長い一日 ~ヨルクさんとアーロさん

「美味い…………」


 アーロさんが、目を輝かせてスープを凝視する。


「ジャガイモとバターって組み合わせは知ってたけど、干し肉を入れるとすごく美味しくなるね」


 言いながら、干し肉をガジガジ齧るペッレルヴォ様を思い出す。


「うん。この、干し魚も美味しいね。なんか、農家のおにぎりが食べたくなるねぇ」

「………………」


 緑灰の人は何も言わないけど、他のみんなと同じように次々と食べているので、口に合わないわけではないと思う。


「そんなに手間がかかるものじゃないし、これなら動具が使えなくても料理はできるでしょう?」

「………………」

「外の人には食べさせてあげなくていいのかい?」

「……オレ、ちょっと飯の間だけ、ヨルクと替ってくるよ」


 緑灰の人がだんまりを決め込むのを余所に、食事を取ってご機嫌になったアーロさんが、手早く食事をする。


「これ、ホントにあの材料で作ったのか………?」

 

 スープを飲んで温まったヨルクさんも、目を真ん丸にして手元のスープ皿を見つめる。

 空のお皿をまじまじと見つめるヨルクさんを見ていると、おかわりがないのが申し訳なく思えるから不思議だ。相手はわたしを誘拐した犯人なのに。


 ……ああいう愛玩動物、なんか見たことあるかも。


 食事の後は、緑灰の目の人が見張る中3人で後片付けをした。アーロさんは、お皿を洗うことはできた。動具を使わない作業だし、特に技術が必要ではないので、仕事先に潜入する際に仕える技術として身に付いているそうだ。ちなみに、アーシュさんはやっぱりできなかった。途中でお皿を割りながら、「意外と難しいんだね~」とか呑気に言っていて、二人に呆れられていた。まぁ、お金持ちのお坊ちゃんだからね。






 洗ったお皿が乾くのを待っていると、表でギュッギュッギュッと雪を踏む音がした。その場にいた全員が、ハッと息を飲んで、ドアを振り向く。


「アキちゃん、あれ、消して」


 アーシュさんの指示で、さっき暖炉の前に描いていた神呪を急いで消す。消し終わってアーシュさんの隣に戻ったところでドアが開いた。


「境光が落ちたら移動する。縛れ」


 ドアから入ってきたのは、思った通り、あの黒い目の男だった。

 この場にいた3人とは多少打ち解けたところだったので、まるで得たいの知れない人物が侵入してきたような不気味さを覚える。


「境光が落ちたら?」


 緑灰の目に不振そうな色を称えて、黒目の男に問いかける。


「………………」

「無理だ。真っ暗な森を移動するなど、ただでは済まない。脱輪するか道を間違うか……どっちにしろ、何かしらの被害が出る」

「その娘さえ生きていればいい」


 なんの躊躇いもなく出てくる言葉に慄然とする。アーロさんたちの、どこか諦めの入った言葉とは違い、この男の言葉には何の感情も見出せない。人に命をかけさせることがまるで他人事のようだ。そして、たしかにこの男にとっては、他の3人の命など、他人事なのだろう。


「…………チッ」


 緑灰の男が、舌打ちして縄を掴む。アーシュさんを縛った後にわたしを縛りに来て、一瞬躊躇った後、縄で縛る。最初に縛られた時よりも少し緩めで、解けることはないが痛みは少ない。逃げられない範囲で気を遣ってもらっているのを感じる。


「移動とは、どちらへ行くのですか?」

「……北だな」

「…………フブヘルグ、でしょうか?」

「ほぅ」


 ちょっと考えながら言うアーシュさんに、黒目の男がここに来て初めて興味を示した。目の奥が一瞬光を帯びるが、それがいいことなのか悪いことなのか分からなかった。


「なるほど。たしかにお前が行方不明ともなれば捜索が出るかも知れんな」

「お褒めに与かりまして」


 アーシュさんの笑顔が、微かに緊張を孕む。黒い目の男とじっと睨み合っていて、お互いに何か腹を探り合っているようだが、わたしには何も分からない。分からないことに不安を覚えた時、その絶叫は聞こえた。


「うっ……ぐぁぁ……!」


 …………え? 


