オアシスと砂嵐
マルヤーナさんに頼んでラクダに乗せてもらったり餌をあげたり、こっそり神呪を描いた紙を踏ませてみたりして過ごしていると、境光は意外にすぐに落ちた。
お風呂などはないので、仕方なく布で体を擦って砂を落としてから寝台に入る。最初は気持ち悪くて眠れずもぞもぞしていたが、境光が出たからと起こされた時にはとてもスッキリした気分だったので、結構熟睡できたらしい。良かった。ただ一人、ヒューベルトさんだけが寝不足な顔をしていたけれど。
「ダン、どこかで水の実験してみたいんだけど」
「うーん……いや、無理だ。砂漠を渡るには必ずこのルートを通る。いつ誰にみられるか分からねぇ」
「……そっか」
分かってはいたが、ダンの言葉にしょんぼりする。でも、しょうがない。ルートを外れようものなら、二度と戻れないかもしれない死の行程だ。迷うところだが、やはりここは神呪の実験より命の方を優先すべきだろうと自分を納得させる。わたしは大人になったのだ。
そうして次のキャンプに入り、境光が出て朝ご飯を食べる頃に、ヒューベルトさんがようやく砂で洗ったお皿を気持ち悪そうに見なくなっていた。
「うっわぁぁぁぁー」
「おおぉぉぉ……!」
ヒューベルトさんと一緒に雄たけびを上げる。
「み・ど・り・だぁぁぁ!」
キャンプを出て砂の中をひたすら進むと、マルヤーナさんに乗せてもらったラクダの背なかでお尻が痛くなった頃に、前方に小さく村が見えてきた。だんだん近づいてくる光景に、久しぶりに心が弾んだ。
「緑ってこんなにも人に優しい色だったんだねぇ……」
「木だ……家だ……壁がある家だ………………い、井戸だっ………………!」
ヒューベルトさんが、少し掠れた声で、一言一言噛みしめるように呟く。ちょっと感動し過ぎじゃないかと思ったのだが、最後の、魂を絞り出すような声を聞いて、突っ込むのを止める。
……やっぱり砂で洗ったお皿、平気になってはいなかったんだね。
「次に泊まるのはまたキャンプだ。ここで洗濯なんかも済ませとけよ」
ダンの言葉に少し気分が下がる。そうなのだ。ここは一見普通の村に見えて、実は砂漠の中に突然ぽっかりと浮かび上がる別世界のような村なのだ。ここを出たらまた、あの黄土色の世界だ。
……オアシスってすごいよね。
広く豊かに水を称える湖の周辺には、湖を囲うかのように緑の大地が広がっていて、そしてその緑の境界線の外は、相変わらず何もない広い黄土色の大地が広がっているのだ。この村は、そのオアシスに隣接して作られている。
「ダン、宿に荷物置いたら湖に遊びに行っていい?」
「いいが、万が一に備えてランプを持って行っとけよ。あと、体力を使い過ぎないようにしとけ。普通の村に見えるが、ここも砂漠の真ん中だからな。オアシスのお陰で温度は低いが境光の強さは変わらねぇぞ」
ここで買い物もしなければならないのだが、食べ物や水などはダンが調達して来てくれるというので、わたしとマルヤーナさんで服を買って、その後は遊びに行くことにした。神呪が描けなくて退屈していたわたしに、ダンが気を回してくれたんだと思う。
「この壁、レンガでできてるんだね」
「ああ。白く塗ってあるのが目に良いな」
マルヤーナさんも、砂漠の一面の黄土色には飽きていたようだ。
「元の色が砂と同じ色ってことは、この砂から作られてるってことだよね」
「たしか、干し煉瓦とか言ったか。干しというくらいだから境光に晒して干して作るのだろうな」
マルヤーナさんの言葉に空を仰ぐ。たしかに、この強さだ。服でも煉瓦でもすぐに乾燥してしまうだろう。
「えーっと、服、服……」
「中古服を扱っている店はないな」
「新品しかないのかな? ちょっと聞いてみようか」
マルヤーナさんと服を売っているお店に入って中古服がないかを尋ねると、古着を売ったり買ったりすることがそもそもないということだった。空気が乾燥しているため布の傷みが早く、着なくなった服はもうボロボロで次の人が着る余裕はないのだそうだ。
「じゃあ、新品にしよっか」
お店を見て回ると、安い服は白や黄なりなのだが、お金をかければ結構いろいろな色の服がある。
