メイン産業は農業です

 わたしたちが移り住んだこの場所は、穀倉領と呼ばれている。正式名称は別にあるのだけれど、滅多に聞かないので忘れてしまった。


 ……だって、子ども同士の話に自分が住んでる領地の名前とか出ないしょう?


 わたしは王都で生まれて、家と研究所とたまにお城で神呪三昧だったため、この世界のどこがどんな土地なのかとかはよく知らないのだ。高原や火山なんかがあることくらいは知ってるけど。

 この前、行商のおじさんに聞いたのだが、火山領では宝石がたくさん採れるのでお金持ちが多いらしい。他にも高原とか草原とかがあることは知ってたけど、そんな風に、補佐領ごとにいろいろ違いがあるっていうのは知らなかった。


 そして、ここ穀倉領ではその名の通り、穀物が採れる。というか、世界中で食べられている米のほとんどが、この穀倉領で採れているのだそうだ。たしか、世界には数百万人の人がいるはずだ。そのほとんどって、すごいね。

 もちろん、穀倉領は広いので、場所によっては米の他に豆やら麦やら作っている地域もあるらしいが、わたしは米農家しか見たことがない。


「おい、アキ。そろそろまた手伝いだろ?いつだ?」

「うちは、5区だから10日後ー」


 穀倉領のメイン産業は農業で、その収穫によって領民の暮らしを潤さなければならないため、農家が忙しい時期は、領民総出で手伝わなければならない。報酬として米が一人につき小袋2つ分出るのだが、当日の朝食と昼食に加えて大人の半日分くらいの米なので、収入として数えるほどではない。

 神呪師は尊敬される職業だが、それでも所詮はメイン産業の補助をする立場である。領都には、そういった補助職に当たる人々が住んでおり、領都周辺の農家を輪番で手伝いに行くのだ。


「作業服はあるのか?去年のはもう入らねぇんじゃねぇか?」

「うーん……、わたしのはまだ大丈夫だと思うけど、ダンの方がもう無理じゃない?」


 領都と農家では服装が違う。領都では、わたしは普段はシャツとスカートを着ている。これは王都にいた時と同じだ。王都は一年中気温の変化が少ないので、暑い季節にはシャツが半そでになり、寒い季節だと上着で調整していた。


 穀倉領では、夏も薄手の長袖だ。農家の人たちは、上と下が分かれていない大きめの布を体に巻くように着て、前で合わせて帯で止める。袖も広くて風通しが良い。上下が分かれていないので、丈を長めに作っておいて腰のところで折り曲げておけば、子どもでも何年も着られる。

 初めて見せてもらった時は、腰の部分が分厚いので疑問に思い、糸を解いてしまった。怒られたけど、なるほどと感心したものだ。


 穀倉領は、王都より寒く、冬は雪が降る。そのため、寒くなると、生地自体が厚くなり、更にその服の上にどんどん上着が重なっていく。年間を通して、割とこまめに服装を変えなければならないので、服の種類は王都にいた時よりも多いかもしれない。今の方が貧乏なのに。


 わたしの服は先日ザルトの妹のおさがりをもらったので問題ないが、ダンは1ヶ月ほど前の輪番で畦の穴を埋めて回る係に当たったため、全身どろだらけになって帰ってきた。ゴシゴシ洗って落としたので、布が薄くなり、破れているところも結構ある。


「そうか?じゃあ、次が最後かなぁ。水入れは他の区の奴らで終わらせたんだろ?田植えならまた汚れそうだな」


 なんだかんだ言って、ダンは素直である。王都に住んで、神呪師になれるくらいなのだから、元々はお金持ちのお坊ちゃんだったのだろう。田舎に引っ込んで、地味で貧相な暮らしをしていても、何となくおっとりしているというか、あくせくする印象がない。


 ……いや、でも、口調が荒いのは出会ったときからだけどね。


 服に頓着しないのは、頓着しなくてもきちんとした対応をしてもらえるのが当然のこととして育ってきたためだと思う。

 もう身に染みついてしまっている生活感を変えるのは難しいのだろう。ダンは、私が少し成長して服が小さくなると、当然のようにちょうど良いサイズの服を買おうとするし、汚れがひどくて着なくなった服は、そのまま捨てようとする。雑巾とは、いつの間にか、どこかから湧いて出てくるものだとでも思っていそうだ。こんなことでは、結婚できてもお嫁さんに呆れられてしまうのではないだろうか。


