こっそり神呪師
「お、アキちゃん、久しぶり」
ザルトの父親はヤダルという。気は優しいが声が野太い。そして体格もがっしりしている。今は茶色い髪に薄い茶色い目の、どちらかというと線の細いあっさりした顔立ちのザルトが、そのうちこうなるのかと思うと何だか不思議な気がする。……なるのかな?
「おじさん、久しぶり。ナナンとおばさん、元気?」
「ああ、元気元気。最近這ってどこにでも行くようになってきたからな。目が離せないんだ」
おじさんの目尻が下がる。ナナンは去年生まれたおじさんの子だ。ザルトは5人兄弟の長男なので、小さい子どもの面倒を見るのが上手い。
「なんか動具が動かないって聞いたんだけど」
わたしが首を傾げて尋ねると、おじさんが思い出したようにポンと手を叩いた。
「ああ、そうなんだよ。だが、最近神呪師はみんな忙しいしピリピリしてるだろ?呼んでおいて大したことなかったら面目ねぇしなぁ」
「ちょっと見せてもらえる?あ、わたしは神呪師じゃないから見るだけだけどね」
それにしても、お世話になっている工房が困っているのに、呼ばれて文句言う人なんていないと思うんだけどね。
「これなんだがな」
ヤダルは、細かく振動して大木をも簡単に切ることができる動力ノコギリを持ってきた。神呪としては、ノコギリの歯を規則正しく動かすだけの単純なものだ。
「ああ、この擦れてる部分だ。ほら、ここからここまで。ここでどっちに動かすかを決めてるんだけど、ここが擦れちゃってるから動く方向が分かんなくなって、動けなくなっちゃってるんだよ」
神呪は、神呪具という特別な動具で描く。
ペンのような輪郭の金属の棒で、神呪が描けるようになる神呪が描かれているのだ。本当は、どんな材質のものでも、この神呪を描きさえすれば神呪具になるのだが、例えば布などに描いても、それで神呪を描くことができないので意味がない。そもそも、この神呪はとても複雑なので、きっちり正確に描ける人が多くないのだ。神呪具は、王都の限られた店でしか売っていない。
「すげぇな、アキちゃん。そんなこと分かるのか?」
いつの間にか工房の人たちが集まって、関心したように目を丸くして見ている。そんなに難しいことじゃないんだけどね。
「う~ん……まぁ、毎日見てるからね。それにしても、神呪ってインクで描くわけじゃないからそう簡単に消えないはずなんだけど……ぶつけて削れでもしたのかな?」
職人さんは仕事の道具を大事にする人が多いので、珍しいなと思う。
「神呪の問題かぁ……。目が詰まってるとかなら解決も簡単なんだがなぁ。ダンがヒマそうなときにでもアキちゃんから頼んでくれねぇか?」
「いいけど……ダン、最近全然ヒマそうじゃないよ?」
……まぁ、実際はヒマなのかもしれないけどね。
本気で研究するわけにはいかないので、適当に話を合わせているのだろう。だが、呼び出されたら行かないわけにはいかないし、一人だけ先に帰るのも不自然なので、なかなか踏ん切りがつかないんだと思う。
「アキ、ちょちょっと直せねぇ?」
ザルトが小声で聞いてくるが、さすがにそれは難しい。
「無理無理。絶対バレるもん」
「じゃあさ、オレがこっそりお前んちに持ってくから、ダンさんに直してもらったフリするってのは?」
そうして、後日ダンが親方からお礼を言われて、一瞬なんのことか分からず、でも次の瞬間にはわたしの仕業だと完全にバレる未来が目に浮かぶ。ダンは察しが良いのだ。きっと瞬きするくらいの早さで全て察してしまう。
「うーん……。ヤダルさんに、お礼はいいってダンが言ってたって伝えられる?この話はもうしないでねって」
「あー、お礼をしないでってのはちょっと難しいよなぁ……」
それはそうだよね。会った時に「ああ、この前は」ってなるよね、普通。
「んー、じゃあさ、いっそこっそり直しちゃって、わたしもダンも知らないことにしようか。なんか勝手に直って良かったねーって」
「……勝手に直るもんなのか?」
「…………直らないね」
大人に秘密というのは難しいものだ。せめてダンが関係ない工房なら何とかなったかもしれないんだけどね。
「……今回は無理そうだね」
わたしは真面目で賢明な判断をくだして、しょんぼりと帰路についた。役に立つチャンスだったのにな。
「アキー。今からちょっと一緒に来れるか?」
ヤダルさんの工房からしょんぼり帰って来て3日後、またザルトが呼びに来た。この間のノコギリを持ってきたわけではなさそうだ。
「どうしたの?」
「いや、ちょっとミルレの父さんが困ってるらしくてさ」
ミルレのお父さんはお医者さんだ
「お医者さんが困ってることで、わたしが呼ばれるの?」
「ああ、なんか診療に使う動具の調子が悪いらしいんだ。神呪師組合に行ったらしいんだけど、ほら、今あそこ忙しいだろ?なかなか見てもらえないんだってさ」
……ザルトはわたしが神呪を禁止されてるって忘れてるんじゃないかな。
