アーシュさんとの約束

 ……それは、わたしが、神呪師になるということだろうか。


「却下だ」


 わたしが息を詰めてアーシュさんを見返していると、ダンの厳しい声が響いた。咄嗟に振り返ると、ダンが睨むようにアーシュさんを見ていた。

 アーシュさんも、そう言われることが分かっていたかのように、淡々とダンを見ている。


「……どうして?」


 これはチャンスだと思える。少なくとも、わたしにとって悪い話のような気はしない。何故、ダンがダメだと言うのかがわからない。


 ……わたし、神呪師になりたいのに。


「神呪師になる道は他にもある。誰かの傘下に入る必要はねぇ。そもそも、お前は神呪師の仕事を知らねぇ」

「……神呪師の、仕事?」


 神呪師たちのことは研究所で見ていた。神呪や動具の研究とか開発以外にも何かあるのだろうか。


「他の奴ならそれだけだろうな。だがお前は違う。お前が王族の傘下に入れば必ず王宮の中心で働くことになる。放っとかれるはずがねぇからな。王宮の中の仕事は、ただ神呪で遊んでいられる仕事じゃねぇ。人の命に触れることになる。それがどういうことかちゃんと知って、自分で判断できるようになってから決めろ。それまではどの王族にも取り込むことは許可しねぇ」


 ……人の、命? 


 わたしに話しながら、ダンはアーシュさんを睨みつけている。そんな表情をしなければならないようなことなのだろうか。王宮で働くということは。


「……お父さんとお母さんも、王宮に行ってたよね」

「ああ。だからこそ、お前にはきちんと分かった上で選ばせたい。これはオレだけじゃなくヘルブラントさんの意思でもある」


 わたしの中で、神呪師になりたいという思いが揺らぐ。お父さんとダンがこれほどまでに警戒するような何かがあるのだ。お父さんは実際にそれをやっていて、その上で安易に決めるなと言う。


 ……わたしはただ、神呪を考えて、動具を作っていたいだけなのに。


 以前考えたように、それだけならば神呪師になる必要はない。他の、それこそコスティとハチミツの仕事をしながら、自分たちが便利になるような動具を作っていればいいだけだ。


「……では、ダンさんに許可して頂ける条件をご提示いただけますか?」

「成人まで、アキは誰の傘下にも入らねぇし囲い込みも受けねぇ。アキの命と自由の保障だ」

「分かりました。検討します」


 アーシュさんは難しい顔で頷いて、また来ると言い残して帰って行った。


 気まずい空気が流れる。

 

 これまで逃げ隠れしていたのは、王族に対してだったのかと思う。そろそろ、ダンがわたしに言わなかったことを、知らなければならないのだろう。たぶん、ダンもそれで迷っている。


「……神呪師の仕事って、何?」

「………………」


 ダンの視線が揺れる。迷っているのはタイミングだ。言うか言わないかじゃない。ダンはわたしを騙したりはしない。ただ、今言うべきかどうかを考えている。


 ……でも、アーシュさんに見つけられたと知ったときに、ダンは潮時かって言った。


 それは、もう隠しておくのは難しいと判断したからこその言葉ではないだろうか。


「お父さんとお母さんは、王宮で何の仕事をしていたの?」


 もう何年も前のことなので、あまり記憶に残っていない。それでも、あの煌びやかに溢れる色彩が目の奥に微かに残っている。補佐領の城ですらあの華やかさだ。王宮ともなれば、更に華やかであり、荘厳なのだろう。そこに向かう、両親の表情が思い出せない。


