砂漠に突入

 結論から言うと、でき上がらなかった。


「なんでどっちかからしか聞こえないんだろう~?」


 結局、寝る時間を削って、食事をヒューベルトさんに無理やり突っ込まれながら作り続けていたのだが、3つで1組となる通信機は完成しなかった。3人が同時にしゃべった時に、声がどちらか片方からしか聞こえないのだ。その基準もよく分からず、どちらから聞こえるか決まっていないので、これは使いようがない。


「まぁ、しょうがないよ。僕が高望みし過ぎただけなんだからね。気にしなくていいよ」


 アーシュさんがやたらと爽やかに言う。そのあまりの爽やかさに悔しさが募る。


 ……じ、時間が足りなかっただけだもん!


「……簡単に転がされ過ぎだ」


 生活が落ち着いたらすぐに作り上げてやると固く拳を握りしめ心に刻むわたしの後ろで、ダンがため息を吐いた。


「じゃあ、僕は王都に戻るよ。くれぐれも気を付けて。ここから先は乾燥するからね。水の準備を怠っちゃダメだよ」

「大丈夫だよ。水なら地下から引き上げればいいし」

「ダメだよ。火山領は商人の出入りが多いんだ。そんな派手な神呪を使ったらすぐにあがめてたてまつられてしまう」

「へ?あがめ……?」


 予想と違う言葉で窘められて、キョトンとしてしまう。


 ……崇めて、更に奉らわれるって……王族?


「砂漠で水は貴重だからね。何もない地下から水を吹き出させたりしたら、アキちゃん、神人と間違われちゃうよ」


 ……いやいやいやいやいやいや。いくらなんでも飛躍し過ぎだよね。


「まぁ、お前も行ってみれば分る」


 わたしには大袈裟に聞こえる忠告だが、ダンが否定をしない。むしろ肯定しているかのような発言だ。アーシュさんにからかう意図がないとすると、火山領はとても不可解な土地柄……というか、わたしとは相性が悪い土地なのではないかとすら思える。神呪一つで神人と間違われるなんて、なんだか不穏だ。


 ……なんか……よく分かんないけど、水に関する神呪は気を付けよう。






 馬動車の車輪と馬を変えて町を出発し、数日後。11月の半ばに、ついに火山領に突入した。突入すると同時に目と口を真ん丸に開いて目の前に広がる景色を眺望する。


「………………!」


 境光を遮るために頭から顔にかけてグルリと巻いた布の隙間から視線を前に向けて、飛び込んでくる世界に息を飲む。


 ………………ここ……本当に森林領と、同じ世界……?


 他に何の色も見えない、なだらかな斜面を伴うその一面の黄土色に圧倒されて、しばらく無言で立ち尽くす。何もないはずのただの砂なのに、全面にグネグネの線が平行に走っていて、まるで空から巨大な何かが悪戯でもしたみたいだ。


 ……あ…………風か。


 大きなたらいに水を入れて、端の方から強めの風を叩きつけると、こんな風に等間隔の線ができたなと思い出す。


「…………砂の、波………………」

「これが、砂漠だ」


 本で読んではいたが、実際に見ると全てが想像を絶していた。


「……暑い…………」


 草原領で最後の町を出てから6日程の旅で、徐々に日中の気温が上がり、周囲の景色から緑がなくなって行くのは感じていた。だが、足元が完全に砂になると、暑さが途端に急増する。


「…………こんなに突然切り替わるもの?」


 足元の地面に砂が混じってきたなと思ってしばらくすると、完全に黄土色の世界になっていた。後ろを振り返ると草原領は見えるのだが、前と左右は完全に黄土色だ。草原領からも火山領の中は見えているのだが、前方の遠くが黄土色なのと、周囲全て黄土色に囲まれるのとでは感じ方が全く違う。


「他の領地でも割とそうだぞ」

「それは聞いたけど……だって、今までもこんなだったっけ?」


 穀倉領から森林領に行った時には、これほどの衝撃は受けなかった。ここまで違っていたらさすがに覚えていると思うのだが、特に思い出すようなエピソードもない。


「ああ。前回も今回もジュダ湖を通って来たから気付かなかったんだろう。前にも言ったが、領から領に直接移動すると、領の境で突然気候やら植生やらが切り替わる。何があるのかは知らねぇが、領主が安定して支えなければその切り替わった自領だけ、天災に見舞われたりするらしいな」


