アンドレアス様の忠告
「ずいぶん引っ掻き回しているそうだな」
ペッレルヴォ邸のサロンには、相変わらず高貴な人が気軽に出入りする。わたしが招かれるのは久しぶりだ。
「わたしには特に心当たりがありませんが」
「使用人の子どもが、よりによってペッレルヴォ師から教えを受けていると噂になっているが?」
「ああ、そうですね。妹弟子ができましたね、アンドレアス様」
わたしが頷くと、アンドレアス様が顔を顰める。
「狙いは何だ?」
何故か、ヒューベルトさんと、アンドレアス様の護衛1名を残して人払いされた状態だ。
「狙い?」
「使用人の子どもを巻き込んで、何をしようとしているのかと聞いている」
「え……別に何も……。強いて言えば、ペトラには新メニューの開発を手伝ってもらってますけど」
「新メニュー?」
「はい。出店のメニューです。でも、それと教養は関係ありませんけど」
アンドレアス様が足を組んで背もたれにもたれながら息を吐く。
「相変わらず町で商売をしているのか」
「今は冬なのでやってませんけどね。でも、ここを出たらまた元の生活に戻るので、冬の間に準備をしておきたいんです」
「このまま神呪師になる気はないのか?」
「アンドレアス様」
非難の色をを含んだヒューベルトさんの声に、アンドレアス様の護衛が反応するのを、アンドレアス様が片手を上げて制する。
「別に囲おうというわけではない。だが、ラウレンスからの報告を聞く限りでは、その娘にはきちんと導く者が必要だろうというだけだ」
「導く者?」
それは、ダンだ。
「君の神呪の才能はすごい。考え出したものを見てもそれは誰の目にも明らかだ。だからこそ、惜しいこともあるそうだ」
「惜しいこと?」
「君は組織の中に入ることに慣れていない」
それはそうだなと頷く。
「だから、組織の力を最大限に活用することができていないそうだ」
「活用?」
よく分からない。
「例えば、何かを開発していて行き詰ったとする。その際に、君は自分一人で違うことを思いつき、勝手に進めてしまう」
……そうかな?
やっぱり自分ではよく分からない。
「周囲と協調するという概念がそもそも備わっていないから、誰にも何の報告もしない。だから、周囲も確認のしようがないそうだ」
「あ……」
それは、神呪の確認のことだろうか。あの事故を引き起こしてしまった要因も、そこだったはずだ。
「でもそれは……神呪の確認はちゃんとやってもらってるし」
「まぁ、何につけても、という話だ。ここでそういうセリフが出るということは、心当たりはあるのだろう?」
「う…………」
思わず視線を逸らす。
そういう風に言われれば反論できない。そして、わたしには自分のことがよく分からない。協調していないつもりはなかったが、では協調するよう意識していたかというと、それもしていない。
「まぁ、君の意識がどうであれ、周囲にはそう映っているということだ」
「うー……、気を付けます…………」
でも、自分で分からないことを気を付けるのは難しい。現状が分からないので、どうしたらいいのか分からない。
「いや、別に叱っているわけではない。こちらから頼んだことはきちんとこなしているようだからな。ただ、もったいないという話だ」
テーブルに落ちていた視線を上に上げると、アンドレアス様と目が合う。
「組織の中で働くということを教える者がいれば、多少はマシになるのではないかとラウレンスは言っていた。私は直接見ていないので知らないが」
……マシってことは、現状は結構ひどいということかな。
「うーん……、でも、今のうちからどこかに縛られるのはダメだってダンも言ってるし……」
「養父か?」
「はい。ダンはわたしのことを何でも知っていて、誰よりもわたしのことを考えてくれてます。そのダンが言うのだから、そうなのだろうなと思います」
ダンは、わたしにはいろんなものを自分で見ることが必要だと言った。わたしもそう思う。大人になった時にちゃんと自分で判断できるよう、自分の目でいろいろなものを見ておきたい。
