アーシュさんへのお願い

「リッキ・グランゼルムには1,650ウェインで卸しているそうですね」


 アーシュさんが泊まっていたのは、なんと領都のリット・フィルガだった。アーシュさんに必要なものを説明するために、クリストフさんが出荷に来るついでに一緒に連れてきてもらったのだが、アーシュさんより先にトピアスさんに捕まってしまった。


 トピアスさんが口元だけの笑顔で言う。


 ……怖いよ。


「う、うん。そうだね」

「出店で2,100ウェインで出しているとか」

「え……えーと?」


 トピアスさんの言いたいことが分からない。

 

「うちでは2,200ウェインで出しているのですが?」


 ……値段を合わせろということかな?


「でも、リッキ・グランゼルムにはトピアスさんより高く売ってるよ?それに出店はちょっと安くしてるけど、避難所広場で2,000ウェイン以上もするものを買う人なんて、そうそういないし……」

「今は、ですよね。噂が広がれば買う人も増えるでしょう」


 ……うーん、それはどうだろう?


「例えばグランゼルムの出店にお客さんが増えたとして、領都に住んでる人がわざわざ馬動車に乗ってグランゼルムには来ないでしょ?」


 領都は大きな町だ。お金持ちも多い。だがグランゼルムは森の畔のいくつもある町の一つに過ぎない。住んでる人たちの生活も、領都程贅沢ではないと思う。


「ですが、リッキ・グランゼルムでも、新しいメニューの開発が進んでいるとか。この木の実のハチミツ漬けを使って」

「それは、さわやか兄さんの汗と涙の結晶だよ」


 料理人の努力は料理人同士で称え合って欲しい。こちらに文句を言われても困る。


「……とにかく、私としてはあまりライバルを増やしたくはないのですよ」


 なるほど。そういう話か。それなら大丈夫だ。


「分蜂は上手く行ったけど、それでもまだ増やせた巣箱は2セットだけ。他のお店に出せるほどの採蜜量はないんだよ。領都では、まだまだしばらくはトピアスさんのところにしか出せないと思うよ」

「なるほど。それを聞いて安心しました」


 トピアスさんがホッとしたのを見て、アルヴィンさんがホッとしている。


 ……お兄さんが大好きなんだね。


「では、うちの料理人にも是非がんばってもらいましょうか」


 わたしが微笑ましくアルヴィンさんを見ている隣で、トピアスさんがニヤリと黒く笑う。


 ……料理人さん、がんばれ!


 この件については後日、ダンにも来てもらって契約を結び直した。コスティとも話し合った結果、再来年の春までは、木の実のハチミツ漬けは領都ではトピアスさんのお店にしか卸さないことに決めたのだ。この先も分蜂が上手くいく保証はないからとコスティは言っていた。蜂は生き物だから、人間が計画している通りには行かないものなんだそうだ。難しい仕事だなんだなと思う。






 トピアスさんがフフフ……と低く不気味に笑いながら出て行くのをちょっと怯えて見送っていると、ちょうどアーシュさんが食堂から出てきた。そのままアーシュさんが泊まっている部屋に行って、必要なものを説明することにする。


