フレーチェ様とお茶会

 今日はこれから、フレーチェ様とのお茶会だ。


「あんた、今日の午後は休むんだって?」

「はい。お茶会という名の礼儀作法レッスンです」


 最近、昼食はマルックさんの班の人たちと取ることが多い。最初の頃はラウナさんが声をかけてくれていたが、班ごとに作業するので、違う班にいると食事に出かける時間がズレたりするのだ。ラウナさんより先に昼食に行こうという話になった時にマルックさんが誘ってくれて以来、昼食はマルックさんたちと食べている。


「あぁ……礼儀作法……そういや研修あったなぁ……」

「こう見えて、一応オレ達も受けてるんだよ。研修」

「使わないと忘れるよなぁ」


 礼儀作法の話をしながら、豪快に食事を取っている。たしか、食事は取り過ぎないようにと言われた気がするのだが、男性は違うのだろうか。ちなみに、マルックさんの班は3人全員男性だ。というか、神呪開発室にいる女性はラウナさんとマティルダさんだけだ。そして微かに残っている研究所の記憶でも、やはり女性の神呪師は少なかったと思う。


「大変だろうが、がんばれよ」


 お茶会を控えているので食事を制限している前で、豪快に食べながら応援してくれる。本当に応援してくれているのかなと微妙に思うが、まぁ、マルックさんたちだからなと納得もする。






「お久しぶりね。アキ」

「お久しぶりです。フレーチェ様」


 庭園のお茶室に着くと、広い窓から庭園をぐるりと見渡せる窓際のテーブルに案内される。


 フレーチェ様は、ベージュの裾の長いシンプルなドレスの上に、ブルーグレーの長いベストを重ねて紺色の帯を締めている。ベストの中に見えるドレスはシンプルだが、布と同じ色の糸で裾に刺繍がしてあるのが近づくと見えた。そして、ベストには白地の糸で、帯には暖色系数色で複雑な模様の刺繍が施されている。色合いは地味な方なのに、一見して豪華で派手な印象だ。


 ……うん、正解。さすがヒューベルトさん。


 淑女の礼をとり、勧められた席に座る。ゆっくり、ゆっくり。急ぐよりも指先に神経を注ぐ方が大事だと自分に言い聞かせる。仕事とは全く違う価値観に切り替えなければならない。


「今日はゾート・ショルシーナのケーキなのよ。王都にある菓子店なの。ご存じ?」

「はい。ショルシーナ菓子店は穀倉領でも聞いたことがありました。チーズケーキを頂いたことがあります。とても美味しくて食べてしまうのがもったいなく感じてしまいました」

「まぁ。でも、分かるわ。食べるとまるで宝石を見つめるようにうっとりとしてしまうものね。今日はクリームのケーキよ。お口に合うと良いのだけれど」


 ……ゆっくり、ゆっくり。


 しゃべるのもカップを持ち上げるのも、もちろん下ろすのも、急いではいけない。慌てているように見えると品がないと思われてしまう。

 ゆっくりと小さく切って、一口ずつ丁寧に口に運ぶ。できるだけ頭は動かさず、フォークを口元に持ってくる。決して、この一口の間に発光の神呪が2つは描けるなとか考えてはならない。


 お茶を飲んでケーキを食べて歓談して、庭園を眺める。たったそれだけのことに鐘一つ分以上使うのだから、上流階級というのは忍耐強さが大事なんだなと改めて学んだ。生産性があるように感じられないのは、わたしが庶民だからなのだろう。そうに違いない。


「悪くはなっていないけれど、特によくなっているわけでもなさそうね。服の選び方は大変結構よ」

「ありがとうございます。ヒューベルトさんがとても頑張ってくださいました。今は神呪の仕事ばかりですので、身に付けた作法を披露する場があまりないのです。教わったことを忘れないようにするだけで精一杯なのです」


 フレーチェ様がこの衣装で来るだろうことは、ヒューベルトさんの事前調査で分かっていた。私の今日の衣装は、薄い水色のワンピースで、裾と袖に白のレースがふんだんに使われているものだ。色がかぶっておらず、でもフレーチェ様と大きくはずれてもいない。そして、レースが使われていて豪華だが、使われている場所が狭いので、フレーチェ様より目立たない。


