攻め込まれていない。

 敵を阻むことも撃退することもできていないのだ。


 これが失敗すれば、だからきっと、この国は終わりだ。

 アトリネットはそう思っていた。

 だから――顔を隠す腕を外すのが、怖かった。


 しかし。


「おいおいおい、なんだ、これは? ぼくらはなんだってこんな場所にいるんだ?」


「不明です。状況を把握できません」


「だったらさっさと把握しろ。なにがどうなってる?」


「周辺をサーチ……異常を検知しました。時空間の整合性に異常、レコードへのアクセス不可。レイ・エネルギーの密度に異常を検知」


 何処か意地悪そうな声が響き、次に鈴の音を転がすような澄んだ声が。

 ふたつの声がころころと転がることで、アトリネットは腕を下げられた。


 二人、いた。

 成功したのだ――勇者召喚が。


「んで、そこらに倒れてる宗教っぽいのと、そっちのお姫様は?」


 意地悪そうな声の持ち主が言った。

 ぼさぼさの黒髪と、黒縁の眼鏡、あまり身長は高くなく、身体のほとんどをすっぽり包むような白衣を着ており、ポケットに両手を突っ込んでいる。アトリネットを眺めるその瞳はお世辞にも友好的ではなく、猜疑がありありと浮かんでいる。


「不明です。が、倒れている方々は死んでいないようです」


 答える鈴の音の方は、人形みたいだった。

 それは比喩というより直観だ。白に近い銀髪も、すらりとした身体も、執事が着るような黒い衣服も、形の良い鼻梁や柳眉も、あまりに整いすぎていて嘘寒い……そのくせ、こちらを見るあおい瞳からは、黒髪のそれよりもずっと温かさを感じられた。


 そしてようやく、アトリネットは気付く。

 配置していた魔術師のほとんどが床に倒れていることに。


「姫様、これは魔力の欠乏ですじゃな。意識不明になるほど搾り取られた、といったところですかの……この老体にも、なかなか堪えました」


 唯一倒れていなかった老魔術師、ジウフクが言った。

 半ば引退しているから勇者召喚などという賭けに乗ってくれたのだ。他の魔術師団員はあらかた戦場へ出てしまっているか、待機中だ。倒れている彼らは、まだ戦場に立てる水準ではなく、そのせいで失敗するかとも思っていたのだが――。


 今、召喚魔法陣の中心には、人が立っている。

 一人でないのはやや解せぬが、二人いてはならぬ道理もない。


「ゆ、勇者様……で、よろしいですか?」


 一歩、アトリネットは二人に近づいて問いかける。

 銀髪の少女はきょとんと首を傾げ、黒髪眼鏡もやはり似たような表情を浮かべたが、一瞬後の挙動は全く違っていた。


 銀髪の表情は変わらず、黒髪眼鏡の方は白衣のポケットに手を突っ込んだまま、身体をくの字に曲げて笑い出したではないか。


「くくく……勇者だと? はっ! はははは! 勇者! あははは! そうか、石造りの密室に、床には魔法陣、倒れてるそいつらは魔法使いか! あははははは!」


 可愛げなど一欠片もない、吐き捨てるような哄笑。

 アトリネットは思わず進めた一歩分を退きそうになったが、それでもどうにか次の一歩を踏み出した。

 彼女たちがであろうが、頼らねば自分たちの命運は明らかなのだ。


「あの、勇者様……?」


 もう一度声をかける。黒髪眼鏡は哄笑を止め、それでも笑みは洩らしたまま、アトリネットへ視線を向けた。


「くひひ……ああ、勇者様ね。まあいい、まあいいよ。なにか用事があって呼びだしたんだろ? 見たところ、知的好奇心に溢れてるわけじゃなさそうだ」


「その……ええ、そうです。我々は救いを求めています。我々を救っていただける存在を――勇者を、召喚したのです。申し遅れました。私はアトリネット・オニュクス・ルクルス。このルクルス王国の第二王女です」


 王国の古い書架に残されていた、勇者召喚の魔法。

 それを使うことでしか現状は打破できないとアトリネットは思っていたし、おそらくそれは事実だ。もう、奇跡に頼るくらいしかできることがない。


 だって、敵が奇跡を使ってくるのだ。

 まともにやっているこっちが勝てる道理などない。


「ふぅん、なるほど。なるほどなぁ……。まあ、そうか。そうなるか。……ああ、ぼくはアユムで、これはレーナ。それで、なにをして――」


「マスター。何者かが近づいています」


 アユム、と名乗った黒髪眼鏡の言葉を遮り、レーナというらしい銀髪の少女が言った。ほとんど誤差なく鉄扉が開かれ、第十三騎士団の副団長が現れた。


「姫様! これは……成功したのですか……!?」


 頷きたかったが、アトリネットは首肯できなかった。


 成功した――そのはずだ。

 たぶん。

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