 そういえば、補佐領主がきちんと支えないと不作になると聞いたことはあった。たしかとても小さい頃だったので、王都か穀倉領にいた時だ。


 ……ホ、ホントだったんだ。


 どういう仕組みなのか全く予測もつかない。


「さぁ、境光が出ている間に急ぐぞ」


 砂漠では、昼と夜の気温の差が激しく、また地面が砂なため、これまでの旅と違って、その辺で軽く休むということが難しい。そのため、領都への途中にいくつか点在する村全てに寄るのはもちろん、その間にも火山領の警邏隊によって作られたキャンプ地がたくさんあって、そこで寝泊まりすることになるそうだ。だいたい半日くらい進むと次のキャンプ地へは行けるらしいが、それでも肉眼でしっかり見える距離ではないので、万が一方向を間違ってしまったら、簡単には戻れない死の行程になるらしい。怖い。


「基本的には目印のための木の杭があるから、迷子になることはそうそうない。ただ、時々砂嵐が起こると極端に視界が悪くなる。そういう時に動くと迷子になるんだ」

「すなあらし?」

「ああ。火山の方から吹き降りてくる風が砂を巻き込んで吹き荒れるんだ。砂漠には遮蔽物がない上に砂は軽いからな。風がそのまま砂を運んでくる」

「へぇ」


 ダンの言葉にグルリと周りを見渡す。


 ……うん。砂ばっかり。


 たしかに、強い風が吹いたら砂が舞って大変かもしれない。


「ヒューベルトさん、マルヤーナさん、大丈夫?」


 ちょうど視界に入った二人にワクワクと話しかける。


「ねぇ、乗り心地、どう?そろそろ慣れた?」

「いや、まぁ……ゆっくりだしね。わたしは特に問題ないけど……」


 そう言ってマルヤーナさんがヒューベルトさんに視線を向ける。


「ヒューベルトさん……」


 ヒューベルトさんは、これ以上は刻み切れないだろう本数の皺を眉間に深く刻み、多少青い顔で前後に揺れている。


「大丈夫だ。ただ、この動物の得たいが知れんだけだ」


 ……ヒューベルトさんって結構、理解が及ばないことに弱いよね。


「得たいが知れない動物じゃないよ。ラクダって言うんだって、聞いてたでしょ?」

「私がこれまでに見たことがない生き物なのだ。私が得体を知らぬ以上は得体の知れない物で間違いない」


 緊張で体を固くしたヒューベルトさんは頭まで頑なになってしまっている。


「ラクダ自体は別に良いのだが、やはり馬にとっては辛い環境かもしれないな」


 マルヤーナさんが、縄で引いている馬たちを振り返って言う。


 前の町を出る時に、馬で行くか、馬を手放してラクダを買うか迷ったのだが、火山領の領都内は結構涼しく、普通に馬も使えると聞いたので連れて行くことにしたのだ。ただ、領都までの距離が長いので、馬に乗るよりラクダを調達してそちらに乗り、馬はただ歩かせる方が良いだろうということだった。


「ラクダはどうして平気なのかな?」

「一度に飲める水の量が多いし、体のほとんどの脂肪をあの背中のコブに溜められるからな。背中からの境光が直接体に当たるのを防げるんだ」

「へぇ」

「ラクダは砂が入らないように鼻の穴を閉じたり、砂に埋もれないように足の裏が柔らかくできてたりするんだと聞いたよ」


 マルヤーナさんは結構動物好きなようで、ラクダを買う時に商人にいろいろと質問をしていた。長いまつ毛がおもしろいと言いながら全てのラクダの顔を見て回っていたので、顔も気に入っているのだと思う。それにしても、長いまつ毛に覆われた目を「かわいい」ではなく「おもしろい」と表現するところがマルヤーナさんだなと思う。


 ……ロッタさんだと「かわいい」って言いそうだけど、なんかわたしの知ってる「かわいい」とは違う意味が含まれそうだよね。


「ああ、キャンプが見えて来たぞ」


 ダンの声に前方に目をやる。遥か前方に、白い建物が並んでいるのが見えている。


「今日はあそこに泊まる」

「境光はまだ落ちてないよ?」

「ああ。境光が一旦落ちるまであそこに居座って、次に境光が出た時にすぐに出発する」

「じゃあ、けっこう長くあそこに泊まるんだね」

「かもな」


 キャンプに近づくと、白い建物が色とりどりの布の上に建てられているのがハッキリと見えてくる。


「……布?」

「ああ。遊牧民が使うテントだな」


 白い丸い建物は、木でも石でもなく布でできた家だった。大きさも作りも全く違う様相なのに、なんだかジュダ湖の畔の葦でできた家を思い出した。たぶん、わたし基準の「吹き飛びそうレベル」が、他を引き離して2大巨頭状態なんだと思う。正直言って不安だ。


