王族をお迎えするには準備が必要です
あの誘拐事件が起こって2ヶ月弱。もう年が明けて、いろいろな出来事が去年のことになった。
わたしの傍には相変わらずヒューベルトさんとリニュスさんがいる。そして、もう少し離れた目立たないところに、森林領の衛兵がチラつくことが増えた。たぶん、アンドレアス様から派遣されているのだろう。
……そちらは紹介してはもらえないんだな。
かなり離れたところからの護衛なので、ヒューベルトさんたちのように交流することはないのだろう。
最初は、自分の知らない人たちが勝手に順番を決めて、勝手にわたしを凝視しているという状況に、言葉にし難い気持ち悪さを感じていたが、一月もする頃にはすっかり慣れてしまった。
……お城の人たちが使用人を気にしないのと同じなんだろうな。
少しずつ、周囲が変わっていくのに応じて、自分も変わっていっていることを感じる。複雑な感情と同時に諦めにも似た感情が靄のように心を広く浅く覆い、いろんな感情をぼやけさせているように思える。
「え?マリアンヌ様の
「ええ」
野の日のフレーチェ様とのお茶会での話題に上がったのは、今度マリアンヌ様を訪ねて王都から来られるという、マリアンヌ様の妹さんのことだ。
……マリアンヌ様の妹ってことは、王様の妹でもあるってことだよね。
現王様のご兄弟は、姉が1人に弟と妹が1人ずつ。姉に当たるのがマリアンヌ様だ。
「御年32歳になられるのですが、独身であらせられます。粗相のないようにね」
うっかりそういった話題を出さないようにとのことだろう。
ダンと同じ年だが、女性なので感覚が違う。その年齢で、しかも王様の妹という身分で独身というのは、余程のわけがあるのだろう。下手なことをしゃべれば、本当に不敬罪で捕まってしまうかもしれない。
「……マリアンヌ様とは随分御年が離れていらっしゃるのですね」
「ええ。マリアンヌ様とは母君が違うのですよ」
なるほど。よく聞く話だ。
「ですが、ご兄弟の仲はとても良好ですよ」
フレーチェ様がカップに口を付ける。
優雅に、ゆっくりと時間をかけてカップを置く時は、次に重要なことを切り出すか、あるいは話題を変える時だ。
「数日内には到着されるでしょう。貴女はマリアンヌ様のお気に入りですからね。お茶の席などに呼ばれる可能性もあります。いつ招待があっても良いように、準備を怠らないようになさいね」
……話題の転換先がすごく重大なことだった!
いや、わたし庶民だからね?とか、まだ未成年なんだけどね?とか、頭をよぎるいろんな言葉を飲み込んで、笑顔を浮かべる。
「はい」
……わたし、成長してるね。アーシュさん!
頷くわたしの視界に、アリーサ先生がお辞儀をするのが映る。
……そっか。わたしの準備が不出来だと、アリーサ先生がお叱りを受けるんだ。
わたしだけの問題ではないのだと分って、改めて、しっかり礼儀作法を身に付けようと気合を込める。そもそも、自分のためだってことは分かっているのだ。
それからの数日は本当に忙しかった。
「まずは服を新調しなえればなりませんわね」
「え?服?」
「ええ。春物がございませんでしょう?」
なるほど。たしかに、もう3月だ。そろそろ森の端から雪が溶け始め、コスティが採蜜の準備を始める。だが、それでもまだ冬と言っていい季節だ。窓の外には雪も真っ白に積もっている。春用の薄手の服では凍えてしまうのではないだろうか。
「お茶会は室内で行われますからね。暖炉に火を入れて暖かくして行われます。むしろ冬用の服では暑くて倒れてしまうかもしれませんわ」
……そこまでして薄手にこだわる意味が分からないけど。
「薄手のものなら秋頃に着ていたものがまだ着られると思うのですが……」
さすがに、半年でサイズが合わなくなってしまう程成長はしていないはずだ。
「秋物ですとお色味やデザインが春には合いませんわよ」
それはたしかに、そうだろう。秋物だとどうしても濃い色の服が主流になるが、春は花や新芽など、どちらかというと淡い色合いの世界だ。服もそれに合わせたものが多い。
「王族や領主一族は流行の最先端となります。侍女や使用人が見て、そこから服を新調して真似をし、そこからさらに領都に下りて広がるのですから、彼らが丁度良い季節に丁度良い物を着るためには、先を走るものが早めにお披露目しておかなければならないのですよ」
つまり、高貴な人のお茶会というのは、立場が上になればなるほど、季節を先取りしなければならないらしい。
……それって、高貴な人たちは季節に合ったものが着れないってことだよね。
高貴な人は案外不便で不自由だった。
「春用の衣装が1つもありませんからね。この際いくつか作っておきましょう」
「でもわたし、3月いっぱいでお城への出仕が終わるのですが……」
