成長するのに適した環境……ですか?

「すごい! 光ってる! 光ってるわよ、マティルダ!」


 13月の最後の日、ついに、マティルダさんが一人で光の神呪を描くことに成功した。


「くっそー、オレだってあと一歩だと思うんだけどなぁ」

「いや、マルックはあと三歩くらいだろ?」

「あと一歩なのはオレの方だよ。まぁ歩幅が三歩分くらいある一歩だけどな」


 悔しそうに言うマルックさんに、一斉に突っ込む班のみなさん。いつもの光景で、なんだか微笑ましい。


「一応、光らせることはできましたけど……もう一回描けと言われても描けないかもしれません」

「あー、まぁ、そんなもんですよねぇ。でも一回成功してるんだから、あとはコツを掴めばイケますって」

「サウリはもう少し頑張りなさい。あなた、まだ生まれてもいないんだから」

「うわー! 聞きたくないー!」


 サウリさんは相変わらず、スタートの地点で引っかかっている。でも、他の部分は随分整ってきているので、最初の部分が上手く描ければ、あとはスムーズに行くのではないかと思っている。


「じゃあ、今度からわたし、マティルダさんと一緒に作業するんですね」

「いや、マティルダはもう少し練習だ」

「わっ!」


 今まで一人だったのでちょっとワクワクするわたしに、いつの間にか背後にやって来ていたラウレンス様が静かに言い放つ。わたしがビクッとして振り返るのと、周囲の人たちがザッと一歩引くのはほぼ同時だ。


「そして、マティルダが安定して描けるようになったら、君とマティルダの二人で他の者に指導してもらう。描ける者が3名以上になったら、ランプの制作を任せることにする」

「じゃあ、それまではランプを作るのは相変わらずわたし一人なんですか?」

「何か問題でもあるかい?」

「いえ…………。あ、じゃあ、ラウレンス様も練習しましょうか」

「ぇぇえええっ!?」


 ポンと手を叩いて言うと、ラウレンス様じゃなくて、周囲が反応する。しかも過剰な反応だ。


「え……何かおかしいですか?」

「……いや? では、今度練習しておこうかな」

「一緒に開発する時にやれば、お互いすぐにアドバイスできて、ちょうどいいですね」

「……………………うん。そうだね」


 何故かラウレンス様がゆっくりと周りを一瞥してから頷く。周囲の人たちの戸惑ったような引きつった顔がおもしろいなと思う。ラウレンス様もたぶん、おもしろがっているんだと思う。


「ラウレンス様って、意外とオチャメですよね」

「ひゅぅぉぉおおっ!?」

「………………」


 マルックさんの不可思議な叫び声とラウレンスの沈黙が同時に響き渡り、部屋を支配する。

 両頬に手を当てて、目と口を大きく縦に開いている顔がグニャンと歪んで見えるのは目の錯覚だろうか。なんとなく「叫び」というタイトルを付けて飾っておきたくなる。特に意味はないけど。しかも、ホントに飾るとちょっと不気味そうだけど。


 そのまま固まるマルックさんを一瞥してさっさと部屋に戻るラウレンス様は、ちょっと遊びすぎだと思う。そして、きっとマルックさんのことはお気に入りだ。






 そして、夜。ペトラに動具をあげられないことを話さなければならない。嫌な思いをさせてしまうかもしれないと思うと緊張する。


「ペトラ……。あのね、あの、わたし、動具はタダであげちゃいけないって、言われちゃったの」

「………………」


 ペトラは特に表情を変えずに、ただ瞬きをして話の続きを待っている。ちゃんと理由を言わないと。ドキドキする心臓を抑える。


「昨日、アンドレアス様が来て、ペトラとのこといろいろ聞かれてね……」

「……は、は? ……え、ちょ、ちょっと待って、領主様? あたしのこと、領主様に話したの!?」


 動具のことについては特に表情を変えなかったペトラだが、アンドレアス様の名前にはすごく反応する。なんだか焦っているようで落ち着きがない。


「え? うん。ペッレルヴォ様とのお勉強のことで……」

「なっ……ちょっ、そんな、あたしなんてただの使用人なのに……しかも未成年で……」

「うん。未成年の使用人を巻き込んで、何が狙いなのかって聞かれちゃって……」

「え? ……ね、狙い?」


 狙いという言葉に少し冷静さを取り戻したようで、やっとワタワタと手を振るのを止めてこちらを見た。


「そう。でも、そんなの特にないから、メニューを考えるのを手伝ってもらってるだけだって言ったんだけどね」

「う、うん……」

「その時にね、ペトラが料理人になるためにすごく頑張ってて、それで教養も必要だから一緒に勉強してるんだって言ったの」

「ええっ!? いや、だって……領主様に!? わざわざそんなこと教えたの? ただの使用人なのに!?」


 どうやら、領主様相手に自分の話題が出たのが気にかかるらしい。ペトラが何を気にしているのか分からずに、首を傾げてしまう。


「だって、聞かれたし。で、教養が必要なことは一緒にいた護衛の人にも確認して、納得してくれたの。だから勉強のために午後の時間を取ることは構わないし、今までが働かせすぎだっていうのも聞き入れてくれたの」

「あんた、領主様にそんなこと言ったの!?」

「え、だって、アンドレアス様知らなかったみたいだよ? 誰かが教えないと、いくら領主様だって知らないことはあるよ」

「あ、あんたって………………強いわね」


 ペトラが愕然とした顔で、まるで奇妙な生き物でもいるみたいに引き気味に見て来る。なんだかちょっと失礼じゃないだろうか。


「だって、領民のことだよ? しかもお城の中でのことなんだもん。領主様が知らない方が問題だよ。町では未成年はそんなに働いてないんだよ」

「え……そうなの?」

「うん。10歳だと午前中だけだし、最初は毎日でもないよ。12歳だと午前中は毎日で午後も働くのは週に2、3日くらいじゃないかな。13歳になると毎日午前も午後も働くけど、後の3の鐘が鳴る頃には終わってると思う」


