わたしの立場とアーシュさんの立場
「ヒューベルトさん、わたし最近忙しいから、とりあえず今月は家に帰るのはなしにしようかと思うんだけど……」
「……いいのか?」
ヒューベルトさんの確認に、ちょっと目を逸らす
「……うん。出店も納品もないから迷惑をかける相手はいないと思う」
「…………分かった。連絡しておこう」
一応、わたしからもお休み通信で話すけど、わたしが通信機を持っていることは内緒なので、ヒューベルトさんにもちゃんとお願いしないといけない。
……こういう、相手によって内緒の内容が違うことが結構面倒くさいんだよね。
アーシュさんは信頼できるナリタカ様の従者。ヒューベルトさんとリニュスさんは監視兼護衛。ラウレンス様やアンドレアス様達は、森林領の官僚や領主様。寝る前に毎日そう念じて寝なければ、つい言っちゃいけないことを言っちゃいけない人に言ってしまいそうだ。
……そして、ダンは、わたしの保護者。だよね?
ダンのことを考えると心臓がギュッとなる。ちゃんと確認しなきゃと思う自分と、確認しちゃいけないと思う自分がいて、どうしたらいいか分からない。本当のことを知ることをこんなに怖がったことがなくて、そんな自分を持て余してしまう。出口が見えない洞窟に迷い込んだみたいだ。
ペトラは忙しい。
わたしも忙しいと思うけど、ペトラの忙しさはわたしとは違った忙しさだ。
「ペトラ、今日はずいぶん疲れてるね」
「……それ、女の人には言っちゃいけない言葉だって知ってる?」
「……へ? ……ぇええっ!? なんで!?」
ヒューベルトさんとリニュスさんを振り返って聞くと、ヒューベルトさんが神妙な顔で頷き、リニュスさんは苦笑する。
「顔色が冴えないって言ってるわけだからね」
リニュスさんの言葉におおっとわたしとヒューベルトさんが納得の声をあげる。さすがはリニュスさんで、ヒューベルトさんはやっぱりヒューベルトさんだ。
「え……でも、じゃあ何て言ったらいいの?」
ちょっと戸惑いながらリニュスさんとペトラを交互に見ると、視線だけで同じように交互に見ているヒューベルトさんが視界の端に入る。ヒューベルトさんはわたしの護衛に付くことでいろんなことを学んでいると思う。
「そうだねぇ。今日はゆっくりしようか、とかでいいんじゃない?」
……疲れているようだ。余力はあまりないだろう。休めと言えば疲れて見えると言っているようなもの。っていう順番で考えて、最後にゆっくりしようかに行き着くんだね……。
思わずヒューベルトさんを見つめる。
「うむ」
力強く頷くので、これ以上追及するのは止めよう。
「えっと……でも、ほら。詳しく話してもらったら何か楽になる方法、考え付くかも知れないでしょ? わたしのクレープだって、ペトラに協力してもらった方がいろいろ思いつくし」
ラウレンス様は一人で集中した方が成果が出ると言ったけど、そういう時もあれば違う時もあると思う。みんなで相談しながら進めた方が成果が上がることだってある。
「……別に、今日は洗濯物が多かったってだけだし」
「そういえば、ペトラはよく洗濯物運んでるね」
初めて会った時も、たしか厨房に洗濯物を運んできていた。
「誰でもできるし誰もやりたがらない仕事だからね。子どもの使用人にやらせるのよ。子どもには他にできることもあまりないし」
「洗濯場まで持って行くの?」
「そうよ。汚れ物を持って行って、洗い終わったものを回収してくるの」
洗濯場は敷地内の端の方にあった。毎日行ったり来たりするのはたしかに大変そうだ。
「荷車で?」
「荷車は使えないわ。大人用だから重いのよ」
「え!? じゃあ、手でちょっとずつ運ぶの!?」
「そうよ。手じゃなくてカゴに入れてだけどね」
……なんていうか、とても非効率的だと思う。
「大人用の荷車か……」
「アキ殿」
「ん。新しいものを作ったりはしない」
厳しい声で名を呼ぶヒューベルトさんに、考え事をしながら言う。
……今までに使われている神呪なら、使ってもいいよね。
「でも、わたし、荷車の改修ってやってみたかったんだよね」
