マリアンヌ様とタユ様
仕事から戻ると、アリーサ先生が目に見えてソワソワしていた。
「いつお呼び立てがあるかわかりませんからね」
そう言っては衣装を何度も見直している。でも結局3着しか新調しなかったので、それほど確認する必要もないと思う。
「アキ様、お菓子は大丈夫ですか? 材料は小まめに確認なさってくださいませね。いざという時に使えなくなっていては困りますよ」
材料に関してはハンナに管理を任せているので大丈夫だと思う。
「ご令妹はいつまで滞在なさるのですか?」
特にお忙しい方ではないので、滞在は長期になるだろうと言われているが、何とかしてそのまますり抜けられるかもしれない。
「2週間程と窺っておりますわ」
アリーサ先生の言葉にため息を吐いて天井を仰ぐ。微妙なところだが、避けられない気がする。あのマリアンヌ様が、2週間の期間があってわたしを見逃してくれるようには思えない。
「ではもう、腹を括って諦めるしかありませんね」
「腹を括って最終的に諦めてどうする。あがくのを諦めて、腹を括って対処するのだ」
「あ、そっか」
すかさず入ったヒューベルトさんの突っ込みに納得する。言葉の順番が違うだけで随分違う意味になるなとおもしろく思う。そしてヒューベルトさんはいつも真面目だ。
……無意識の本音が出ちゃったかな。
「そういえば、最近ヒューベルトさんとリニュスさん、部屋の中でまで警護するようになったんだね」
今年に入ってから、ヒューベルトさんの突っ込み率が急激に上がったのだ。最初は、ヒューベルトの何かが目覚めたのかと思っていたが、どうやら単純に、側にいる時間が増えたからのようだ。
「ああ。用心するに越したことはないからな」
「部屋でまで危ないことってそんなにないと思うけど……」
「窓があるし、いざ何かあった時に身重の女性に無理はさせられないからな」
……なるほど。たしかに、目の前でわたしに何かあったら、アリーサ先生の体にも良くない気がする。
「ねぇ、ヒューベルトさんはタユ様って知ってる?」
「いや、マリアンヌ様のように政治的に動かれる方ではないので、全く存じ上げんな」
マリアンヌ様はそんなに積極的に政治の話に首や手を突っ込むのか。
「だが、噂ではタユ様はあまり自室からお出にならないと聞いたことがある。更に、出たと思えば数ヶ月戻らないこともあるようだな」
「……じ、自由ですね」
ナリタカ様は届けを受理されないと、王都を出られないと聞いたことがある。同じ王族でも、次期王かそうでないかで随分違うのだなと驚く。
「ですが、フレーチェ様のお話ですと、とてもおおらかな方で、アキ様とは気が合うのではないかということでしたわ」
「……気が合う?」
……王族と?
「ええ。あまり王族らしくはない方のようですわ」
「ふぅん」
あのマリアンヌ様の妹で、マリアンヌ様にお呼ばれして遊びに来るくらいなので、マリアンヌ様のあの迫力に負けない方なんじゃないかと思う。
「あんまり怖……すごい人じゃないといいなぁ」
「アキ様。くれぐれも粗相のないようお気を付けくださいね」
アリーサ先生が心配しているが、そもそも、庶民の粗相を根に持つタイプならわたしとは気が合わないと思う。
「そういえば、マリアンヌ様がタユ様を連れて来たいと申されておるそうじゃぞ」
朝食の席で、ペッレルヴォ様が思い出したように飄々と呟く。
「えっ!? ここに!?」
ここはペッレルヴォ様の邸。つまり、またお忍びか。
「まぁ。それならその方が良いのではないでしょうか? 正式な場で粗相をしてしまうと取り返しがつかないことになってしまいますもの。お忍びならば入れる人数も制限されますから傷が浅くて済みますわ」
アリーサ先生がパッと顔を輝かせる。
……粗相をするのが前提の話だよね。まぁ、する可能性は高いけど。
「マリアンヌ様は余程アキ様を気に入っておられますのね。こんなに気を遣ってくださるなんて」
アリーサ先生が感動しているようだが、わたしにはマリアンヌ様が庶民の食を試してみたがっているとしか思えない。
「まぁ、わたしは構わないですけど……。でも、このお邸は今、使用人が制限されているでしょう? 大丈夫なのでしょうか?」
「そうですわね……。その辺りもちょっとフレーチェ様に問い合わせてみますわ」
「今日問い合わせたとして……では、タユ様が来られるのは来週以降でしょうか?」
「ええ。恐らく。でも、何があっても良いように心の準備をしておいてくださいませね」
「はい」
なんだか、小規模な災害みたいだと考えて、その通りなんだろうなと納得する。うんうん頷くだけで口にはしないけど。
「では、今日のお茶会はどうなるのだ?」
「マリアンヌ様がお忙しければ、必然的にフレーチェ様もお忙しくなりますよね?」
ヒューベルトさんの言葉に頷きながら賛同する。今日は野の日だ。いつもならば午後からフレーチェ様のレッスンお茶会が入るのだが、今はタユ様が滞在されていて忙しいだろう。
「では、それも含めて後で聞いて参ります。どちらにせよ開発室に遣いを出すことに致しますわね」
礼儀作法を身に付けなければと思った直後なのでとてもとても残念なのだが、今日はお茶会なしだといいな。
お茶会はなしだった。なぜなら、今夜マリアンヌ様とタユ様がペッレルヴォ邸に来ることになったからだ。しかも、やっぱりわたしが作ったものを所望するという。
準備のための時間が必要だろうからお茶会はなしでという配慮ができるのならば、数日空けるという配慮もできるのではないかと思うのだが、残念ながら、前者はフレーチェ様からの配慮で、後者はマリアンヌ様からの配慮だ。後者が期待できるわけがない。