「いや、直してもらおうとかいうわけじゃなくてさ、そのまま捨てていいかだけ確認したいんだってさ」
動具を捨てるのには注意が必要だ。捨てている最中に突然動き出して事故が起きると大変なことになる。動具を捨てる際には神呪師に神呪を無効化してもらうか、もう作動しないことを確認してもらわなければならない。
「ああ、なるほど。それならいい……かな?」
そうして、ザルトと一緒にミルレのお父さんの診療所へ向かった。
ミルレのお父さんの診療所は、わたしやザルトの家より中央よりにある。わたしの活動範囲は中央広場までなので、近くを通ったことはあるが、ご近所さんと言うほどの近さでもないので、一人では診療所の場所は分からない。一度、熱を出してお世話になったことがあるが、熱があった上にダンに抱きかかえられて行ったので、道なんて覚えてない。
「あ、ザルト。アキ」
ミルレとは、去年の秋に農家の手伝いに行った時に知り合った。わたしより2歳年上の女の子で、ちょっとツンとしたお嬢さんというかんじ。白いシャツにはオシャレな刺繍がしてあり、赤いスカートが鮮やかだ。
「……ホントにアキが神呪なんて分かるの?」
ミルレは疑わしそうに言う。まぁ、普通7歳の女の子に神呪の相談なんてしないよね。
「とりあえず、見てみないと分かんないけど」
「ふぅん。ま、いいけど。どうぞ」
診療所ではなく、裏にある家の方から通してくれた。今、診療所はお昼の休憩中で閉めているそうだ。
「父さん、この前捨てたいって言ってた診療動具、どこ?」
「ん?ああ、そっちの部屋にあるよ。何をするんだい?」
ミルレのお父さんは、ちょっとぽっちゃりしていて、動きもなんだかのんびりしている。
「神呪が分かるっていう子がいるから見てもらおうと思って」
「こんにちはー」
紹介されたので挨拶をしたら、不思議そうな顔をされた。
「神呪?その子が?」
「うん。お父さんが神呪師なんだって」
「お父さんじゃないけど、お父さんも神呪師だったよ」
わたしの言葉に、ミルレのお父さんは不思議そうに瞬きする。
「はぁ……いや、だけど、危ないよ?子どもが遊びに使っていいものじゃないんだよ」
「子どもだけど遊びじゃないから大丈夫。じゃ、見せてもらうねー」
「あ、ちょっと……」
わたしは勝手に動具が置いてある部屋に入って行った。ここでグズグズ話してたら、下手するとそのまま帰らされてしまいそうだ。
「ミルレ、どれ?」
「えーっと、これかな?足とか腰とかが痛い人に使うんだけどね。動かなくなっちゃったの」
「どれどれ……」
棒の先に丸いものが引っ付いてる。棒の部分に神呪が描いてあった。
……なんだろう?揺れる?左右に……あ、回る……かな?細かいなぁ……
「ザルト、アキの目、ちょっと怖いんだけど……」
「大丈夫だ。こういう時は神呪しか目に入ってないからオレ達に危害は加えない。ていうか、話しかけても聞こえてないし」
……ああ、もしかして振動する……のかな?この丸い部分かな?
「え、すごい!なんか正解つぶやいてるよ」
「アキ、神呪には詳しいんだ。でもダンさんに禁止されてるから内緒な」
「禁止?なんで?」
「なんか知らないけど、いろいろやらかしたらしい。本人も心当たりがあるらしいから相当だろうな」
「ああ、田んぼでもおかしなことばっかりしてたんでしょ?庄屋さんも奥さんも呆れてたしね」
……んー、作動しないなぁ……なんでだろ。神呪の問題じゃないと思うんだけど……あっ分かった!
「ミルレ、これ、この丸い部分、元々この素材じゃないでしょ。なんか塗った?」
「ああ、木がゴツゴツするって言われたから、樹脂を塗ったよ。でもその木と同じ木から採れた樹脂だよ?」
わたしの質問に、ミルレのお父さんが答える。やっぱり。同じ木から採れても、木の部分と樹脂は全く別物だ。神呪を変えなければならない。
わたしはササッと神呪具を取り出した。描いてある部分を消す必要はないので大した手間ではない。
「あっ!アキ!描いたら……」
「これでよし。ほらっ動いた」
ザルトが頭を抱えている横で、ミルレのお父さんが目を丸くしている。そしてミルレはなんだか目をキラキラさせている。
「うわぁ……ありがとう。アキ、すごいのね。見直しちゃった」
「ふふん、よく樹脂を塗ったおもちゃに神呪を描いて遊んでたからね」
「いや、ホントにすごいね。アキちゃんだっけ?すぐにでも神呪師になれるんじゃないか?」
ミルレのお父さんの言葉にハッとする。
「アキ…………」
ザルトのどうするんだよという視線が突き刺さる。どうするもこうするもないだろう。
「ザルト!ミルレ!おじさん!わたしが神呪描いたって、ダンに絶対言わないで!」
神呪は得意だけど、上手い言い訳とかはあまり得意じゃないのだ。
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