以前、木工工房に行ったが、余っている荷車がなかったので断念していたのだ。しかも、その後にはヒューベルトさんとリニュスさんが馬で来るようになったので、足が必要なくなった。
「今後のためにも、ちょっとやってみたいなぁ……」
「アキ殿」
ヒューベルトさんの声がちょっとだけ大きく、険しくなった。
「……ヒューベルトさんから見ると、わたしってそんなに幼い?」
「む?」
ヒューベルトさんは、質問の意図を測りかねるように首を傾げる。リニュスさんはと見ると、こちらは少し目を細めて、様子を見るようにわたしをじっと見ている。
「わたし、アーシュさん、好きだよ」
「………………」
「アーシュさんが本当に困るようなことは、できるだけしないでおこうと思ってる。とってもお世話になってるしね」
「…………できるだけ、か」
ヒューベルトさんがスッと目を細める。
「そう。だって、アーシュさんの主はナリタカ様だけど、ナリタカ様はわたしの主ではないんだもん」
「……ナリタカ様は主として申し分ないぞ」
「かもしれない。でも、少なくとも今はわたしの主ではない。わたしが自分を捧げて守ってもらう相手はナリタカ様じゃない」
「………………」
「そして、アーシュさんは、わたしの保護者でもない」
いまいち納得していないヒューベルトさんに、畳みかけるように言う
「アーシュ様は、アキ殿のことについては全面的に責任を負っておられる」
「ナリタカ様の周囲ではそうかもしれない。でも、じゃあわたしが、ナリタカ様が望まないことをしたいと言って、アーシュさんはそれを叶えることはできる?」
「いや…………」
僅かに目を逸らすと、小さな声で否を告げる。別に言いにくそうにする必要はないのに。そんなことは当たり前のことなのだから。
「今のところ、アーシュさんはわたしの希望を可能な限り叶えてくれる。でも、それは絶対じゃない。それなのに、わたしには絶対を求めるのはおかしいと思う」
「………………」
「わたしもアーシュさんも、できるだけ相手の希望を叶えようと思ってる。でも、絶対じゃない」
この、「できるだけ」を飲み込むのに時間がかかっただけだ。わたしはいつの間にか、アーシュさんに「絶対」を求めていて、それを手に入れるために、アーシュさんの希望を「絶対」に叶えようとしていた。でも、わたしとアーシュさんはそういう関係じゃない。アーシュさんは、ダンじゃない。
「わたしもアーシュさんも、それぞれの立場の、一人の人間だよ」
「………………そうだな」
「一つだけいい?」
苦い顔で、でも頷くヒューベルトさんの横で、ずっと無表情で聞いていたリニュスさんが手を挙げる。
「何?」
「アキちゃんはアーシュ様を信頼してるんだよね?」
「うん。穀倉領にいた時からお世話になってるし、アーシュさんは信用できる人だって思ってる」
「うん。じゃあさ、ナリタカ様は?」
「……え?」
思いがけない質問に目をぱちくりさせる。
「アーシュ様はナリタカ様のためなら意に沿わないことで、も……する、かな? いや、意に添うようにしちゃう気も……いや、まぁ、するかもしれない。可能性は低いけど……」
リニュスさんが途中から眉を顰め首を傾げながら自問自答を始める。
「と、とりあえず。アーシュ様がナリタカ様のために、自分の意に沿わないことを選択したら、アキちゃんはどうする?」
「どうするって?」
「いや、ナリタカ様の意向に従うのか、アーシュ様のためにナリタカ様の意向に逆らうのか」
なんだかよく分からない質問だ。そんなの決まってる。
「どっちにしても、アーシュさんが選ぶことでしょ? 意に沿わないことを選ぶのだって、アーシュさんだよ」
アーシュさんが選んだことが、アーシュさんの希望だ。自分で選んどいて「ホントは嫌だったのに」とか子どもみたいな言い訳は、アーシュさんはしないのではないだろうか。
「わたしはずっとダンに従って来たけど、それは自分で選んだことだよ」
穀倉領を出るのだって、森林領に来るのだって、わたしの意見なんて特に聞かれず、攫われるように連れて来られた。でも、それはわたしの選択だ。