「ええ。ですが、アキ様は神呪師として特別な扱いをされています。任期が終わっても、お城に呼ばれることがあるかもしれませんわよ?」
まぁ、それはあるかもしれないなと思う。けれど、神呪師として仕事をするだけならば、衣装を派手にするのは不向きだ。むしろ職人用のズボンがいい。
「ご領主様とお話なさることも多いのでは?」
「………………」
領主に対面するのならば当然着飾るものだと思っているアリーサ先生から、そっと目を逸らす。
……初めてアンドレアス様に会った時は、ボサボサ頭の職人服だったんだけどね。
「しかも、アキ様はマリアンヌ様に気に入られていると聞いておりますわよ。例えお城を出られても、近隣の町にいるのならばお呼ばれすることも十分考えられます」
「うっ…………」
あのマリアンヌ様のことだ。ないとは言い切れない。
「高貴な方とのお付き合いは突発的なことが多いものです。万が一に備えて、常に先を見越した準備が必要ですわ」
アリーサ先生は、上流階級の庶民だ。きっと、さらに上の立場の人に振り回されることも多いのだろう。力強い言葉には、とても他人事とは流せない実感がこもっている。
……職人階級って自由だったんだな。
わたしは上流階級に育てられなくて良かったと思う。まぁ、あのダンに育てられたので当然なのだが。
「あとは、手土産ですわね」
「あー……」
ちょっとうんざりした声を出してしまう。アリーサ先生に軽く睨まれるけど、仕方ないと思う。だって本当に考えるのが大変なのだ。
別に手土産を用意するのが嫌なわけではない。お茶と場所を提供してもらうのだから、当然こちらもお礼として何か持参しなければならない。それは、庶民でも同じだ。ただ、相手が王様の姉とか妹だと、庶民としては何をすればいいのか見当も付かないだけだ。
「アキ様の得意なお茶菓子は何がございますか?」
「出店で出してたのはクレープだけなんです。あとはハチミツ飴?」
「ハチミツ飴を美しく細工できませんか?」
アリーサ先生はわたしを料理人と勘違いしてると思う。
「うーん……金型があれば、飴をその形に作り上げることはできるかも知れませんが……」
「では、本邸の料理長に聞いてみましょう。ただ、飴細工だけでは少し心許ないですわね……」
「うーん……じゃあ、それこそ、クレープの周囲に盛り付けるとか……?」
「それも結構ですが、招待されるのが一度とは限りませんわよ。手の内はいくつか残しておかなければ」
なるほど。さすがは商人の妻、アリーサ先生。上流階級と言えど庶民の味方だ。
……お金持ちだと、自家の料理人に任せてしまえるからね。
うんうん悩むアリーサ先生は、自分の力で何とかしなければならない状況に慣れているんだろうなと思う。商人なので、買い付けのために旅に出たこともあるのかもしれない。
「タユ様が来られるのは来週以降ですよね?では、今度の休みにでも領都の知り合いの料理人に相談してみましょうか」
ついでに、クレープ以外の出店メニューも相談してみよう。
「そうですね。……ハァ。ご領主様一族や王族が相手だと、市販されているものを使えないのがネックですわね……」
「え……領都のお土産とかじゃ、ダメなんですか?」
アリーサ先生の言葉にキョトンとする。もし、カレルヴォおじさんに相談してもどうにもできなければ、どこか調達できるお店を探そうと思っていたのだ。
「…………毒の心配がありますからね」
口にするのを躊躇うように、少し声を潜めるアリーサ先生の言葉にハッとする。
……毒味という仕事があるんだ。
頭からすっと温度が引く。
「出した方は絶対に安全だと分かっていても、相手の方はやはり恐いはずです。お互い、できるだけ嫌な思いはしないように気を配らなければなりませんわね」
呆然とするわたしに、少し苦笑気味にアリーサ先生が呟く。
それは、お茶会の相手ではなく、毒味をしなければならない侍女や従僕のことだ。
目の前の相手の後ろにいる、大勢の見えない人たちのことも念頭に置かなければならない。改めて、自分がとても難しい世界に足を踏み入れようとしているのだなと感じる。
「優しさには賢さと作法の両方が必要ですわ」
「はい」
礼儀作法を徹底的に守ることで、ある程度の気配りは自動的にできるようになっているのだろう。そこがまだ徹底されていないわたしは、特に気を付けなければならない。
上流階級の優しさって難しいんだなと思う。
……もう少し真剣に身に付けていれば良かった。
今更なことを考えて、ため息が漏れた。
そうして、慌ただしく過ぎて行く日々の中、2月の最初の草の日、タユ様が入城されたという一報が、仕事中のわたしの耳にも届いた。
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