王族と庶民

「…………あ……」


 何か言わなきゃと思うけれど、言葉が出ない。想定していなかった指摘に咄嗟に頭が付いていかない。


「クリストフやその妹には神呪を描く技術はない。それは私も、このラウレンスも知っている」


 青ざめて固まってしまったわたしに、アンドレアス様が容赦なく続ける。


「残るのは、両親共に神呪師である君だけだ」


 ……両親共に神呪師。


 目眩がする。


 神呪師の両親はわたしの誇りで支えでもあった。その、いつも使ってきた台詞。

 何もかも捨てて、隠れるように生きてきたわたしの、絶対に捨てられない部分だった。それを。


 ……その台詞を、後悔させられるなんて……!


 悔しくて、ギリッと奥歯を噛み締める。その事実さえも、捨てていれば良かったというのか。

 両親のことを利用されたようで、腹の奥が沸騰する。


「……君は、両親が神呪師であることを隠してもいない。自分の名前さえも。それは、神呪師になることを諦められていないからじゃないのか?」

「アキという名前には聞き覚えがあったよ。神呪師の世界は狭い。ましてや、君のように両親共に高名で、変わった名前の子どものことが、知られていないわけがない」


 アンドレアス様の視線を受けて、ラウレンス様が続ける。


「僕はもう10年以上森林領にいて、王都には何年も行っていないが、それでも聞こえてきたよ。3歳の子どもが文字よりも先に神呪を描いたらしいとね」


 否定はできない。


 たしかに、わたしは神呪師になることを諦められていない。だが、それが何だと言うのだろう。神呪師になれる道を準備したから感謝しろとでも言うのだろうか。わたしの今の事情も、周囲の人たちとの関係も全て無視して。

 あまりの身勝手さに吐き気がする。


「……ハァ。脅すような形になってしまったが、私たちには君を害そうという意思はないんだ」


 俯いて、奥歯を噛みしめて一言も発さないわたしに、アンドレアス様がため息を吐いて髪をかき上げる。


「ただ、あのランプを普及させたいのだよ。……森林領は火事が怖くてね」

「………………」


 そんなこと、分かってる。だから作ったのだ。火事のせいで傷ついてしまった大事な友人のために。


「……君の手を煩わせることになるのは、僕が不甲斐ないせいだ。すまないと思う」


 しばらくの沈黙の後、ラウレンス様が言う。


「少しの間でいい。君の力を貸して欲しい。我々だけでは解明するだけで数年かかってしまう」

 





「……力を貸すって、具体的には?」

「……神呪師たちがこの神呪を描けるようになるまでの間、君に描いて欲しい」


 わたしの言葉にラウレンス様が答える。自分が発した低い冷たい声に、自分で驚く。


「同時に、この神呪の描き方を神呪師たちに教えて欲しい。抑えるべき点がどこなのか」


 ……わたし、怒るとこんな声になるんだ。


「……どこで、いつ、どれくらい?」

「城の開発室でだ。城に寝泊まりする部屋を用意しよう。他の者には可能な限り知られたくないからな、神呪ことも君のことも。できればすぐにでも来て欲しいくらいだが、荷物の準備も必要だろう。何日必要だ?10日ほどで良いか?あとは……期間か。そうだな、どれくらいかかりそうだ?」


 アンドレアス様がサラリとそう言って、ラウレンス様を見る。


 ……この人は、自分が何を言ってるか分かってるのかな。


 頭の奥がジンジンする。何かが弾けそうになっている感じがして、それを止めようと懸命に奥歯を噛んでこめかみの辺りに力を籠める。


「正直言って分かりませんが……そうですね、一旦半年ほど頂きたい。その前に神呪師が描けるようになったとしても、彼女には協力してもらう価値があるでしょう」


 ………………価値?


 わたしのことを、よく知りもしない人たちが、どうしてわたしの価値を語っているのか。


「……へぇ、つまり、わたしの価値は、神呪を描くことだけだと言いたいわけ」

「…………は?」

「いや……そんなことは言っていないが」


 何を戸惑っているのやら。この人たちは、人の話は聞いていなかったらしい。


「そんなことは言っていない?じゃあ、どういうこと?今、その口で、わたしには神呪という価値があるから10日後には城に来るようにと言っていたよね」

「……ああ」


 それは、逆に言えば神呪以外に価値があることなんてしていないだろうということだ。人から半年もの時間を奪うということがどういうことか、その言葉がどれほど相手を愚弄しているのか、本当に分かっていないのだろうか。この偉い人たちは。


