商売、始めます
「おお!これは美味いなぁ」
「ホントだ。美味しいですね」
「あ、すごい、美味い」
宿屋の料理人と受付の胃袋を掴むことに成功したわたしは、嬉しくなって、喜びを共有しようとコスティに目配せした。残念ながら上手く伝わらず怪訝な顔をされたけど、コスティも美味しいと言っているので、まぁ、良しとしよう。
それにしても、ホントに美味しい。こんなに美味しくなるとはびっくりだ。
「おじさん、これ、木の実を砕いた方が美味しいね」
「ああ、そうだな。かけるなら砕いてソースとして、だな」
「お肉にかけても美味しいんじゃないかと思うんだけど……どうかな?」
「うん?肉?うーん……」
カレルヴォおじさんは難しい顔をしているが、穀倉領と取引があるなら、何とかなるのではないかと思う。
「おじさん、穀倉領に大豆から作る調味料があるんだけど、それ、手に入らない?」
「穀倉領?」
「うん。その調味料にお肉を漬けこんでね、焼くときにハチミツを少し垂らして焼くと美味しいと思うんだ」
「うーん?想像が付かんなぁ……。今度行商に聞いてみるか」
カレルヴォおじさんは仕事に前向きで冒険心があるようだ。
「アルヴィンさん、この木の実、そのまま食べてみて?」
わたしは、アルヴィンさんのお皿に木の実を少し乗せる。
「……美味しいですね」
「でしょ?これね、ハチミツのおかげで何ヶ月か日持ちがするらしいの。栄養価も高いから、旅のお供にピッタリだと思うんだけど」
「……そうですね」
アルヴィンさんが、どこか警戒するように同意する。
「だからね、ここの受付で売らせてもらえないかと思って。どうかなぁ?」
「…………私がお答えできる立場ではないのですが」
アルヴィンさんが、一瞬言葉に詰まって、視線を泳がせながら言う。まぁ、それは分かっている。
「うん。でも、受付にいるのはアルヴィンさんでしょう?良さそうだなと思ったら、オーナーさんにお話ししてもらえないかと思って」
「まぁ……それくらいなら。では、参考までに値段をお聞きしても?」
「この壺一つで2,000ウェイン」
「……おいっ」
コスティが慌てた様子で袖を引っ張ってくるが、ここは任せて欲しい。わたしは今、真剣勝負をしているのだ。
「……と、言いたいところだけど、アルヴィンさんとはお友達だから、ここで売る分は1,600ウェイン。どう?」
お友達割引するよと言えば、お得な気がして飛びついてくれるかもしれない。
「……お友達……」
「他でも売っとるのかい?」
カレルヴォおじさんが痛い所を突いてくる。
「こ、これから売るところなんだよ。グランゼルムよりは領都の方がお客さんが多いかなと思って、今日は様子見で来てみたの」
「……どのみち、今すぐにお答えできることではありませんので、少し時間をいただけますか?」
わたしとしても、今日、話が進むとは思っていなかった。境光が落ちなければ、そろそろ帰る時間だったのだ。ちょうど後の3の鐘が鳴ったのを合図に、カレルヴォおじさんは厨房に戻って行った。
「こちらから連絡したい場合はどうすれば良いですか?」
「グランゼルムの近くの森に、クリストフさんって炭やきの職人さんがいるんだけど、わたし、その人にお世話になってるの。でも、この3日以内で良ければ、また来るよ?ね、コスティ」
コスティが黙って頷いて、アルヴィンさんの方を向く。
「そうですね……では、3日後にまた来て頂けますか?」
わたしとコスティが了承するのを見て、アルヴィンさんは仕事に戻って行った。食堂にはわたしたちしかいない。宿のお客さんは外出していたのだろうか。
「ところで、コスティ」
「うん?」
「今日はもう、ここに泊っちゃおうか」
「ぶっ!ゲホゲホッ」
わたしがお泊りに誘うと何故かコスティが飲んでいたお茶を吹き出した。わたしが慌ててお皿と壺を持ち上げたので事なきを得たが、気を付けて欲しい。
