養父

 あまりの熱さに朦朧としながらも神呪で素早く換気し、ザルトがブツブツブツブツ文句を言いながら帰ったすぐ後、今度はダンがブツブツ言いたそうな顔で帰ってきた。言ってはいないのに言いたいのはしっかり伝わって来た。


「火事だの火事じゃないだの突風だの……いった何の話だ?」

「へ? 火事?」


 いきなりのダンの言葉に首を傾げる。突風には多少心当たりがあるが、火事には全く心当たりがない。


「窓から大量の煙が噴出したところで、通りを歩くやつらが身をかがめなきゃならん程の突風が吹いたと思ったら、その後何事もなかったかのように窓が閉まり静まり返ってたって聞いたぞ」

「え、なにごともなくなったのに何を聞きたいの?」

「何事もなくなる前に随分大家さんに気をもませたんだろ」


 ダンがじろりと睨んでくる。なにごともなくなる前が問題だったらしい。なにごともなくなったからいいんじゃないかと思うんだけど。


「なんか、青空に浮かんでるはずの白いもやもやだね」

「……はぁ?」

「ずっと考えてたんだけど、あれって湯気か煙なんじゃないかと思うんだよね」


 最初は模様かなと思ってたんだけど、薄くたなびいている部分とかを思い出すと、煙とか湯気とかそういう、モヤモヤして実体がないものなんじゃないかと思えたのだ。


 わたしはダンに、前に夢で見た青い空と白いもやもやの話をする。空の話は夢を見た時にすぐに言ったんだけど、もやもやのことは忘れてたからね。


 あのもやもやを再現できれば何かヒントがあるかなと思ったんだけど、とりあえず今回は何も閃かなかった。というか、熱すぎた。


「……んで?それを再現しようとしたわけか?」

「そうそう」

「空にたくさん浮かんでたんなら、随分大量の湯気が必要だろうな」

「そう。目いーっぱい湯気ができるように工夫してみた!でも、空に広げるならもっと必要だったよね」


 わたしは、神呪のセンスは抜群だと小さい頃から言われていたのだ。それくらいの神呪はすぐに作れる。


 えへんと胸を張ると、ベシッと頭を叩かれた。


「アホか!派手なことはすんなっていつも言ってるだろうが!」


 ……湯気って地味なものだと思ってたよ。


「派手かどうかとか、やってみないと……あ、それよりさ、ダンはもう少し派手になった方がいいよ」

「は? なんだ、いきなり」


 ザルトの言葉を思い出しながら、パチンと手を叩いてダンを見上げる。


「髪をキレイに整えて、お鬚をそろうよ。そしたらとりあえず普通の神呪師には見えるようになると思うんだよ」


 神呪師はエリートだ。適性なんかは特にないが、小さい頃から神呪師の元で学んでも、神呪師になれるのはほんの一握り。そのため、神呪師は自分の仕事に誇りを持っており、一目見てそれと分かる格好をしたがる。身なりに金をかけ、神呪を描く動具をわざわざ見えるところに所持している者もいる。


「……普通の神呪師って何だよ」

「だってザルトのお父さんが、ダンは実はすごい神呪師だったんじゃないかって言ってたらしいんだよ。でもさ、パッと見て神呪師だって分からなければすごい神呪師かもしれないっていうのも、思ってもらえないでしょ?」


 ダンは元の顔は悪くない。が、身なりに頓着しないのだ。これは別に、生活に苦労しているからではない。王都にいた頃からこうだった。


「別にすげぇ神呪師だって思われる必要はねぇだろ。すでに仕事はあるんだから」


 ダンは興味がなさそうに言うが、わたしは大事なことだと思う。


「お客さんから腕を信頼されるっていうのは大事なことだよ」

「信頼されてるから仕事もらえてるんだろ」

「それはそうなんだけどさぁ……」


 知り合いから信頼を得ないと来ない話は、何も仕事だけではない。


「お客さんからの信頼が厚ければ厚いほど、いいお嫁さんを紹介してもらえるじゃない。腕がいいって分かってても、その身なりじゃ誰も紹介してもらえないよ」

「あのなぁ、お前がいる時点で嫁の来てなんてないだろ?」


 ダンがどうでも良さそうに答えるが、そうなのだ。わたしというおまけがいることをダンは考慮しなければならない。いくらわたしが優秀でも、簡単な話ではないと思う。


「だからこそだよ。わたしの面倒も積極的に見てくれるくらい心の広い素敵なお嫁さんじゃないとダメなんだよ?腕がいいだけじゃ足りないよ。ダンは顔は悪くないんだからさ、積極的に活用すべきだよ」

