ハチミツ料理、考えます

「今日は窯の作業、見に来るか?」

「う~ん……うぅぅ~~~ん…………行きたくなったら行くかもしれない……」


 朝食の席でダンに誘われたが、わたしは断った。とってもとっても興味はあるのだが、リッキ・グランゼルムのお兄さんがあの避難所に出てくるのは一週間に一回だ。次の火の日を逃すと更に一週間延びる。できるだけ早くに取り掛からないと冬に入ってしまう。


「わたし、今日からハチミツ料理を考えるからお昼はいらないってヴィルヘルミナさんに伝えてくれる?」

「分かった。……もしハチミツが足りなくなったら言えよ。状況によっては先行投資しなくもない」

「うん。たぶんいっぱい必要になると思う。その時は遠慮せずに言うね」

「いや、そこはちっとは遠慮しろ」


 ダンがペシッとおでこを叩いてきた。自分が言えよって言ったのに。





 ハチミツは甘いという。ダンが顔を顰めながら「死ぬほど」と表現し、出店のおじさんが「喉の奥に響く」と表現する甘さだ。ちょっと想像がつかない。

 わたしは、スプーンを構えてハチミツの壺の蓋をとる。壺を鼻に近づけるとちょっと花の香りがする気がする。スプーンを壺にそっと差し込むと、スプーンに沿って蜜の表面が内側に沈む。すごいねっとり感だ。スプーンにすくって少し持ち上げようとすると、軽く引っ張られるような感覚がして、とろりと蜜が垂れる。なかなか途切れない。見るからに濃い。

 スプーンの裏を壺の淵で濾して糸を切り、口に近づける。うん、やはり花の香りがする。ハムっと口に含むと香りが更に広がって、同時に、スプーンの底についていた蜜が舌に触れる。


 ……んん?……なんか苦い?


 舌先に触れた瞬間、ほんのりとした苦みを感じた。だが、唾液に交じってハチミツが喉の奥に流れきた瞬間、目が覚めるような甘さを感じて、思わず見開いた目をぱちぱちした。


 ……あっんまーーーいっ!なにこれっ!


 食べたことのない濃い甘さが喉の奥に張り付く。わたしは舌を動かして、ハチミツそのものの味をしっかりと味わう。やっぱり、舌というよりも喉の方で甘さを感じる気がする。そして、とろりとしている分張り付き感がすごい。なるほど。たしかに「死ぬほど」の甘さが、喉の辺りに絡みついていて「喉の奥に響く」。


「甘いっなんか激しいっ美味しいっまだ食べたい!でもダメだ!」


 興奮する自分にきつく言い聞かせる。料理を考えるのが最優先なのだ。全部舐め取ってしまってはこの先に続かない。強い意志を持たなければ。


 ……がんばれ、わたし!






 ハチミツ料理を考え始めて3日目のわたしは、煮詰まっていた。料理がではない。わたしの頭がだ。


 どうしても、甘いので砂糖の代わりにと考えてしまうのだが、リッキ・グランゼルムはれっきとした食事処だ。わたしが考え付くようなデザートが、考えられていないはずがない。そして、同じようなことを考えて、わたしがプロの料理人に勝てるわけがない。わたしは奇抜さで勝負するしかないと思うのだ。


「アキちゃん、ハチミツ料理はどう?」


 3日間、お昼を食べに行かなかったので、ヴィルヘルミナさんが心配して様子を見に来てくれた。お弁当を持って来てくれる辺り、わたしがお昼を食べていないことも筒抜けのようだ。


