オアシスがなくなった村

 水浴びができない不平不満を内に秘めたまま、砂嵐から数えて2つ目のキャンプを出発する。つまり、ヒューベルトさんが眠れない日が続いて2日。


「ヒューベルトさん……大丈夫?」

「まぁ、これくらいのことは訓練で幾度も経験しているからな」


 最初のオアシスでこそ項垂れていたが、初めから水など期待できないとなると覚悟ができたようで、あまり眠れはしないが、そもそも眠れないものとして心の準備をしているようだった。さすがだ。


「次は村に泊まるが……」

「村!?」

「オアシス!?」

「いや、オアシスはねぇ」


 ダンの言葉に急上昇したヒューベルトさんとわたしの心は、ダンの言葉によって地に落とされた。


「うぅっ……水がない村なんて……」

「…………いや、それはどうやって生活しているのだ……?」

「……え……生活……? …………そっか……人が暮らしてるってことはどうにかして水が手に入らなきゃいけないんだ」

「だが、オアシスはないのだろう?」

「オレも詳しくは分からんが、井戸のようなものがあると聞いたことがある」

「あ、じゃあ、水は使えるんだね!」

「それも分からん」

「へ?」


 意味が分からない。井戸があるのなら水もあるのではないだろうか。


「水は貴重だからな。オアシスのように潤沢にあるのならまだしも、井戸から少しずつ汲み上げて使っているのなら、もしかしたら旅人には何か制限があるかもしれん」

「あ……そっか……」


 穀倉領も森林領も、川があって井戸があって、水の心配なんてしたことがない。井戸の当番はあるが、基本的に誰か知らない人が使ったとしても強く咎めたりするほどのことではなかった。


「……ここ、砂漠の真ん中だもんね」


 水は貴重だ。村人のための貴重な水を分けてもらうのが、簡単なはずだと思う方がおかしいのだ。


「まぁ、とりあえず着いてからだな」


 ダンの言う通り、とりあえず行くしかない。

 火山領の領都に行く道は決まっていて、途中で泊まれる場所も決まっている。そのルートにその村が入っているのなら、どういう条件だろうと進むしかないのだ。


 ……ルート上にあるくらいだもん。とりあえず、泊めてもらえないってことはないよね。






 その村は、先日訪れたオアシスの畔の村に比べると格段にこじんまりとした、寂れた雰囲気の村だった。規模が小さいということを差し引いても、村人たちの表情の暗さがいやに目に付いた。


「なんか……時間が止まってるみたいな村だね」

「そうだな。活気があるとは言い難いな」


 みんなで宿を探してウロウロするが、宿らしきものが見つからない。というか、店のようなものが全般的にとても少ないのだ。通りを歩く間にも、なんだか不審者でも見るような村人の視線が気になって落ち着かない。正直言って、あまり長居したい雰囲気ではない。


「すまないが、宿の場所を教えてもらえないか」


 辛うじて見つけた食事処で聞いてみると、無言で外を指さす。


「……へ?」


 思わず声を上げるとジロリと睨まれる。


 ……これ、わたしたちがお客さんじゃないから怒ってるのかな。それとも元々こんな顔なのかな。


「そっちにずっといった、村の外れや」

「……外れ?」


 普通、宿は町の中にある。宿に泊まる客がその周辺をウロウロしながら買い物したり食事をしたりするので、自然と宿の周りに活気ができ、住民の生活も潤っていくのだ。その宿が、まるで厄介者のように外れに追いやられているという状況が、なんだか不安を掻き立てる。


「……この村、どうしたいんだろうね」


 みんなで町から外に向かいながら周囲を見る。砂の煉瓦で作られた家は、特に塗装もしておらず黄土色のままで、真昼間なのに軒下にぼんやりと座り込んでいる人が何人もいる。服がみんな茶色っぽいせいか、村全体が砂漠の砂に沈んでしまっているように感じる。


「なんか……沈んでない?」

「うむ。道がわずかに傾斜しているな。町の中心部に行くほど低くなっているようだ」


 パッと見て分かるほどの大きな坂道ではないが、歩いていて感じるくらいには道が斜めになっている。


「……ダン、あの大きなの、何?」

「ん?」


 村の真ん中を通ると、中央に大きく開けた場所があって、円錐形の建物が建っている。ドアはあるが窓などはなく、その横に半分崩れたような建物が小さくポツンと寄り添っている。その建物が、窪んだ地形の中心になっているようだ。


