アンドレアス様の追及
アンドレアス様は、ナリタカ様と違って性別不明ではない。ちゃんと男の人に見える。
……なのになんで、「優雅」って言葉が似合うのかな。
ただ入って来てソファに座るのですら、なんだか無駄がなくて流れるように美しい。そんなアンドレアス様の横に、今日はもう一人腰を掛ける。銀色の緩く波打つ髪を後ろで縛った、紺色の瞳の垂れ目がちのおじさんだ。
「あれ、神呪師さん?」
「久しぶりだね。ハチミツ飴のお嬢さん」
それは、領都で一度だけあった、クリストフさんの知り合いの神呪師さんだった。あれからもう一年以上経つのに、この人はわたしを覚えていたのだろうか。驚異の記憶力だ。
わたしの方は忘れるわけがない。この人に教えてもらった水の膜は大変便利に使っている。
「実は、以前君にもらったハチミツ飴が神呪師たちに大層評判が良くてね。どうしても手に入れて欲しいと勇気を振り絞って僕におねだりしてきたんだよ」
……勇気を振り絞って?
「ええと……じゃあ、召喚状にあったラウレンス様って……」
「僕だよ」
ハチミツ飴の商談ではないと思いたい。毎回、飴がなくなる度にわざわざお城に召喚されるのはハッキリ言って迷惑だ。そしてラウレンス様の言い回しに若干引っかかるものはあるが、その辺りはわたしに直接関係ないので深く突っ込むのは止めておこうと思う。それより、気になるのは。
「じゃあ、アンドレアス様は?」
そう。この輝けるオーラの人は、なんでここにいるのだろうか。
「ああ、ハチミツ飴の話を聞いて興味を持ってね。なんだかすごい商品なんだって?」
「………………」
輝けるオーラに輝ける笑顔の二段攻撃で攻めてきた。これ程までに胡散臭いものが他にあるだろうか。
「どうやって作ってるんだい?」
「………………」
まるで小さい子どもの相手をするように無邪気そうに言ってくるが、この人がそんなに無邪気なはずがない。あのアーシュさんを疲れさせる相手だ。そしてこの話は、神呪に直結する。
「君が作っているわけじゃないのかい?」
「………………」
「おいっ……」
だんまりを決め込んでいると、さすがに失礼だったのか、アンドレアス様の後ろに控えている文官が何か言いかけた。アンドレアス様に片手で止められて口を閉ざしたが、目が完全に怒鳴っている。目が口程にものを言っている状況だ。
「……あのランプを見せてもらったんだがね」
今度はラウレンス様が穏やかに口を開く。
「作動させる持ち手から発光の神呪へは連動の神呪を使っているね?あれはこの森林領の街灯で使っているものだが、まだ一般化はされていない。どこで学んだ?」
「………………」
何故か二人とも、わたしが神呪を描けるという前提で話を続ける。
……アーシュさんとかナリタカ様から何か聞いたのかな?
そういえば、神呪が描けることは話さないという約束は契約に含まれていなかった。とはいえ、あの時のアーシュさんの口ぶりから、そう簡単に話すとも思えない。
疑惑が頭を過ぎるが、とりあえず自分から暴露はしないようにしようと決心する。
「……ふぅん。どうしたものかな」
目線を下げ気味にして沈黙を守るわたしに、アンドレアス様が腕を組んで困ったように首を傾げる。
「……そうだな。届が出ていない動具というのはこちらも放置するわけにいかないのは分かるかい?」
「僕が検証作業を買って出たんだよ」
垂れ目がちな目を細めてラウレンス様が話を引き取る。いったい何の話なのだろうか。
「……わざわざ王都の研究所まで行くのは、君も何かと大変だろう?」
その言葉に息を飲む。口を割らなければ王都へ移送するという、これは明確な脅しだ。
……怖いひとだった!というか、アンドレアス様については何となく分かってたけど!
