アキであるということ
今日は炭の出荷に来たクリストフさんの馬車に乗せてもらって、ダンと一緒に領都に来ている。トピアスさんと約束した契約のためだ。
「こんにちはー」
「こんにちは、アキさん」
宿に入ると、定位置にいるアルヴィンさんに挨拶をする。
「おお~、ついにアルヴィンさんに名前を呼んでもらえるようになったね。もう仲良しだね」
「………………オーナーを呼んできますね」
「仕事熱心な兄ちゃんを困らすんじゃねぇ」
ダンにペシンと叩かれるが、別に困らせてるわけじゃない。あれは照れているのだ。アルヴィンさんと仲良しのわたしには分かる。
「お待たせしました」
トピアスさんの案内で、宿の奥へ向かう。今日は食堂ではないようだ。
「いただきましたよ。木の実のハチミツ漬け。とても美味しいですね。お酒にも合う」
わたしたちを案内しながら、トピアスさんが楽しそうに話す。なるほど。お酒にも合うのか。ダンはお酒をほとんど飲まないから考え付かなかったが、お酒を出す食事処に卸すという手もあるのか。
「ちょっとずつ食べられるから、旅のお供にもぴったりでしょ?」
「そうですね。ああ、そうそう、今、穀倉領から調味料を取り寄せようとしているところなんですよ」
トピアスさんの穀倉領という言葉に、ダンがチラリとわたしを見下ろす。
「うっ、あの……美味しくないかもしれないけど……」
「ええ。とりあえず少量試してみるだけです。カレルヴォがとても乗り気なのでね」
……カレルヴォさんの料理ってことなら、わたしは関係ないよね?
そうして、トピアスさんに連れられてやってきた部屋は、書類や本棚が置かれている殺風景な部屋だった。奥の窓の手前にデスクがあり、入り口付近に応接セットがある。テーブルには既に契約に関する書類が広げられていて、ダンとトピアスさんの契約は、概ね先に話していた通りにスムーズに進んだ。
「ただし、アキが宿屋リット・フィルガに卸す木の実のハチミツ漬けの個数はアキが一月ごとに決めるものとして、定量の納品とはしない」
ダンが主張したのはこの部分だけだった。無事契約が終わったので、今日のところは商品を3つだけ置いて帰った。
わたしが手紙を受け取ったのは、それから10日後のことだった。
町へ買い出しに行き、郵便局で私書箱を開けると手紙が入っていたのだ。ちなみに、私書箱はクリストフさんと共有。わたしとダンが手紙を受け取ることなんて滅多にないので、使用料がもったいないだろうとクリストフさんが一緒に登録してくれた。
……わたし宛の手紙なんてもらったの、初めて!
宛名にアキ様って書いてあるのを見ると心がときめいてしまう。大人になった気分だ。
「トピアスさんからだ」
お仕事の相手だと分かると何となく浮き立った気持ちが静まるけど。
「ん?宿?なんかあったんじゃねぇか?」
ダンに言われて慌てて封を開けて手紙を読むと、木の実のハチミツ漬けが売れたので追加して欲しいという内容だった。
「えぇっ!?もう売れたの!?」
……もしかして、軌道に乗っているというやつかな?