 当日、高貴な方が何を着て来るのかを調べるのはとても重要なことだ。わたしの方が下の立場なので、色が重ならないように、相手より目立つ色を選ばないように、相手の装飾品とバランスが良く、でも相手よりも格下になるように選ばなければならない。わたしはまだアクセサリーは身に付けないが、レースやらボタンやらは服に付いている。これも装飾品として考慮しなければならない。

 いっそ庶民の服を着ていけば絶対に地味で格下になるのだが、一緒にいることで相手に恥ずかしい思いをさせたり不快にさせてはならないのだそうだ。


 自分より格上の相手をあからさまに調査するようなまねはできないので、さりげなく探らなければならない。ヒューベルトさんは本当に力を尽くしてくれたのだ。


「そうね。もう少しレッスンを増やせるように考えてみるわ」

「ありがとうございます」


 にっこり笑ってお礼を言う。決して、その間に発光の神呪が30個は描けるなとか考えてはいけない。


 ……無心で無心で。笑顔笑顔。


「アキは飲み込みが早いから教え甲斐があって楽しいわ。もっといろいろと身に付けましょうね」


 後日、ラウレンス様に話した上でまた連絡するということで、今回のお茶会レッスンはお開きとなった。部屋に戻って一人きりになるまで、ため息など、吐いてはいけない。






「調理場のことだけれどね」

「はい」

「やはり料理人の許可を得られそうにないんだよ」

「……そうですか」


 フレーチェ様とのお茶会の後、ちょうどお城から出てきたラウレンス様と会って呼び止められた。


「料理人たちが下がった後なら良いとアンドレアス様は仰ったのだけれどね、そんな時間帯は君ももう寝ているだろう?」

「そうですね……」


 料理人は庶民の出の使用人なのだが、食べ物を扱うため主人の信頼の厚い者が雇われている。料理の腕前が良く、紹介状の記述が良い者しかなれない職業なので、他の使用人と違って立場が強い。お城の料理長ともなれば、その辺のちょっと神呪が描ける子どもなど鼻にもかけないだろう。


「そこで考えたのだけれどね」


 ラウレンス様が、ちょっと楽し気な顔をする。少なくとも、諦めるよう勧める顔ではない。


「君、自分で調理場を作ったらどうだろう?」

「は?」


 何を言われているのか咄嗟に理解できない。


 ……調理場?調理場って言ったよね?作るのは場?調理ではなく?


「私はあまり詳しくないのだけれど、火を使うところと水場があれば良いのだろう?」

「いえ……調理台や調理器具を置く場所も必要ですが……」

「うん。じゃあ、それも含めてね、開発室に簡易な調理場を作る方向で検討してみてくれないかい?」

「えっ!?開発室に!?」


 神呪開発研究室で調理を行うのだろうか。怒られないだろうか。いや、ラウレンス様がいいと言ったのだから文句を言う人はいなさそうだけど。


「開発するものによっては徹夜で行うこともあるんだよ。だから、あそこで簡単に調理ができるのなら便利かもしれないと思ってね」


 なるほど。たしかにそうかもしれない。料理人は終業時間が決まっている。その時間を過ぎてから何か食べたいと思うと、外から調達して来るしかないが、ここは山の上で遠いし、何よりそんな時間に開いているお店がそうそうあるとも思えない。


 ……いいのかな。たぶん、新しい動具とか作っちゃうと思うんだけど。


 そんな面白そうなことを任されて、我慢できるとは思えない。絶対に、無意識のうちに新しい神呪とか動具とかを作ってると思う。

 振り返って後ろの二人を見上げると、ヒューベルトさんが僅かに目を眇める。


「……アーシュさんとの約束もありますので、相談してからお返事しても構いませんか?」

「ああ、もちろんだよ。それにしても、ずいぶんアーシュを気にするんだね」

「アーシュさんには以前からとってもお世話になってるんです」

「なるほどね。信頼は一朝一夕に得られるものではないからね」


 アーシュさんは、わたしが神呪が描けるなんて知らない頃からとても良くしてくれた。神呪を抜きにした、わたし自身の価値を認めてくれた人は、今となっては貴重になってきている。


 ……ナリタカ様だって、欲しいのはわたしの神呪の技術なわけだしね。


 ダンがいないこの状況で、わたしが今頼るべき人は、きっとアーシュさんだ。精神的にも、立場的にも。






 次の日は都の日だったので、家に帰った。リニュスさんがアーシュさんに調理場のことを手紙に書いて問い合わせてくれているので、来週中くらいには返事が来るんじゃないかと思う。