 ……ダンって、そんなにおしゃべりだったっけ。


 ダンはクリストフさんに遠慮しているように見えるので、聞かれたら何でも答えてしまうのかもしれない。まぁ、炭やきの師匠なので、仕方ない。


「全然。砂糖の代わりに使うことしか考え付かないの」


 わたしがしょぼんと答えながら首を振ると、ヴィルヘルミナさんが首を傾げる。


「甘いものを他の甘いものの代わりに使うのは、いけないことなの?」

「だって、それじゃ普通でしょ?それじゃあ、あのお兄さんの気は引けないと思うんだよね」

「あら、アキちゃんはそのお兄さんの気を惹きたいの?」


 ヴィルヘルミナさんがなんだかフフッと笑う。


「だって、ハチミツを買ってもらえるとしたら、それを決めるのはもっと偉い人でしょ?あのお兄さんに紹介してもらわないと、わたしじゃ会うこともできないもん」


 何がフフッなのか分からないが、わたしはハチミツを買ってくれる人を探しているのだ。今は、あのお兄さんしか手がかりがない。


「ああ、なるほど。そっちね」


 ヴィルヘルミナさんが、ちょっと気を抜いた感じで言う。どっちだと思ったのだろう。


「でも、意表をつきたいのなら、まずはそのお店でどんなものを出しているのか知らないといけないんじゃない?」

「そうなんだけどね……。高級料理店なんだよ。出店で売ってるお肉の煮込み一つで500ウェインするの。お店の中で料理を頼むなんて、いくらかかるのか想像もつかないよ」


 ダンとの生活で、貧乏生活が身に染みついている。値段がはっきりしない高級なお店に入る勇気はわたしにはない。


「それもそうねぇ……。わたしも、ハチミツと言えば薬としか思いつかないし……」

「ヴィルヘルミナさんは、ハチミツをお薬に使うの?」


 そういえば、お肉を買った時のおじさんもそんなことを言っていた。


「ええ。小さい頃だけどね。わたしが体調を崩した時に、母が大根を漬けたハチミツを飲ませてくれたわ。喉が痛い時に飲むといいのよ」

「ええ!?大根!?」


 大根とハチミツ……ちょっと想像がつかない。


「そっか……何かを漬けって、おもしろいかも」


 いろいろと試してみてもいいかもしれない。


「参考になったなら嬉しいわ。でも、アキちゃん。アキちゃんは育ちざかりなんだから、生活はきちんとしなくてはダメよ。明日からはまたお昼を食べにいらっしゃい」


 優しいヴィルヘルミナさんに釘を刺されてしまった。でも、たしかに、一人で考え込んでも埒が明かないことが分かった。そもそも、わたしはハチミツのこともよく知らない上に、森林領で好まれている料理もよく分かっていないのだ。


 ……なんか、とりあえず塩振って焼くって感じが多い気がするけど。


 ヴィルヘルミナさんの料理の中にヒントを探す方がいいかもしれない。明日から、またお昼ご飯を食べさせてもらおうと思う。






「…………無理だ」


 あれから更に2日が経つが、わたしはまだ、これというものを発見できていない。


 ……調味料そのものが少ないよね。


 穀倉領では、塩の他に大豆を発酵させた調味料もあったし、糠床も使おうと思えば使えた。ただの塩よりもまろやかな味が出せるのだ。だが、ここ森林領では、塩と砂糖と酒くらいしか使っていない。あとは酸味の強い果物の汁くらいか。

 そして、調理方法も、だいたい「焼く」だ。串に刺したり油で炒めたりするのだが、それ以外の調理法はあまり見ない。


 ……あの日の出店の料理は煮込みだって言ってた。


 恐らく、たいていの庶民は煮込み料理なんてしないのだ。それもあっての、あの行列なのだろうと思う。

 肉は長時間煮込むと柔らかくなるのだが、そうすると、薪や炭が大量に必要になる。庶民が気軽に煮込み料理を作れるのは、暖炉を使う冬だけだろう。薪だと火の調節が難しいので、料理には炭を使うことが多いが、枝を乾燥すればそのまま使える薪と違って炭は少々高いのだ。ちなみに、クリストフさんが作る炭は、煙が少なくて長く燃えているということで、最高級の値段がつけられるらしい。クリストフさんは何気にお金持ちだ。


 大豆を発酵させた調味料を使って煮込み料理で勝負できないかと思うのだが、神呪を使わなければ炭が必要なのはわたしも同じだ。しかも、穀倉領で使われる調味料を使うのはちょっと危険な気がしてしまうし、そもそも手に入らない。森林領では、米も大豆もほとんど作っていないのだ。


 ……まぁ、隣で大々的に作ってるしね。


 穀倉領はすぐ隣だ。輸送費も大してかからないので、わざわざ森を切り開いてまで田んぼを作ろうとは思わないのだろう。


 漬ける方面で考えたが、それも微妙なところだ。そもそも、薬として考えるならともかく、普通の野菜をハチミツに漬けてもあまり美味しくはない。そして、果物に関しては、そもそも砂糖漬けがあるくらいだ。ハチミツ漬けだって既にあるだろう。


