第一章 穀倉領
夢
……夢を見た。細かい部分は覚えてないけど。
とりあえず、空が青かった。青だよ?空が、濁った紺色と茶色をグルグルした色じゃなくて、青一色。すごく鮮やかで、透明で、キラキラした遠くの青。7年間生きてきたけど、あんな色、見たことない。
他のものはあまり覚えていないけれど、何だか広い草の上に大の字で横になって見上げた、広い広い空の、抜けるような、信じられないほど鮮やかな青色が目に焼き付いている。
もう一度あの空を見たくて再び目を閉じた。二度寝は成功したのに、見た夢は神呪を描いてる普通の夢で、わたしが望んだ青空は見られなかった。
「おおいアキ、ダンさんはいるか?」
玄関からザルトの声がする。声が大きくてちょっとうるさい。まぁ、工房こうぼうで手伝いの身だもんね。工房で小さな声だと聞こえないし、しょうがない。
「さっきドルデさんに呼び出されたって出て行ったー」
「そっか。ドルデさんならいっか。たぶん、同じ用だ」
ザルトはいつも通り勝手に入ってくる。いちいち玄関まで行かなくて済むので楽だ。
「そういえばザルト、あと3年で成人だよね?お仕事どうするの?」
「うーん……、まだ決めてないんだよな……」
竈かまどでお湯を沸かしながら何となく聞くと、途端に顔をしかめた。もしかしたら、お父さんとかにも聞かれてるのかな。
それにしても、まだ決めてないっていうのは意外だった。ザルトは器用だし、工房の人たちはそのまま工房に入るものだと思ってると思う。今、手伝いとして働いてるのもお家の工房だし。
「はぁ。工房がイヤなわけじゃないんだけどな。なんかなぁ……」
ザルトがため息を吐く。何だろう。ししゅんきってやつかな?
ザルトが工房の仕事をしてくれるとわたしも助かるんだけど、こればっかりは本人の問題だ。仕方ない。
「そういえば、工房、どうかしたの?なんかダンが神呪しんじゅがどうこう言ってたけど……」
ダンはザルトの工房に所属している神呪師しんじゅしだ。ザルトのお父さんとかが加工したものに、ダンが神呪を描いて組み立てることで、動具どうぐが完成する。そのため、工房にはたいてい契約している神呪師がいる。
「ああ。最近鉄の値段が上がってきてるだろう?だから、他の金属に代えることはできないかって工房の連中で話してたんだ。ドルデさんの工房の神呪師がいろいろ試してたみたいなんだけど、難しいみたいでさ」
「ああ、そっか……。金属は難しいんだよね」
神呪は複雑だ。何を作るかだけでなく、加工する材料や大きさの他に、神呪を描かく土地や、材料が採れた土地なんかによっても少しずつ描く内容が変わる。一見ヘンテコな落書きにしか見えないのだが、線の太さや角度、模様と模様の間の間隔など細かい決まりがたくさんあって、少しでもずれると効力が落ちたり発動しなかったりする。
「王都の研究所にも依頼してるらしいけど、何年かかるか全く分からないからさ、こっちでもできないか試してみてるんだよ」
「うーん……せめて変わるのが産地だけならまだ良かったんだろうけどね」
神呪を描いてできるのは、引き寄せる、混ぜる、燃やす、伸ばす、砕く、弾く、剥がす、縮める、動かす、冷やす、浮かすなどだ。他にもあるが、それらを組み合わせることで目的の動きへ繋げる。だが、そもそもこれらの神呪についてさえ分かっていることは少ないのだ。今ある神呪を作り変えるとなると、どうかすると最初から別物として考えなければならない可能性も出てくる。
わたしが腕を組んで首を傾げながら答えると、ザルトも複雑そうな顔をして腕を組む。
「お前はやっぱり手伝えないのか?」
「ダンに禁止されてるんだもん……。工房の仕事じゃ、隠れてやってもバレちゃうし」
わたしはちょっと口を尖らせて答えた。わたしだって、やらせてもらえるならやってみたい。でも、神呪を描くことはダンに禁止されている。仕方ない。
わたしも養父のダンも、数年前まで王都に住んでいた。ダンはわたしの両親の弟子で、うちに一緒に住んでいた研究所所属の優秀な神呪師だったのだ。だが、わたしが4歳の時、研究のために出かけていた先で事故にあって、わたしの両親は亡くなってしまった。わたしは、その時の記憶はないのだが、ダンは王都には戻らず、そのままわたしを抱えてこの穀倉領こくそうりょうに移住した。
「ダンさんてそんなにキツイ性格じゃないのにな。お前、よっぽど何かやらかしたんだろうなぁ」