「田植えが終わったらしばらく手伝いはないだろうし、神呪師の仕事の方が忙しくなるでしょ?古着を買いに行かないといけないね」


 新品の服はなかなか買えないので、普段着るのも農作業で着るのも古着屋で買う。ただ、値段が10倍くらい違うけど。


「う~ん。まぁ寄り合いは増えるだろうなぁ……。研究所が早くしてくれればいいんだがな……」


 わたしの両親もダンも研究所屈指の神呪師だったのだ。それがいっぺんにいなくなったのだから、研究所も大変なんじゃないかと思う。両親はともかく、ダンが戻らなかったのは恐らくわたしのせいなので、さすがにちょっと申し訳ない気持ちになる。


「わたしも手伝おうか?」

「絶対ダメだ」


 即答だ。別に、お手伝いにかこつけて神呪が描きたいとか動具が作りたいとか言ったわけじゃないのに。


「他の人がやったことにすればいいじゃない。そしたら誰もわたしに気付かないでしょ?」

「お前が手を出すと、成果が出る前に暴発で被害が出る」

「えぇぇ~?暴発しそうな時は、ちゃんと逃げてって言うよ?」

「いや、そもそも暴発させんな!」

 

 ……ダンはそういうけど、新しいものを作り出そうとするんだもん。ちょっとくらい想定外のことだって起きるよね。






 今日は田植えの手伝いの日だ。農家の手伝いは、だいたい始めの4の鐘前後に始まるので、それまでに準備をして庄屋さんの家にたどり着いていなければならない。朝ご飯は庄屋さんのお家で食べるんだけどね。


 輪番同士で、庄屋さんが出してくれる馬動車に乗り合う。まずは大人の女の人が向かい、朝食の手伝いをする。次に大人の男の人が向かい、先に仕事を始める。最後が7歳以上の子ども達と少し年上の女の人達だ。

 農業は、水を入れる順番などもあり、農家同士が話し合って計画的にすすめられる。境光がいつ出るか全く予測がつかないため、とにかく素早さが求められる。人数を稼ぐために、子どもも年寄りも借り出されるのだ。


 馬動車は、車体に神呪が描かれていて、作動させればゆっくりとだが、自動で動く。ただ、動かすことと止めることしかできないので、速さの調整や方向転換は、前で車体を引っ張る馬に、御者が命じなければならない。馬動車の利点は、馬車の倍の重さのものを運べることだ。


「じゃあ、行くぞ」

「…………眠い……」


 ダンに引きずられるようにして、目をこすりながら家を出る。ダンに合わせて始めの3の鐘で起きたのだ。眠い。


「仕方ねぇだろ。お前、一人じゃ待合所に辿り着けねぇんだから」


 眠くて足が止まりがちなわたしを小脇に抱えて直してダンが大股で歩く。


 ……落ちる落ちる!


 わたしは慌ててダンのお腹にしがみ付いた。扱いがひどすぎる。


 大人の男であるダンと子どものわたしは、馬動車に乗る時間が違う。鐘1つ分くらい違う。今待合所に行っても、ダンを見送った後、一人でボケッと待たなければならない。それなのに何故わたしが連れて来られたかというと、7歳になって初めて参加した去年の手伝いで、時間までに待合所に行かなかったからだ。

 別にサボったわけではない。単純に、道に迷ったのだ。


「だって、待合所って分かりにくいんだもん。避難所って言ってくれれば良かったのに」


 しかも、その日はすぐに境光が落ちてしまった。真っ暗ではなかったが、次にいつ、境光が戻るかわからないので、仕方なく、わたしは避難所に駆け込んだ。


 暗くなると、どうしても治安が悪くなりがちなので、町のあちこちには、境光が急に落ちた時のために避難所が建てられているのだ。避難所は領主様が作ったもので、領主様に雇われた警邏隊が常駐している。この警邏隊が、見回りなどで領民の安全も守ってくれてるんだって。


 ……でも、その時駆け込んだ避難所のすぐ前が、なんと馬動車の待合所だったんだよ!


 わたしの向かう方向性は間違っていなかったという証拠だ。


「あのなぁ、それで待合所の場所が分かったにも関わらず、次も辿り着けねぇ奴がいたんだろうが」


 農作業が中止になって、農家から折り返してきていた馬動車から降りてきたダンに迷子になったことを告げると、ため息をつくダンの後ろから降りてきたヤダルさんが、次はザルトに迎えに行かせると笑いながら言ってくれた。