「豚肉の糠漬けにハチミツを垂らして焼いたら美味しそうなのに……」


 穀倉領はすぐそこなので、手に入れる手段はありそうなのに、すぐそこだからこそ、穀倉領の物は安易に使えない。糠漬けなんてまさに、わたしはここですと言わんばかりだ。


 ……行動が制限されるのって辛いんだな。


 思えば、穀倉領では好き勝手にしていたなとため息を吐いた。まぁ、そのせいで今こんなんことになっているわけだけど。

 いろいろ考えていたら、しょんぼりからどんよりになってしまって、わたしはもう一度、ため息を吐いた。






 結局、わたしが一週間で準備したのは、木の実のハチミツ漬けだった。ほんのスプーン3杯分ほど。それでハチミツを使い切ってしまった。

 ダンは昨日の作業の疲れが取れなくて動けなかったので、今日はクリストフさんと二人で買い出しに来ている。


「ごめんね、クリストフさん。せっかく買ってもらったのに、ほとんど実験に使っちゃった……」


 しかも、大した成果が出せていない。わたしがしょんぼりと謝ると、クリストフさんはチラリとこちらを見てフッと笑う。


「いや。ずいぶん元気になったようだ」

「え……?元気?」


 むしろ、結果が出せなくてしょんぼりしたり、どんよりしたりしてたけど。


「うちに来た時はずいぶん沈んだ表情をしていたからな。目標があるのは良いことだ」


 クリストフさんの言葉に、少し驚く。自分では沈んでいた自覚はあまりなかった。だが、振り返ってみるとたしかに、何というか、心がいつも凪いでいるようで、いまいち浮き立つ感じがなかった。わたし、そういう性格じゃなかったと思う。


 ……沈んでたんだ。まぁ、そうだよね。


 穀倉領を出ることになって、何もかも置いてこなければならなくて、自分にもできると自信をもって言えることを全て失くしてしまった気がしていた。


 まだ、わたしにはこれがあると胸を張って言えるものは何も得られていないが、コスティと出会って、ハチミツのことを知って、とりあえずの目標ができた。目標に向かっている間は「できない自分」に留まっている時間なんてない。


 ……目標って大事なんだな。


「ダンも安心したようだ」

「え?」

「お前の様子が変わるとダンが考え込むからな。分かりやすい」


 クリストフさんが可笑しそうに言う。ダンには何も言われなかったけれど、気にさせてしまっていたのか。


「ヴィルヘルミナに様子を見てくれと頼んでいた」


 ……なるほど。それでヴィルヘルミナさんがいつも以上に気にかけてくれてたのか。


 クリストフさんも、ちょっと嬉しそうに見える。ダンにとってのわたしと、クリストフさんにとってのヴィルヘルミナさんは同じなのかもしれない。


 そんな話をしながら、クリストフさんに送ってもらって、リッキ・グランゼルムの近くの避難所にやって来た。

 クリストフさんとは、前回と同じ約束をして別れた。


「お兄さんお兄さん、、一週間考えたんだけど、今のところ実際に作れたのはこれだけだったよ」


 わたしは持参した木の実のハチミツ漬けを見せたが、やはりハチミツ漬けではお兄さんの気は引けなかったようだ。


「う~ん……ハチミツ漬けかぁ。それはちょっと普通だよねぇ」


 ……やっぱりそうか。


 想定していたとはいえガッカリしてしまう。


「残念。じゃあ、オレは戻るから」


 そう言って、お兄さんはあっさりと出店の準備に戻って行ってしまった。


 ……ホントにお話し聞いてくれなかった……。


 わたしはちょっと愕然としてその背中を眺める。わたしの経験上、大人は子どもが何か一生懸命に行った成果を見せれば多少は耳を傾けてくれるものだった。違う人もいるけど、そういう人は最初から線を引かれているのが分かる。あのお兄さんのように、一見面倒見が良さそうなのにそっけない態度をとる大人に初めて会った。


 ……ちょっと新鮮かも。


 若干落ち込み、若干大人気ないと呆れ、あとは若干おもしろいなと思いながら、コスティがいるだろう避難所に向かう。森林領の人たちは、穀倉領の人たちみたいにのんびりはしていないみたいだ。





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