前領主様からの招待
領主様が代替わりして3ヶ月が経った。つまり、ランプが市場に出されるという話を聞いてから3ヶ月が経つ。だが、ランプはなかなか出回らない。
ランプが市場に出回らなければ、わたしたちが持っているランプを大っぴらに使うことができないので、早くして欲しいところだ。
「もう3ヶ月だよ?どうして出回ってないんだろう。領都にもないんだよ」
「部品が手に入りにくいんじゃないか?竹?」
「作るのが難しいとかじゃない?」
首を傾げるコスティの横で、リニュスさんも出店の椅子に座って首を傾ける。ちなみに、ヒューベルトさんやリニュスさんの分の椅子があると荷物を置いておく時に邪魔になるので、椅子を折りたたみ式に替えた。これは、領都に行った時に木工工房に寄ってバウリと話し合って作ったものだ。試作品なのでタダで貰ったが、今では商品としてちゃんと親方が設計し直したものが、領都の家具屋さんで売られているらしい。
「だって、ランプのことはナリタカ様とアンドレアス様で話し合ったんでしょ?竹を送るくらいそんなに難しくないんじゃない?」
「ああ、輸送費の問題ならちゃんと話はついてると思うよ」
リニュスさんが頬杖を付いた状態で、目だけこちらに向ける。もうすっかり見慣れた光景だ。
「クレープ一つくださーい。木の実のやつー」
「ほーい。200ウェインね」
リニュスさんは、この3ヶ月ですっかり馴染んでいる。口調も崩れて、どこから見ても服がちょっと高そうなだけの、ただの庶民のお兄さんだ。ヒューベルトさんは、こちらにいる時間が短いせいか口調も変わらず態度も硬いままだが。そういえば、出店の椅子に座っている姿勢も、場違いにピシッとしている。あれを見ると、コスティでもごくごく普通の庶民の少年に見える。
「新しい神呪なんでしょ?単純に、難しくて再現できないんじゃない?」
「まぁ、ちょっと複雑ではあったけど……」
だが、いくらなんでも契約する前に、再現できるかどうか確認するんじゃないだろうか。
「だからさ、ダンさんの勧誘ってその辺りが理由じゃないの?最近ホント多いでしょ」
「あ…………」
たしかに、領主様が代替わりしてから、ダンへの勧誘がひどくなった気がする。
……また、わたしのせいだったのかな。
「でも、だったら尚更、なんでダン?ダンだってあの神呪は描けないのに……」
言いながら、徐々に俯いて声が萎んでしまう。
あの事故以来、ダンの右手が治らない。日常生活にはそれほどの支障はないようなのだが、神呪を描くというような細かい作業ができないらしい。思うように指先一つ一つに力が流せないらしい。
……もう、一年以上経ってるのに。
最初はそのうち治るんだろうと楽観視していたが、今はもう、ケガのことを考えること自体が怖い。
……このまま治らなければ、ダンはもう神呪師として………………。
「たぶん、ランプを作ったのがダンさんだって思われてるんだよ。シェルヴィステア側には」
「……え?」
リニュスさんの意外な言葉に目をぱちくりさせる。だって、どこからそんな情報が出るのだろう?
「アキちゃんさぁ、自覚ないだろうけど結構目立ってるよ?なんか、グランゼルムの炭やき職人の娘がおかしな動具を持ってるらしいって」
「へっ!?」
「いや、まだ自覚してなかったのか……」
二人とも呆れたように言っているが、意味が分からない。
……いやいやいや、ランプだって火を付ける動具だってお風呂を温める動具だって、自分達しか使ってないんだよ!?
目立つ要素が見つからない。
「そもそも動具抜きにしてもさ、リッキ・グランゼルムって領都にまで名が知られてる高級店だからね?あと、リット・フィルガは上質の部屋とサービスを提供するのに部屋数が少なくて一歩入った路地にあるってことで、実は官僚とか荘官とかの利用が多いんだよ。その二つを股に掛けて商売してるんだから、アキちゃんの名前、知ってる人は知ってるよ?調べちゃえばいろいろ出て来るよね」
「だって、それを言うならコスティだって……」
「オレは基本的に表に出ないからな」
肩を竦めるコスティの横でリニュスさんもうんうん頷いている。
「ランプを作った人間が誰なのかは秘匿するって条件だったけど、最初からダンさんに目を付けてたんじゃないかな。ランプ自体の造りはそれ程複雑じゃないから、いざとなったらダンさんを召喚すればいいと考えてたんだと思うよ」
「まぁ、神呪師が神呪開発室への出仕を断るとは思わないだろうしな」
……そういえば、どうしてダンは神呪師だということを隠していたんだろう。穀倉領では神呪師として働いていたのに。
森林領に来てすぐなら、わたしのことを隠しておくためだということで納得できていた。けれど、もうずいぶん時間が経っている。むしろ、ダンが町の工房で神呪師として働いていた方が、わたしが作ったものもダンが作ったのだと言えるので、都合が良かったのではないだろうか。
「ま、そういう訳でオレやヒューベルトさんが監視についてるわけなんだけどね」
「監視?」
「あれ、コスティくんには言ってなかったっけ?オレとヒューベルトさんは護衛兼監視。連れ去られるにしても逃げ隠れされるにしても、目が届かないところに行かれるのは困るんだとさ。なぁんか、ダンさんが何考えてんのか、いまいち分かんねぇんだよなぁ」
コスティが驚いた顔でこちらを振り返る。
「……逃げ隠れ?」
「うん。今まではわたしの存在が知られないようにダンと隠れて暮らしてたの。でも、アーシュさんに見つかっちゃったし、わたしももう10歳になったから、隠れはしても逃げはしないと思うよ?」
「ま、そう願ってるけどね」
わたしもそう願ってる。森林領でこれだけ立ち位置を固めてしまった。もう一度これらを捨てる勇気もエネルギーも、わたしにはない。
それから更に2週間後。わたしは領都近くのお屋敷にお招きを受けた。招待状の差出人はキュトラ邸のエルンスト様だ。
……いや、エルンスト様って、誰?
「キュトラ湖というとランタサルミ荘か。領都から馬車で鐘一つと少しくらいのところにある湖だ」
「10日後って書いてあるけど……出店の日だから無理だね」
わたしが断ろうとしていると、ヒューベルトさんが驚愕の表情を浮かべてこちらを見つめていた。
「断るのか!?」
「え……だって仕事があるし……」
いきなりこちらの都合も聞かずに呼びつけられても困ってしまう。だが、わたしの返答を聞いたヒューベルトさんは、見開いた目を更にカッと開き、わたしの肩を揺さぶってきた。
「エルンスト様だぞ!?分かっているのか!?不敬にもほどがあるだろう!」
「え?ヒューベルトさん、エルンスト様って知ってるの?」
有名人だろうか。
「当たり前だ!前領主だろうが!」
「え……え?前って……アンドレアス様の前の領主様ってこと?」
そんな人に呼びつけられる心当たりが全くない。人違いじゃないだろうか。
「ちゃんとアキ・ファン・シェルヴィステアと書いてあるだろうが!」
「いや、それはそうだろうけどさ……」
そもそも、アキ・ファン・シェルヴィステアがわたしだと、ちゃんと認識されているんだろうか。
「とにかく!出店は休むとコスティに伝えて、お前は服を新調しに行くぞ!」
「は?服?」
「そうだ。まさかその恰好で前領主にお目通りするつもりじゃないだろうな」
ヒューベルトさんがギロリと睨みつけてくるが、わたしはこの格好でアンドレアス様にお目通りしている。
「アンドレアス様は庶民だからって言って気にしてなかったよ?いいんじゃない?」
「いいわけあるか!ダン殿はいったいどんな教育をしてるんだ!」
「……なんだよ、当人同士がいいっつうんだからいいんだろ?別に裸で行くわけでもねぇし」
ダンが面倒そうに言うが、ダンの口調を聞いているとそのまま鵜呑みにしても大丈夫なのか不安になってくる。
……ダンは特に身形に気を遣わないからなぁ。
「ヒューベルトさん、わたし、お目通り用の服なんて選んだことないんだけど、どこで何を買えばいいの?いつも通りの中古服じゃダメなの?」
「ああ。ドレスとまではいかんが、もう10歳だからな。淑女として恥ずかしくないものを選ばなければ」
「面倒くせぇなぁ……」
ダンは当てにならないと判断して、ヒューベルトさんに領都の服屋さんに連れて行ってもらうことになった。
領都の大通り沿いにある服飾店は、濃いピンクの壁に薄紫色の看板のお店だった。その色の選択に少し不安になる。
「おいくつですか?」
「10歳だ」
「パーティーなどで?」
「いや、高貴な方に招待されての内輪の会合だな」
わたしの代わりにヒューベルトさんが質問に答えていく。
「まぁ、上流階級ですか?官僚?」