「……なんだろうな。随分厳重に守られてるから、普通に考えりゃ水関係だろうが……」

「でも、なんか下に向かってるっぽいよ?」


 ドアには特に扉はないので中の様子が少しだけ伺えるのだが、どうやら階段が下に向かって続いているようだ。


「窓もないからきっと真っ暗だよね。階段なんて怖いなぁ」

「上の方に多少は明り取りが開いてるようだがな」


 ダンと一緒にとんがりの上の方を見ていると、建物の横のボロボロの建物に男の人が入って行った。

 なんとなく見ていると、今度はその建物から女の子が2人出てきた。2人とも、7、8歳くらいで、手には桶を持っている。


「あ、もしかして、ここが井戸かな?」

「ああ、だが……」


 話している間にも、女の子たちは三角の建物の中に入って行く。さっきの男の人は出てきていないので、あのボロボロの小さな建物の方にまだいるのだろう。

 何となく気にはなったのだが、じっと見ていると周囲の村人たちから睨まれたので、先を急ぐことにした。わたしたちも、遊びに来ているわけではないので、まずは休めるところを確保しなくてはならない。






「ああ。そら、元オアシスやったところや」

「は?」

「え? オアシス?」


 宿の主の口から出たのは思いがけない単語だった。


「地下のずっと下まで行かな水があらへんからな。オアシスっちゅうより、オアシスやった井戸っちゅう感じやな」

「だけど、なんで建物の中?」

「そら、嬢ちゃん。ここは砂漠の真ん中やで? 蓋しとかな、干上がってしまうやないの」

「え……オアシスが干上がるの?」

「そやから元や。元」


 おじさんはのんびりと受付の椅子にくつろいでいる。さっきからわたしたちの質問に丁寧に答えてくれる親切な人のような風情だが、部屋に案内するとか、働く素振りが見えない。


 ……このおじさんも、どうしたいのかな? 


 村人の様子といい、このおじさんといい、なんだか「それで、その後どうするつもりなの?」と質問攻めにしたい気分になる。


「言っとくがな。あそこの水は村人専用や。あんたらが言っても汲ませられんからな」

「汲ませる?」


 咄嗟に、あの2人の女の子が目に浮かぶ。


「ああ。あの小屋にいる子どもに金渡したら、子どもらが地下から水を汲んで来るんや。ただし、村人だけやけどな」

「……なんでわざわざ子どもに?」

「あれがオレらの恩情やからな」


 ダンの質問に、おじさんが少し得意げに答える。


「あれらは罪人の子でな。本来ならその辺に打ち捨てとるとこやけど、ちょうどあの仕事があったからな。まぁ、子どもなんか他にできることもあらせんからな。ああやって仕事を与えてやっとるっちゅうわけやな」

「……罪人の子…………」


 おじさんに悪意がないのは分かっている。それでも、その言葉はわたしの心を抉る。


 ……ペトラ…………。


「ああ。見学だけならやっとるらしいで。ま、ホンマに見るだけやけどな」

「どうすればいいの? 勝手に入ったら怒られるんでしょ?」

「村長の付き添いがいるからな。村長に言うたらええ」

「ふぅん……」


 ちょっと見てみたい気もするが、とりあえず元オアシスの見学は後に回すことにして、まずは今夜の寝床を確保する。


「4人1泊で馬が2頭にラクダが4。あと馬車もあるから……1泊88万ウェインやな」

「はぁ!?」

「1泊でか……?」


 わたしとマルヤーナさんの声が重なる。火山領は本当に油断ならない。


「この村、旅人の宿泊費で成り立っとるからなぁ。払うてもらわな村に出入りさせられへんのよ」

「いくらなんでも……」

「あ、連泊すんなら1週間単位で払うてもらうよ」

「………………」


 冗談かとも思ったのだが、前の村のおばちゃんのような余裕というか、楽しむような雰囲気がない。払わなければ本当に追い出されてしまいそうだ。


「……まぁ、しょうがねぇな。ここしか泊る所はねぇからな」

「ああ、水代は入ってるから使うてええよ。ただし、ある分だけな。ここまで運ぶの大変なんよ」


 オアシスに行って直接水を汲んでもらうのはダメだが、おじさんが宿まで運んで来ている分は使っていいらしい。ただ、水浴びをする程はないので、せいぜい布を水で濡らして体を拭くくらいだ。拭いた布を桶で洗うとすぐに水が真っ白になったので、数回水を変えさせてもらってやっと人心地つけた。

