アーシュさんからの依頼
何日か進むと、気温がだんだん高くなっていっているのを感じた。
夜は結構冷えるのだが、昼間の温度が高いと感じる。
「おい。あと2、3日で次の町に着く。草原領の町はそこが最後になるから買い忘れに注意しろよ」
「はーい」
わたしはここ数日で、紐に神呪を描けるようになり、無事屋根の上からシャボン玉を飛ばせるようになっていた。馬動車の横を馬で進むヒューベルトさんが毎回心配そうに見て来る。
……マルヤーナさんは最初の1日だけだったのになぁ。
1日見ていて大丈夫だと判断して以降は、マルヤーナさんは特にわたしが落ちないかとハラハラする様子はない。やっぱり豪快な人だなと思う。
シャボン玉には石けんが入っているせいか、膜の神呪だけで作った時とは違いなんだか不思議な色合いをしている。なんだかいろんな色がグニャグニャと入り乱れている感じで、ああ、これを透明でなくしたら今の空の色になるんだなと思った。
途中にいた羊にいろんな神呪を描いた紙を踏ませてみた時のことを思い出しながら鼻歌交じりにシャボン玉を飛ばす。
「フンフンフーン、フンフンフンフンフンフンフーン、フンフン……」
ふと、違和感を感じて歌を止める。
「フンフンフーン、フンフンフンフンフンフンフーン、フンフン……」
……あ、やっぱり。
「フンフンフーン、フンフンフンフン……」
……ここだ。
「フンフンフーン、フンフンフンフン……フンフンフンフン……」
何度か歌を変えてみて試してみる。
「……ダンー」
「なんだ?」
「なんか、風、変?」
「は?」
「危ない! 危ないアキ殿! 止めなさい!」
御者台の上からひょっこりと首を出して聞く。
「なんか、シャボン玉がゆらゆらするの」
「は?」
「頭っ! 頭を引っ込めろ、頭っ! 落ちるぞっ!」
ダンが意味が分からないと言ったように眉をしかめる。
「なんか、歌うたうとゆらゆらする気がするんだよねー」
そう言いながら、また屋根の上に戻り、シャボン玉を吹く。
麦藁ストローの先からリズムよく出ていたシャボン玉が、少しタイミングをずらし、まるで不規則な風にあおられるように上下左右様々な方向に飛び出して行く。
「おもしろいよー」
「はぁ?」
よく意味が分からなかったようなので、馬動車を一旦止めてもらって地上に降りて、みんなの前で再現する。
「フンフンフンフン………………あれ?」
「……変わらねぇな」
ダンが腕を組んで首を傾げていて、ヒューベルトさんとマルヤーナさんは不思議そうに顔を見合わせている。
「おかしいな。フンフンフンフン………………」
「歌の他に何か要素はなかったのか?」
「だって、馬動車の上だよ? 何もなかったよ。フンフンフンフン………………」
何度やっても何も変わらない。他に何か条件があるのかもしれないということで、それを検証してみるために再出発する。
「フンフンフンフン…………あ、やっぱり」
屋根に上ってガタガタ揺れる馬動車の動きに合わせてシャボン玉を飛ばす。それからしばらく同じことを試していたが、再現したりしなかったりを繰り返していて、その条件がなんなのかを突き止められないうちに、その現象は見られなくなってしまった。
「気のせいではないのか?」
「いや、神呪に関することなら、こいつに限っては気のせいと流すのは危険だ」
気になるとかいう表現なくて、危険と言われた。わたし自身は別に危険じゃないのに。
「できればオレがいる間に解決したいんだがな……」
「もう再現しなくなっちゃったんだよね」
「……ハァ。かと言って戻るというのも現実的じゃねぇな。しょうがねぇ。また何かあったらすぐに言え」
「はーい」
ダンは神呪が描けないので、わたしが再現させられない以上、ここでできることは何もない。ただシャボン玉が揺れるだけなので別に構わないが、再現できたらいろいろと楽しそうなのにと少し残念だ。
「……ダン殿がいなくなった後が思いやられるな」
ヒューベルトさんがメモを取りながらため息を吐いた。
草原領最後の町はコルカラテという町だった。
「うわぁー」
昼過ぎくらいに着いて、買い物をしようと市場を訪れると、市場では肉を始め、ジャガイモの他にいろいろなものを凍らせて乾燥させた保存食が色鮮やかに並べられていた。
「あ! ニンニクいっぱいある!」
最初に寄った町でもニンニクがいっぱい売ってあった。リアドさんは火山領出身だったけれど、もしかしたらどちらかの影響で広がった食べ物なのかもしれない。