怖い人二人がかりの攻撃に、一瞬怯んでしまう。
「………………」
だが、わたしのことを王都に報告することが、アンドレアス様にとって何か良いことになるのだろうか。唇を噛んで必死に考える。
ランプに関してはそう簡単に王都に渡さない気がする。だってそれならば、ナリタカ様がとっくにやっているはずだ。ナリタカ様とアンドレアス様が敵対していないのならば、わざわざ今になってそんなことをするとは思えない。そして、ハチミツ飴を作る動具に関しては、たかがそれくらいで、これ程大騒ぎされるはずはない。
追及されているのはわたしに神呪が描けるのかということだ。たぶん、新しい神呪の技術について知りたいのだろう。
……知られたらどうなる?今の生活を続けることはできなくなる、よね。
神呪師として採用したいという話はアーシュさんからもあった。ここでもこんな風に話が出るということは、他からも来る可能性があるだろう。あの発光の神呪は、それほどまでに価値があるということだ。だが、そこはどうでもいい。
……ダンは?ダンから引き離されてしまう?
心臓がドクドクする。震えそうになる腕を両手で掴んで抑える。
ダンは今、神呪を描くことができない。それどころか、神呪師になることすら望んでいないかもしれないのだ。わたしがどこに所属することになっても、ダンに一緒に来てもらうことはできないかもしれない。それは絶対に嫌だ。わたしはダン以外の人を保護者として頼ることはできない。
政治の世界とか王族の関係性とかは全く分からないけれど、すぐに王都の研究所に話すのではなく一旦わたしに話を持って来ているところに勝機がある気がする。
キュッと口を引き結んで目を上げる。アンドレアス様は特に返事を急かすでもなく、じっとこちらを見ていた。
「……どうして、その話をわたしにするの?」
「どうして、とは?」
アンドレアス様が、おもしろがるように訪ねて来る。でも、目の奥が笑っていない。なんとなく、探られているような、こちらの心を見透かそうと観察されているような感じがする。
「ハチミツ飴は、たしかにわたしが作ってるよ。でも、それとランプの神呪が何の関係があるの?」
「………………」
君が作っているんじゃないのかとは聞かれたが、何を、の部分が明言されていない。
「あのハチミツ飴は煮詰めるんじゃなくて動具を使って作ってる。調べる必要があるのなら貸してもいいけど、王都に行くのは無理だね」
「……理由を聞いても?」
さっきと同じ口調で話しているけど、目の色がさっきと違う。おもしろがる色は、消えている。
「仕事があるから」
「…………仕事?」
想定外の返事だったようで、アンドレアス様だけじゃなくラウレンス様もちょっと体の力を抜いて目をぱちくりしている。
……ホントに庶民の生活が分かってないんだね。
「そうだよ。木の実のハチミツ漬けを作って納品しに行かないといけないし、出店の日はクレープを焼かなきゃいけない。ホントは今日呼び出されたのも迷惑だったんだよ。出店、休んできたんだもん」
自分たちの横暴さを自覚していなかったらしい二人の反応に、ちょっとムッとして答えてしまう。だって、庶民の生活を考えなきゃいけない立場の人が庶民の暮らしを知らないとか邪魔するとか、あり得ないと思う。
「ハチミツ飴は高くてあまり売れてないから納品も少ないんだよ。だから動具をしばらく預けなきゃいけないなら持って行って構わないよ」
後ろに控えている文官が歯をギリギリ言わせながら睨んでくるけど、そちらに構う余裕はわたしにはない。一つでも齟齬があると、そこから崩されてしまう気がする。余計なことを言わないように、必要なことだけを必死で精査する。
……二対一なんて、ズルくない!?