「あっ、すごい。広い!」


 警邏隊の人に案内されたテントに向かい、馬動車を外に固定してテントに入る。中は、網目状に組んである木材が壁のようにグルっと取り囲んでいて、その木材の一本一本から屋根の中心に向かって木の棒が渡してある。白い布はその外側から被せてあるようで、中身は木造なんだなと少し安心する。


「うわぁ。台所まであるよ!」

「ああ。だが水は貴重だから使い過ぎるなよ」

「はーい」


 ダンのテントから出てマルヤーナさんと隣のテントに入る。


「寝台があるんだね!」

「ああ。砂しかない地なのに意外と快適だな」


 各自で荷物を片付けて、ダンのテントに向かう。


「さっきも言ったが、まずは境光が落ちるのを待つことにする。一度落ちたものが次に出た時を見計らって出発だ。鐘の音は聞こえるがそれは完全に無視して境光を基準に動く。途中で落ちられたら厄介だからな」


 ダンの言葉にみんなで頷く。


「次に向かう場所も同じようなキャンプだが、その次は小規模のオアシスがあるはずだ。小さいが村があるはずだからそこで水と食料を補給する。他に何かあるか?」

「砂嵐のことを言っていたが、それは予測して備えることができるものなのか?」

「いや、予測ができるものではないらしい。物が飛んでくるわけじゃねぇからテントの中にいる分には特に問題はねぇが、外にいる時に遭遇したら厄介だ。とにかく砂がすげぇから布で顔を覆って蹲って過ぎ去るのを待つしかねぇ」

「……蹲る…………」

「目や口に砂が入っちまうからな。ま、ラクダの背中にでもしがみついてんのが一番だな」

「……どれくらいの時間なんだ?」

「普通は鐘1つ分もないらしいが、こればっかりは分からねぇらしい」

「なるほど……」


 わたしはそんなもんかとフンフン頷きながら聞いていたのだが、護衛2人はかなり深刻な顔になっていた。敵が未知の嵐じゃ護衛の仕事も難しいのだろう。


「他に何もなければ一旦解散して飯にするか」


 それからみんなで料理をして食事をとる。食材と水は持参したものを節約しながらも普段通り料理して食べたのだが、食器や鍋を洗う時が問題だった。なにせ水を調達できるのは次の次の宿泊時だ。


「んなっ、なっ、なっ…………!」


 マルヤーナさんと、警邏隊の人に洗い場があるかどうかを聞きに行った後、マルヤーナさんと洗い物を抱えて外に行き洗い始めたのだが、ついてきたヒューベルトさんが後ろで「な」を連発した後絶句して固まっている。


「なんか、これでキレイになるらしいよ」

「水は貴重だからな。生活の知恵だな」


 わたしとしては試してみなければ分からないし、マルヤーナさんは意外と柔軟だ。ダンは元々知っていたみたいなので、これを問題視しているのはヒューベルトさんだけだ。


「す、すなっ……、砂ではないかっ!?」

「砂だね」

「砂だな」

「な、な、なにをしているんだっ!?」

「洗い物だよ?」

「洗い物だな」


 砂漠では水が貴重なので、砂で洗うのだと聞いた。粒が細かくてさらさらしているので、食べ残しや油も吸い取ってキレイになるのだそうだ。


 固まっているヒューベルトさんを余所に、お皿を砂の中に埋めるように突っ込んで、ガッと砂を掴み皿に擦り付ける。


「砂をたくさん掴む方がお皿に手が付かなくていいね」

「結構たくさん砂がいりそうだな」

「………………」


 ヒューベルトさんが口をアウアウと開閉しながら両手を前に突き出し、わたしたちを止めようかどうか迷っている。でも、止められてもどうしようもない。だって水は限られているのだ。


「あ、なんかピカピカになってきた」

「ああ、本当だ。案外すぐキレイになるものだな」


 汚れを落として布で砂をふき取ると、お皿と鍋は何事もなかったかのようにピカピカになった。大満足だ。


「……私はこれから…………砂で洗った皿で食事を取るのか…………」


 ヒューベルトさんの呆然とした響きが広い砂漠に無情に流れて行った。





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