「ああ、かなり上級になるので失礼がないようにしたい」
「ええ、ええ。もちろんでございます。お好きなお色などはございますか?」
「いや、特にないので似合うものを一式準備して欲しい」
どうして当然のようにヒューベルトさんが答えるのか疑問に思う場面も多々ありつつ、次々とサイズを測っていく。本当に数字を読めているのかと首を傾げてしまう速さで、腕やら背中やら脇の下やらにメジャーを当てるその姿は、上品な表情で優雅な所作ながら鬼気迫るものを感じる。プロという感じだ。
「御髪が真っ直ぐで漆黒ですからね。白を基調としたワンピースなどは可愛らしくて清楚に映ると思いますよ?……ブラシはお持ちですか?」
「いや、ブラシは持っていない。それも付けてくれ。あと、髪の手入れの仕方を教えてやって欲しい」
わたしがブラシを持っていないことを、どうしてヒューベルトさんが知っているのだろうか。まぁ、たしかに持っていないけど。
「まずは毛先をこのようにブラシで梳かします。無理に引っ張ってはダメですよ?優しく優しく繰り返して絡みを解いていくのです」
「なるほど。だが随分困難な作業なのだな。時間がかかるのだな?」
「いえ、それは……これまで髪のお手入れは何かなさっていました?」
「いや、風呂から上がったらそのままだな」
なぜ、ヒューベルトさんがわたしの私生活を知っているのか……。
「では、これからはお風呂から上がったら必ずブラシを通してくださいませ。毎日通せば通りやすくなりますので時間もかからなくなりますわ」
「なるほど。分かった」
「毛先が解れたら、頭のこの辺りからゆっくりブラシを下ろします。これも無理はダメです。少しずつ少しずつです。毎日やればもっと手早くまとまるようになりますからね」
「うむ」
ヒューベルトさんが毎日やってくれるのだろうか。
「石けんは何をお使いで?」
「穀倉領の米糠石けんだ」
「んまぁぁぁ!あれをお持ちなのですか!?どういった経緯で!?手に入れるルートをご存じですの!?」
「いや……この娘が穀倉領の知り合いからもらっているのだ」
ヒューベルトさんの言葉に、服飾屋さんが目をギラギラさせてわたしに何かを訴える。
……いいえ。わたしは何も聞こえませんし、感じません。
「……ほら、ご覧になってくださいませ。髪にブラシを入れただけでこんなに艶やかに。瞳が髪の色を映して少し濃くなりますわね」
「うむ。こうしてみると、なかなか可愛らしい顔立ちをしているのだな。ナリタカ様のご執心には疑問を持っていたのだが、これならば…………うー……ん……んん……いや…………」
そこは疑問を追求し続けて良いところだと思う。というか、悩むまでもないことなのではないだろうか。しつこいようだがわたしはまだ10歳で、ナリタカ様とすれ違った時は8歳で、ちゃんと話した時は4歳だったのだ。
「では、お洋服はこちらで構いませんか?靴はどうなさいます?」
「夏だからな。薄い布の物で何か選んでくれ」
「承知致しましたわ」
上流階級というのは、夏でも長い靴下を履くらしい。靴が薄い布製でも、靴下で相殺されてしまうのではないだろうか。
そういえば、以前ブーツを買った時に、店員さんから女性は人前で靴を脱いだりしないと言われたが、あれは、足を見せないということだったらしい。すっかり忘れていたけれど、そう考えると、コスティと宿に泊った時に一緒の部屋を頑なに断られたのも大袈裟というわけではなかったのだろう。森林領できちんと躾と教育を受けた人なら誰でも同じ反応をしたに違いない。
……頑固者だとか思ってごめんね、コスティ。
「靴下はこちらに致しましょう。少し値は張りますが、レース編みを上手く使って涼しく作られているのですよ」
「ほう、それはいいな」
「……ヒューベルトさん…………お金が足りるか不安になってきたんだけど…………」
二人とも、人の財布でよくこれだけ盛り上がれるものだと思う。見るからに職人の娘にそんなお金があると、普通は思わないのではないか。
「大丈夫だ。アーシュ様から預かっている金がある。そちらを使わせてもらおう」
「え?アーシュさんから?」
初めて聞く話にびっくりする。アーシュさんからお金をもらう理由はないのだが、使っていいものなのだろうか。
「ああ。正しくはナリタカ様からだがな。何かあった時のためだ」
「何かって……それ、攫われた時とか、危機に対するお金なんじゃ……」
「今が、危機だ」
ヒューベルトさんがキリッとして答えるので、もうそういうことでいいかと思う。
……ヒューベルトさんって実はちょっと変わった人なのかな。
そうして、服飾店で頭からつま先まで本当に一式揃えてもらって、いくらか分からない金額をヒューベルトさんが払ってお店を出た。
お店を出る時はいつもの服に戻していたのだが、髪はブラシでキレイに整えた状態で帰ったので、ヴィルヘルミナさんがやたら興奮気味に、これからは必ず毎日手入れさせるから任せてくれと、ヒューベルトさんに請け負っていた。
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