「……まぁ、いいだろう。ところで、先ほど話した使用人の子どものことだが」
「ペトラですか?」
「ああ。なぜその者に教養を与えようとする?使用人には必要ないものだろう」
アンドレアス様が改めて聞いてくる。そんなに気になることなのだろうか。
「将来のためですよ。ペトラは将来料理人になりたいんです。そのために、毎晩野菜を切る練習とかもしてるんですよ」
ペトラの頑張りは知っている。頑張っている人を見ると応援したくなるのは普通だと思う。
「料理人は上級使用人でしょう?雇い主やお客様の前に出て会話をすることもあるから、今のうちから教養を身に付けておけばいいんじゃないかと思って」
「…………そうなのか?」
「城ではそのような機会はないでしょうが、たしかに、上流階級に雇われている料理人には教養は必要だと思われます」
ちょっと目をぱちくりさせて振り返るアンドレアス様に、護衛の武官が答える。
「そもそも、ペトラは未成年なんです。朝から晩まで働かせる方がおかしいでしょう?」
「朝から晩まで働いているのか?」
「できることが少ないからって面倒な仕事ばかりを押し付けられて、なかなか終わらずに夕食の時間まで働いている日もあります。今はわたしの手伝いとして料理の練習をしていますけど、その前は練習のための食材を確保するために夕食も抜いていたそうですよ」
お城では、領主一族も官僚も贅沢な暮らしをしている。少なくとも、町で暮らしている者とは全く違う。なのに、使用人は、どうかすると町で暮らす職人よりも厳しい暮らしをしている。
「…………そうなのか?」
「いえ……、自分はなんとも…………」
アンドレアス様に問いかけに護衛の人が視線を彷徨わせる。どうやら、わたしの要求は官僚までは届いていなかったらしい。道理で、他の未成年の使用人が勉強に参加しないわけだ。
「上級使用人と違って、未成年の使用人は表に出ません。彼らを使うのは使用人なので、官僚に聞いても分からないのかもしませんね」
「ふむ……、たしかに、使用人とはいえ未成年の者をそれ程酷使するのはおかしいな。きちんと公休を与えるよう下知しておこう。もちろん、その時間を勉強に充てるのは構わん。まぁ、ペッレルヴォ師については……本人の気まぐれだと言うしかないな」
ペッレルヴォ様に教わっているというのが問題だったらしい。言われてみれば、使用人の子どもが領主様の先生に教えてもらうなんて、驚かれても不思議じゃない。ペッレルヴォ様を苦手だと言う人は多いようなので、それもあって更に不可思議に見えるのだろう。
……それにしても、アンドレアス様はそこで怒ったりはしないんだね。
アンドレアス様は、偉そうだけど横暴ではない。アンドレアス様に仕えようとは思わないが、いい人なんだろうなとは思う。さすが、ペッレルヴォ様に置き去り教育された人だ。
「ただし、動具の贈与は認めない」
「え…………?」
満面の笑みでアンドレアス様を褒め称えようとした顔が、笑顔のまま固まる。
「君が作り出した動具は、シェルヴィステアの神呪開発室長がその仕様を認めたものだ。手に入れるためには正式な手段と購入価格が必要だ。城で使う分は城の予算で正式に購入されることになる」
「でも、ペトラはわたしの友達で……」
「動具は高価だ。本来、そう簡単に手に入れることはできないだろう。君の友達でありさえすれば、その者だけがそれほどの厚遇を受けられるというのは理に反している」
「でも、わたしがあれらを作ったのはペトラのためで……」
「それはそうかもしれない。だが、それとこれとは別の問題だ。そもそも、君の周囲の人間だけが得をする状況は、君の身の安全を確保する上でも良くない」
言い募るわたしに、アンドレアス様が正論を返す。
……分かってる。
アンドレアス様の言ってることは正しい。それはわたしだって、薄々考えていたことだ。でも、受け入れることは難しい。ペトラはわたしにとって初めてできた、同姓の友達なのだ。
ペトラに悩みを打ち明けるのは、コスティに打ち明けるのとはまるで違う。わたしには、ペトラのあの感性と感情だけで白を黒と変えてしまうような、明瞭で強引な意見が必要なのだ。
……ペトラに、嫌われたくない。
「…………どうして……、わたしの周囲の人間だけが得をするのがいけないんですか……?」
「君から得られるものを求めて君の周囲には人が増えるだろう。そして、その中に入れなかったものは恩恵に与れない。そんな状況を、君は正しいと思うか?」
「……それは…………アンドレアス様の周囲も同じなのでは……?」
……全然違う。
わたしとアンドレアス様では、そしてその周囲の者も、立場が違う。分かってる。
「彼らはシェルヴィステア領主の仕事の補佐をするために私の周囲にいる者達だ。私が個人的に親しくしているかどうかは、その評価に含まれない」
「………………」
「……自分が好いている者を贔屓したい気持ちは分かる。自分にとって特別なのだという意思を示すことは、必ずしも悪いことではない」
フッと息を吐いてアンドレアス様が続ける。
「だが、方法を間違えてはならない。そこを間違うと、相手に対して良くない結果をもたらすことも往々にある」
「……良くない結果?」
「ああ。そうだな……例えば嫉妬心だ。君から特別な動具をもらえることに嫉妬されて、嫌がらせを受けることも出て来るだろう。金銭が絡むと人は意外なほどもろく崩れる……」
アンドレアス様が、何かを思い出すように、窓の外に視線を向ける。
「動具は高価過ぎるのだ。特に、君が生み出すものは、まだ他に出回っていない特別なものだ。数が少なくて需要が多ければ金額は跳ね上がる」
「……試作品もダメですか?」
「ラウレンスが保証している以上、シェルヴィステアが認めたものということになる。そして、ラウレンスが保証していない物を、城内で使わせることはできない」
もし、ハチミツ飴を作る動具をラウレンス様に見せてしまったら、あれをコスティに譲ることもできなくなるのだろうか。領内ではなく城内という言葉の選択に、アンドレアス様の譲歩を感じる。
「…………分かりました」
「……未成年の使用人が空いている時間を君の仕事の手伝いに充てることは構わない。そして、それに対して君が報酬を出す分には、私は関与しない」
アンドレアス様が、こちらに視線を戻してじっと見つめる。
「しっかり考えて動け。自分の立場や周囲の立場をきちんと理解して、その影響を見極めろ。何となくで進めると、周囲の者を不幸にするぞ」
思いがけない厳しい言葉にゴクンと喉が鳴る。
「君はそれだけの影響力を持っている。成人までは養父に守られると考えているようだが、恐らく周囲の動きはもっと早い。ナリタカも裏でいろいろと動いてはいるようだが、ランプを広げていけば、君の存在は早晩知れ渡るだろう。そうそう隠しておけるものではないからな。そうなると、養父一人でできることなど、もうそれほどなくなる。そしてナリタカは、立場上あまり派手に動き回れない。君の自覚が最も重要になる」
「………………」
これまでかけられたことのなかった思い言葉に、戸惑う。
「……逃げてばかりいると自然と追われる立場になる。追われるのは辛いことだ。知識と力を付けて、追う側に回れ。自分の意のままに生きたいのならな」
ハッと息を飲む。
ダンは、自分で選べと言っていた。そのために、わたしの自由が保障されているのだ。将来、自分で選べるように、今、できる限り多くのことを学べるように。
選べることが増えるということは、その分自分の自由が増えるということだ。追われて、追いつめられると、その分選べる道が減っていく。今ここにいる、この現状が何よりそれをわたしに教えてくれている。自分で自由に選ぶためには追う側に回らなければならないのだ。
「……分かりました」
追う側に回るのに力と知識が必要なら、それを身に付けよう。わたしは自分で選んでいるのだと、常に自分に満足していられるように。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます