ラウレンス様
寮に戻って、イルマタルさんに調理できる場所はないか聞いてみたが、寮の調理場では無理だと言われた。わたしがいる時間帯は食事の時間が重なるので、使用人が使っているのだそうだ。考えてみれば当然だ。
「……ラウレンス様に聞いてみようかなぁ」
「えっ!?ラウレンス様!?」
独り言のつもりだったが、ロッタさんに聞こえてしまったようだ。
「ラウレンス様って、あのラウレンス様よね?神呪開発室長の」
「そうですけど……何か変ですか?」
「いえ……。アキちゃんは、ちゃんと会話してもらってるのよね……?」
……質問が変だよね。会話してもらうって、どういうこと?
「あの方、優秀らしいけどすごく偏屈らしくて……。うちの部署の人がね、神呪の修理を依頼したりするのに何度も依頼をやり直させられたりしたらしいのよ」
「……は?……なんで?」
思わず首を傾げてしまう。依頼のやり直しってなんだろう?
「わたくしもよくは分からないのだけど、どうも、言い回しだとか所作だとかが気にくわないと、全然聞こえないふりをしたりするらしいのよね」
「聞こえないふり?」
「そう。それに、ちゃんと修理が終わってるのにわざと連絡しないように、神呪師たちに手を回して嫌がらせしたりするそうなの。依頼書の書き直し指示も多いし、受けてくれないことすらあるらしいわ」
ポカンと口を開けてしまう。嫌がらせって……、仕事でしょ?
「……どうしてそんなことするの?」
「さぁ……。下手なこと聞くとこっちまで嫌がらせされそうだし……」
たしかに嫌がらせをされるのは困るだろうけど、ラウレンス様がそんな無駄なことをするようには見えない。わたしの話も一応、聞いてくれてたし、発火動具だって興味深そうに見ていた。何か理由があるんじゃないだろうか。
「アキちゃんが嫌な思いをしてないのならいいのよ。ごめんなさいね、変なこと言って」
「ううん。ありがとうございます」
明日、機会があればその辺りも聞いてみようと思う。機会があれば、だけど。
ラウレンス様は、みんなが作業を始めると、すぐに隣の部屋に籠ってしまう。
「マルックさん、ラウレンス様に用事がある時はお部屋に行けばいいんでしょうか?」
「えっ!?あ、ああ……。気を付けろよ」
「………………えっと、何を?」
「いや………………なんとなく?」
マルックさんはちょっと血の気が多いと思うが、割と普通の人だ。なのに何故かラウレンス様の話になると挙動不審になる。
「マルックさんは、どうしてラウレンス様が嫌いなんですか?」
「ちょっ、声が大きいっ……うわっ!ヒィッ」
慌ててわたしの口を塞ごうとしたマルックさんが、悲鳴を上げる。
一瞬の出来事で、何が起こったのか分からないが、気が付くとマルックさんがヒューベルトさんに床に抑えつけられていた。
「……え、ええっ!?いや、なに!?ヒューベルトさん、どうしたの!?」
「私は護衛だからな。アキ殿に危害を加えられるわけにはいかない」
……ええぇぇ~?だって、今の流れって、別に危害を加えられる感じじゃなかったよ?
「いや……大丈夫だと思うよ?」
「加えねぇよ!危害なんて加えるわけないだろ!なんでそうなるんだよ!」
「では、これからは不用意にアキ殿に触れないよう願う」
「分かった分かったっ!触れない!触れないよ!」
マルックさんが叫ぶように誓って、やっとヒューベルトさんがマルックさんを解放する。
「……ったく、なんなんだよ」
「護衛だ」
「分かったよ!」
ヒューベルトさんの仕事はたしかに護衛だけれど、ここはお城で相手は神呪師だ。やり過ぎじゃないだろうかと、リニュスさんの様子を伺う。
「オレ達はその人のことをよく知らないからね。何となくで見過ごしていたら、相手が本当の敵だった場合に手遅れになっちゃうでしょ」
わたしと目が合ったリニュスさんがニッコリ笑って教えてくれる。
「でも、ここにいるのは森林領の領主様に認められた神呪師ばかりだよ?」
「裏切者というのはね、よく見知った者の中から出るものなんだよ、アキちゃん」
そう言うリニュスさんの声は静かで、裏切られることを前提に考えることを、しっかりと受け入れているのが分かる。やっぱり庶民とは違う世界の人なんだなとちょっと怖くなる。リニュスさんは特に庶民寄りな気がしていたので、普段は感じない壁に少しショックを受けた。
「……ここで不測の事態が起きた時にね、真っ先に犠牲になるのは誰だと思う?」
「え?えっと…………わたし?」
この場にいる中で、一番弱いのは間違いなくわたしだ。身体的にも、立場的にも。
「いや、違うよ」
リニュスさんが腰を落として目の高さを合わせて、言い含めるように言う。
