便利動具あれこれ
二人で領都にお出かけした日から、ペトラは毎日野菜を切っている。
今まで、野菜を切る作業は台所女中の仕事だと、注意して見ることはなかったのだそうだ。所詮、女中の仕事だからと甘く見ていたらしい。
……ハンナも、アドバイスはしてくれるけど、実際に料理をやってみせてくれたことはないもんね。
「とりあえず、あたしにできることはこれくらいだもん。その代わり、野菜を切るのが上達したら、またあの宿に連れてってよね」
「いいよ。じゃあ、それが新メニュー開発を手伝ってくれる報酬だね」
報酬という言葉にペトラが驚いた顔をする。
「報酬なんてあるの?」
「だって、お仕事をやってもらうんだもん。対価が必要でしょ? 新メニューとして採用したら、その都度何か払おうかとは思うんだけど……わたし、今手元にお金、あんまり持って来てないんだよ。どうしようか?」
「……そんなこと聞かれても……普通はどうするのか、あたし、知らないもの……」
ペトラが戸惑うように、ちょっと拗ねたように言う。言われてみればそうだなと思う。
「ねぇ、リニュスさん。こういう時はどうしたらいいの?」
たとえ手元にお金があったとしても、子どもであるわたしが、同じく子どもであるペトラにお給料を払うことはできない。間に大人を立てないといけないが、わたしとペトラの両方が信頼できる大人というのが周囲にいない。
「うーん……。じゃあさ、ナイフとか鍋とかをアキちゃんが買って、それをあげるとかしたらいいんじゃない? 料理人になるなら自分の調理道具は欲しいでしょ?」
「あ、なるほど。ペトラ、どう?」
「……いいの?」
ペトラは、信じられないと言うように目を大きく見開いて聞いてくる。領都に出ないペトラには、自分の調理道具を手に入れる手段はそうないだろう。
「うん。じゃあ、何をプレゼントするかは仕事の内容を見てから決めてるね」
「分かったわ!」
ペトラの目がキラキラ輝く。その表情に、生来の気の強さは残っているが、先日までの拗ねたような苛立ったような様子は見られない。エルノさんもそうだけど、目標に向かって進もうとしてる人って、みんな表情が生き生きとして楽しそうなのが印象的だ。
……ってことは、コスティはまだ迷ってたのかな。
そういえば、コスティは仕事をしている時も、これほど生き生きと楽しそうにはしていないなと思い出す。
ヒューベルトさんとリニュスさんを見ると、二人とも、特にキラキラしてはいないが、鬱々と迷っている様子も見られない。少なくとも、現状に不満がある感じには見えない。
……ダンは、どうだったのかな。
思い出そうとしたが、思い出したくない光景の方が先に出てきそうで、頭を振って断念する。今はせっかく楽しい気分でペトラと話しているのだ。それをわざわざ壊したくない。
「ところで、アキちゃんは何の動具を作ろうとしてたの? アーシュ様に許可を取らなきゃいけないでしょ?」
「あ、そっか。あのね、焦げ付かない鍋なの」
鍋で試そうとしているのは、表面を細かく凸凹にするというものだ。鍋自体を加工してもらうことも考えたのだが、食材は柔らかいものが多い。肉なんて、きっと鍋を凸凹にしたってそれに合わせて柔らかくくっついてしまうんじゃないかと思える。
「金属って、土とか水とかと違って、神呪で形を変えようとしてもなかなか変わらないんだよ。それってつまり、すごく細かく変えることができるってことでもあると思うんだよね」
アーシュさんに許可をもらってもらうため、わたしは一所懸命ヒューベルトさんに説明する。
ヒューベルトさんは、神呪には全く詳しくない。動具がどんな仕組みで動くのかとかには全然興味がないのだそうだ。まぁ、考えてみればわたしも、ヒューベルトさんやリニュスさんがどのように戦うかなどには全く興味がわかないので、誰でもそんなものなのだろう。
「よく分からんが、今聞いたことをそんまま伝えよう。分からなかったら分からないと聞いてくるだろうからな」
「……ねぇ、他の誰にも言わないから、先にペトラに使ってもらっていい? 貸すだけにして、ちゃんと回収すれば大丈夫でしょ?」
ヒューベルトさんとアーシュさんのやり取りを考えると、すごく時間がかかりそうに思える。新しい動具を森林領に渡したくないだけなら、神呪を見せなければ良いのではないだろうか。
「では、とりあえずその許可をもらうことにする。それくらいならば、すぐにやり取りできるだろう」
ヒューベルトさんとアーシュさんは、通信機でやり取りをしているらしい。だが、わたしがダンと使っているものと違って音での通信なので、始めに暗号として決めていない単語はやり取りできない。
……まぁ、できると言うんだから、何か方法があるんだろうな。
深く突っ込むと、わたしが作った通信機のことがバレてしまうかもしれないので、大人しくヒューベルトさんに任せることにする。
