オアシス跡

「ちょっとここで待っといてください。今、案内を呼んで来ますから」


 無事、銅貨4枚を払い、元オアシスだった場所を見学させてもらえることになった。

 いそいそと出ていく村長さんを見送って、村長さんの家の玄関を眺める。


 ……お金持ち、ではなさそうだよね。


 壁の煉瓦は欠けている部分が多く、装飾品や調度品の類も全くない。邸自体は大きいが、あまり手が入っていない様子だ。

 水を自由に使えないのなら、旅人が長居する理由があまりない。数日行けば水をふんだんに蓄えた美しいオアシスと、たくさんの村人が住む村があるのだ。旅人も商人も、滞在するならそちらを選ぶだろう。本当に、この村は自分たちが生活するのがやっとなのだろうと思える。


 ……ちょっと値切りすぎたかな? 


「お待たせしました」


 村長さんが連れてきたのは、先日見かけた小さな女の子たちだった。


「エファとコフィー言うて、普段は、オアシスから水を汲み上げる仕事をしとる子らです」


 村長さんの横で無表情のまま軽くペコリとお辞儀する様子はそっくりで、姉妹なのかなと思う。砂漠の子どもにしては珍しく、あまり激しくは日焼けしていない。赤味がかった茶色の瞳に、茶色っぽい色の髪。だが、全体的に薄汚れていて、服も髪も白かったり茶色かったりしている。そして若干臭い。


「じゃあ、行きましょうか」


 エファという女の子を先頭に、ずらずらと後に続く。


「中は暗くて濡れとりますからな。気を付けてくださいよ」


 建物の入り口で、エファとコフィーがランプに火を入れる。火を付ける動具がすごく古い形で、やっぱり時間が止まったような村だなと感じる。


「では、行ってらっしゃーい」

「え? 村長さんは行かないの?」

「わしの分も金払うてくれるんですか?」

「………………」


 村長さんと2人して首を傾げる。


 ……え、そういう問題? 


 ちょっとポカンとしてしまったけれど、まぁ、どうしても村長さんに来て欲しいわけでもないのでそのまま2人に案内してもらうことにした。どうして村長さんにも見学料が必要なのかという疑問はそっと心の奥に閉まっておくことにしたのだ。わたし、成長した。


 火を付け終えたランプを持って、エファが建物の中に入る。村長さんに促されて、まず、ヒューベルトさんが足を踏み入れる。その後に、ダン、わたし、マルヤーナさん、コフィーと続くのだが、2人の女の子からは何の合図も声もなく、そういえば、2人ともまだ一度も目も合っていないなと気付いた。


「……ホントに真っ暗だね」


 明り取りはたしかについているし、ドアも開いているので、全く何も見えないということはないのだが、それでもやっぱり暗い。


「2人とも、よくこんなに薄暗い中普通に階段降りられるね」

「……慣れてるから」


 返事は前から聞こえた。エファだ。


「毎日この階段、上り下りするの?」

「………………」

「一日何回くらい?」

「……10回か20回くらい」

「えっ、そんなに!? その仕事って何人くらいいるの?」

「……7人」

「7人で、1人20回?」

「………………」


 地下の穴は、建物の円周をそのまま掘り下げたような状態で、壁に沿った階段が螺旋を描くように下に続いている。

 大人2人がすれ違えるくらいの十分な幅があり、一段一段が広くなっているので、階段自体は降りるのにそれ程危険は感じないが、なにせ足元が濡れている。しかも、上からの明かりは当然下に降りるに従って届きにくくなる。

 空気がジメジメとして黴臭く、未成年の、しかもこんなに小さな子どもが働く環境としては最悪のレベルだ。


「……この仕事の見返りは何をもらってるの?」


 未成年なので、もしかしたらお給料という形では貰っていないかもしれない。それは、どこの領地でもだいたいそうなので、不思議ではない。だが、水を汲んできてもらうのにお金がかかるということは、それを受け取る人がいるはずだ。この子たちには、その人から何かしらご褒美がもらえているはずなのだ。