 アンドレアス様が少し警戒するような目を向ける。


「わたしはさっき、ちゃんと言った。庶民の子どもの言葉なんて聞く耳持たないのなら、わたしが何を教えたって、どうせ変わらない。無駄だよ。帰る」

「娘!いい加減にしろ!」


 アンドレアス様の後ろに控えている文官が声を荒げるが、関係ない。わたしはアンドレアス様と話しているのだ。


「誰が、何をいい加減にするの?」

「……な、なにっ!?」


 わたしに睨まれて、一瞬怯んだように身を引く。


「そもそも、あなた誰?」

「なっ……!」


 まさか庶民の子どもに反論されるなんて思っていなかったのだろう。その思い込みの意味が分からない。


「わたしはアンドレアス様とラウレンス様に呼ばれて来て、そのお二人と話してたんだけど。あなたに何か関係あるの?」

「……ぐっ」


 言葉に詰まるくらいなら初めから言わなきゃいいのに。呼んだ方と呼ばれた方の会話に割って入るほどの主張なんて、どうせないだろうに。


「アキの言う通りだな。控えよ」

「……ハッ」


 アンドレアス様の言葉に頭を下げて一歩下がる。その間にわたしは立ち上がる。


「じゃあ、わたしは帰るよ」

「待て。話が途中だ。座れ」


 振り返ると、アンドレアス様の底光りする目がじっと見据えていた。


「強硬な手段に出たくはない。座れ」

「強硬な手段?」

「アキちゃん」


 わたしとじっと睨み合うアンドレアス様が目を細めたところで、リニュスさんが割って入った。


「君は召喚されて来ているんだ。アキちゃんの主張がどれ程正しくて、相手がどれ程愚かしい言葉を吐いていても、話が終わるまでは帰らせてもらえないんだよ」


 なるほど。たしかに、今日は招待ではなく召喚だ。そもそも命令されている立場なのだと思い出す。


「分かった。でも、わたしが話したことなんてお二人ともさっぱり記憶に残らないみたいだから、向こうが何かしゃべり終わるまで座ってるだけでいいかな」

「そうだね。とりあえず座ってて、帰った後にナリタカ様にご報告することにしようか」


 ニッコリ笑って言うリニュスさんの言葉に、アンドレアス様が苦い顔をする。


「……ナリタカには私から報告する」

「ええ、もちろんです。約束を反故になさろうと言うのですから、当然ご自分で釈明なさるのでしょう。それはそれとして、私としても報告の義務がございますので。職務の話です。お気になさらず」


 涼しい顔でそう言うと、リニュスさんはわたしの肩をポンと叩いて座らせる。


「……やれやれ。アーシュといい君たちといい、ナリタカの周りには自己主張の強い者が多すぎるな」

「ええ。ナリタカ様でなければ我々を上手く使うことはことはできないでしょう。主従揃って褒めて頂いたと報告しておきます」

「ああ。大絶賛していたと先に機嫌を取っておいてくれ」


 アンドレアス様とリニュスさんが口元だけの笑顔でおしゃべりしている間、ラウレンス様がじっと何かを考え込んでいる。

 アンドレアス様は積極的に話しかけてくるけれど、ラウレンス様はさっきから補足するばかりだ。本人が何を考えているのか、よく分からない。


「……価値、というのは、さっき言っていた仕事のことか?」

「ああ、聞いてたんだ」


 なるほど。わたしが何をしゃべったか一生懸命思い出そうとしていたのか。一生懸命にならないと思い出せない辺り、やっぱり大して聞く気はないのだろう。


「それは、君でなければならないのか?」

「一緒にやってる人はいるけど、表立った取引はわたしがやってるからね」


 例えば、蜂に何かがあって納入数が変わる場合は、きちんと相手と交渉しなければならない。今まで全面的にわたしがやってきたことを、突然お願いと振られたってコスティも困るだろう。


「ふむ。だが交渉事というのはそう頻発するものでもないだろう?それ以外の仕事はどうだい?」

「……そうだね、木の実のハチミツ漬けくらいなら、教えれば誰でもできるだろうね」


 クレープに関しては、材料は秘密にするという制約が付くので、誰にでもというのは難しい。


「では、その部分は人を雇ってもらい、どうしても君でなければならない案件では君が出向くというのはどうだろう」

「ラウレンス様……!」


 後ろの文官がなんだか不服気味に声を上げる。庶民に妥協するという部分が許せないのかもしれない。


「たしかに、君の価値は神呪が描けることだけではないだろう。上の立場に立つ僕たちが領民の暮らしを壊してはいけない」


 ラウレンス様が、姿勢を正してわたしを真っ直ぐに見つめる。


「それでも、改めて頼む。あの神呪を僕たちにも描けるように教えて欲しい。君の希望は可能な限り叶えると約束する」


 その瞳に傲慢な色は見えない。きちんと、誠意をもって話してくれているのが分かる。


「君にも仕事があるのは分かった。だが、僕たちも必死なんだ。森林領の領民は森で暮らしが成り立っている。その森が燃えてしまうと、数百人、数千人の生活に支障をきたすことになる。彼らの苦しみが一つでも減るように、どうか力を貸して欲しい」


 そういうと、ラウレンス様はスッと頭を下げた。その姿に、アンドレアス様を始め、周囲に控えていた全員がハッと息を飲む。


 …………断れない。


 退路を断たれた苦い思いで、下げられた頭を見つめる。


 森で火事が起きると大変なことは分かっている。それを防ぐことが領民に取って、コスティにとってどれほど大事なことかも分かっている。そして、ラウレンス様のような立場の人が、庶民の、たかだか10歳の子どもに頭を下げることがどれだけ屈辱的なことなのか。頭を下げさせたわたしがどれだけ傲慢なのか。それを、周囲の人たちがどう見るのか。


「………………都の日は家に帰らせて。次の日の夜にまた戻る」


 全身の力が抜けていく。絞り出すように、そう言うしかなかった。


 …………ダンに相談できなかった。


 勝手に決めていいことだとは思えないが、たぶん、返事をするまで帰してもらえないのだろう。出店の日を一日確保するだけで、精一杯だった。

 項垂れたまま体に力を入れられない。なんだかもう、とても疲れてしまった。


 ……怖かったり怒ったり……お城ってこんなところなんだ。


 ダンが戻りたくない気持ちが分かる。どうして、好きにさせておいてもらえないのだろう。


 結局、わたしの返事を聞いて、わたしの様子を見て、今日はここまでと考えたようだ。改めて、正式な通達を出すと言い残して、アンドレアス様とラウレンス様は部屋を出て行った。






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