 ちなみに、おじさんは部屋を案内してくれる気がなさそうだったので、勝手に部屋を選んで勝手に荷物を運び入れて勝手に鍵をもらった。どの部屋にしたかは鍵をもらう時に事後報告だ。ゆるい。


「境光、まだ落ちないね」

「ああ。キャンプからも割と近かったからな。もう少し持つかもな」

「ねぇ、じゃあオアシス行こうよ」

「……見学か……」


 ダンが何故か渋い顔をする。


「大丈夫だよ。勝手にドボンって入ったりしないよ。ね、ヒューベルトさん」

「うむ。どれほど水浴びがしたかろうと、人が口にするかもしれぬ水だ。それくらいの分別は備えているぞ」

「いや、あんたの心配じゃねぇよ。つか、どんだけ水浴びてぇんだよ」


 問題はヒューベルトさんじゃなかったらしい。


「え? じゃ、マルヤーナさん? マルヤーナさんは突然水遊びとか始めないよね? そういうタイプじゃないもんね?」

「そうだな。水浴びさせてもらえるものならさせて欲しいとは思うがな」

「……なんで自分だって思わねぇんだろうな。そういうとこ、ホントすげぇよな……」


 ダンが何故か遠い目をする。もしかして問題はわたしだろうか。


「え……わたしは一番大丈夫でしょ?」

「……は?」

「うーん……」

「……ハァ」


 ヒューベルトさんとマルヤーナさんが何故か苦悩している。そしてダンはもうため息が普通の呼吸なんだと思う。だって、わたしは何だかんだ言いながら、水浴びしなくても眠れていたのだ。何も問題はないはずだ。






 村長さんの家は、元オアシスの正面の大きな家だった。あんまり大きいから役場か何かだと思っていたのだが、実は家の一画が役場として使われているらしい。


 ……逆じゃないんだね。役場に住んでるんじゃなくて、家の一部を役場として貸してるんだね。


 村は全体的に寂れているが、村長さんはお金持ちなのかもしれない。


「すみませーん。オアシス見たいんですけどー」

「おお、おお。あれを見学とは物好……勉強熱心なことやな」


 言い換えた言葉が若干気になる。


「ええですええです。見せたりましょ。ひーふーみー、4人ですかな? ほんなら銀貨……」

「お金取るのっ!?」

「そら、当然ですなぁ。砂漠で水は宝石より貴重です。見るだけで癒されますからなぁ」


 ……見るだけで、癒される。


 なんでだろう。今のわたしには何故か反論できない。きっとヒューベルトさんも反論できないだろう。後ろでうんうん頷いてるし。


「ほんなら銀貨4枚で……」

「銅貨2枚で」


 村長さんの言葉を遮って適正値段……よりもやや安めに吹っ掛けてみる。ただ見学するだけで1人10万ウェインなんて絶対おかしい。そもそも、宿と違ってここは断られても別にそれほど痛手ではないのだ。強気で行こう。まぁ、さすがに1人5百ウェインはちょっと安すぎるかなとは思うけど。


「銅貨!? お嬢ちゃん、今、銅貨て言うた!?」

「はい。全員で銅貨2枚です」

「全員!? そんなん無理に決まってるやろ!?」

「じゃあ、いくらならいいの?」

「あ、穴開銀貨……8……」

「銅貨。3枚」

「そんな殺生な! せめて穴開銀貨4枚!」

「銅貨。4枚」

「ぐんぬぬぬぅ……穴開銀貨……よ、4……」

「銅貨8枚。これ以上はなし!」

「くっ……」


 村長さんは、オアシスの見学を物好きと言ったのだ。きっと見学する人なんてそうそういないだろう。ここで断るのはもったいないはずだ。


「どうする? 0ウェインか、8千ウェインか」

「くぅぅっ……」


 村長さんは悩んでいる。40万ウェインが8千ウェインに化けて悩んでいる。でも、0よりはいいはずだ。


 ……そもそも、見るだけだからね。


「わ、分かった……。わしの負けや」

「……お前、いったい何の技術を身に付けてんだ……」


 地面にガクリと両手をついて悲憤する村長を前に、ダンが白い目を向けてきた。値切ったんだから、ここは褒めるところだと思う。





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