「……ごはん」

「………………え?」


 今度は後ろから聞こえた。コフィーだ。


「……あと……たまに、服」

「…………服?」


 2人が着ている服は汚れてもいるが、そもそも破れが目立つボロ同然のもので、たぶん、サイズも大幅に違っている。


 ……この、ダボッとした服でサイズが合ってないって相当だと思うんだけど。


 それでも、服が与えられるという。なんだかよく分からない。


「ご飯は自分たちで作るの?」

「……ファティアが」

「作ってくれる人がいるの?」

「……同じ、仕事の」


 なるほど。子どもたち同士で助け合って生活しているのだろう。罪人の子と聞いて勝手に独りぼっちな様子をイメージしていたが、7人もいるのならそれほど寂しくはないのかもしれない。そうだといいなと思う。


 あれこれ質問しながらしばらく階段を下る。ランプを持っているのは前後の2人なので、真ん中のダンとわたしは足元が見え辛い。


「もう少し明かりがあるといいのにねぇ」

「……昔は、もっと上だったって」

「え、そうなの? 昔っていつ?」

「……100年くらいって」

「…………結構昔だね」


 100年前には今よりも水位が高かったということなのだろうか。今はこんなに下まで下りても水なんてまだ見えない。いったい何があったのだろう。


「……ここ」

「へ?」


 エファがここ、と指さすそこは、階段の踊り場のように広くなっていて、その先に階段は続いていない。


「ここって?」

「……ここで水を汲むの」


 エファが前に踏み出す。踊り場ギリギリまで進むので冷や冷やしながら見ていると、その先に打ち付けてある、小さな滑車に通してある縄を掴み寄せる。

 眼下の暗闇に伸びる長いその縄をエファが手繰る。


 ……あ、手動の井戸だ。


 以前、農家で見た井戸を思い出す。動具になっていない井戸で、上部の滑車から延びる縄の両端に桶が結び付けられているのだ。片方を一旦水の中に落として、もう片方の桶が繋がる縄を下に手繰るように下せば、自然と水が汲まれた桶が上に上がって来る仕組みだ。だが。


「……1人でできるの?」


 水が入った桶は当然重い。子どもの力だけで持ち上げるにはそれ程大きい桶では無理なはずだ。


「………………」


 エファが答えないので黙ってみていると、真っ暗な底からやがて桶が姿を現した。


 ……小さい。


 案の定、それは子どもが持ち上げられる程度の大きさだった。それは、この作業を大人より多く繰り返さなければならないということだ。それはそれで体力がいるし、時間もかかる。


「これって、以前はここまで水があったってことだよね……」

「………………」


 エファが答えないということは、知らないということだろう。だが、100年前に水位が高かくて、それで明り取りが十分だったのだとしたら、少なくとも100年前はここよりも更に水位は高かったということだ。