「わたしは子どもで、自分一人では生きていくことすらできなかったんだもん。だから、絶対守ってくれるダンに、絶対従うって決めて来たんだよ。それはダンが選んだことじゃなくて、わたしが選んだことなんだから、それがわたしの希望したことなんだよ」
だからこそ、いざとなったら一人で生きていける手段を探していた。守ってもらえる間は守ってもらうことと、守ってもらえなくなった時のために準備をすることは、ダンに絶対に従うことと繋がっている。
「アーシュさんだって、そうでしょ?」
誰だって、最後には自分で選んでいるはずだ。その選択が合っていたか間違っていたかは別として。
「リニュスさんだって、そうじゃないの?」
「………………なるほどね。分かった」
リニュスさんがお手上げだと言うように両手を上げる。
「じゃあ、そういうことで行こう。アキちゃんは自分で考えて選ぶ。オレ達は、ナリタカ様からの命令で、アキちゃんの監視兼護衛をする。アキちゃんは、まだナリタカ様の傘下に入っていない」
「……うん」
改めて言われると少し緊張が走る。自分の護衛をしてくれている人が、必ずしも自分に最善の選択をしてくれるとは限らないのだ。わたしはこれから、常にそれを念頭に置かなければならない。
「でも、報告はしていいよ。わたしはアーシュさんを信頼してるから」
「…………ハァ。分かった。それで良かろう」
ヒューベルトさんに言うと、疲れたようにため息を吐かれる。
「ククッ。さすがオーラフ様。好きに判断せよ。責任は全面的に負う、か。たしかに、型にはまったやり方じゃアキちゃんの監視兼護衛は勤まらないな」
対照的に楽しそうなリニュスさんも、わたしはそれなりに信頼している。少なくとも、人間性とかは好きだと思う。
「わたし、ヒューベルトさんとリニュスさんのことも好きだよ」
「………………は?」
「アッハハハ。すごい、最高の護衛対象だ。ありがとう、アキちゃん。しっかし、ヒューベルトさんをこんだけ固まらせるなんて、さすがアキちゃんだね」
カチーンと固まったヒューベルトさんを突いてるリニュスさんが過去最高に楽しそうなので、まぁ良かったなと思う。こんな風に、弾けるように、笑いが止まらないいうように笑うリニュスさんて初めて見るかもしれない。
翌日の終業後、わたしとラウレンス様、はペトラに案内してもらって、本邸の裏にある小屋に来ている。数台ある荷台のうち1台を、神呪の実験に使う許可をもらったのだ。
「うん。いいだろう、作動させてみて」
「はい」
わたしが描いた神呪を確認したラウレンス様に促されてペトラが荷車をグッと押す。すぐに動き出した荷車に、ペトラがたたらを踏む。
「え、えっ!? ちょっ、なによこれ!」
「ペトラ、手! 手、離して!」
今までと違って、ちょっと力を込めただけで動き出した荷車に驚いて、ペトラがちょっと引きずられてしまった。
「あ、危ないじゃない!」
「うーん……もう少し重い方がいいのかな?」
「重さよりも風の抵抗を加味した方がいいね。そうすれば風が強い日でも変わらなくなる」
「あ、なるほど」
ペトラに試してもらいながら、神呪を調整する。荷車が重くて使えないのなら、使えるようにすればいいという話だ。
「あ、これならちょうどいいわ」
「うん。荷物を乗せる前提だから、少し軽めの方がいいよね。これ、ペトラ専用にしてペッレルヴォ様のお屋敷に持ってっちゃおうよ」
「え? い、いいのかしら……?」
ペトラが戸惑ったようにラウレンス様を伺う。まぁ、自分専用の荷車持ってる人なんて他にいないだろうしね。
「いいですよね? ラウレンス様。これ、神呪の実験用にもらったものなんだし」
「まぁ、そうだね。構わないよ」
わたしが目指していたのは、もっと簡単に、自分自身も乗っかって自動で動くものだったのだが、さすがにそれをここで作ってしまうのはマズイ気がした。
制御が難しい便利なものよりも、これくらいのものでも、ペトラが簡単に楽になるのなら、まぁいいかと思う。
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