「この神呪を描くのは金属がいいと思うの。だけど、持ち手はどっちでもいいから木にしたい。金属だと高くなっちゃうでしょ?」


 わたしは、紙に描いた絵について、アーシュさんに一生懸命説明している。仕様書というやつだ。


「……えーと、この神呪を描く部分って言うのは、これのことかな?」


 アーシュさんが、わたしの絵を見て一瞬固まった後、にっこり笑って一つ一つ細かく聞き返してきた。絵を見れば一目で分かるはずなのに。


「で、この部分は持ち手?え?持ち手?どこを持つの?」

「ここだよ。ここに説明書いてるでしょ?こっちに持ってるところを描いてるじゃない。これが手だよ」


 わたしが、手でランプの持ち手を握っている絵を指すと、アーシュさんが首を傾げる。


「手?これ、手?こっちは?手?それとも木目?」


 どうして、これほどまでに伝わらないのか。


 ……そういえば、ザルトもこうやって根掘り葉掘り聞いてきたっけ。


「ここにガラスを入れるともっと光が広がると思うんだよね。ほら、真ん中がへこんでるガラス」

「ああ、凹レンズね。光を広げるってよく知ってたね」

「うん。小さい時に拡大鏡のガラスを火に突っ込んでみたことがあるの。ガラスは火で溶けるって聞いたから、ホントかなって思って」


 ランプの火は温度が低すぎて、ただ熱くなっただけだったけど、その時に、火の見え方がおかしいなと感じたので、ダンに聞いたのだ。


「出っ張ってる方は光を集めて、へこんでる方は広げるんでしょ?」

「……なるほど、いろいろやらかしてるね」


 アーシュさんが、深く、何度も頷いている。なんだかよく分からないが、何かに納得がいったのなら良いことだと思う。アーシュさんは研究者なのだ。


「じゃあ、目途が付いたらまた連絡するよ。郵便、ちゃんと覗くんだよ」


 そういうと、アーシュさんはまた馬に跨って颯爽と帰って行った。相変わらず、そこだけ清々しい朝の森のようだ。






「アキちゃん、加工物ができてきたよ」


 アーシュさんがそう言って部品を持って来てくれたのは、それから8日後の夕方のことだった。


 アーシュさんからは、合間にお手紙ももらったし、従者の人からの届け物で、稲やら穂が付いた麦やら竹やら大豆やら、いろいろな素材をもらってもいた。藁とか籾とか、穀倉領ならではで、ちょっと笑ってしまった。まぁ、あまり使えなかったけど。


「あ、すごい!ちゃんと書いた通りにできてる」

「うん。あの絵ね、結構大変だったよ……」


 アーシュさんが何故か遠い目をしている。でも、わざわざ絵で描いていたのだから、見たまんま作ればいいんじゃないかと思う。大変なことが分からない。


「アーシュさん、ありがとう!出来上がったら連絡するね!」

「えっ!?……いやいやいや、せっかくだから、出来上がる瞬間に立ち会いたいんだけど!?」


 わたしが10歳に相応しい爽やかさでお礼を言うと、アーシュさんがなんだか要求してきた。


 ……そうか、そうだよね。これだけ協力したんだから、見たいよね。


「でも今日はもう遅いし、お休みは今日までだったから、明日からはダンが仕事で神呪を見せられないんだよ……」

 

 ……困ったな。


 わたしはあの事故以来、神呪を描いたら作動させる前に必ずダンに見せることにしている。


「安全性を確認したいだけなら、ダンさんじゃなくても大丈夫だろう?描いたものをオレが知り合いに見せに行ってもいい?」


 それはちょっと困る。

 なにせ、描いたのはこれまでに発見されていない、発光に関する神呪だ。いろいろと試した結果、発火をさせる神呪の中にある、特定の部分を少し描き替えることで、発光させる神呪ができた。

 発火させる神呪だけでも、例の紙切れに合った神呪だけでも足りなくて、わたしが思い出した事故直後の記憶の中にヒントがあったのだ。アーシュさんが苗字付きで偉い人だというのは分かってるけど、それでも絶対に問い詰められると思うし怪しまれるだろう。


「う~ん……、それは無理だから、ちょっとずつやっていくしかないね」

「ちょっとずつ?」


 このランプは、アーシュさんが持って来てくれた各パーツを組み合わせて作り上げる。組み合わせる前に、それぞれのパーツに別々の神呪を描かなければならず、組み立てた後にはいじることができない。


「そう。まず最初の部品に描いて、ダンに見せる。で、いいよって言われたら組み立てて、次の部品に描いてまた見せる」

「それ……何日くらいかかりそう?」


 アーシュさんが口元をヒクッと引きつらせながら聞いてくる。部品はそんなに多くないが、忙しいアーシュさんには耐えられないのんびり具合なのだろう。


 ……でも、他にどうしようもないしね。


「え……どうだろう?とりあえず、明日は木の実のハチミツ漬け作らなきゃいけないし……あと、蜂の巣箱を冬に温めるような神呪も考えときたいし……」

「え、待って待って。なんか忙しそうなんだけど、それ、アキちゃんがやらなきゃいけないこと?」


 アーシュさんの質問の意味が分からない。わたしの仕事をわたしがやらずに誰がやるのか。


「ハチミツ関係は少し稼げてきてるんだろ?だったら、人を雇うとか……」


 ……「人を雇う」!なんか立派になった気がする!


