避難所

「アキ、ちゃんと来てるかー?」


 警邏隊の人達としゃべっていたら、ザルトがやって来た。


「あれ?もうそんな時間?鐘、鳴った?」

「いや、母さんが、アキが心配だからもう行けって」


 どういう意味だろうか。


「お、ザルトじゃないか。早いな」

「ああ、アキが来てないかもしれないしからって。念のため」

「アキちゃん、去年ここで待ちぼうけしてたもんなぁ」


 警邏のお兄さんたちは笑っているが、わたしは輪番デビューするまでほとんど家から出たことがなかったので、仕方がないのだ。


 ここに来てすぐのわたしとダンは、とにかく何もかもが初めての手探り状態だった。家を借りたが仕事がない。仕事に就いたが収入が安定しない。食事も作ったことがない。買い物は市場でするということすら知らない。適正価格も王都と違う。頼れる親戚も知り合いもいない。一日の時間の流れすら違う。

 そういう中で、ダンは小さいわたしをなかなか外に出してくれなかった。まぁ、わたしの性格にも多少の難はあったのかもしれないが。


 ……そもそも地図がないんじゃ、避難所の場所も分かんないよ。


 まず、避難所の場所を押さえなければならないが、地図など領主様の城にしかないと言われた。

 王都だと、高価だが店に行けば手に入る。だが、補佐領の領民は距離などは体感で覚えるものらしく、地図など必要ないのだそうだ。


「まぁ、アキは来たって大して役に立たなかったけどな」


 ザルトがため息をついた。


「それはしょうがないよ。だって田んぼなんて初めて見たんだもん」

「泥をこねくり回すわ、カエルだのミミズだの追いかけ回すわ、虫をひっ捕まえてひっくり返して見つめたまま動かなくなるわ……。オレ、正直言って、一緒にいるのちょっと恥ずかしかったんだからな」


 ザルトは怒ったように言うが、わたしにとっては初めて見るものばかりだったのだ。そんな状況で、冷静に大人の言うことを聞いて真面目に仕事に取り組める7歳児などいないと思う。


「今回は2度目だから大丈夫だよ。よっぽど興味深いものでもなければ」

「お前は興味を持つ基準がおかしいんだよ」


 それは、きっとわたしが都会育ちのお嬢さんだからだろう。


「おおい、そろそろ手洗いに行っといた方がいいんじゃないか?」


 うんうん頷いていると、警邏のお兄さんに声をかけられた。


 そういえば、ついさっき鐘が鳴っていた。カーンと長い音が4つ鳴っていたから、始めの4の鐘だ。そろそろ馬動車が戻ってくる。


「そうだった!アキ、混む前に行っとくぞ!」


 農家のお手洗いは領都と違って臭いがきついので、輪番で行く者はあまり使いたがらない。大人は家を出る前に用を済ませて来るが、子どもは念のために避難所でもう一度行くのだ。


 領都のお手洗いは焼却動具となっている。陶器製の二重底の桶のようなものが床にはめ込まれていて、そこに神呪が描いてあるのだ。


 その桶から伸びる棒みたいなものを横に倒すと、桶の最初の底に描いてある神呪が作動して、底が開く。それを戻すと底が閉じ、更にその下にある二重底の神呪が発動して焼却処理するのだ。

 王都でも同じ仕組みだが、領都の方が処理に時間がかかるようだ。王都では、最新の神呪技術がすぐに商品になり一般化される。この処理時間の差は研究所の成果だ。


 それに対して、農家のお手洗いは焼却処理しない。床に深い穴が掘られていて、蓋となる動具はあるけど、焼却せずに溜まる仕組みになっている。一度、試しに使わせてもらったことがあるが、蓋を開けて穴を見ると、落ちたらどうしようとかなりドキドキした。境光がない時に行きたくなったらとても困ると思う。領都に住んでて良かった。

 ただし、これは別に農家が貧しいとか衛生面を気にしないとかいうことではない。溜まった汚物は定期的に回収され、肥料として再利用されるらしいのだ。とても効率的な仕組みだと思う。汚物が肥料に変身するという部分にはちょっと興味を惹かれる。


