お城への召喚

 エルンスト様からの招待を受けてキュトラ湖に向かい、すぐに帰路に就いたあの日から一週間。ダンの右手のことは、まだ誰にも話せていない。人生にかかわることだ。不確かな情報で右往左往したくない。


 そんな中、また招待状をもらった。今度はお城だ。そして名前は今回も、見たことのない名前だ。


 ……ラウレンス様?


「いや、今度のは召喚状だね」


 横からヒョイっと手紙を覗いたリニュスさんが訂正する。


「召喚状?」

「そ。招待と違って基本的に断れない。というか、庶民のアキちゃんの場合は絶対に断れない」


 ……エルンスト様の招待だって断れなかったけど。


 庶民にとっては同じだと思うのだが、上流階級の人たちにとっては別物らしい。


「上流階級の人たちって、仕事の予定が入ってて忙しいって経験ないのかな?」


 いとも簡単に呼び出しをかけてくるが、普通、仕事をしているとそう簡単に都合なんて付かないと思う。上流階級の人たちは違うのだろうか。


「うーん……、まぁ、庶民の都合なんてものは知らないだろうからなぁ」

「庶民だって王族だって同じでしょ?約束とかはちゃんと守らないと信用なくしちゃうじゃない。それで困るのは一緒だと思うんだけど」


 やり方とかは違うかもしれないが、王族や上流階級の人たちだって仕事上の約束などするだろう。誰かに呼ばれたからってホイホイ放棄して良いものばかりとは思えない。


「ああ、まぁそうなんだけどね。でも、実際、庶民の生活を知らなければ想像するのは難しいかなぁ。オレだって、アキちゃんと一緒に店番とかしてみて初めて、庶民の仕事っていうのを知ったしね」

「想像もつかないものなの?」

「いや、たぶん、庶民だって、王族が約束を守らなきゃとか想像付く人はそういないと思うよ?住む世界が違うって初めから考えるのを止めちゃうからね。全然知らないはずのものを想像してみようとするアキちゃんが珍しいんだよ」


 疑問は残るが、とりあえずそんなものかと考えを切り替える。今回は召喚状だ。コスティにも言いやすい。招待状だと優先順位が微妙なので、ちょっと困ったのだ。まぁ、コスティはそういう事情に明るいのですんなり通じたが。


「まぁ、この前買った服飾一式が無駄にならなかったと思えばいいかな?来年とかだとまた買い直さなきゃいけないところだったし」


 とても素敵な白いワンピースを買ってもらったのだが、困ったことに着る機会がない。ヴィルヘルミナさんに再三言われて毎日髪にブラシは当てているが、服の方はどうしようもない。ふわりとした薄い布にきめ細かなレースが施された白いワンピースなのだ。正直言って、あの日、晩餐がなくなって良かったとさえ思った。油とかが跳ねたら二度と着られなくなる。こんな生地の服では雑巾にすらならない。


「そうだね。それにしても、髪を梳くだけでこんなに変わるものなんだねぇ。アキちゃん、すごくかわいいよ。女の子はみんな美の下地を持ってるんだね」


 ヒューベルトさんには絶対に言えなさそうなセリフをサラッと言う。こんなセリフを照れも笑いもせずに言えるのはリニュスさんとアーシュさんとエルノさんぐらいだろう。あ、結構いる気がしてきた。


「それにしても、最近なんだか忙しいなぁ。ホントに人を雇うことも考えた方がいいのかな」


 わたしが出店に行かなければヒューベルトさんやリニュスさんも行かない。つまり、わたしがお休みすると店番が一気に二人減ってコスティだけになってしまうのだ。

 今のところ、出店で売れるのはクレープだし、最近順調に売り上げが伸びているので何とか維持したい。そもそもクレープをやろうと言い出したのはわたしだ。コスティは接客が得意ではないので押し付けるのはちょっと罪悪感がある。


 ……明日、コスティと話してみよう。






 コスティは人を雇うのに反対した。


「例え契約を交わす相手が大人だって、実際は子どもに遣われるんだ。問題が起きないわけがない。しかも、オレが頼れる大人はクリストフさんだけだ。仕事が忙しいのにいちいち相談はできない」


 なるほど。そう言われてみればそうだな。コスティのお父さんに頼れないのが痛い。おまけに、コスティに養蜂を教えたのは身を持ち崩して補佐領に流れた元神呪師らしい。だとしたら、きっとダンのこともいい顔はしないだろう。


「でも、困ったね。クレープどうしようか」

「元々、ハチミツの知名度を上げるために始めたことだっただろう?出店の回数を減らすなりして、無理のない範囲でやるよ」


 ……増やすんじゃなくて、減らすの?