 その発想はなかった。でもそうか。お金を払って誰かにやってもらえばいいのだ。さすがはアーシュさん。考えることが大人だ。


「子どものわたしが人を雇えるの!?」

「いや……そこは大人に甘えるとこだね。僕とかダンさんとか」


 さすがに、子どもではダメらしい。


「うーん……じゃあ、アーシュさんに人を雇うお仕事をお願いしたら、いくらになる?」

「…………なるほど、そうきたか。僕も雇われる対象なんだね」


 アーシュさんが頷く。


 ……お金を払って誰かにお仕事をお願いするって話だったと思うけど、違うのかな。


「アキちゃんは子どもなんだ。まず、何かを始める場合はダンさんの許可がいる。ダンさんがダメだと言うことはしちゃいけない。その代わり、ダンさんが協力してくれることに、基本的に対価を用意する必要はない。これは分かる?」


 わたしは軽く頷く。ダンはわたしの保護者なので、基本的に報告するし、ダメと言われることはやらない。


「そして僕は、アキちゃんのことを成長が楽しみな子どもだって思ってる。アキちゃんのおもしろい考えだとか、成長していく楽しみを受け取ってる。だから今回、アキちゃんが僕にお金を払う必要は基本的にないよ。もし必要なら事前に言う。材料費だけちょうだいとかね」

「楽しいってだけでやってくれるものなの?」


 だって、それでは結局何も払っていない気がする。


「感情や感動にだって、立派に価値があるよ。音楽や劇を鑑賞したりするのにだってお金を払うだろう?僕は、アキちゃんという子どもが成長するのを見て楽しんでいるんだから、何か返そうと思うなら、僕が楽しみにしている成長ぶりを見せてくれればいいよ」

「…………それって、すごく難しいことじゃない?」


 だって、アーシュさんが楽しみにしている基準が分からない。期待を裏切ってしまったらどうなるんだろう。


「難しく考えなくていいよ。買い物だって、期待して買ったけど実際使ったらあんまり良いものじゃなかったってことはあるだろう?僕が勝手に期待して助けてるだけだから、アキちゃんはアキちゃんの思う通りにしていていいんだよ」


 ちょっと気は楽になったけど、あんまり良い気分じゃない。


「……難しく考えちゃうよ。だって、期待外れだって思われるのはイヤだもん。初めから期待されないで、あんまり助けてもらわない方が気が楽だよ」

「うーん、そうかもしれないね。でも、助けてもらわないで、アキちゃん自身は楽しめる?」


 ……アーシュさんってちょっとズルいよね。


 アーシュさんが助けてくれないと、ランプは作れない。わたしがやりたいことは、誰かに助けてもらわないとできないことが多い。期待しないで、助けないでと言うことは、やりたいことを諦めるということだ。


「……今すぐ返せなくてもいいんだよ。返済期間が長いのが子どもの特権なんだからね。期待されるのが辛いなら、将来、アキちゃんが大きくなってから何か返してくれるのでもいいよ。例えば、僕がすごくお腹がすいて困ってる時に食事を奢ってくれるとかね」

「分かった。そうする」


 ちょっと困った顔で苦笑するアーシュさんには、大きくなってから食事を奢ってあげることにした。その方が気楽でいいと思う。

 ダンもそうだが、アーシュさんは何かを教えてくれる時に、言葉や例えが明確で分かりやすい。大きくなってからもアーシュさんとお話しできればいいなと思う。


「でも、人を雇うことについてはコスティとも話さなきゃいけないから、どっちにしても今は決められないよ」


 結局、ランプ作りはダンの意見を聞いてからということになった。





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