 10歳から手伝いを始めるとはいえ、それまで仕事なんてしてこなかった子どもに、いきなり一日中仕事をさせたりなんてしない。12歳までに将来の仕事を決めて、12歳になったら少しずつ新しい環境での仕事を増やしていくのだ。


「そうなんだ…………」

「うん。だから、それは気にしなくていいと思うよ。知らなかったアンドレアス様が問題なんだよ」

「………………」

「それより、今まで作った動具のことなんだけど…………」

「ああ。はい、これ」


 言いにくくてちょっと口ごもると、ペトラが今まで渡していた動具をあっさり返してきた。


「あ、えっと……、ごめんね?」

「いいわよ。だって他の食事処とかにはない動具なんでしょ? それを使うのが普通になってたら、他のところで働けないじゃない」

「あ……そ、そっか」


 言われてみればその通りだ。わたしは自分で作れるので簡単に使ってしまうが、ペトラはわたしと会うことがなくなったら動具がなくなったときに困ってしまう。簡単に手に入らない物を、簡単に渡してはいけないのは、そんな理由もあるんだろうなと納得した。


「動具はいいから、今度またあのお店に連れて行ってくれない?」

「リット・フィルガ?」

「そう。どれくらい練習すればいいのか分からないし、他にできることがないかも聞きたいし」

「じゃあ、都の日か火の日でペトラがお休みの日にまた行くことにしようか」


 最近のペトラはとてもキラキラしているなと思う。目標に向かって真っすぐに進んで行ってるのが傍目にも見える。


 ……わたしは、どうだろう。


 アンドレアス様にはああ言ったが、自分でいろんなものを見るためには何をしたらいいのかがハッキリしていない。どんなところで、どんな経験をすれば、わたしは自分で何でも判断できるようになるのだろうか。


 ペトラを見ていると特に、自分の進まなさが目に付いて焦ってしまう。ペトラは、わたしはどこにでも行けると言った。たしかに言われてみればその通りで、もうダンにしがみつく理由はなくなっているのだ。そう考えると、余計に自分が何もしていないように思われて、情けなくなる。


「あら、アキ様。ため息はよくありませんわよ。弱点をさらけ出すようなものです。人前では我慢なさいませ」

「人前って……アリーサ先生でも?」


 自分の部屋に戻ってため息を吐いていると、アリーサ先生から注意が飛ぶ。


「もちろんですわ。わたくしが練習台ですもの。本番でため息が漏れることがないようにお気を付けあそばせ」

「はぁい」

「お返事は優雅に美しく」

「はい」


 あの日熱を出して以来、アリーサ先生は、わたしに無理に大人の真似をさせることはなくなった。11歳に相応しい淑女としての作法だけを教えてくれる。気を遣わせてしまっているなと思って漏れそうになるため息を、慌てて飲み込む。


「アリーサ先生、大人になるための経験って、どうすればできるんでしょうか?」

「………………例えば、何の経験ですか?」


 無言で3回瞬きをしてから、ゆっくりと聞かれる。この間は何だろう。


「え……、よく分からないのですが、将来いろんなことを自分で判断できるようになるための経験です」

「ああ……、そっち方面の経験ね……」


 どっち方面があるのだろうか。


「そうですわね……。自分で判断するための経験でしたら、やはり自分で判断しなければならない環境に身を置くのが良いと思いますが……」

「例えば?」

「大人に頼ることができない環境ですわね。いざとなれば誰かが何とかしてくれると分かっていると、自分で一所懸命考えるということはしなくなると思いますわ」


 たしかに、自分で考える必要がないと最初から分かっていたのでは、それほど懸命にはならないだろう。


「ですが、大人が全く関与していないと、何かあったときに本当に命の危機に瀕する場合も出てしまいます。どこまで大人の介入を許すかは、難しい問題ですわね」


 たしかに、何か問題を起こしてしまった時に、子どもだけで解決できないことは多い。


「それほど親密でない、信頼できる大人がいると良いかもしれませんわね。親密でない大人に、それほど頼ることはできないでしょう?」

「でも、信頼できる大人っていう時点で頼っちゃいそうですけど……」

「アキ様はその心配はないのでは? 頼っているように見えて、本当に依存しているのは養父様だけのように見受けられますわよ?」

「え……そうでしょうか?」


 わたしとしては、ヒューベルトさんやリニュスさんにも結構頼っているような気がするのだが。


「護衛のお二人とは仲良くしておられますけれど、そこまでべったり頼っている風には見えません。そもそも、アキ様に、あのお二人に頼ろうという気持ちが見られませんわ。何かあっても、まず相談する相手はあのお二人ではないのでは?」


 そう言われてみれば、わたしが相談するのは、ヒューベルトさんを介したアーシュさんのような気がする。しかも、その内容も、アーシュさんやナリタカ様の立場を確認するためのものばかりだ。


「相談できる相手はいるけれど、いつでも話せるわけではないというのは、成長する上では良い距離感かも知れませんわね」


 ダンにどう接していいか分からない今の状況は、わたしの成長にとっては良い状況らしい。ちっとも嬉しくない。そして、今、正に誰かに相談したいダンとの接し方については、他の大人に相談するのはなんだか抵抗を感じる。

 ペトラみたいに、同じ子どもの目線で相談に乗ってくれる人が欲しいけど、ペトラの他にはコスティしかいない。そして春にならないとコスティと話す機会がない。


 ……簡単に相談して解決できない環境って……不便だ。





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