あばら家の蔵書
「コスティ、ダメだったよ」
「は?なに、いきなり」
コスティが椅子に座ったまま怪訝そうに聞き返してきた。
そうだった。この前はリッキ・グランゼルムを探しに行ってそのまま帰ってしまったので、コスティにはまだ詳細を話していないんだった。
「というわけでね、結局大したものは思いつかなくて、この木の実のハチミツ漬けを持って行ったの」
「まぁ、ハチミツ漬けは他にあるからな」
「う~ん……でも、木の実のハチミツ漬けって見ないよね?」
「そういえばそうだな……」
そうなのだ。果物のハチミツ漬けは、あるのだ。それはヴィルヘルミナさんにも確認している。だが、どうやら木の実をハチミツに漬けるという発想はなかったようなのだ。
「木の実は塩味だな」
「うん。でも、これ、美味しいんだよ?」
そう言って、木の実のハチミツ漬けが入った壺を渡す。元々ハチミツが入っていた壺に木の実を突っ込んだだけなのだが。
「あ、うまい……」
「でしょ?これ、ナッツを砕いてパンにかけたりしても美味しいと思うんだけどなぁ」
ぼそりと呟くコスティに同意する。わたしが以前自作した動具で作った、果実を凍らせたおやつにかけても美味しいのではないかと思う。
「たしか、木の実って栄養価が高いんだよな……」
「そうなの?」
「ああ。これがそのうち木になるんだから栄養は豊富なんだ」
相変わらずコスティは物知りだ。
「それ、コスティはどこで知ったの?」
「本」
「え?」
「だから、本。家にある」
驚いた。
本はそれなりに高価だ。王都の家にはたくさんの本が並んでいたが、穀倉領に移ってからは、自分が持っている本以外に見たことすらない。コスティの知識のほとんどが本によるものだとすれば、どれくらい本を持っているのだろうか。そう思いながら、わたしはコスティのぼろぼろの家を思い浮かべる。
……やっぱり、ただ事じゃなさそう。
「コスティ、わたし、明日クリストフさんに送ってもらってお家に行くから、本、わたしにも見せて!」
ただ事じゃなさそうだけど、わたしにとってはチャンスだ。持っている本を読みつくしてしまったわたしが、新たに知識を得るチャンスで、上手くすればハチミツに関するいい案が浮かぶきっかけが掴めるかもしれない。
……集中して本を読んでるところに屋根が落ちてきたりしたら大変だよね。
コスティのイヤそうな表情を見なかったことにして、家の修繕を先にした方がいいのかを真剣に考えることにした。
コスティには次の日と言ったが、次の日は境光が出る時間が遅くて無理だった。後の2の鐘の頃に、やっと境光が出たのだ。
クリストフさんとダンは伐り出しに出かけて行ったけど、二人はそのまま後の4の鐘の後まで森にいるつもりだと言う。規則正しい生活を送る、お子様なわたしには無理だし、そんな時間に行ったらコスティも迷惑だろう。
……あと4日しかない。
コスティの家に行くためには、森へ伐り出しに出かけるついでに送り迎えしてもらわなければならない。伐り出し作業は窯で炭化している間に行うので、日数が決まっている。町への買い出しにも行かなければならないので、コスティのところに行ける日はあまり多くないのだ。
ダンの帰りが遅かったので、その日の夕食は一人で食べて、先に寝ることにした。
こういう日は、ダンもクリストフさんと一緒にヴィルヘルミナさんが用意してくれている夕飯を食べてから帰って来る。遅くに帰って来たダンの夕食の後片付けをしようとすると、わたしの生活のリズムが狂ってしまうだろうというヴィルヘルミナさんの気づかいだ。
ありがたいけど、一人で夕食を食べて、一人で後片付けをすると、一人で2階に上がる足取りが自然と重くなる。なんだか一人、取り残されたような気分になるのだ。穀倉領にいた時と違って、森の中は人の気配が全くない。自分の存在が、なんだか不自然に感じる。
翌日、目が覚めて1階に降りると、テーブルに小皿がいくつか並んでいた。
「おはよう」
「ああ、おはよう。ヴィルヘルミナさんから夕飯の残りをもらってきてるぞ。朝はそれでいいだろ」
……ヴィルヘルミナさん、神!