ついでに、カレルヴォおじさんの作った料理を試食して欲しいとも書いてあった。
「ダン、商品を持って来てほしいって書いてあるんだけど、いつなら行けるかなぁ?」
「あの坊主に馬で連れてってもらえばいいんじゃねぇか?明日からまた行けるだろう?」
例えば、馬動車を改造して馬がいなくても走れるようにできたら、馬に乗れないわたしでも一人で領都に行けるのではないだろうか。あ、でも方向転換とかを考えなくちゃいけないな。
「アキ、こちらの薪拾いはオレとダンでできるから、お前はコスティの家を手伝ってやれ」
とりあえず、明日からまた森へ行くので、その時にコスティに相談することにした。今、わたしの手元にあるハチミツ漬けは、残り5つ。次の分も作っておいた方が良さそうだ。
「お前の場合は5,000ウェインでいい」
「えっ、いいの?大丈夫?」
コスティに、ハチミツの値段を下げてもらえないか相談したら、あっさり下げてもらえた。いきなり半額だ。大丈夫なのだろうか。
「出店は様子見だったからな。値段は適当に付けたんだ。あれくらいの値段で売ってたのを見たことがあって」
コスティは意外と適当だった。
「そもそもオレの労力以外大した元手はかかってないから、値下げしても売上げ0よりは断然マシだし」
なるほど。たしかに、0ではどうしようもない。
「コスティの労力って、何?いつも何を見てるの?」
たまにコスティについて行くと、コスティは毎回、箱の周囲をじっくり見て回り、そばに落ちている蜂の死骸をチェックし、巣箱の中から木枠を取り出して、巣と箱の底を見ている。でも、何を見ているのかが分からない。
「病気になってないかとか、王台ができてないかとか、新しく蜂が生まれてきてるのかとか」
そう言いながら、コスティは砂糖水を作り始めた。
「これは、エサ」
「エサ!?エサって花の蜜じゃないの?」
「冬は花がなくなるからな。というか、その蜜をもらうんだから代わりのエサを用意しとかないと餓死するだろ」
言いながらもコスティはぐるぐると砂糖水を混ぜるが、砂糖がなかなか水に溶けない。もうずいぶん寒くなって来たので、水が冷たいのだろう。わたしもちょっと寒い。
「暖炉に、火、入れないの?」
「発火動具がない」
なるほど。それはどうしようもない。わたしは上から羽織っていた動物の毛皮の前をしっかり合わせながら深く頷いた。
「……神呪が使えないって不便だね」
神呪を使えば解決できる問題は、神呪がない状態で生活をするといくつも見つかる。掃除にしても洗濯にしても、風や水に作用する神呪はたくさんあるのだ。だが、わたしは今度こそダンの言いつけを守る決心をしたのだ。ここでささっと神呪を描いて薪に火を付けることはできない。
「ないものを求めたって仕方がないだろ」
コスティはそう言うが、わたしにとって神呪は身近なものだったのだ。森に住み始めてすぐは、とりあえず目の前のことを片付けるのに精いっぱいだったが、森林領に住み始めてもう2ヶ月になる。この不便な生活に慣れてくると、同時にイライラする余裕までできてしまった。
「神呪が使えないのって、不便だね」
「どうした?急に」
夕飯の時に、ダンに話を振ってみる。ダンは、神呪師じゃなくなったことを後悔しないのだろうか。
「そういや、最近はやたらと神呪描かなくなったな」
「だって、神呪はダメだって言うから……」
「ダメ?なんでだ?」
ダンが肩眉を上げて聞いてくる。
……いやいや、それ、ダンに言われたことだから。
「派手なことして、わたしの居場所を知られたくないんでしょ?」
「ああ」
「……」
「…………」
ダンは頷いて、次の言葉を待っている。わたしも、ダンが何か理由を教えてくれるかなと待っている。
……なんだか噛み合ってない気がする。
お互いに相手の反応を待って、一緒に首を傾げてしまう。
「だから、神呪は使えないでしょ?」
ダンの呑気な仕草にちょっとムッとしてしまう。そのためにわたしは神呪師になるのを諦めることさえ考えているのに。
「……オレは、派手なことはするなとは言ったが、神呪を描くなとは言ってないぞ?」
ダンは2、3回瞬くと、不思議そうに言う。
……へ?
「神呪が描けることを知られたら不審に思われるし、勝手に動具を作ると研究所に報告されたりするからな。隠す必要はあるが……」
目と口をポカンと開けるわたしから、ダンは口をへの字に曲げて、気まずそうに目を逸らして呟く。
「オレの言い方が悪かったのか……?」
神呪を使うと目立つのでダメだと言われていたと思うのだが、違うのだろうか?あまりの衝撃に口がなかなか閉じない。わたしの戸惑いや苛立ちは何だったのか。
「神呪、描いてもいいの?」
「……今は、目立つのは困る。だから、派手なことはするな。神呪が描けることは隠せ。王都から来たことが知られないようにしろ。とは言った」
たしかに、そう言われていた。
「…………派手なこと」
……派手なことだった。
わたしが穀倉領を出るはめになったのは、わたしが引き起こした派手なことのせいだった。
「ここは町中からは離れてるからな。多少何かやらかしたって人目には付きにくいだろう」