ダンは、自分の身元もわたしのことも、詳細は隠したままでこの地に移り住んだ。お金は多少あったので、宿に泊まり、宿屋の女将さんにいろいろと教えてもらった。ザルトの工房にダンを紹介してくれたのも、女将さんだ。
そうして慣れない環境で何とか生活する基盤を整えていったのだが、わたしにはダンから、神呪禁止令が出た。今、一般化されて使われている神呪は、王都の研究所で安全性を確かめられてから世に出されたもので、暴発ぼうはつの心配はないのだが、わたしはそれをやらかしてしまうのだ。
……まぁ、目立っちゃうからね。暴発なんてさせると。
集中したら止まらなくなってしまうので、最初から禁止されてしまったのだ。
「そういえば、ダンさんも実はすごい神呪師だったんじゃないかって親父が言ってたな。お前が作った、あの、飴ができる動具とか、地味な割にすっげぇ便利だしな。ああいうの作るだけなら問題ない気もするけどな」
「う~ん……。あれは他の実験で失敗した結果できた物だったんだけどね……」
禁止される理由は分かるんだけど、でも、それだと困る事情がわたしにもあるのだ。
王都にいた頃のわたしは、友達と遊んだ経験なんてほとんどなかった。そもそも、友達というものがよく分からないし。 だが、将来有望な神呪師のお嬢さんという肩書きも、お金持ちの両親も持っていない4歳の子どもが、保護者と二人だけで生きていくのは結構難しいのだ。
……だって、ダンが仕事してる間はわたし一人で買い物とかしなきゃいけないんだよ?
何がどこにあるのかなど、知りたいことはいっぱいあるのに情報源がない。友達100人スキルのないわたしは、近所の子ども達を手懐けて生活に必要な情報を得るべく、急遽こっそりと神呪を使うことにしたのだ。仕方ないと思う。
……ダンにバレない範囲でバレない程度の地味な神呪なら大丈夫じゃない?
要は、暴発して派手なことや目立つことにならなければいいのだ。例えば、砂糖動具をちょっといじって、砂糖じゃなくてあめ玉を作ったり、普通の壺に、山羊の乳を入れるとバターができる神呪を描いたり。
「あの動具もすごいけど、お前の性格もすごいもんな。問題なのはむしろそっちだろうな」
「え?わたしはちょっと賢いけど、普通の子どもだよ?動具作りは生活の知恵だよ」
神呪は、わたしがこの地でいきていくための処世術なのだ。
「ザルト、わたしが神呪描けるって、他の人にしゃべっちゃダメだよ」
神呪師組合から出動要請が出たりしたら、わたしがこっそり神呪を描いたり動具を作ったりしていたことが、ダンにバレてしまう。
「分かってるよ。まあ、いくらお前がすごくても、大人が何人もかかってできないことが、そう簡単にできるわけないしな」
ザルトは時々、サラッと挑発してくる。
やや引っかかるものはあるものの、4歳の時にとても苦労したわたしは、7歳にしてもう老成してしまっているのだ。こんなことでいちいち食ってかかったりはしない。
「まあ、わたしが作った神呪を再現できる大人もそうそういないけどね」
言いながら、神呪を描いた板に、沸騰していたお湯をドバドバとかける。神呪からもくもくと真っ白い湯気が湧きだしてきた。
「できたー!」
「ん?な、なんだ?」
湯気はどんどん湧いて、天井の方に白く溜まっていく。
……こんな感じじゃなかった?
どんどん溜まって、部屋の湿度と温度がぐんぐん上がっていくのが分かる。熱い。
もくもくが激しい。天井が白い。あれ、湯気じゃなかったのかな。
…………熱い。
あまりの熱さに息が苦しくなってくる。
「ちょっ……、何やってんだ止めろ!」
わたしが熱さにヘロヘロになりながら、白くなった天井を見上げていると、ザルトが怒鳴りながら窓やらドアやらを次々に開け放していった。お湯をかけるのを止めてもまだもくもく湯気が湧き出てきて、それが窓から膨らむように漏れ出ていく。
……ご近所さんはびっくりだね。
「うぅ……。ゆ、夢で見た空に浮かんでたのって、あんなんだった気がするんだけど……あれで空が青くはならない、よね。……あ、熱いね」
「呑気な事言ってないで、お前も早くそっちの部屋の窓開けて来ーい!」
ザルトの叫び声が部屋に響き渡った。
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