「…………戸籍に関わる仕事だ。知られてねぇがな」


 ダンの苦い表情に疑問が湧く。


「ダンもその仕事をしてたの?」


 詳しすぎると思った。知られていない仕事なのに、どうしてダンは知っているのか。関係者なら納得できるのだが、ダンが王宮に行っていた記憶はあまりない。


「いや、結局、受けなかった」

「え、断れるの?」


 受けなかったという言葉にホッとする。断ってもいいのなら、それほど問題がある気はしない。いやなら断ればいいのだ。


「断ってはいねぇ。受ける前に事故があっただけだ」

「……もしかして、わたしだけじゃなくて、ダンも隠れてるの?」


 話の流れからして、そういうことだろう。ダンはその仕事はやりたくないのだろうか。


「まぁ、お前ほど切羽詰まってはいなかったがな」

「……ダンは、その仕事はしたくないの?」

「…………オレは臆病だからな」


 ダンが苦く笑う。


 ……わたしは、臆病じゃないだろうか。


 今まで、ダンを臆病だと思ったことはない。そのダンが臆病なのなら、もしかしたらわたしも、自分が気付いていないだけで、本当は臆病なのかもしれない。


「仕事についてはまた今度話す。ただ、お前は今まで大人に守られて、辛いものからは極力離れたところで生きてきた。だが、これからは大人が隠してくれていた辛いものや醜いものも見ることになるだろう。その現実の中で自分を見つめて、自分の行く先を決めろ。成人するまでの5年間で、できるだけ多くのことを学べ」






 それから4日後、アーシュさんともう二人、ダンくらいの年の人ともう少し若いくらいの年の人がやって来た。


「はい。これがアキちゃんへの報酬の契約書。ランプ一つ売り上げるごとに決まった額が入るよ。ただ、アキちゃんはまだ子どもで銀行の口座が作れないから、僕が一旦預かる形になってるんだよ。お金が必要な時は小切手を出すから僕に言ってね」

「こぎって?」


 初めて聞く単語に首を傾げる。


「銀行から金を受け取る時に使うんだ。当分は必要ねぇだろうな」

「ぎんこうって?」

「えっ、そこから?」


 アーシュさんは驚いているが、わたしは今まで聞いたことはないので、庶民にとっては一般的ではないのではないだろうか。


「金のやり取りをする機関だ。高額の取引をする者しか使わねぇな」


 なるほど。やっぱり庶民には馴染みがなさそうだ。


「あと、とりあえずアンドレアス様からは、成人までアキちゃんを囲い込むようなことはしないという契約を取り付けたよ。もちろん、僕たちも成人までは君を縛り付けたりはしない」


 そう言って、アーシュさんは契約書のようなものを出して見せた。

 ちゃんと、自分たちも約束するところが好感が持てる。アーシュさんはアーシュさんだなと思う。


「ただ、森林領はともかく、他の領地に連れ去られたりするのは本当に困るんだ。だから、これからはちょくちょく様子を見に来たい。僕はあんまり頻繁には来れないけど、この二人のどちらかが来るよ」

「分かった」


 わたしが頷くと、二人が一歩前に出る。


「ヒューベルトだ。よろしく」

「リニュスだよ。よろしくね」


 ……茶色い髪に黒い目のおじさんがヒューベルトさん。薄茶色の髪に青い目の若い方がリニュスさんだね。


「この二人には事情を説明してあるから何かあったら相談してね」

「アキです。よろしく」


 二人とも、軽く会釈して一歩下がる。アーシュさんの方が若そうなのに、アーシュさんの方が立場が上のようで、なんだかちぐはぐだ。


 ……工房とかだと、年上の方が立場が上なことが多いんだよね。


 上流階級というところは、日々の積み重ねが結果になるような世界ではないらしい。






「というわけで、あのランプ、森林領の神呪師たちが改良して市場に出回ることになったよ」

「ふぅん……。市場に出回るのはいいけど、せっかく作ったお前の名前が消されるのはちょっと納得いかないな」


 喜ぶかなと思って報告したが、コスティは神呪の方が気になるようだ。


「うーん……でも、わたしは別に名前を知って欲しいわけじゃないからなぁ。みんなが便利になればそれでいいよ」

「ハァ。お前、変なのに騙されるなよ」


 とりあえず、ダンの元にいる間はその心配はないと思う。成人したら分からないけど。それよりも、今回報酬を貰えたことの方が重大だ。

 今までは、神呪を好きに作って好きに使ってきたので、神呪で直接お金が稼げるなんて考えてもいなかった。神呪師になって、どこかからお給料をもらうものだとばかり思っていたのだ。だが、神呪師という立場ににならなくても、こういう道があるのだなと思う。それと同時に、この報酬をどうしたら良いのか分からない。