……あ……ああ、そう言われてみれば、そうだったかもしれない。
わたしが神呪を描いて怒られるのは、それが人目に触れる可能性がある時だった。部屋から湯気がもくもく出て来ていたら大家さんに不審に思われる。砂糖動具からあめ玉を作れるようになるなんて知られたら、研究所に告げ口されるかもしれない。
「わたし…………」
発覚した自分の間抜けぶりに愕然とする。ダンが言っていたことを勝手に解釈して、確認もせずに誤解して。
自分のあまりな暴走ぶりに衝撃を受けて、呆然としてしまう。
……わたし、もっと賢いと思ってた…………。
ダンがわたしの肩に手を置いて、しっかりと目を合わせて言い聞かせるように続ける。
「神呪を捨てる必要はない。むしろ、お前から神呪を取ったら何が残る?お前に普通の領民の暮らしができると思うか?」
「…………」
真面目な顔でかなり失礼なことを言っている。わたしは糠漬けでもハチミツ漬けでも、結構上手くやれている。
後悔で滲んできていたわたしの涙を止めるかのように、ダンが更に追い打ちをかける。
「決められたことを決められた通りに、常に変わらず続けるんだ。好奇心に負けねぇ、いや、そもそも好奇心を持たねぇ。お前にそんな生き方ができるか?」
……まぁ、それはたしかに、ちょっと難しいかもしれない。
そっと目を逸らす。
「お前はお前なんだ、アキ。王都で生まれたことも、神呪師の娘であることも、研究が好きで散々暴発をやらかしたことも、捨てる必要はねぇんだ。お前は、神呪師であることを、捨てる必要はないんだ」
ダンはそう言うけど、自分が神呪を描く姿を思い浮かべるとそれだけでお腹がキュッとなる。二度とあんな思いはしたくないと、心が臆病になっている。
俯いて、ギュッと拳を握る。
……ああ、そうだ。ダンに止められたからじゃなかった。
「でも……また、あんなことになったら……わたしが神呪を使ったら……」
わたしが神呪を使うことができないのは、わたしの心の問題だ。
集中したら周りが見えなくなって、ついやり過ぎてしまう。暴発する前に止めることができない。わたしの場合は、神呪を使うことと暴発は切り離すことが難しい。
穀倉領を、あんな形で出ていくことになってしまった。
また、会えると思って別れたのに。やってみたいことも、やらなきゃいけないことも、いっぱいあったのに。
……全部この手から零れ落ちて、もう取り返しがつかない。
ちゃんと、さよならを言えなかったのは、わたしがあの神呪に夢中になったせいだ
思い出して、ちゃんと向き合うと、ずっと心に引っかかっていた涙が堪え切れずにあふれてきた。
「いつか出ていくとしても……ダンはちゃんと、挨拶するつもりだったでしょう?」
怖くて、ずっとダンに聞けなかった。
ダンは出ていく準備をしていた。周到に用意された行程で、あっという間に穀倉領を出た。それでも、その予定は、あのタイミングではなかったはずだ。ダンが、あんな不義理な真似をするはずがないのだ。ドルデさんにもヤダルさんにも、あんなにお世話になったのに。
「あんな……誰にも何も言わずに…………迷惑かけて…………」
嗚咽が漏れてしまう。止めることができない。きっと、わたしのせいで、ダンのいろんな予定が狂ってしまったはずなのだ。それまで積み上げてきたものを放り出したのは、わたしだけじゃない。
「……そうだな」
ダンが微かにため息を吐いて頷く。
「出ていく形は多少違ったかもしれねぇな。だが、まぁ、使った神呪の中身以外は想定内だ。だから事前に準備をしていたし、上手く出てくることができた。オレにとってはそれほど大きな違いじゃねぇ」
そう言って、ダンはわたしの頭にポンと手を乗せた。
「オレはお前の父親からお前のことを預かった。ヘルブラントさんは、オレにもお前にも好きなように生きて欲しいと言っていたよ。お前がお前じゃなくなることを、望んでなんかいない。お前が神呪を描くのを喜んでることなんて、見れば誰でも分かる」
わたしは事故の前後の記憶がない。だけど、そういうことを言いそうだというのは分かる。でも、それならダンは、好きなように生きることができているのだろうか。お父さんの言葉を守るのなら、そこにはダンのことも含まれている。
「オレもそうだ。オレはお前が生まれた時から面倒見て来たんだ。たぶん、お前の父親よりオレの方がお前のこと知ってたぞ。オレがお前の保護者なのは、別に王都を出てからのことじゃねぇ」
ダンは優しい。ダンは、お父さんの希望を叶えることで、わたしの希望も叶えようとしてくれている。
「オレにとっても、アキはアキだ。そのまま大きくなればいい」
優しくて優しくて。きっと自分が貧乏くじを引かされてることも分かってて。それでも、それを受け入れちゃう人なんだ。
「お前が、『アキ』を捨てる必要はねぇんだよ」
ダンはちょっと笑って、頭をポンポンと叩いた。ダンの前でこんなにまともに泣いたのは4年前以来だなと、泣きながらふと思った。
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