言っておくが、わたしは料理は好きだ。だが、毎日となると、やっぱり疲れてしまう。子どものわたしには、ここの台所も高すぎるので踏み台が必要なのだ。この移動が地味に疲れる。
しかも、この家には家事用の動具がとても少ない。ちょっとみじん切りしたり、硬い殻を砕いたりするにも腕力や体力が必要で、わたしには太刀打ちできないことが多すぎる。
「今日は、わたしコスティの家に行けるかなぁ?」
「ああ。冬に向けて量を増やすからな。というか、あの少年もそろそろ薪とか集め始めんじゃねぇか?」
「おお~、薪拾い!やるやる。コスティの家に行かない日にわたしも拾っとく」
王都にいる時も穀倉領にいる時も、薪は買ってくるものだった。でも、ここは森だ。家の周囲を歩き回るだけで薪が拾える。
……貧乏人天国!
もしかしたら、木の実とかもいっぱい拾えるんじゃないだろうか。
わたしは希望を胸に、とりあえず今日はコスティの家で情報収集にあたることにした。
「音を立てるなよ」
コスティの家に行くと、散々渋られた後、本があると言う部屋にこっそりと案内された。どうやらお父さんに知られたくないらしい。
「うわぁ……」
思わず感嘆の声が出る。
部屋の壁の一面に本棚があり、その本棚の半分くらいが本で埋まっていた。
「父親がかなり売り払ったからな。半分くらいしか残ってない」
「え!?この本棚、元々埋まってたの?」
「ああ。前の家にいた頃はな」
わたしは改めてコスティを上から下までマジマジと見た。来ている服はクタクタだが、コスティの立ち姿はスッと姿勢が良い。話し言葉もあまり荒れていない。ダンの方が余程ひどい。
「コスティはお坊ちゃんだったんだねぇ」
わたしがしみじみ言うと、コスティは嫌そうに顔を顰めて、フイっと本棚に向かう。
「で?何が知りたいんだ?」
言い方はそっけないが、以前のような壁を作る感じはない。だいぶ打ち解けてきたようだ。
……そして、否定しなかったなぁ。
「とりあえず、木の実とかハチミツのことかなぁ」
「栄養学の本はもうこれとこれしかないんだ。オレが読んだのは別の本だったし、これには載ってなかったと思う……」
「じゃあ、他の本、見てみていい?」
コスティが本を手に取ってパラパラめくるのを横目に見ながら、わたしは文化についての本を数冊手に取る。
「いいけど……お前、字が読めるのか?」
コスティが驚いたように言う。わたしがパラパラめくりながら読んでいるのが意外だったらしい。なんだろうか。わたしはお嬢さんには見えないというのだろうか。
「わたしも、小さい頃に住んでた家には本がいっぱいあったんだ。今は6冊しか持ってないけどね」
「へぇ……」
コスティの驚いたような声がだんだん遠くなる。わたしはそのまま、本に没頭して行った。
「……い、おい、迎えが来たぞ」
誰かが声をかけてきているのは聞こえているが、わたしの意識には届いていない。今、ちょうど良いところなのだ。
……栄養価が高く、保存が効く?あれ、でもさっき、王族への献上って……。
ずいぶん古い時代のことだが、木の実が重宝されていた時代があったらしい。わたしとしては、保存が効く物は長く置いておけるのだから、値段が下がると思っていた。
「おいっ……ちょっ、まったく、どうしたらいいんだよ、コイツは」
実際、市場などで木の実を売っていることもあるが、それほど高価ではなかったはずだ。だが、その前に見た本には、王族への献上品の一つとされていた時代があるという記述があった。
……それなら高級品じゃない?