「失礼な。ちゃんと辿り着いたよ。ちょっと遅れたけど」


 だが、ザルトが来ても難しかった。だって、ちょうどわたしは新しい神呪を作っていたのだ。

 ザルトは、神呪を描いた器が、中に入れた米と水を、あっと言う間に炊き立てご飯にするのと同時に消し炭になってしまうまで待ってしまった。消沈するわたしをザルトがなんとか引きずって待合所に向かうと、一番年長のおばあさんがカンカンに怒っていて、ザルトと共にみなさんに頭を下げさせられた。ザルトには、集中するわたしの頭を引っぱたいて正気に戻すなんて荒業は考えもつかなかったようだ。


 とりあえず、お詫びと酔い止めの代わりに、入手先を明かさないままあめ玉を配ったら、わたしの評価は一部の不審がる大人達を除いて、一気に上がった。だが、それを聞いたダンが怒って、次からはダンと一緒に家を出ることに決まってしまった。


「まったく。文句を言いたいのはオレの方だ」


 ダンがため息を吐くが、既に言ってると思う。今までのが文句じゃなければ何を文句と言うのか。


「お、ダンさん。なんか痩せたんじゃないか?最近忙しそうだなぁ」


 ダンがぶつぶつ文句を言っていると、ザルトの工房の職人さんたちも集まってきた。


「まぁなぁ。だが、オレはお宅の工房としか契約がないからな。他の神呪師よりはマシだ」

「ダンさんも、ここに来てもう3年だろ?そろそろ他の工房も話を持ってくるんじゃねぇか?」


 余所者のわたし達がそう簡単に信頼されないのは当然だ。わたし達に悪意がなくとも、生活の流れも何も知らないのでは、いつどう足を引っ張られるかわからないだろう。すぐに契約してくれたヤダルが太っ腹なのだ。


「だといいがな。いつまでも余所者扱いじゃ不便でしょうがねぇ」

「ダンさんは後の4の鐘以降はうろつかねぇからなぁ。酒でも酌み交わせばちっとは変わると思うぜ?」


 補佐領は、王都とは時間の感覚というか、使い方が違う。


 王都では、お城での朝議が始めの4の鐘で始まり、後の3の鐘で仕事が終わる。そのため、ほぼ全ての職業が、その時間に合わせて進むのだ。

 食事処の料理人も、官僚の時間に合わせて始めの3の鐘くらいから開店の準備を始めて、後の4の鐘で閉店する。お酒を出すお店でも、後の5の鐘には閉めてしまう。


 だが、ここ穀倉領では、農業が時間の中心だ。

 農閑期となれば、農家の人が領都まで足を延ばしてくるので、遅くまで店を開けみんなで酒を酌み交わすらしい。そもそも、いつ境光が差して、いつ暗くなるか分からないので、鐘の合図は単純に時間を知らせるものでしかない。始めの4の鐘がなったところで、周囲が真っ暗では農作業など大したことはできない。後の3の鐘の後だろうが、境光がある間に作業する方が効率が良い。


「じゃあ、アキ。お前は危なっかしいから避難所で待たせてもらっとけ」


 わたしを避難所に預けて、ダンは馬動車に乗って行った。ザルトはまだ来ていない。きっとギリギリまで弟妹達の面倒を見るのだろう。小さい子もいるので、わたしよりよっぽど世話が必要だ。


「おや、ダンさんの娘さんかい?」

「う~ん、そうかな?」

「へ?」


 首を傾げるわたしと一緒に、警邏のおじさんも首を傾げる。


「ダンはわたしの両親に頼まれてわたしの面倒をみてくれてるの」

「ああ、血はつながってないんだね。どうりでダンさん、若く見えると思ったよ」


 それはそうだろう。普通なら、ダンくらいの年でそろそろ結婚を考えるくらいだ。子どもがいたとしても赤ちゃんだ。


「じゃあ、ダンさんもそろそろお嫁さんをもらうころなんだね」


 う~ん……もらうのかな?


「でもまだ契約も1件だし、家も借家だからね。もう少し先かなぁ」

「ああ、そうか。それはまだ難しいねぇ」


 生活の基盤が安定しないと結婚は難しい。少なくとも、親としては娘を嫁に出すのは反対するだろう。


「あれ?でも神呪師だろう?しかも結構腕がいいらしいと聞いたよ?ぼちぼち考えてるんじゃないか?」

「神呪師?なら将来安泰じゃないか。他所から来たからまだ様子見られてるだけなんだろうな」


 周りの警邏のお兄さんたちも話に入ってくる。ダンは意外と有名らしい。


「まぁ、わたしの面倒も見なきゃいけないからね。簡単には見つからないんだよ」


 見回りに行っていた警邏隊の人たちが帰ってきて話に加わる。大人たちの話が田んぼの脇を流れる小川のようのんびりと流れ移っていくのを何となく聞きながら、わたしはそっとため息をついた。




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