「じゃあ、とりあえず、今日は野菜の皮剥きだね」
「ええ。ジャガイモは具材としても使えるでしょ? この前みたいにグツグツ煮込んだらいいと思うの」
「そうだね。あ、クレープの生地を厚くしてみたいから、ちょっと濃いめの味付けにしてくれる?」
「分かったわ」
楽しそうなペトラを見ていると、わたしまで楽しくなってくる。でも、クレープの具材だけでは使う野菜なんて限られていて、練習としてはそのうち足りなくなってくるだろう。今のうちに他に練習できる状況を考えておいた方がいいかもしれない。
……ハンナさんにお願いしてみるのがいいかも。
なんだか、ここにきてやっと、お城での生活もけっこう楽しい気がしてきた。ペトラに会えただけでも、来て良かったかもしれない。まぁ、まだアンドレアス様に感謝するというところまでは行かないけどね。
取っ手を持っている間は作動して、表面が小刻みに凸凹する鍋ができた。
ついでに、小刻みに前後するおろし器も作ってみたのだが、これは使うのが難しかった。取っ手を持つ手の中を、スルスルと滑らかに滑り、かつ取り落とす心配がないという工夫が必要なのだ。これは工房にお願いした方がいいかもしれない。
「この鍋の取っ手の部分は元々作ってたの」
そう言って、作動させると鍋の取っ手にピタッとくっついて覆い、いちいちタオルで巻かなくても熱くならない仕様の取っ手部分をペトラに渡す。
「これなら取っ手にいちいち布を巻く必要ないでしょ?」
「……これ、便利ね」
「そう? じゃ、商品化すれば売れるかな」
アーシュさんに言えば売ってくれそうな気がする。ランプがまだ売れていないので、動具による収益はまだない。以前は、神呪で稼ぐことなんて考えていなかったが、独り立ちすることが現実味を帯びてくるとやはりハチミツだけでは心許なく感じてしまう。ペトラにお金が必要なように、わたしにだってお金が必要だ。
「……売り物なのね」
「うん。でも、ペトラが新メニュー考えてくれたら、あげるよ? あ、アーシュさんの許可が出ればだけど」
「ホント!?」
ペトラの顔がパッと輝く。たぶん、動具の相場としては相当安い。一般的に、どんな動具であれ、手伝いの身分で買えるような金額ではないはずだ。だけど、そこは雇用主であるわたしの判断で構わないと思う。何と言っても、手伝ってもらっているのは料理なのだ。そのための動具を提供するのは当然だ。
「今は貸すだけだけどね」
「じゃあ、もらえるようにがんばるわ!」
「じゃあ、わたしも保冷庫の開発、がんばるよ!」
ハンナに、翌日の分の野菜を切らせてもらえないか聞いてみたら、痛むから無理だと言われた。それをペッレルヴォ様に話したところ、空気に触れないようにして凍らせることができれば保存できるものもあるのではないかと言われたのだ。
「冷凍させるだけならすぐにできるんだけどね。それを維持するってのが難しいんだよね」
そういえば、街灯も、光らせた状態を維持する部分が問題なのだった。
……あれ? そういえば、火を点けっぱなしにする動具の依頼も研究所に来てたっけ。
もしかしたら、作動した状態で神力を循環させるものを開発することが、全ての解決につながるのかも知れない。
「じゃあ、やっぱり研究が必要なのは心臓かな」
「は?」
……そう言えば言ってなかったっけ?
周りのみんなのポカンとした顔を見て思い出す。
「心臓が血を循環させてる仕組みが知りたいんだよ。それを応用できないかと思って」
「…………あんたって、いろいろ考えるのね……」
ペトラがちょっと呆れた顔で言う後ろで、ヒューベルトさんが頭を抱えているのが見える。
「それを、どうアーシュ様に伝えれば良いのだ?」
そういえば、ヒューベルトさんは毎週アーシュさんに報告書を出していると聞いた気がする。
「そのまま伝えればいいよ。きっとアーシュさんなら分かってくれるよ」
「…………分かってもらえるだろうか?」
「……いや、分からないと思いますよ?」
ヒューベルトさんの一縷の望みをリニュスさんが無情に断ち切るのを横目に見ながら、とりあえず冷凍庫を作った。空き箱に神呪を描くだけなので簡単だ。
「これではダメなのね」
「そうだね。たぶん、鐘二つ分くらいしか持たないから定期的に作動させなきゃいけないんだよ」
「……それはちょっと難しいわね」
最後の見回りから、次にハンナがここに来るまでには鐘2つ分ではさすがに足りないだろう。神呪をもっと複雑にして時間を伸ばそうとすると、描く場所が足りない。箱の大きさを大きくすれば、更に神呪を描く必要がでてきて、結局終わりがない。
「よし、じゃあ、心臓の本の続きを読むぞ!」
図書館から借りた本はまだ途中までしか読めていない。ラウレンス様も街灯を待ち望んでいるようなので、がんばろうと思う。
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