「……オアシスだったということは、水位は少なくとも地上まであったはずだ」

「うーん……100年前からこの建物があったとしたら、少なくともオアシスとして存在したのはもっとずっと前だったってことだよね」

「村ができるくらいだ。ある程度の水量はあったはずだが……」

「だんだん減って行ってるってことだよね……」


 だとすれば、この先、この水源はいつまで持つのだろう。


「……もう、いい?」


 ダンと2人で穴の底を見詰めていると、コフィーが後ろから声をかけてきた。


「あ、ゴメン。ねぇ、わたし、水を汲ませてもらうことってできない?」

「……え……汲むだけなら…………」


 エファが視線を彷徨わせながら迷うように言う。もしかして、そんなことをやりたがるのはわたしだけなのだろうか。


「落ちるなよ」


 念のため、ヒューベルトさんに支えてもらって縄を少しずつ下に落とす。


「……まだまだだね」

「……深いな」


 縄を手繰るのに飽きて、腕が怠くなった頃、縄が一瞬ふっと浮く。


「あ、水面に着いた」


 浮いたのは一瞬で、すぐに縄が引きずられる。水の中に沈んで行っているのだろう。


「じゃあ、上げるよ」


 もう一方の縄を握り直して下向きに手繰る。


「うーんっ…………!」

「………………」

「うぅーんっ……!」

「………………」

「うぅぅぁーんっ!」

「………………ハァ。貸せ」


 ため息を吐いたダンがわたしと入れ替わり、縄を引く。


「おお~」


 あっという間に上がって来た桶に感心しながら何気なく横を向くと、エファも目を真ん丸にしてダンを見ていた。


 ……そうか。この作業を大人がやることってないんだ。


 大人がやるとこんなに効率がいいのに、それでも子どもにやらせなければならないのは、やはり仕事を与えるためなのだろうか。

 普通なら、まだ手伝いにも出ていないような年齢だ。罪人の子は、働かずに養ってもらうことはできないのだろうか。


 




 ダンが汲み上げた水をその場に置いて、階段を戻る。次に水を汲む時に少しでも楽ができるかなと思ったが、たった1回きりじゃ大した違いはないなと気付いた。


 ……1人1日20回だもんね。


「ねぇ、わたし、もう1回あのオアシスを見てみたいんだけど……」


 宿に戻って食事を頂く。食事は食堂で食べる決まりのようで、みんなで1つのテーブルを囲む。それほど大きなテーブルではないが。お皿が乗り切らないということはない。つまり、メニューは質素だ。


「……1回で収まるのか?」

「うっ……」


 さすがはダンだ。わたしが、中途半端にできないくらいには興味を持ってしまったことを見抜いている。


「……ハァ。まぁ、半月くらいなら遅れるのも想定内だ」

「えっ、そうなの?」


 なんだか随分きっちり予定が組まれていたから、すごく急いでいるのだと思っていた。


「お前は途中、何に興味持つか分からんからな。森林領に行ったときはまだ小さかったが、今はできることが増えた分興味が向く範囲も広がってるだろうし」

「うん……それもあるし……」

「…………ペトラか?」


 ダンの言葉にドキリとする。

 後ろでヒューベルトさんがハッと視線を上げたのが、気配で分かって少し気まずい。


 ……あんまり心配をかけたくはないんだけどね。


 ヒューベルトさんは、わたしが傷ついているのではないか、辛い思いを抱えているのではないかと、いつも先回りして心配してくれているんだと思う。だから、わたしの前では決してペトラの名前も、あの誘拐事件の話も出さない。それはそれで嬉しいのだけれど、あまり腫れ物に触れる様にされるとわたしの方も気を遣ってしまう。人に優しくするのって難しいんだなと思う。


「……最長で1週間だ」


 しばらく考えた末、ダンが期限を切る。


「ただし、その前でもオレが発つべきだと判断したら問答無用で出発する。いいな?」

「分かった」


 ただ気になっているというだけだ。

 もしかしたら、結局何もせず1週間ぼんやり滞在するだけになるかもしれない。


 明確な理由は何もないのに滞在を延長することを決めたわたしを、ダンとヒューベルトさんは当然のように受け入れていて、マルヤーナさんは少し興味深げに見ていた。こういう人を選んでわたしに付けてくれたんだろうなと思う。


「マルヤーナさんありがとう。マルヤーナさんが柔軟な人で良かったよ。こんなあやふやな状態で反対なんてされたら、わたしきっと何も言えなくて、大人しく従うしかなくなっちゃうから……」

「……大人しく?」


 わたしが少し照れながらモジモジとマルヤーナさんにお礼を言うと、両サイドから冷気が漂ってくるという摩訶不思議な現象が起きた。


 ……ここ、砂漠のはずなのにな。


 最近は異常気象とかが多いって聞いたけど、ホントなんだなと密かに納得した。


 



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