「はぁ!?」
「だって、境光出ないよ?あんまり遅くなると、わたし馬の上で寝ちゃいそう。危ないでしょ?」
「…………寝るなよ」
それは仕方がない。わたしはお子様なので、日頃からとても規則正しい生活をしているのだ。後の5の鐘なんて聞いたことはほとんどない。たとえ馬の上であろうとも、起きていられるか分からない。
「ダンからね、こんなこともあろうかとお泊り代もらってきてるんだ」
「いや、子ども二人だぞ?泊めてもらえないだろう?」
「じゃあ、聞いてみて、泊めてもらえるなら泊る?あ、お父さんが心配しちゃうかなぁ」
「……父親は別にいいけど……ハァ、じゃ、泊れるなら泊る。金は今度返す」
お金はいいよと言ってあげたいけど、うちも裕福じゃないので、返してくれるものなら遠慮なく返してもらおう。
わたしはアルヴィンさんに帰れないことを告げて、特別価格で泊めてもらうことになった。ホントは一人5,000ウェインのところ、一部屋でいいなら、二人で5,000ウェインでいいと言ってもらえたのだ。
こういうことは、たまにあることらしく、身元がしっかりしていれば、後払いで泊めてあげるのだそうだ。わたしの場合は手元に現金があるのでそれで良いということらしい。お金を持たせてくれたダンの英断だ。
次の日、コスティと階段を下りていくと、アルヴィンさんが、朝食ができていると教えてくれた。急なお泊りだったのに朝ご飯まで用意してくれるなんて、親切な宿だと思う。
ちなみに、昨日はわたしがベッドに寝て、コスティがソファに寝た。ベッドに二人で寝ようと思っていたのだが、コスティが大反対して譲らず、ソファから動かなくなってしまったのだ。ダンと二人で寝ようと思うと少し狭いが、コスティはわたしとそう変わらない体格なので、二人でも十分寝られると思う。だが、わたしの主張は結局認められず、コスティはそのままソファに横になってしまった。
……例えばザルトなら、普通に一緒に寝ると思うんだけどなぁ。
お坊ちゃんのこだわりはよく分からない。
食堂に着くと、今日は2組のお客さんがいて、先に食事を取っていた。準備されているテーブルがいくつかあるので、他にも宿泊客がいたのだろう。わたしたちが寝てから戻ってきたのかな?
「アキ様、お食事の後、お話があるので残っていただいてよろしいでしょうか?」
「いいけど、様って変だからアキでいいよ」
「…………では、アキさん。また後程」
アルヴィンさんは苦悶の表情でわたしをさん付けして、仕事に戻って行った。アルヴィンさんのお仕事へのこだわりが、アルヴィンさんを苦しめている。
「……いや、苦しめてるのはお前だろ?」
コスティがボソリと何か言ったが、よく聞こえない。もっと大きな声でハキハキと言って欲しい。
食事が終わって、コスティとゆっくりお茶を飲んでいると、わたしたちより後から来たお客さんたちも、だんだん食事が終わって引き上げていき、現在、食堂にはわたしとコスティだけになっている。
「お待たせしましたね」
呼びかけられて顔を上げると、アルヴィンさんとよく似た男の人が、食堂に入ってくるところだった。後ろにアルヴィンさんもいる。アルヴィンさんのお父さんとかかな?
「この宿を経営しています。トピアスです。よろしく」
「わたしはアキ。こっちはコスティ。ハチミツを作ってるんだよ。よろしく」
トピアスさんはわたしとコスティを順番に見て軽く頷く。
「トピアスさんて、アルヴィンさんと似てるね」
「兄です」
後ろにいたアルヴィンさんに声をかけると意外な答えが返ってきた。
……いやいや、わたしとダンより離れてるよ?
「……母親が違いますので」
目を丸くするわたしに、アルヴィンさんが言う。考えてたことが丸々伝わってたみたいだ。わたしはほっぺを両手でペシペシ叩いて表情を戻す。
「それで、お話しって?」
「商談ですよ」
………来た!