 コスティの想定外の言葉に、思わずポカンとしてしまう。


 売上げを上げようと思うなら、増やす方を選ぶと思っていた。


「今のところ、オレが納品できるハチミツ量には限りがあるからな。あんまり客が増えても困る」


 コスティの言葉にハッとする。


 ……そうか。蜂は思い通りにならないから安易に増やす約束はできないんだった。


 神呪はやればやった分の結果が帰ってくるので、ついそんな感覚になってしまうが、養蜂は生き物が相手だ。二つの木の実を拾って一つのお皿に乗せたって、二つになるとは限らない。開いてみたら実が入っていなかったということもあり得る。


「しかも、木の実のハチミツ漬けで稼げる期間はそう長くないだろうから、人を雇っても給金が払えるかどうか分からない」

「………………そうだね」


 それは、わたしも薄々気付いていたことだった。トピアスさんの言葉で気付いてしまった。


「誰でも真似できちゃうもんね……」


 リッキ・グランゼルムでは家庭料理もメニューにある。誰でも作れるメニューだ。けれど、リッキ・グランゼルムの料理人が作ったものは、同じメニューなのに何かが違う。エルノさんは、修行を積んだ料理人が作るんだから当たり前だと笑っていたが、修行なんて一朝一夕には積もらない。それこそが、「簡単には真似できないもの」という価値なのだろう。

 

「まぁ、そろそろ新しいことを始めなきゃいけないってことだな。いつまでも同じでなんていさせてもらえないのは誰だって一緒だ。次はオレ一人でも続けられそうなことを考えてみるよ」


 コスティの言葉にハッとする。


 …………一人でも。


 その言葉が心に刺さった。きっとコスティは、わたしがハチミツの仕事から手を引くことを想定してる。


 ……春には、一緒にやろうって誘ってくれたのに。


 あれからまだ5ヶ月程しか経ってない。でも、無理もないことだと思う。こんなにも上流階級の人たちに呼び出されるのだ。このまま何もないとは思えないだろうし、わたしも言い切れない。


 別れを予感させる言葉に、仕事の準備をする振りをして、顔を隠す。唇を噛んで、必死に涙を堪えた。


 ……そんなこと言わないでよとか。一緒に考えようとか。


 何も言えなかった。だって、実際にわたしは迷っている。コスティもわたしも、もう将来のことを真剣に考え始めなければいけない年齢だ。軽い気持ちで、適当な約束はできない。






 リニュスさんに領都に連れてきてもらい、町の最北にある階段を登る。今日は、持って来た招待状が身分証明になって、中断にいる門番にすんなり通される。


 ……これ、領民じゃない時はどうなるんだろう。


 たしか、中断までの壁に動具が使われてるとアーシュさんは言っていた。壁が動具という意味からしてよく分からない。壁に何か神呪が描いてあるのだろうか。雨で浸食されたら困る気がする。


「ラウレンス様というのは、どうやら神呪開発室の室長みたいだね」


 リニュスさんの言葉にちょっとうんざりする。


「だから、どうしてそういう話でわたしを呼ぶんだろうね」


 本人がやらないと言っているものを、10歳の子どもがどうにかできると思っているのだろうか。


「まぁ、他にどうしようもないってことなんじゃない?物は試しって言うしね」


 リニュスさんは苦笑するが、わたしは納得できない。だって、エルンスト様が既に試しているのだ。試したけどダメだったという情報を共有して欲しい。一人一人のお試しに付き合っていたらおばあさんになってしまう。


「うん。まぁ、そこがキーなんだろうね」


 リニュスさんがスッと目を細めてお城を睨む横で、わたしはため息を吐いた。なんだか分からないことだらけで、少しイライラしてしまう。当事者に何も伝えないなんて不誠実だ。


「偉い人って何が偉いんだろうね」

「ぷっ、ホントだね。アキちゃんてホント、サラッと鋭いこと言うよね」


 噴き出すリニュスさんに続いて、今日も正面玄関を避ける。


 お城に来るのは二度目だ。そして、このホールから入るのも二度目だ。


 ……中の廊下を通ってわざわざ正面のホールから階段を上がるんなら、最初から正面から入ったらいいんじゃない?


 偉い人たちの考えることは、よく分からないなと思いながら、相変わらず豪華な絨毯を踏んで歩く。今日は布の靴なので、前回ほど場違いな気はしない。身形って自分にとっても大事なんだなと頷く。


 エルンスト様に会ったのは謁見室という部屋で、いかにも偉い人に会うような服装と挨拶を準備させられたが、今回は前回と同じ応接室に通されて、ソファに座って待たされる。目の前にはちゃんとお茶とお菓子も用意された。

 ショルシーナ菓子店のチーズケーキ。ガルス薬剤店に出入りしていた時に食べさせてもらったが、あまりの美味しさにザルトと共に衝撃を受けて大騒ぎしたのはいい思い出だ。


 ……うぅ……食べていいのかなぁ。ダメかなぁ。


 こういう場合にどうすればいいのか、ヒューベルトさんに聞いていなかった。リニュスさんはソファの後ろに立っているのだが、こっそり聞くには振り返らないといけない。正直、振り向いていいのかすら分からない。


 わたしが食欲とマナーの間で葛藤していると、後ろのドアが開く音がした。振り返っていいのだろうか。


「やあ、待たせたね」


 聞き覚えのある声に、思わず立ち上がって振り返る。目の前に歩み寄って来る人物を見て、この場合は立ち上がるので正解だと確信する。


 ……あー、まぁ、そんな気はしたよね。


 入って来たのはアンドレアス様だった。





 

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