 そうして、火の日にはコスティと出店を出し、その日の夕方にお城に戻った。


「アキさん、面会が来ているよ」

「面会?」

「や、アキちゃん。久しぶり」


 ラウレンス様と一緒に隣の部屋から入ってきたのはアーシュさんだった。手紙が来るかと思ったら本人が来たのでびっくりだ。ちなみに、最近は少し気を緩めて、わたしが一人で作業している時には椅子に座ったりしていた護衛の二人もびっくりだったようで、アーシュさんが見えた瞬間立ち上がり、何事もなかったかのようにわたしの後ろに立っている。二人とも、さすがの身体能力だと思う。信頼度が増した。


「はい。お土産。まぁ、図書館があるからあんまり必要ないかも知れないけどね」

「わぁ!アーシュさんありがとう!アーシュさんが選んでくれる本、おもしろいから好きだよ」


 アーシュさんが持って来てくれるお土産の本は、普段、わたしがあまり興味を持たないものが多い。最初はあまり気が進まなかったが、他に読むものもなかったので読んでみると、すごくおもしろかったのだ。


「そう?アキちゃんが、自分じゃ選ばないだろう本を、敢えて選んでるんだけどね」

「え?どうして?」

「興味がある知識なら、アキちゃんは放っておいても自分で手に入れるでしょ?でも、それだと知識も価値観も偏ってしまうからね。これも勉強の続きだよ」


 なるほど。アーシュさんの家庭教師は、試験が終わった今でもまだ続いていたようだ。


「そっか。そうだね。アーシュさんが本をくれなかったら全然知らなかったことばっかりだ」

「うん。でも、興味がなさそうなものでもちゃんと読むところがアキちゃんだね。その好奇心は宝物だと思うよ」


 アーシュさんは相変わらず穏やかだ。少なくともわたしにとっては。久しぶりのビシッとした体制で立っている後ろの二人にとってどうなのか分からないけど。そして、ラウレンス様が何だか興味深そうにこちらを見ている。あちらは一見穏やかそうで実は怖い人だと思っている。まだわたし自身に実害はないけど。


 ……もう、ずっとアーシュさんがいてくれたらいいのにな。


「ところで、何か料理を作ろうとしてるんだって?」

「ん?ああ、そうなの!出店でクレープを売ってるでしょ?でも、男性のお客さんが少ないんだよ。だからもう少しメニューを充実させたら売れるかなと思って」

「広げる方向で考えてるんだ?曜日は減らしたんだよね?」


 アーシュさんが驚いている。何を隠そう、コスティも驚いていた。


「うん。でも、よく考えたら、木の実のハチミツ漬けが他の人に真似されちゃった時、残るのはクレープなんだよね。あれ、クレープ生地は企業秘密だから簡単には真似されないと思うんだよ。だから、お金を稼ぐ手段としてできるだけ維持しときたくて」

「ふぅん。なるほどねぇ。……うん。分かった。調理場を作るのはいいよ。ただし、動具を作る時には必ず僕に連絡をくれること。工房への依頼も僕から出すから、ちょっと時間がかかっちゃうかもしれないけど」

「え?アーシュさんに連絡するの?どうやって?」


 アーシュさんは基本的に王都にいると聞いている。わたしが何か作るたびに王都から来るのだろうか。


「通信機を渡しておくよ。できたら合図してね」

「ああ、そっか。分かった。じゃあ、合図を教えてね」


 わたしの返事に、なんだかアーシュさんの目がキラリと光って、笑顔が深く黒くなる。


 ……え?なんだろう、なんか怖い。


「じゃあ、連絡を待ってるね」


 そうして帰って行ったアーシュさんに後日合図を送ったら、数日後にやってきたアーシュさんに、終業後に領都の宿に呼び出されて、どこで通信機の存在を知ったのか、もしかしたら作ったことがあるんじゃないかと優しい口調でしつこく問い詰められた。

 知らぬ存ぜぬで通したけれど、わざわざ宿に呼び出されたので、あの時はラウレンス様がいるから聞けなかったんだなと分かった。アーシュさんは森林領を完全に信用しているというわけではないのかもしれない。そして、やっぱりあのナリタカ様の従者だなと改めて思った。






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