「お前のためかよっ」


 仕方がないのだ。いくら老成していても、わたしはまだ7歳の子どもなのだから。成人するまであと8年もある。面倒を見てくれる大人が必要だ。でも、その条件を揃えられる人が来てくれたら、ダ

ンのためにも良いと思う。長い人生を共にするのだ。妥協は良くない。


「素敵なお嫁さんを捕まえるためにも、まずは身なりを整えなきゃね」

「身なりは仕事の後だ。仕事の信頼が得られなければ嫁をもらうどころかオレらが食っていけねぇ」


 ……たしかに、おしゃれに回せるだけの収入が必要だ。


「仕事ならわたしが手伝えるよ?」

「ダメだ」


 ダンは顔をしかめて言った。


「記憶を刺激されると気が触れる恐れがある。お前は両親のおかげでただでさえ王都の研究所では有名だったんだ。ここにいるのが分かれば接触してくる奴が絶対出てくる。失くした記憶の中には神呪に関する記憶もあったからな。あいつらとの接触がお前にどう影響するか分からん」


 事故があった後、まるで何かから逃げるようにこの補佐領に来た。わたしはケガをして数日間気を失っていたので、両親の死に目には会えなかったのだが、ダンは何か話すことができたらしい。詳しいことは教えてくれなかったが、両親が死に際にわたしをダンに託したんだそうだ。おかげで、ダンはもう27歳にもなるのに恋人の一人も作れない。


 ……いや、作れない理由がわたしのせいだけとは限らないけど。


 わたしにも、お荷物の自覚はあるのだ。手伝えることがあるなら手伝いたいと思うのだが、やはり人には適正というものがあるらしく、神呪が禁止されると他に特技は残らない。何か収入を得る方法を考えないとね。






 新しい金属に対応できる神呪はなかなか出来上がらないらしい。

 町の神呪師が何人も駆り出されて、頭を突き合わせて開発しているそうだが、穀倉領の神呪師は、いまいちスピード感がないのだ。神呪師だけではなく、全体的におっとりしている人が多い。

 そしてダンも微妙な立場だ。ダンが目立ってしまってここにいることがバレたら、芋づる式にわたしまで釣りあげられてしまう。ダンはどうやら、わたしのことを隠したいらしいので、それはマズイ。なんで隠したいのかは知らないけど。


「アキー。いるかー?」


 最近ダンが忙しく、不在が多いので心配してくれているらしい。ザルトはほぼ毎日、様子を見に来てくれる。


「いるよー。なに?」

「あのさ、工房の動具が動かねぇからちょっと神呪を見て欲しいんだけど……」


 居留守を使わず真面目に返事をするわたしに、ザルトはなんだか部屋の奥の様子をうかがいながら、そわそわと答えた。


「ダンさん、いないんだよな?」

「そうだね。最近ホントよく出かけてるんだよ」


 工房の動具を直して欲しいという依頼なら、ダンが戻るのを待つしかない。


「あのさ、アキ、ちょっと来て見てくれねぇ?」

「……いや、神呪は禁止されてるんだよ?」


 一瞬、意味が分からなくてパチパチ瞬きしてしまった。ザルトは小さい声で言うが、そういう問題じゃない。これは悪魔の誘惑だ。


「ちょっと見るだけでいいんだ。道具の方に問題があるのか神呪の方に問題があるのかだけでも分かればさ」

「…………いやいや、わたしがさらっと神呪の解明なんてできちゃったら不自然に思われちゃうもん」


 悪魔がしつこく囁いてくる。わたしはちゃんと断っているのに!


 ……というか、ダンがいないのになんで小声なんだろう?


「いや、さらっと解明は無理だろ?」

「いや、神呪の問題ならわたし、負けないけどね?」


 なんだろう。突然引かれると諦めるなと言いたくなる。しかも聞き捨てならない。


「…………お前、すげぇ負けず嫌いだよな」


 間髪入れずに答えたわたしに、ザルトがボソリと呟く。


「負けないけど、ダンがなぁ……」


 これは悩ましい状況だ。別に神呪書いてとか動具作ってとか言われてるわけではない。


「……神呪見るのも禁止されてるのか?」


 ザルトが遠慮がちに聞いてくるが、そんなわけはない。神呪なんて塩動具とか砂糖動具とかにだって使われているのだ。一般庶民だって見慣れている。


 ……そうだよね。見るだけなら誰にだってできるよね。


 そもそも、神呪師の養女が神呪に興味を持っていても何もおかしくないと思う。何も不自然ではないはずだ。


 わたしは自分の答えにしっかり納得し、特に意味はないし、使う予定もないけれど、一応、念のために、神呪を描く動具を持ってザルトの工房に向かった。






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