それとも、種類が違うのだろうか。何の木の実かまでは書いていない。高級路線なら、売れるのはここのような小さい町ではなく領都だ。
……ハチミツも高級品だしなぁ。
わたしが考え込んでいると、スパーンと頭が叩かれた。
「アキ!帰るぞ、起きろ!」
「……起きてるよ、失礼な。ダンの目はちょっと節穴すぎない?」
ダンの、少女に対するとは思えない態度に、コスティがドン引いているのが目の端に映る。だが、失礼なダンには一言物申さねばならない。
「お前の耳が塞がり過ぎなんだ。オレがいない時は耳の蓋ははずしとけ」
「開け閉めできる蓋があればとっくにしてるよ。ないからみんな苦労するんだよ」
「苦労させてんのはお前だろうが!」
「…………静かにしてくれ」
顔を引きつらせながらわたしとダンのやり取りを見ていたコスティが、疲れたようにため息を吐いた。何疲れだろう?
「コスティ、木の実には疲労回復の効果もあるみたいだよ」
「……お前がいる間は効かない気がするからいい」
木の実のハチミツ漬けを勧めたが、頭を押さえながらコスティに断られてしまった。若干失礼な言い回しがあった気がするが、気のせいだろう。コスティはダンと違ってお坊ちゃんだ。
「ほら、帰るぞ。境光が薄いからゆっくりしか帰れないんだ。急げ」
「それは大変だね。じゃあね。コスティ。今日はありがとう。また何か考えるね~」
ダンに急かされて、疲れているコスティに手を振って別れた。
「それにしても、すごい蔵書数だったな」
「うん。前は本棚いっぱいにあったんだって。お父さんが売っちゃったから半分になったって言ってた」
「そりゃあ、すげぇな……」
ダンも驚いたようだ。ダンも読書は好きだったはずなので、今度一緒に来ればいいと思う。
「ねぇねぇ、ダン、知ってた?ハチミツってね、ばい菌が付かないんだって。だから長持ちするんだって」
「そういや、ハチミツってずっと置いてある気がするな」
「へぇ、そうなんだ。あ、でも、水で薄めると菌が付くから、それでお酒にもなるんだよ」
「それはハチミツ酒だな」
ゆっくりと走る馬車の上だと、わたしもしゃべることができる。わたしが、さっき本から得た知識をダンに披露していると、クリストフさんが話に加わった。
「クリストフさん、知ってるの!?」
「ああ。以前、飲んだことがある」
……クリストフさんが賢者すぎる!
「やっぱり、甘い?」
「オレが飲んだものは甘かったが、甘くないものもあるらしい」
甘くないハチミツ酒って、もうハチミツじゃない気がする。わたしは断然、甘い方がいい。
「へぇ~。どうやったら甘くなくなるんだろうね……。あ、でね、そのお酒に薬草を混ぜて作ったお薬のお酒を、昔の王妃様が好きでよく飲んでたんだって」
王妃様が好きなお酒で、しかもお薬だなんて、なんだか高級って気がする。こういう特徴があると、売れるのではないだろうか。
「……酒は造れねぇぞ」
ダンが釘をさす。なんで作ろうとしてることが分かるんだろう。
「酒を造るのには領主の許可がいる」
「残念だね」
それは仕方がない。わたしは即答で諦めた。
「でもそうすると、やっぱり木の実になるんだよねぇ~」
「保存が効く上に栄養価が高いんだろ?そっち方面で考えりゃいいじゃねぇか」
「旅人が重宝するかもしれないな」
……旅人と言えば、やっぱり領都だよねぇ。
「森林領の町には行商の市は立たないの?」
「領都ならば定期的に来るが、近隣の町だと多くはないな」
「じゃあ、町の人はいつも同じお店からしか商品を買わないの?」
それはちょっと残念感がある。時々、普段目にしないものを見て刺激を受けるといいアイディアが浮かんできたりするのに。
「領都で市を畳んだ後、行商はそれぞれまた旅に出る。その者たちが通る時に避難所などで店を出したりするな」
「じゃあ、来る日はだいたい決まってるんだ?」
「そうだな」
だが、バラバラに来るのでは、人数はそんなに多くはないだろう。わたしは、大人二人と相談しながら、領都で泊った宿を思い出していた。
……少しは話を聞いてもらえるかな。
行商の人は、市の間宿に泊まるだろう。宿と言えば、アルヴィンさんだ。わたしとアルヴィンさんには細い絆がある。そこから話を広げられるかもしれない。
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