「砂漠って、染色やってないよね?」
「ああ」
「なのに、どうしてこんなにカラフルな服がいっぱいあるの?」
「火山領には他領の商人がよう出入りするからね。いろんなものが集まるんやわ」
マルヤーナさんとの会話を、お店の人が拾う。そういえば、アーシュさんも火山領は商人の出入りが多いと言っていた。
「どうして商人がたくさん来るの?」
「そらもちろん、宝石が取れるからやね」
「ふぅん。宝石って高いのに、そんなに買う人がいるんだねぇ」
「そうやでぇ。生活に余裕が出てくると、みーんなこぞって買いたがるらしいわ。ま、あたしらみたいな庶民には手の届かへんもんやけどなぁ」
おばさんがアハハと笑う。
おばさんは、白いたっぷりとした布をすっぽりと足首まで被ったような長い服をきていて、頭には布を巻いている。
「お嬢ちゃんなんかは、これなんて似合うと思うよぉ」
そう言って、水色の服を取り出す。シンプルで、すっぽりしたデザインは同じだが、裾にカラフルな糸で刺繍が施されていてかわいらしい。
「おばちゃん、わたしだって高価な商品は買えないよ」
「そんなことないよ。そんな高くあらへんもん。お嬢ちゃんかわええから特別に安くしたるよ」
「……どれくらい?」
「そやねぇ……」
おばちゃんがチラリとわたしを見る。
「穴開銀貨8枚!」
「高いよ!」
たしかに布をたっぷり使ってはいるが、それでも8万ウェインは高すぎる。
すると、おばちゃんが何やら迷う素振りを見せて、周囲をキョロキョロ見渡す。
「これな、絶対内緒の話やけどな……」
「うん?」
顔を寄せて、小声で囁くように言う。
「ホンマはこれな、……銀貨3枚! すんねん」
「……へっ!?」
「そやろ。驚くやろ。元々30万ウェインするもんが8万ウェインやで。こら、買うしかないやろ?」
「………………」
……絶っ対に、嘘だ!
ヘルッタさんの所で何度か服を仕立てたが、これくらいの布なら、どう頑張っても穴開銀貨1枚くらいまでだったはずだ。火山領なので相場は分からないが、それでも8万ウェインですら絶対に高過ぎる。
それにしても、ただでさえ高く吹っ掛けているのに、この服が最初は30万ウェインだった話をいかにも真面目な顔でできる、このおばちゃんの商魂がすごいと思う。
これが火山領の標準なのだろうかとも思うが、値段の提示が冗談みたいだ。だって、元々1万ウェインくらいの服を8万ウェインだと言ったって、たいていの人にはウソだと見抜かれてしまうだろう。しかも、更に30万ウェインなんて金額を出されたら、もう絶対に嘘だと言っているようなものだ。
……もしかして、ホントに冗談なのかな?
わたしが、本気で間違いを指摘した方が良いのか冗談で軽く流す方が良いのか試案していると、隣で聞いていたマルヤーナさんも腕を組んで真剣に悩み始めた。
「…………22万ウェインもまけてもらえるのはお得だな……」
マルヤーナさん1人に買い物を任せるのは避けた方がいいかもしれない。
結局、一番安い穴開銀貨1枚の白い服を銅貨2枚まで値切って1人2着分買い、これまで着ていた草原領の服はキレイに洗って荷物にまとめた。マルヤーナさんに値切り上手と褒められたが、これはわたしがすごいんじゃなくて、2千ウェインで買えるものを1万ウェインだと悪びれもせずに言い切れるおばちゃんが、ある意味すごいんだと思う。火山領は油断ならない。
オアシスで命と体に潤いを与えて、また砂漠に足を踏み入れる。うんざりはするが、旅自体には結構慣れてきた。
「ダン、あれなんだろう?」
「うん?」
ふと目を向けた視界の左端の地面が、なんだか白っぽいのに気づいた。
そちらに真っ直ぐ目を向けると、目に映る端から端まで一直線の白い靄のような層が見える。
「なんだ? なんかまたおかしなもんでも……」
いつものように気のなさそうな返事の途中で、ダンが大きく息を飲んだ。
「……砂嵐だ……!」
「え?」
「止まれっ!」
ヒューベルトさんとマルヤーナさんがラクダを止めて一斉にダンを振り返る。
「荷物をできる限り全部荷台に詰め込め! ラクダは大丈夫だ! だが馬の手綱は離すな、落ち着かせろ! アキ、荷物を詰め込み終わったら荷台ごと密封しろ! 僅かな隙間でも砂が大量に入り込むぞ!」