「かなりの確率で、ヒューベルトさんだ」
「…………え?」
その、静かだけどハッキリした答えに、思わず目を見開いてヒューベルトさんを振り返る。
「私はリニュスに速さで劣るからな。一緒にいる時にアキ殿に何かあれば私が先にアキ殿を守ることになるだろうな」
ヒューベルトさんは当然のようにサラッと言うが、それは、わたしを守るために自分が犠牲になるということだ。だが、それは理解できない。わたしよりヒューベルトさんの方が立場は上のはずなのだ。
「私はアキ殿の警護を仰せつかっている。どんな手段を使っても、アキ殿を守るのが私の役目だ」
「そんな……」
ヒューベルトさんとリニュスさんの役割が、そんなに重いものだとは思っていなかった。
「それが護衛というものだ」
「だって……」
わたしから目を離さないように貼りついているのだと思っていた。それだけだと感じていた。だって、この二人がそんな重いものを感じさせなかったから。
「ま、そう簡単にやられはしないけどね。こう見えてヒューベルトさん、すごく強いから」
「どう見えているのだ」
リニュスさんが硬くなった空気を解すように明るく笑いながら言う。こんなときは、一緒に笑わなくてはいけない。相手に共感するのが礼儀であり作法だと、わたしはフレーチェ様に教わっている。
「どうした?」
上手く笑おうと、必死に口角を上げているわたしを遮るように、ラウレンス様の声が響いた。
ハッとしたように、リニュスさんが立ち上がって姿勢を正す。
「仕事中に何かずいぶんと騒いでいたようだが?」
ラウレンス様の低く冷たい声に、部屋の空気が凍る。誰も口を開かないのは、わたしのせいだと言うに言えないからだろう。
「……ラウレンス様…………」
返事をしようとして、何と言おうか迷っているわたしに視線を向けながら、ゆっくりと歩いてくる。ゆっくりと歩く間、じっと見つめられているのが、殊更威圧感を感じさせる。
「僕は仕事に不熱心な官僚は信用するに値しないと考えている。何故かわかるかい?」
真っ直ぐにわたしを見るその目には、何の感情も浮かんではいない。わたしが子どもだとか、仕事に慣れていないだとか、そういった情に訴えかけるような一切を遮断するような、無機的な目を向けられる。正直、ここまで徹底的に冷徹な目を向けられるのは初めてで、お腹の真ん中がキュッとなる。
「……いいえ…………」
「官僚の不熱心さは、庶民を殺すからだよ」
ラウレンス様の目の奥が暗く光る。何か思い出しているようで、わたしを見ているのにわたしを見ていない。
奥歯をギッと噛んで、一度目を閉じて深く息を吸う。背筋を伸ばして姿勢を正すと、少し心が落ち着いて、冷静さが戻って来る。
「申し訳ありません。少し羽目をはずし過ぎてしまいました」
しっかりと、ラウレンス様の目を見て答える。こういう時には、姿勢を正し、自らの非を認め、はっきりきちんと謝罪すべきだと教わった。
「…………」
ラウレンス様が目を細める。何かを見極めようとしているようにも見えるが、わたしには何なのか分からないので、とりあえず、真っ直ぐに見つめ返すことにする。
「…………仲良くなったのならば良いことだ。だが、ここには試験前の動具もあるし、今は仕事中だ。以後気を付けるように」
「承知致しました。寛大なお言葉、ありがとうございます」
そう言ってわたしが頭をさげると、ラウレンス様は何も言わずに、また隣の部屋に戻って行った。
「……うぉぉぉ、怖かったぁぁ」
ラウレンス様の姿が見えなくなると同時に、神呪師たちが一斉に詰めていた息を吐き出す。
「絶対罰があると思ったぁぁぁ」
「オレ、またあの、動具が使えなくなる腕輪付けられるかと思ったら恐怖で吐き気がしてきたよ」
「いや、オレ、全身水の膜張られる方がいやだわ。息すんのに筒が必要とか、死ぬだろ」
大変気になる言葉がチラチラ聞こえてくる。ラウレンス様の罰だろうか。
……動具が使えなくなったらお手洗いとかお料理とか、どうするんだろ……。
ラウレンス様が恐れられる理由が何となく分かった気がする。そんな怖い人に、そんなに強い権力が与えられているのかと思うと、ちょっぴり不安になる。森林領は大丈夫なのだろうか。
「あっ、わたし、ラウレンス様に用事があるんだった」
「ええっっ!?」
「いや、この流れで、今行くのかよ!?」
何故かみんなが驚いた顔をしてくる。
「え?だって、用事があるんだもん。じゃ、行ってきますね」
「いや……メンタル強すぎんだろ、チビのくせに……」
マルックさんが背後で何か呟いているが、よく聞こえなかったので後で聞くことにしよう。
「失礼致します」