 ハチミツに関しては、明確にお金を稼ごうという意識でやっていたので、収入になると素直に喜び、更にそれを元手に新しく何か稼ぐ方法を考えようと思えたのだが、わたしが神呪を描く動機は、ただ楽しいというだけだ。神呪で稼いだお金をどう活かせばいいのか戸惑ってしまう。


「なんだか、好きなことでお金を稼ぐのっていろいろと難しいね……」

「まぁ、贅沢な悩みだけどな」


 たしかに贅沢な悩みだ。だが、神呪師になるのを迷っている今のわたしには深刻な悩みでもある。


「あ、あとね、わたしが誰かに連れ去られたりしないように、アーシュさんとかその知り合いの人とかが時々様子を見に来ることになったの。わたしが特に気にする必要はないって言われてるんだけど、ついてくるから気になっちゃうんだよね……どう?」

「…………オレ、なんか怪しい人だと思ってたよ。避難所に通報しなくて良かった」


 そうなのだ。早速来ているのだ。


「……だよね。ヒューベルトさんって言うの。怪しい人じゃないんだけど、怪しい人みたいだよね」


 わたしから少し離れたところに立っていて、一見、わたしの様子を伺っているようには見えないけれど、ずーっとそこに立っている。基本的に移動しない。これは怪しすぎる。


「いっそ、お店手伝ってもらっちゃう?」

「え……、いいのか?見るからに武官だぞ?」


 見るからに武官だからこそ、広場にボーっと突っ立っていられると不審なのだ。


「だって、一見わたしたちと関係なさげにしてるけど、これから先、他の出店のおばさん達の間で、あの人がいる時って必ずハチミツの出店が出てる日なのよね~とかって噂が立つかも知れないじゃない?」

「いや……そんなに気にするか?」

「するよ。町中でのおばさんたちの目聡さは狩人並みなんだから。手伝ってもらっちゃいけないとは言われてないし。ダメならダメって言うでしょ?ちょっと聞いてくるね」

「あ!おいっ」


 コスティが止めようとしているようだが、一度おかしな噂が立ってしまうと訂正して回るのは意外と大変だ。先に手を打てるものなら打っておいた方がいい。


「ヒューベルトさん」

「……なんだ?」

「暇?」

「………………」


 わたしを見下ろしまま固まってしまった。なんだろう。暇なら暇と言えばいいし、忙しいなら忙しくしていればいいと思うのだが。


「暇ならお店においでよ。一緒にいればいいじゃない」

「いや、監視が目立つ訳には……」

「監視?」


 わたしは首を傾げる。はて。心配だから様子を見に来ると言うのは、連れ去られるのが心配だからではなかったのか。


「……もしかして、わたしとダンが勝手に消えないように監視してるの?」

「……いや、連れ去られたりしないように護衛も兼ねている」


 兼ねているってことは、やっぱり監視もしているのだろう。


 ……まぁ、別にどっちでもいいけどね。


 ダンの口ぶりだと、どうやら他の領地に行くことはなさそうだ。監視と言われれば気分がいいものではないが、連れ去られるのを防ぐためと思えば納得できる。やってることが同じなら、呼び方が監視だろうが護衛だろうが関係ない。


「だったら、やっぱり一緒にいればいいよ。ヒューベルトさんみたいな人が一緒にいると思うと、連れ去りにくくなるでしょ?」

「………………」


 今後、ヒューベルトさんやリニュスさんがいる時には、特に離れたり知らんぷりをするのではなく一緒に行動することになった。

 ヒューベルトさんが月に一週間ほど、リニュスさんが月の三週間ほどを担当しているらしく、その期間の中で、時間がある時に来ているそうだ。ダンは嫌そうな顔をしたが、わたしは実は歓迎している。なにしろ、二人共馬で来るのだ。町や領都へ行ける手段ができたので大変助かる。


 ……これで、出店の手伝いも養蜂の手伝いも、領都への納品だって行けちゃう!


 毎日来てくれればいいのにと思う。あと、馬車も持って来てくれるともっと助かるんだけどね。






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