みんなに指示を出しながら、ダンが大きな布を人数分引っ張り出す。
「嵐が去るまでどれくらいかかるか分からん。これをかぶってできるだけ顔に砂がかからないように蹲っとけ。砂に埋もれるから時々体を動かせよ」
元々荷物はほとんど荷台に乗せていたのでそれほど時間はかかってない。だが、そんな短い間にもどんどん白い靄が迫ってきている。ゴーゴーという低い唸り声のような音が、耳に届くようになってきた。
「アキ! 急いで神呪描け!」
「はい!」
地面を伝ってくるような低い唸り声を上げながら嵐が近づいてくる。みんなでラクダを座らせて、馬を落ち着かせている間に手早く幌のつなぎ目に神呪を描いていく。
「紐を通す穴からも砂が入る。可能な限り全部塞げ」
神呪を描き終える頃にはもう、足元で砂が舞い、境光が薄くなってきていた。
「こっちだ」
ダンに呼ばれてなんとか近づくが、舞い上がる砂の勢いが強まり視界がどんどん黄土色に閉ざされていく。
「伏せとけ!」
念のため荷台から離したラクダの横に、しがみつくように伏せる。ゴーゴーという音がうるさくて、ダンの声が聞き取りづらい。視界に入るのはもうラクダだけだ。
後ろから布を被せられて、横に座ったダンと一緒にできるだけ砂が入りにくいように布を握りしめる。
「大丈夫だ。砂はひどいが風自体はそれほどひどくはねぇ。寝てろ。納まったら起こしてやる」
「……こんなにうるさくちゃ眠れないよ」
「嘘つけ。お前、眠くなったらどんな環境でも寝てたじゃねぇか。穀倉領でもよく、神呪描き疲れてそのまま床で寝てただろ」
ダンが思い出したように笑う。
「それはすごくちっちゃい時の話でしょ!?」
「大して変わってねぇだろうが」
「そんなことないもんっ」
「じゃあ、試しに目ぇ瞑って300数えてみろよ」
「いいよ」
……何にもないのにただ数字だけ数えるのは面白くないよね。
頭の中に草原領を思い浮かべる。町で1頭だけ見たのだ。
「羊がいーち。羊がにー。羊がさーん。羊がよーん……」
「……い、おいアキ、起きろ」
体をゆっさゆっさと揺すられて、ぼんやりした頭で目を開ける。
「……んん~……?」
「嵐が納まったぞ」
「……んー……あらし……?」
「砂嵐だ」
「ハッ、そうだった!」
ダンの言葉にハッとして、急いで起き上がって周囲を見渡す。
「………………あれ?」
あれほどの風と砂だったのに、周囲の景色は全く変わってない。
「砂……どうなったの?」
あれだけ砂が舞えば少しは砂が減ったりするのではないかと思ったのだが、そんな気配は微塵もない。辺りは砂だらけで、相変わらずなだらかな稜線を描いている。
「砂の量は変わらんが地形は多少変わってると思うぞ。お前、砂に埋もれてたし」
「ええっ!?」
言われて足元を見てみると、たしかに、今わたしが立ち上がった部分の布は足元にあるが、その裾の部分は砂の中に埋もれている。
「……発掘してもらわなかったらずっと埋まったままなの?」
「んなわけねぇだろ。動けば砂なんてすぐに落ちる」
ダンの言葉にホッとする。もしダンに見つけてもらえなかったら砂の中から出られないんじゃないかとドキドキしていたのだ。
「アキ、風で荷台を掘り起こせ」
「あ、ホントだ」
荷台は半分ほど砂の中に埋もれていた。
早速地面に神呪を描こうとして挫折する。
「す、砂が……。砂が神呪の邪魔をするんだよ……」
「すぐ消えるようなところに描こうとするな、アホ!」
仕方がないので、被っていた布にザっと描いて、荷台に向かってヒラヒラと仰ぐ。
「うわぁぁぁっ!」
「キャァァァッ!」
仰いだ瞬間、荷車の周りにあった砂が一斉に舞い上がり、先ほどの砂嵐のように視界を塞いで襲ってきた。
「ちゃんと考えてから描け!」
何故か巻き込まれていたヒューベルトさんと一緒に砂嵐から逃げ回っていたところを、ダンにガシッと捕まえられて、久しぶりに大声で怒鳴られた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます