お勉強をしよう

「むしろ、水の膜を使うより、空気で膜を作る方法を考えた方がいいかもしれないですね……」

「なるほど。このタイミングで根本的な部分から考え直すわけか……」


 ラウレンス様の部屋で、難しい顔を突き合わせる。休憩時間には、ここで洗わないおたまの開発に取り組んでいるのだ。


「膜って言うからどうしても液状のものを考えてしまうんですけど、考えて見れば料理が直接動具に引っ付かなければいいんですよね」


 鍋は、食材を熱しなければならないので、どうしても食材に引っ付いてしまうのだが、おたまやヘラなどは、別に食材にくっつけなきゃいけない理由はない。


「だが、周囲から物を遠ざけようと思えば常に空気が対流している必要があるだろう? それは現実的ではないと思うけどね」

「そんなに強い風じゃなくていいと思うんですけど……。んー……たとえば、こんな感じ?」

「……相変わらずスルスルと…………。いや、これでもまだ風が強いだろう?」

「……弾かなくてもいいのかなぁ」


 ラウレンス様は偉い人なので、自分で料理はしないと思っていたのだが、話してみると意外と的確な意見がもらえるので、正直言って驚いた。考えて見れば、住んでいるのは領都の雑貨屋さんだ。ラウレンス様は意外と庶民寄りなんだなと思う。こうして、庶民が便利になる物を考えている時は表情も柔らかくなっている気がする。


「……そろそろ休憩は終わりだろう」

「あ、そうですね」


 でも、仕事にはやっぱり厳しくて、休憩時間と仕事の時間はきっちり分けられる。こういうところは森林領っぽいなと思う。


「……神力の循環に関してだが」

「はい?」


 片付けをしていると、ラウレンス様が何か考えながら声をかけてきた。


「研究所では、人間以外のところから神力を動かして来れないかを研究しているようだ」

「え…………人間以外?」


 わたしが知る限り、動具を作動させられるのは人間だけだ。他の動物にも神力はあるはずなのに、神呪をどう描き変えても、作動させることはできなかった。


「ただ、これは公にされていない。正直言ってたしかとは言えない情報だ。そもそも、そんなことが可能なのかという時点で僕は怪しいと思っている」


 たしかに、普通に考えて、有り得ないと思う。


「……神呪で動具を作る際に、必ず描き込む部分がありますよね。人間かそうでないかを見分けている部分」

「……たしかにあるが……君はあの部分の解析ができているのかい?」

「いいえ。小さい頃からいろいろと試してみてはいるのですが、あの部分だけはどうしても描き変えられなかったんです」


 どれほど細分化して組み立て直してみても、その部分をいじると動具は動かなくなる。他の生き物どころか、人間ですら動かせなくなるのだ。


「……なるほど。それが、開発が難航している原因なのかもしれないね」

「とりあえず、あの部分を変える以外の方法で考えて見ます」


 わたしもラウレンス様も、神呪師としていろいろな神呪に携わっているし、動具を作ることもしている。それでも、神呪は分からないことが多すぎる。わたしたちができることなんて、神呪のほんの端の方をちょっといじるくらいがせいぜいなのだ。






 夕食の後、サロンに移動してペッレルヴォ様とお話をする。


「ふむ。初めから準備された物を使わなければならないと考えるから行き詰るのかもしれんな」

「え? だって、動具を準備しておかないと何も動かないですよ?」

「ふむ。ちょっと待っておれ」


 そういうと、ペッレルヴォ様は一旦サロンから出て行き、しばらくして一冊の本を持って来た。


「これは創世についての本じゃが、主に補佐領主に焦点を当てておる。わしは神呪師ではないので、その方面から読み解いたことはなかったのだが、或いはそちらの方面から見てみる方が、何かが紐解かれるのかもしれん」


 本を受け取ってパラパラ捲る。


「………………読めないのですが……」

「そうじゃろうな。わしも大して読めておらん」

「………………」


 ……そんなものを渡されても、どうしたらいいんだろう。


 本に書いてある文字が独特過ぎるのだ。文字自体が相当古いもので、半分以上、見たことがないものだった。

 図書館に行くようになって気付いたのだが、文字というものは、時の流れによってだんだんと変化していくものらしい。古い書物だと、何となく形は似てる字があるけど違う形だよねというような文字がところどころに出て来る。だいたい前後の流れから察して読み流していくのだが、その分集中力が必要で、一息つくとドッと疲れてしばらく再生できなくなったりする。


 ……さすがに、半分以上が読めない文字だと推察もできないよ…………。


 興味深そうに覗き込んでくるアリーサ先生を見上げるが、お手上げだと言わんばかりに首を振る。


「ここはどうじゃ? どんなことが書いてあるのか何となくでも分からんか?」


 ペッレルヴォ様が指し示す部分を覗き込む。


「うーん……?」

「これが神呪の解説書だとすれば、どうじゃ?」

「うーん………………、なんか……土? 土から……何か……作る? 生まれる…………?」


 自分で言っておいて、何のことだかさっぱりだ。眉間にググッと皺が寄るのを感じる。


「ほう。なるほどのう」


 ペッレルヴォ様がなんだか目を輝かせて喜んでいる。


「そうかそうか。生まれるのか」

「なんですか?」

「わしはこれを、土で何かを作ると解釈したんじゃ」

「んん?」


 そう言われて、もう一度本を覗き込む。


「んんん? ……いえ……やっぱり、作るんじゃなくて生まれるんじゃないでしょうか?」

「そうかもしれん。これはのう、わしが察するに火山領の話じゃの」

「火山?」

「そうじゃ。ふむふむ。おもしろいのう。アキ、これは恐らくな、創世の極初期の頃を書き記したものじゃ」

「あ……それで、神呪なんですね」


 神人は補佐領主に神呪を与えたとされている。創世の初期の頃の補佐領の記述ならば、授与されたばかりの頃の神呪についての記述である可能性が高い。今のように、ある程度定形として決まってしまう前の神呪について触れられているかもしれない。


「…………読まないといけないですね」

「そうじゃの」


 ペッレルヴォ様が涼しい顔で言う。


「………………」

「では、わしが授業をしてやろうかの」

「……少しお勉強の時間が多くはありませんか?」


 アリーサ先生が柔らかく阻止に動く。先生としては、勉強より歓談の時間を取って礼儀作法の授業を勧めたいのだろう。


「礼儀作法に関しては、野の日の午後に取ってあるじゃろう?」

「全く足りていませんわよ」

「ふむ。では、ラウレンス殿に言って、仕事の時間を少しもらうとするかのう」


 ……ううっ、ラウレンス様、ごめんなさい。


 わたしにはペッレルヴォ様を拒絶するなんて難易度の高い技は使えない。


「………………お願いします」


 正直言って、読めない本を読むのは苦痛だ。読めない神呪を読み解くのは楽しいけど。


 ……苦痛の後に楽しい神呪の時間が待ってるって思うしかないよね。






「ペトラ! 今日は何か甘いもの作ろう!」

「は? 何よいきなり」


 さっきのサロンでのやり取りで疲れてしまった。読めない本をこれから読まなきゃいけないと思うだけでうんざりしてしまう。


「……お勉強が強化されるの。……サロンでの礼儀作法のお勉強も強化されるの」

「……いいじゃない。あたしだって勉強したいくらいだもん」

「え……そうなの?」


 さすがにお城で育つといろいろと感覚が違うんだなと感じる。穀倉領でも森林領でも、町で暮らしている人の口から、お勉強がしたいという言葉なんて聞いたことがない。


「普通の使用人ならいらないんだけどね。上級使用人になろうと思ったら教養は必要だわ」


 なるほど。ペトラが目指しているのは料理人で、料理人は上級使用人だ。家主に求められれば自ら料理の説明を行ったり取り分けたりもしなければならない。その際に、教養が必要な会話を求められることもあるのだろう。


「ペトラは読み書きはできる?」

「はぁ? 当たり前でしょ。あたし、もう12歳なのよ。読み書きできないわけないじゃない」

「え……お城の使用人って、みんな読み書きができるの?」

「え…………、職人の子はできないの? お城だと、10歳になると習わされるわよ」


 ペトラが信じられないというように固まっている。でも、たしかに職人でも10歳になると手伝いに出た先で読み書きを習う。ただ、それほど重視されていないので、身に付かないだけだ。そもそも、そうやって、あまり身に付けなかった工房長とかが教えるので、上手に教えることができない。


「職人も一応、10歳で習う形は取ってるんだけどね。あんまり必要な場面がないからほとんど忘れちゃうんだよ」

「へぇ……、読み書きが必要ない生活なんて、ちょっと想像できないわ」


 そう言って、ペトラが調理場をグルっと見渡す。たしかに、こうしてちょっと見回すだけで、お城にはいろんな文字が書いてある。何がどこにあるのかの見出しだとか注意事項だとか。


「工房内にも少しは字があるんだよ。みんな、いつも見てる文字だけは読めるの。だけど見慣れない文字は覚えてないし、たぶん見慣れたものでも書くことはできないんじゃないかな」

「…………ここと町中とだと、いろんなことが違うのね」

「そうだね」


 領都に下りることがあっても、寄り道はしたことがなかったと言っていた。先日、ちょっと出店を回っただけでもものすごく衝撃を受けたりしてたので、町中の生活は本当にペトラには想像もつかないことが多いのではないだろうか。


「ねぇ、わたし、ペッレルヴォ様にお願いしてみようか」

「え? 何を?」

「わたしがお勉強する時に、ペトラも一緒にお勉強しちゃいけないか」

「え…………」


 ペトラがひどく驚いた顔をする。


「アキちゃん」

「アキ殿、それは越権行為だ」


 同時に、リニュスさんとヒューベルトさんからも厳しい声がかかる。


「どうして?」

「ペトラはこの城に仕えている使用人だ。仕事があるだろう」

「……あたしは、あんたとは立場が違うのよ」


 ペトラが顔を背けて言う。


「アキちゃんはこの城内では客分に過ぎない。領主の使用人が業務を遂行するのを邪魔することは、さすがに許されないよ」


 リニュスさんが、言い聞かせるようにゆっくり話す。だが、その指摘はおかしい。


「うーん、みんなねぇ、そもそもの前提がおかしいんだよ」

「……何がおかしいのだ?」


 ヒューベルトさんが怪訝そうに聞いてくる。そういえばヒューベルトさんは生まれつきの上流階級だ。感覚が違うのかもしれない。


「だって、ペトラは12歳なんだよね?」

「……そうだけど」


 ペトラも怪訝そうだ。リニュスさんは何か考え込んでいる。


 ……リニュスさんは庶民になじみがあるはずなんだけどなぁ。


「成人前のまだ手伝いなんだもん。正式に働いてるわけじゃないでしょ? 午後を勉強に充てるのは普通だよ」

「あ……!」


 その場にいた全員が、呆気に取られた表情をした。


 ……まぁ、たしかに、立場は違うだろうけどね。わたしは一応、神呪師として働く契約で来てるわけだから。あれ? もしかして、わたし、働き過ぎなんじゃない?






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