周囲を見渡すと、市場を開いている商人は草原領の服を着た人たちの人数と同じくらい、よく焼けた肌の人たちがいた。服装も草原領のものとは違っている。
「あれ、きっと火山領の人たちだよね」
「ああ。火山領は境光が強いからな。境光がある時に外に長時間いると火傷することもあるそうだ」
「えっ!? 外にいるだけで!?」
「ああ。だから火山領から来た旅人の服は長袖が多いんだ」
「ホントだー」
ダンに説明されながら市場を歩く。
草原領の町には石畳はない。馬車が通り過ぎて草が生えなくなった地面に、レンガ造りの家が立ち並んでいる。
「前に草原で遠くに見えた家は白かったよね」
「ああ。あれは羊の毛で作られた移動式の住居だからな。遊牧民だろう」
「ゆうぼくみん?」
「家畜の餌となる草を求めて少しずつ移動しながら生活する者たちだ。もともと草原領の領民はそうやって暮らしていたんだ。最近小麦の栽培が盛んになってきて、定住する者が増えてきているらしいがな」
「へぇ~」
「レンガの作り方はおそらく火山領から教わってるんだろうな」
火山領と草原領は隣同士で随分交流があるようだ。
「草原領主の姉が、たしか前火山領主の妻だったはずだ。それで交流が増えたと聞いてる」
「領主様同士が仲が良かったんだね」
「ああ。だから、今の火山領は意見が分かれてるところだな」
「え?」
何の意見が分かれているのか聞こうと思ったら、ダンが急に立ち止まった。
「……ハァ。あんた、こんなとこでいったい何やってんだ?」
「それはもちろん、アキちゃんに会いに来たんですよ」
「へ?」
視線を戻すと、なんと前方からアーシュさんが歩み寄ってきたところだった。
「会えて良かったよ。あと2日待って来なかったら火山領に行ってるところだった」
アーシュさんの姿を見てポカンとする。
アーシュさんは、草原領の庶民の服を着ていたのだ。穀倉領にいた時も、領都の大店の親戚であるアーシュさんは王都の人のようなシャツにズボンという服装だった。こんなにカラフルなアーシュさんは初めて見る。
「……アーシュさん……あんまりカラフルなの似合わないね……」
アーシュさんは茶色の髪に薄い灰色の目をしている。色合いも表情もとても柔らかい雰囲気だ。正直言って、ケバケバしい橙色の服に赤や青で派手に刺繍してある服は、全く似合っていない。
「……アキちゃん。僕は別にオシャレを重視してるわけじゃないからね? 適当な服を選んだらこれだっただけだからね?」
アーシュさんの笑顔が爽やかすぎる。
「う、うん……」
たしかに、アーシュさんが一目見て目を逸らしたくなる服装をしているところなど、これまで見たことがなかった。だが、サッと選んだとしても、何故これを手に取ってしまったのだろうと疑問に思ってしまう。
……もしかして、普段着てる服って誰かに選んでもらってたのかな?
アーシュさんの立場なら有り得るなと思ったけど、なんだかアーシュさんが自分の服を見下ろしてソワソワし始めたので、これ以上は口には出さないことにした。
アーシュさんとみんなで連れ立って、適当なお店に入る。家の壁はレンガの壁をカラフルに塗ってあるので色とりどりだが、全体的にくすんでいるように見える。
「実はアキちゃんにお願いがあって……」
「お願い?」
お茶と一緒に出てきたおやつを突きながら聞く。
「うん。通信機を2組作って欲しいんだ」
「通信機?」
首を傾げながら横にいるダンを振り仰ぐ。
「……用途は?」
「まずは僕とアキちゃん」
なるほど。たしかにあった方が便利だ。
「そしてもう一組が僕とヒューベルト。そしてこれには、もし可能なら付け足して欲しい機能があるんだ」
「なに?」
器に入っているのはヨーグルトだと思うのだが、なんだかダンの親指くらいの大きさの茶色い物が入っている。たぶん、何か木の実とかを干したものだと思うが、シワシワのつやつやの焦げ茶色でなんだかよく分からない。食べるのにちょっと勇気がいる。
「通信機を3つで一組にするの。どうかな?」
「んん? ……3人で1つ? ってこと?」
「……アキ、それはなつめやしって果物の干したもんだ。別におかしなもんじゃねぇからさっさと食え」
視線を斜め上に向けて頭の中でザっと神呪を組み立ててみるわたしに、ダンが呆れたように言う。
……別に、言われなくたって食べようとはしてたけどね。ただちょっと時間がかかってただけで。
「それって、1つの通信機から2人分の声が混ぜ混ぜで聞こえてくるってこと?」
「そう」
焦げ茶色のしわくちゃの端っこをほんの少しガジッと齧る。なんだかよく分からない。
「あのな、そんな少しじゃ味も何もねぇだろ。1つ丸々口に入れてみろ」
ダンに白い目で見られる。でも、今まで見たことがない物をいきなり口に突っ込むなんて結構難易度がいと思う。
「……そういえば、なんで1対1しかできないんだろうね」
「今までの通信機だとカツカツとかトントンとかの音だけだったからね。2人分混ざっちゃうと何がなんだか分からなくなっちゃうんだよ」
……ああ、なるほど。わたしが作ったやつは声だから、混ざっちゃっても聞き分けられるんだ。
「ちょっとそれ寄越せ、グズグズしすぎだ」
「ム、ムムグググ!ムグムグムグ!」
ダンがわたしからスプーンを奪って無理やりしわくちゃを口に突っ込んできた。かなりひどい仕打ちだ。
「んん! ……んん? んぁ、おいひい……」
水分がなくねっとりしているが、噛むとものすごい濃い甘さが口に広がる。ヨーグルトの酸味がなければ正直甘すぎるくらいだ。
「む。むほい! まひゃい!」
「……ハァ。ったく世話が焼ける……」
ダンのため息にアーシュさんが苦笑している。でも、ちゃんと自分でも食べようと思っていたのだ。かなり時間がかかっていただけで。
「その果物は火山領で取れるものだよ。これから食べる機会も多いんじゃないかな」
「え、ホント!? じゃあ、お料理にも使えるかな!」
「ああ、そうだね。何かこれを使った料理があったと思うよ」
「そっか……。じゃあ、わたしの方はちょっと違いを出さないといけないよね」
たしかに、この甘みを料理に使おうというのは誰だって考え付くものだ。特別感を出して売り上げに繋げるためには他所との差別化を図らなければならない。
「……うん、アキちゃん。今回は神呪師として行くんだからね? 他の商売のことは考えなくていいからね?」
「ハッ! そうか!」
アーシュさんの言葉にハッとする。無意識に、今まで通り神呪を隠して別の商売でお金を稼ぐ方法を考えていた。習慣って怖い。
「じゃあ、通信機は試してみるけど……いつまでに作ってどうすればいい?」
ダンが頷くのを確認してアーシュさんに聞く。まだ一応、新しい動具についてはダンの意見が欲しい。自分で判断していい気がしない。
「とりあえず1対1の通信機を2組急いで作って欲しい。何があるか分からないからね。3つ1組の方は出来上がったらどこかのタイミングで取りに行くよ」
「分かった。じゃあ、これから作ったとして……ん~、明日のお昼くらいにはできるかなぁ」
「え……、そんなに早くできるの?」
アーシュさんがびっくりした顔をする。
「あ、材料があればの話だよ?」
「それはもちろんあるけど……」
「知ってる神呪を石に描くだけだもん。ちょっと描くのが多いけど、ご飯食べたり寝る時間を確保しても明日の午前中には終わるよ」
「……相変わらずすごいね」
アーシュさんがちょっと呆気に取られたような驚いたような顔をする。でも、ついこの間まで1年間神呪開発室にいて、神呪三昧の生活を送っていたのだ。わたしだって上達する。
「フフッ、しかも今回はちゃんと食事と睡眠を取る予定なんだね。偉いよ」
「うん。別にそこを忘れるほど集中力がいる作業でもないしね」
「あー、そっちの方なんだ……。クッ、アハハ。なるほどね」
どっちの方なのかよく分からないけど、なんだかウケているようだ。隣でダンがため息を吐いている。後ろからもため息が聞こえたから、きっとヒューベルトさんだろうなと思う。
「うん。じゃあ、一旦それでお願いしようかな。3つ1組の方は明日また材料を渡すよ」
そう言って、アーシュさんが材料の宝石を取り出す。
……宝石をとても無造作に扱うところがアーシュさんだよね。
生まれつきのお金持ちはこういうところで違いが出る。
「あ、今材料があるなら3つ1組のもちょうだい」
「え? 今?」
「うん。だってもしかしたら何か閃いてすぐ作れるかも知れないでしょ? そんな難しい気もしないし」
わたしは普通に答えたのに、アーシュさんとダンの両方に頭を抱えられた。
「……ホントに…………これは、止める方の手段を確保しておいた方が良さそうだ」
「……1年半か……ったく、早すぎても見つかる危険があるってのに……」
2人して何かボソボソ独り言を呟いている。なんだか暗い空気が醸し出されていて正直怖い。
何を止めるのかよく分からないけど、頭を抱えるくらいならちゃんと手段を用意しておいた方が精神衛生上良いと思う。
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