「ヨルク!?」

「待て!アーロ!!」


 緑灰の目の人が弾かれたように顔を上げ、アーロさんが名を呼んでドアを飛び出していく。アーシュさんもドアに鋭い視線を投げ、ほんの少し膝を浮かせていつでも立ち上がれる体制を取る。一瞬のその緊迫した光景の中で、咄嗟に反応できなかったわたしの目に映ったのは、驚いた様子もなく、ゆったりと斜めに構える男の、無感動な黒い目だった。






「ふっ……ぐっ……!」


 外で、また声がしてギクリとする。体がビクリと大きく跳ねて、息を飲む。


 今度は分かった。


 くぐもった声だったが、はっきりと聞こえた。


 ………………アーロさん。


「くっ……」


 緑灰の目の人が、ギュッと目を閉じて顔を背ける。


 体の横で拳を握りしめて俯くその様子に、黒い目の男は視線を向けることすらしない。


 ……どうしたの。


「……お前は馬車を動かせ。後は働き次第だ」


 静かになった小屋の中で、緑灰の目の人の、ギリッと歯を噛みしめる音だけが響く。


 わずかに開いたその目が、何もない虚空を激しく睨み据えている。


 …………何があったの。


「アキちゃん」


 アーシュさんが触れるくらい近くに来て、名を呼ぶ。それが、妙に遠くに聞こえる。


 体が堅い。まるで、体を動かすと時間まで動かしてしまうというように。そのまま、全てを止めてしまおうというように。


 ………………ヨルクさんは、どうしたの。


「アキちゃん? アキちゃん!」


 頭が、全ての機能を止めてしまったように、何も考えられない。体が動かない。ただ、息をするために、肩が異様に大きく上下するのを感じる。


 アーシュさんの声が聞こえるけれど、ひどく歪んで聞こえる。


 ……どうして二人とも、戻って来ないの。


「ダメだ!縄を解いて!早く!」


 体がぐらぐら揺れる感じがするが、感覚が鈍っているようでよく分からない。息が苦しい。


「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ……」


 吸っても吸っても、上手く体に空気が入っていかない。吸うのに必死で、息が吐く暇がない。


「アキちゃん!」


 ぐらりと傾ぐ体で懸命に息を吸っていると、グッと腕を掴まれてハッとする。苦しさに涙が滲む。


「アキちゃん、ゆっくり息を吐くよ。3数える間にゆっくり吐くんだよ。いいね?」


 小刻みな呼吸を繰り返しながら、なんとか頷く。


「いくよ、3……2……1……吸って」


 アーシュさんの声に合わせて呼吸を繰り返す。数字の間隔が少しずつ長くなり、やがてとてもゆっくりになる。時間をかけてゆっくりと空気を吐き出し、そっと吸う。それを繰り返していくうちに、少しずつ落ち着いて息ができるようになっていった。


「ハァ、ハァ、ハァ……」


 疲れてぐったりと座り込み、大きく深呼吸する。頭の芯が鈍く傷んでぼんやりとする。


「ゆっくり吐いて……ゆっくりだよ。そう、大丈夫。ちゃんと呼吸できてるよ。大丈夫、ゆっくり、ゆっくり」


 アーシュさんが背中を撫でて、一定のリズムで声をかけてくれる。それを聞きながら呼吸を繰り返していると、体に入っていた力も、徐々に抜けて行った。


「……もう大丈夫かな?」

「…………うん。……ありがとう」

「どういたしまして」


 アーシュさんがいつもの調子でクスッと笑う。その声を聞いて、やっと表情を緩めることができた。


「……終わったんなら出発するぞ。境光が落ちた」


 男の言葉に、ぼんやりと顔を上げて、換気口から外を覗く。外はいつの間にか境光が落ちて、真っ暗になっていた。






 緑灰の人がアーシュさんを改めて縄で縛り直し、外に連れ出す。

 真っ白な美しい雪の上、男たちが無造作に醜く抉った溝に、視線を固定する。視線を巡らせて赤い色がチラつくことを想像すると怖い。無意識にさっきの悲鳴の行方を手繰ろうとしてしまう視線を、唇を噛みしめて、必死に前に向ける。


 小屋の外には、ランプを持った男たちが二人いた。火で灯すランプを持っているその手には真っ黒い手袋をしている。ランプの明かりなのでよくは分からないが、二人ともきちんとした身形をしているようだった。


 小屋からしばらく歩いて馬車が停められた場所に着くと、どこからともなく、馬を引いた男が現れる。男たちは全員、馬に乗るようだ。


「お前たちは馬車だ」


 黒目の男に指示されて、荷馬車の荷台に上がる。幌をかけられると本当に真っ暗になって何も見えない。でも、アーシュさんがそこにいてくれるのが分かっているので、ただ恐怖で震えて何も考えられない状況ではない。お腹の底に熱い何かがわだかまっていて、その緊張感が恐怖を抑えている。領都で最初に荷台に放り込まれた時よりはずっと落ち着いている。


 馬車は相変わらずスピードを出している。馬が先導しているようだが、火で灯すランプは揺れると消えてしまうため、御者台にのる緑灰の目にも、道は見えないはずだ。時々、馬車が大きく跳ねることがあり、縛られて掴まることができずに転がって体を打ち付ける。