まさか昨日の今日で来るとは思わなかったけど、アルヴィンさんがオーナーさんの身内なら、この速さは良い流れだと思う。だって、乗り気じゃない話を早く進めようとはしないだろうしね。
「これ、この宿で売らせて欲しいの」
わたしは、木の実のハチミツ漬けが入った壺をトピアスさんの前に置く。今回は3つ持って来ていた。
「……出店を出す際の契約金をご存じですか?」
「グランゼルムだと5,000ウェインくらいからだって聞いた。領都は倍以上でしょ?でも、ここは出店じゃないし、場所もそんなに必要ないよ」
そう。ここは出店じゃない。そしていらないのは場所だけじゃない。
「誰が店番をしますか?」
「受付の人」
つまり、アルヴィンさんだ。
店番は必要ないはずなのだ。だって、常に受付に人がいるんだもん。わざわざハチミツのためだけに人を置かなくて済むはず。
「それでは受付の手間が増えますね」
「その分の手間賃は商品の代金に足して売ればいいよ。この木の実のハチミツ漬けの値段が1,600ウェイン。例えば2,600ウェインで売れば、1,000ウェインが宿屋さんの取り分になるでしょ?」
トピアスさんの目がキラリと光った。
「他所で取り扱うようになれば、店によって価格が違うということが起きますが?」
「そうだね。そこは工夫してもらわないと。でも、受付の人がすることは、受付のカウンターにこの壺をいくつか置いておいて、買いたい人がいたらお金を受け取るだけでしょう?たとえ売る値段が1,800ウェインくらいになったとしても、お店にはお得でしょ?値段的にも、そんなにしょっちゅう売れることはないと思うし」
受付の人の手間と言っても、そう大変な手間ではないはずだ。
「君たちは、昨晩ここに泊ったでしょう?一人2,500ウェインだったはずだ。その宿泊費とこの壺一つが同じ値段で釣り合いが取れていると?」
「……わたしたちが泊めてもらった部屋は、わたしとダンが泊った部屋の半分くらいの広さだった。しかも、金庫とか水差しとか、お部屋にあるものがそもそも違ったの」
「……ほぅ」
考えながら言うわたしに、トピアスさんがおもしろがるような顔をする。そういえば、アーシュさんもよくこんな表情でわたしの話を聞いていた。
「旅人が泊る部屋と境光でしかたなく一泊する部屋は違うんじゃないかな?それに、他の宿屋さんと比べても、この宿は割と値段が高い方なんだと思う。客室が少ないけど、お料理が美味しいし、受付に常に人を置けるのはそれだけの収入があるってことだよね」
それまでに泊った宿の何倍もの額を、ダンは支払っていたと思う。領都であるということを差し引いてもかなりの高額だった。
「ふむ……よく分かりました。お客様に聞かれた際には説明も必要ですね」
「説明……?」
「ええ。ただ壺が置いてあったって、お客様には何なのか伝わらないでしょう?」
なるほど。たしかにそうだ。コスティが言っていた、蜂の生態とかを一緒に説明してもらえると、興味を引くかもしれない。そもそも、壺の中身が見えないこの状態でカウンターの隅に置いてあったって、目を向ける人はそういないだろう。
「じゃあ今度、説明を紙に書いて渡すよ。コスティ、それでいい?」
「オレは何でもいい。今回はお前に任せる」
蜂蜜はコスティが作っているもので、納品もコスティがいないと、わたし一人では来られない。コスティが良いというなら進めようと思う。
「では、書面を用意しましょう。私の商談相手は誰にします?」
「商談相手?」
わたしは首を傾げる。さっきから、トピアスさんと話しているのはわたしだ。わたしじゃダメなのだろうか。
「子どもとお金のやり取りはできませんからね。誰か大人がいないと」
「あ」
苦笑しながら教えてくれるトピアスさんの言葉にハッとする。
「コスティ、子どもの手伝いって何で支払われるの?お米?」
「は?米?なんで、米?手伝いの支払いは金だし、基本、親にだろ?」
パッ振り返って聞くわたしに、コスティが意味が分からないと言うように眉をひそめて答える。
「……お金の代わりに米が支払われるのは穀倉領くらいではないですか?」
「ええっ!?」
……知らなかった。穀倉領って特殊だったんだ。
「親がいなかったらどうするの?」
「お前の場合はあの保護者だろ?孤児院なら孤児院長とかじゃないか?」
「……それ、ちゃんと働いた子どもの手元に届くの?」
「親次第だな」
なるほど。他の領だと子どもは保護者によっては自由に買い物すらできなくなるわけだ。穀倉領の子どもって恵まれてたのかな。
「じゃあ、どうする?コスティのお父さんとかにする?」
「いや、お前の保護者がいい」
ダンなら子どものお金を横取りしたりはしないだろう。必要経費は引かれるかもしれないけど。
「じゃあ、ダンにして、後で半分こする?」
「いや、オレは今まで通り、お前にハチミツを売る。ここで売れた金はお前の分だ。他に費用がかかったらその時どっちがいくら負担するか決めよう」
なんだかすごく他人行儀な気がするが、コスティは、お金のことや契約のことはきちんとするべきだと譲らない。仕方がないので、ここはコスティの言うとおりにしようと思う。ベッドのことといい、コスティは頑固なのだ。
「では、今度は保護者の方と一緒に来てください。いつなら来れますか?」
「うーん……8日後……かなぁ」
「では、8日後にお待ちしてますね。ああ、とりあえず一つ購入しておきます。カレルヴォが欲しがっていましたから」
わたしは臨時収入を手に入れた。でも、ダンにはハチミツ代とこの宿代で15,000ウェインの借金がある。まだまだもっともっと稼がなければ。
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