「最近、ちょっと処理に時間かかってるから、次の奴は十分時間空けて入れよー」


 お手洗いは二つあったけど、すでに行列ができている。片方がなかなか空かないのだからしょうがないが、これでは馬動車に間に合わないかもしれない。


「アキ、先に入れよ」


 ザルトが譲ってくれたが、運悪く時間がかかる方に当たってしまった。


 ……これ、誰も見てないからいいよね。


 わたしはお手洗いに入ると、神呪を一つ一つチェックしてみた。


 棒を横に倒して底を開き、二重底の神呪をのぞき込む。ザルトが見ていれば引っ張り出されただろうが、お手洗いは個室なのだ。わたしを止める者はいない。


 ……神呪には問題ないみたいだけど……。


 もしかしたら、きちんと焼却処理できていないのかもしれはい。それ以上はどうすることもできないので、わたしは、とりあえず応急処置することにした。


 ……これ、焼却の神呪を描き足せばいいんじゃない?


 わたしは、手を伸ばして二重底の壁面にも焼却の神呪を描いて、用を足した。思った通り、燃焼元が複数になったことで、処理速度がさっきより数段上がった。

 わたしが長くお手洗いに籠っていたせいで、行列が更に長くなり次の人には文句を言われたが、久しぶりの神呪の仕事に、わたしは満足してお手洗いを後にした。もちろん、手と神呪具を洗うのは忘れない。






「ねぇ、アキ。あめ玉くれない?」


 一緒に馬動車に乗っているミルレがこっそり聞いてきた。


「この前、くれたでしょう?あれ舐めてたら気持ち悪くならなかったの。あるならまた欲しいんだけど……」

「いいよ。けど、それ、たぶん、お腹がすいてるんだよ。前に聞いたことあるもん」


 以前、研究所の神呪師や両親と共に旅をした時に聞いたのだ。


「えっ、そうなの?……でも、せっかく庄屋さんが朝食用意してくれてるのに、先に食べて行くのも……」


 ……まぁ、もったいないしね。


 庄屋さんは、輪番の者全員分の朝ご飯を用意してくれている。最後の馬動車が着いたら、先に仕事を始めていた大人も一旦手を休めて一緒に食べるのだ。


「はい。じゃあこれ、みんなに回して。大人の分もあるよ」


 わたしは、袋いっぱいに詰めていたあめ玉をみんなに配る。これだけ作るのは大変だ。砂糖石自体は、塩石と共に市場で安く大量に売ってあるのだが、問題は、砂糖石と塩石がごちゃ混ぜになっていて区別がつかないことだ。砂糖動具に塩石を入れると、加工に失敗して塩水が流れ出てくる。一度洗い流さないと、次の作業ができない。


 ……今度、砂糖石と塩石が一瞬で区別がつく動具とか考えてみようかな。


 必要は発明の母とはよく言ったものである。


「アキちゃん、悪いねぇ」


 わたしが作るあめ玉は、大人にも大人気だ。前回と前々回失敗しちゃったからね。これで挽回できただろう。神呪が使えて良かった。


「この馬動車の揺れも、原因になるんだろうけどね……」

「そうだね。領都の中だとまだいいんだけどね。まぁ、農家や田んぼの畦道とかがガタガタするのは当たり前だよね……」


 領都の西側は農家が開く市がある。庄屋さんの家へ向かう道だ。市は領都の中から外まで広がっていて、領都の中は舗装されているが、外は舗装されていない。馬車が通りやすくするため、地面が均されているが、それでも外に向かうにしたがって道は悪くなる。


 馬動車なんて贅沢品を使うのは、まだまだ領都くらいなものなのだそうで、他の都市では、輪番は歩いて農家まで赴くのだそうだ。ここ領都近郊も、先代の領主様の代まではそうだったらしい。

だが、代替わりした新しい領主様は、それでは手伝う前から疲れてしまって効率が悪いと、馬動車を取り入れる援助をしてくれたらしい。そのうち、穀倉領全土で取り入れられるのだろう。


「さすがの領主様も、領内の道を全て舗装するのは難しいのかな」


 馬動車を取り入れたのはいいけど、道まではまだ手が回っていない。揺れがひどくて酔う人も多い。ここも解決できればもっと効率的になると思う。神呪でなんとかできればいいんだけどね。




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