「……お菓子作らなきゃいけないので早退します…………」
「た、大変ね…………」
せめてもの救いは、開発室のみなさんが、わたしの大変さを理解してくれてることだ。
「まぁ……王族の気持ちも分かるけどな」
「未成年の者を大っぴらに呼び立てるのもちょっと気が引けるだろうしねぇ」
「神呪師っつったって表向きは未成年の手伝いって体だからな」
全くもってその通りだと思う。
未成年の職人の娘が王族姉妹のお茶会に同席させられるなんて普通じゃない。これが最後になることを切に願う。
……あ、でも、成人したらこういうことにも慣れなきゃいけないのかな。
王族に追われているのだから、追う側にまわるってことは王族の前に進んで出ていかなければならないのかもしれない。
……いや、普段なら別にいいんだけどね。自分のためだし、がんばるけどね。
タユ様がいる間はあまり派手なことはできない。つまり、街灯の開発が進まないのだ。ナリタカ様といい、どうしてこうも神呪の邪魔をしてくるのかと不思議に思う。
「久しいのう。アキ」
「はい。お久しぶりでございます。マリアンヌ様」
侍女に先導されて入って来るマリアンヌ様の後ろには、背の高い女の人が続く。
……なんか、あんまり似てないな。
少し憂いのある意思の強そうな深い緑の目。鈍い茶金の髪はシンプルに結い上げられている。ドレスも広がりの少ないシンプルなデザインで、お化粧もあまりしておらず、全体的にスッキリとしている。
華やかな装いの多いマリアンヌ様とは対照的だ。
「妾の妹のタユじゃ」
「お初にお目にかかります、タユ様。神呪開発室所属のアキと申します」
「ああ。姉上から聞いている。なにやらおもしろいことをいろいろと思い付くそうだね」
……声も低い。
目を瞑って聞けば男性と間違えられることもありそうな、中世的な低い声だが、声音自体は透明な感じで耳に心地よい。
姿も声も話し方も、なんだか中性的な人だ。
「恐れ入ります。森林領の領民の暮らしが少しでも良くなるようにお手伝いできればと思っています」
「殊勝じゃの」
マリアンヌ様がホホホと華やかに笑う。マリアンヌ様の声も、決して高いわけではないのだが、話し方や笑い方が華やかだから中性的な感じはしない。
「だが、君は森林領の者ではないのだろう? 何故、この森林領の民を思う?」
思いがけず、深く突っ込まれる。
……これ、ただの社交辞令で言っただけだったら咄嗟に困るよね。
幸い、わたしは社交辞令とか言えないので正直に答えることにする。
「たしかにわたしは森林領の出身ではありません。でも、3年前、ここにやって来た時には何も持たなかったわたしは、この森林領で友人を得、自らお金を稼ぐ手段を得ました」
……本当に。神呪すら使わないようにしていたわたしは、本当に何も持たなかった。
でも、それでもコスティのお手伝いをし、エルノさんやトピアスさんをはじめ、多くの人と親しくなることができた。改めて考えると、自分の強運に感動すら覚える。
「全ては、この森林領のみんなとの出会いがあったからこそです。ですからわたしは、わたしを成長させてくれたみんなに恩返しがしたいと望みます」
「ふぅん」
タユ様はおもしろそうな顔でそう相槌を打つと、着席を促す。
「それで? 君はこの後どうしようと考えているのかな?」
「この後……ですか?」
「ああ。今月いっぱいで神呪の仕事は終わるのだろう? その後だ」
……え、どうしよう。街灯作りますって言うわけにはいかないよね。
「…………まだ考えていません。でも、お城に来る前にやっていた商売がありますので、とりあえずはその続きをしなければと考えています」
「商売?」
タユ様が興味津々というように身を乗り出す。
……この好奇心はやっぱり姉妹なんだね。
「友人が養蜂をやっていて、わたしはそれを商品にして一緒に出店で売っていたんです。以前、マリアンヌ様にお出ししたクレープは、わたしが出店で扱っている物に少し手を加えたものなんです」
本当は少しなんてかわいいものではなく、もはや原型はなんだったの? という状態まで加工されていたが、それでも一応、クレープという枠には入っていたと思う。
「おお、そうじゃそうじゃ。あれはあれで美味ではあったが、本来は手で直接持って食べるのであろう? なんとも不思議な食べ方じゃのう」
……マリアンヌ様に出したやつはクリームとかフルーツとかを表面にも周りにもふんだんに盛り付けてあったからね。
あれを手で直接触れば手がベタベタになってしまう。マリアンヌ様が想像できないのも仕方がない。
「へぇ、出店で作ってるんだ? それは一度食べに行かないとね」
……王様の妹が軽~く食べに来ちゃったら大変だよね。
朗らかに笑うタユ様の冗談にうふふと愛想笑いをしながら、王族2人との会話を何とか繋ぐ。
マリアンヌ様が庶民の暮らしについて興味津々に尋ねてくるのに答えていると、わたしの庶民語がマリアンヌ様に通じない場面で、なんと意外なことに、タユ様が通訳してくれたりした。
それ自体はとても助けられたのだけど、わたしの説明に首を傾げるのが王族なら間を取り持ってくれるのも王族なので、わたしとしては心底疲れる時間だった。王族の相手も疲れるけど、その周囲の人たちの視線にも気を遣うのだ。
何とかお茶会を無事終わらせて、お忍びのはずなのお2人がにたくさんの護衛に囲まれて帰って行った時には心底ホッとした。愛想笑いで固まった頬の筋肉がピクピクしていたけれど、一応、不敬とされることもなく終われたので、庶民としては及第点だったと思う。
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