部屋の前で一礼して顔を上げると、正面の机にラウレンス様が座っていて書類に何か書いている。
「何か用か?」
顔を上げることもなく告げられる言葉はそっけなくて、まださっきの冷たい怒りが続いているのだなと思う。正直、それほど怒るようなことなのかと不思議な気がするが、思い返せば森林領の人はアルヴィンさんを始め仕事熱心な人たちばかりだ。わたしにとってはちょっと騒いだだけでも、ラウレンス様にとっては不真面目で、仕事に不誠実な態度に映るのだろう。
「先ほどは大変失礼を致しました」
「謝罪は先ほど受けたが」
「あ、それはそうですね。では、別件でお話があるのですが、よろしいですか?」
「…………ハァ。君は本当にこちらの意図をものともしないね」
ラウレンス様がため息を吐いて、応接用のソファに座るよう指す。
「普通はこのタイミングで押しかけては来ないと思うんだけれどね」
「え?でも用事があったんです。謝罪は受けたって言われたので、もういいのかと」
わたしだって、まだ怒ってるから話したくないと言われれば、少し時間を空けてからまた来る予定だったのだ。
「……ハァ。まぁ、切り替えは大事だね。それで?」
「3つあります」
そう言って、わたしは人差し指をピッと立てる。どうでもいいけど、どうして最初の指って親指とか小指じゃないんだろうね。
「まず1つ目。フレーチェ様から今度の野の日の午後にお茶に誘われました。この時間はお仕事中なのですが、やはり断った方が良いでしょうか?」
「ふむ。フレーチェ殿か。いや、午後から休みを取って行って来たら良いと思う。礼儀作法を習っているのだろう?」
「え……いいのですか?」
先ほどのラウレンス様の様子からして、仕事を疎かにするなんてとんでもないと言われるかと思ったのだ。
「普通、正式に官僚として採用される場合は一月ほど礼儀作法の研修があるんだ。君にはそれがなかったからね。子どもだからそれほどうるさくは言われないとはいえ、突然城に上がることになったのは申し訳ないと思っているんだ。身に付けられるものなら身に付けた方が良いよ」
「ありがとうございます。では、野の日の午後はお休みさせていただきます」
「ああ。神呪師たちには自分で伝えるように」
「はい。では、2つ目」
わたしは人差し指に次いで中指をピッと立てる。
「今、手が空いている時には読書をしているのですが、あの時間を出店で使う動具の開発に当てさせてください」
「出店で使う動具?」
ラウレンス様が少し身を乗り出す。ちょっと目がキラキラしてるので、興味があるのだろう。そして、さっきの怒りはもう収まったようだ。良かった良かった。
「はい。鉄板を使うのですが、今は流す力を調整することで温度を調整しているんです。これを、力の調整ができない人でも使えるように、物理的に調整できるようにしたいと思っています」
「……鉄板?それは、動具なのかい?」
……あ、しまった。
そういえば、鉄板を熱する動具を作ったことはまだ言ってないんだった。アーシュさんにはできるだけ他の動具のことは言わないように言われていたのに。
後ろを振り向くと、ヒューベルトさんは無表情だが、リニュスさんが僅かに苦笑する。
「ええーっと……、熱するだけなんですけどね……?」
「ほぅ。調理ができる温度を安定して保てるということだろう?見せてもらってから検討するよ」
見せることが確定してしまった。心の中でアーシュさんに謝る。
「分かりました。では3つ目」
中指に次いで今度は薬指をピッと立てる。他の2本と違って微妙に前のめりになっている。薬指って中指と小指に翻弄される運命にあるよね。
「調理ができる場所が欲しいです」
「調理?」
ラウレンス様が目をぱちくりさせている。さすがに意表を突いたらしい。何となく、達成感を覚える。
「はい。出店のメニューを考えたいんです。どこか試作できる場所はありませんか?」
クレープを焼くだけなら鉄板があればできるのだが、男性用のメニューは中に入れる具材を調理する必要がある。ついでに、女性用にもなにか食事代わりになるようなメニューが作れないかと考えているのだ。
「ふむ。それは少し難しい要望だね。他とも調整が必要なのですぐに返事はできない」
「分かりました。でも、できれば早い方が嬉しいです」
とりあえず、最初の2つで許可が出たので、今週はそれで時間が潰れてしまうだろう。新メニューの開発は来週以降に持ち越すことにする。
……木の実のハチミツ漬けも作らないといけないから、これから忙しくなっちゃうな。
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