「アキちゃん、じっとして」


 耳元でアーシュさんの声が聞こえて、続いて手首を縛っている縄が引っ張られる。大きく引っ張られるのではなく、何かに引っ掛けられたように引いたり押したりを繰り返している。

 馬車の揺れが大きい時は動きを止めるので、かなりの時間そうしていて、やがてプツンと軽い衝撃と共に、一気に両腕が自由になった。


「…………え?」


 どういう状況なのか、戸惑う。暗闇に慣れてきた目でアーシュさんを振り返ると、その手元に白いものが見えた。


「お皿。割った欠片を回収しといたんだ」

「……ええっ?」


 驚きに目を見張る。正直、ちょっとドジだなと思っていたアーシュさんの失敗だったが、実はわざとだったようだ。周到さに驚きを通り越して呆気にとられる。


「アキちゃん。2つ相談があるんだけど」

「なに?」

「まず1つ。この欠片に光の神呪を描いて、ランプの代わりにすることはできない?」

「え……お皿に?」

「そう。炭じゃないないけど、どう?」


 アーシュさんにお皿の欠片を手渡されて、その表面を撫でる。


 ……ランプの神呪を描くのは炭だけど、これは元は土。力を広げる部分が全然違う。


 描けるだろうか。


 最近、あの神呪を毎日毎日たくさん描いていたので、神呪自体には慣れている。そして、そうやって描いているうちに、ある程度解析もできていた。ただ、他の物に描いた経験は、ランプが完成する前にいろいろと実験していた時のものしかない。


「ちょっと、試してみたいんだけど……」

「いや、この暗闇の中で発光すれば、彼らにすぐに見つかってしまう。できれば本番の一度で成功させたいんだよ」

「…………どれくらいの時間、光ってればいい?」

「鐘一つ分以上は欲しい」


 以前の実験を思い出す。木の実や炭の他にも、石やレンガにも描いてみた。あの時は、レンガを光らせることはできなかったが、石はわずかに光っていた。今ならば、神呪を少し描き変えて、光らせることができるかもしれない。


「光の量は?」

「足元が見えるくらい欲しい」

「……それなら、たぶんできると思う」

「まぁ、できてもできなくても、奴らを撒くまでは使えないんだけどね」


 アーシュさんが明るい声で言う。少し心の負担は減ったが、それでも、とても重要なことには違いない。

 神呪具を構えて、神呪の流れを想像する。この素材にどんな力が作用して、どんな風に流れたら、光らせることができるだろう。


 しばらく目を瞑って集中していると、次第に全ての状況が意識から遠ざかっていく。

 目の前の欠片だけを意識に入れ、頭に閃くままに神呪を描いていく。


「…………できた」


 泥のような集中から意識を浮上させて、大きく息を吐く。


「たぶん、できたと思うんだけど……」

「うん、分かった。じゃあ、後で作動させてみてのお楽しみだね」


 自信なく言うわたしに、アーシュさんがおどけた口調で答える。


「じゃあ、あと1つ。こっちの欠片に、風を起こすような神呪は描ける?」

「風?」

「そう。作動させたら風が起こって、雪に着いた足跡を消すような」


 なんとなく、アーシュさんの言いたいことが分かった。アーシュさんに頷いて、神呪を描く。空気を動かすだけなので、すぐ描ける。


「いいかい。この馬車はたぶんどこかで脱輪する。あの緑の目の男がやると思う。その時がチャンスだ。僕が合図したらいつでも飛び出せるように心の準備をしておいてね」

「……脱輪?」

「うん。このスピードに耐えられるとは思えないからね。脱輪するとひどく揺れるから、それまでしっかりしがみついて離さないようにしてね。下手すると荷台から放り出されて死んでしまうこともあるから、僕から絶対に離れないで、この縁を握ってて」


 そう言って、アーシュさんが馬車の荷台の縁を掴ませてくれた。アーシュさん自身もわたしのすぐ後ろで縁に捕まり、片手でわたしの服を掴む。


「体を抱いてるより、服を掴んでる方が力が入れやすいんだ。でも、本当に横転したりしたら体に相当負荷がかかるから、アキちゃんもお腹にしっかり力を入れておいて」


 その態勢のまま、しばらく馬車に揺られる。相変わらずひどい揺れなので、気を付けなくても常に全身に力が入っている状態だ。

 

 どこか遠くで、微かに始めの2の鐘の音が聞こえた時、馬車がややゆっくりになるのを感じた。それと同時に、荷台がひどく揺れ出す。上下左右に激しく揺さぶられて、アーシュさんに支えられながら必死で縁にしがみ付く。舌を噛まないように歯を食いしばって、ギュッと目を瞑って耐えていると、馬車が急にスピードを落として、やがて止まった。






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