「……ハァ。……参ったね」
アンドレアス様が眼光を緩めて背もたれにもたれ掛かる。
「君、なかなか賢いね。さすがナリタカが目を付けるだけのことはある」
「ええ。まだ10歳ですからね。試験の結果はともかく胆力は大したものだ。囲いたくなる気持ちは分かります」
「試験の結果?」
そういえば、試験については不合格ということしか分かっていないが、この二人は点数とかを知っているのだろうか。
「ああ。座学は計算以外、驚くほどできていなかったな。字も雑だし」
アンドレアス様がククッと笑う。
……アーシュさんには2週間の割にはがんばったって褒めてもらえたんだけどな。おかしいな。
「だが問答がずいぶんおもしろかったようだな」
おもしろいという表現は、普通、試験の結果に使われるものなのだろうか。
「あのペッレルヴォ師の論説に初っ端から反論したのだろう?大したものだ」
アンドレアス様が快活に笑う。本当に楽しそうで、もしかしたら本当はこちらが素の性格なのかなと思う。領主様だと、いつも気楽にはしていられないのかもしれない。
「反論っていうか……あのおじいちゃんが言ってたことは一理あるんだけど、逆に言えば一理あるってだけだし……。それだけでいいんなら、他の推察だってできていいはずでしょ?」
「他の推察とは?」
ラウレンス様が興味深そうに身を乗り出してくる。
「うーん……?うーん……例えば、王族の五親等典則とかだって、神人が定めたというのが本当かどうか分からないでしょ?だって、王族がどれくらいの人数になるかとか、神人だって分からなかったはずじゃない」
「……人数?」
アンドレアス様も、興味を惹かれたように反応する。
「だって、王族ばっかりで婚姻を繰り返してたら五親等の人数は少なくなっちゃうけど、王族の全員が庶民と子どもを作れば人数は増えるでしょ?でも、あんまり多すぎると争いの火種になっちゃったりするわけだから、そこは自分たちで状況次第で変えられないと困るんじゃないかなぁ」
アンドレアス様とラウレンス様が、なにやらキラリと目配せし合う。どうしてわたしとコスティでは上手くいかないのかと、つい考えてしまう。大人と子どもの違いだろうか。
「そういった勉強はどこで?誰に学んだのだ?」
「え?アーシュさんだよ」
ラウレンス様の質問に答えると、アンドレアス様が頭を抱えた。
「あいつらは、余計なことをベラベラと……」
「余計なこと?」
「王族の継承問題は非常に繊細な問題だ。軽々に口にしない方がいいだろうね」
ラウレンス様の助言になるほどと納得する。たしか、歴史の勉強をした時にそんな話があった。もうほとんど忘れてしまったけど。
「まぁ、いい。それはまた今度話そう」
疲れた表情で軽く手を振った後、空気を切り替えるように、改めてアンドレアス様が姿勢を正して真っ直ぐにこちらを見る。茶色い瞳は、射抜かれそうに鋭い。
「それにしても、何故君は自分が神呪を描けることをそれ程に否定する?」
いきなり切りこまれて、咄嗟に息を詰めて固まる。
「いろいろ調べているんだ。隠すのは無理だ」
アンドレアス様の目は、からかう意図もおもしろがる意図も伝えて来ない。脅そうという気配すらなく、淡々と、まるでそれが真実だと言わんばかりに真っ直ぐに見据え、こちらの心の奥を覗いてくる。
「君は前領主に、ダンは右手のケガで神呪が描けないと伝えたそうだね」
淡々と紡がれる言葉が怖い。こんな風に、何でもないことのように一つ一つ目の前に出されると、その一つ一つが積み重なるたびに相手が巨大になっていくようで、子どものわたしではとても太刀打ちできない気がして竦んでしまう。
相手は大人で、王族で、あらゆる情報を持っていて、そしてわたしは、ただ神呪を描くのが得意なだけのちっぽけな子どもだ。アンドレアス様を包む空気が、そう感覚に伝えて来る。
「右手のケガは去年の4月の事故で負ったものだ。医者に確認した。4月5日のことだそうだな」
ハッと息を飲む。思わず見開いた目でアンドレアス様を見つめ、逸らすことができない。
……失敗した!
息が詰まって、ゴクンと唾を呑む。この先を聞くと、もう否定できなくなる。でも、聞くのを拒否する力も立場も、わたしは持っていない。
「アーシュにも確認している」
アンドレアス様がじっとわたしを見る。容赦するというつもりは微塵もないのだろう。
「……ランプが作られたのは、その後だ」
……ああ、やっぱり子どものわたしが、大人二人に適うわけがなかった。
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